それは幼き日の、けれどもあまりに鮮明な記憶。
さぁ、世界に終焉を。
視界の大部分を覆うのは雨に濡れた母の肩。
雨の一滴一滴がまるでスローモーションのように落ちては弾け、そして新たに布へと染み込んでいく。 残りの僅かな視野に収まっているもの。 それは雲が重く立ち籠める黒い空と雨に打たれる河原と。 薄まる気配のないおびただしい量の赤い液体と。 そして、化け物。・・・プラス、人間。 仮面を被った醜い化け物が此方を見てニタリと嗤う。 伸ばした触手に赤い液体を滲ませて、それはそれは愉しそうに。 でも、そんなことより。 そう、そんなことより。 視界の端、あの逃げていく人影は何だ? 黒い着物、黒い髪、腰には刀。 人影は此方を振り返ることなく遠ざかっていく。 黒い着物、腰には刀。 助けて。確かに自分はそう言った。 けれど止まってくれなかった人影。 腰には刀。 (助けて。) 人影は遠ざかる。遠ざかる。遠ざかり、そして見えなくなった。 (助けてよ。) 視界の大部分を覆うのは雨に濡れた母の肩。 雨の一滴一滴がまるでスローモーションのように落ちては弾け、そして既に濡れそぼった布を更に重く冷やしていく。 冷たくなった体はただ己へとしなだれかかるのみで、背に回されていた腕も力なく地面に落ちていた。 まるでその分を補うかのように自分の腕を母の背に回し、爪を立てるくらい強く強く抱きしめる。 この手を濡らすのは透明か、紅か。 ぬるりと滑る感触に、やがて、俺は。 「・・・はは。」 前を見据えたまま口から漏れたのは笑い声。 「ははは。あはははははは。」 目に雨が入っても決して閉じることはない。 「あはははははははははは!」 冷たい体を短い腕で掻き抱く。 世界の中心を目の前で奪われた。 唯一のものが、温かな光が、己の全てが。 目の前で、たった一瞬のうちに。 「助けてって言ったのに。」 「助けてっていったのに。」 「たすけてっていったのに。」 タ ス ケ テ ッ テ イ ッ タ ノ ニ 。 頭が芯から冷えていく。 視界が開ける。 両足で河原に立つ。 目の前には化け物。 足下には母だったモノ。 鋭く突き出された触手を見つめ、その先の化け物を見つめ、消えた人影を見つめ。 「コロシテヤル。」 吐き出したのは、冬の雨よりも冷ややかな呪詛。 気付いた時には顔に面、右手には漆黒の刀。 不可視の赤に濡れた全身を雨に晒し、目から涙を流していた。 胸は痛くも熱くもないのに。 まるで自分のものではないような、雫が頬を伝うのもそのままで。 瞬きをゆっくりと一度だけ。 中心を欠いたココロが疼くように脈打った。 |