■ハルヒ/宇宙人キョン。長門→キョン。



「・・・・・・なあ長門、じゃなくて有希。」
 ガラス玉のような瞳を間近に見ながら少年が言い直し、事実上『妹』であるその少女は起こしていた頭を再び戻した。すなわち、少年の胸へ。
 立ったまま正面から抱きつくような格好で(と言うか一方的ではあるが完璧に抱きついて)相手の胸に頭を預け、少女こと長門有希は微かに満足そうな気配を漂わせている。
「お前は何がしたいんだ?」
 それで困ったのは少年だった。
 ここは長門の家でも無ければ情報操作によって一時的に他者の侵入を拒むよう作られた空間でもない。確かに人気は殆ど無いが、れっきとした学校の一角、文芸部室が存在する部室棟の廊下である。
 放課後のSOS団の団活に参加するため少年が廊下を歩いていると、珍しいことに、普段なら誰よりも早く部室にいるはずの長門と途中で一緒になったのだ。そしてそのまま共に部室へと向かうつもりだったのが、突如として長門が少年に抱きついて今に至る。
 少年の問いかけに長門は再び顔を上げると、無垢そのものの瞳でじっと少年を見つめた。そして、
「スキンシップ。」
 ぽつりとそれだけ答えた。
「・・・スキンシップ、か。」
「そう。」
 答えるのと同時に、かくん、と頭が揺れる。
「楽しいか?」
「楽しい。」
「ん。そりゃよかった。」
 そのまま三度頭を預けてきた長門を眺めつつ少年もぽつりと言い、次いで髪を手で梳き始めた。
「もうしばらくこうしていられるな。」
「そう。ここから最も近いのは涼宮ハルヒ。けれど彼女がわたしたちを見つけるまでまだ139秒ある。」
「じゃあ、あと2分間だけ。」
「まだ平気。138秒までこのまま。」
 ぎゅう、と抱きつく力を強めてきた長門に少年は小さく苦笑する。そしてそのまま、妹が望むようにギリギリまでこの体勢でいることを小さな声で了承した。















■ハルヒ/宇宙人キョン。喜緑→キョン。



 偶然、本当に偶然廊下でばったり出会った少女と少年がお互いを視認し、しかしそのままただの上級生と下級生としてすれ違った直後、少女がくるりと振り返り、少年の背に声をかけた。
「お久しぶりです、お兄様。」
 その声に少年はぴたりと足を止め、やがてゆっくりと振り返る。その顔には苦虫を噛み潰したような表情。
「背中が痒くなるからやめてくれ、その言い方。」
「あら。先日長門有希本人に向けて己と兄妹であることを認めたのはあなたじゃありませんか。でしたらわたしだってあなたを『兄』と呼んでも差し支えは無いと思いますが。」
 少年とは対照的に少女―――喜緑江美里がにこりと楽しそうな微笑を浮かべた。
 しかし穏やかだと表現すべきいつもどおりの少女のその笑みの中に別のものを読み取って、少年は伺うような目を向ける。
「怒ってる、のか?」
 同じ『兄と妹』という関係であるはずなのに長門有希とはその関係を認め、一方で喜緑江美里とは――彼女が長門有希よりも先に少年と己の関係に気付いていたにもかかわらず――他人のままで通したことを。
 少年の推測は正しかったらしく、少女は微笑を引っ込めると少々拗ねたような顔をして、
「当たり前です。あなたの存在意義に気付けなかった朝倉涼子ならともかく、わたしだってあなたの妹なのに長門有希だけ贔屓されるのは気持ちのいいことではありません。」
 そう言い、口を尖らせた。
「あー・・・その、悪かったな?」
「そう思っているのなら態度で示してください。」
 少年の曖昧な謝罪では少女の機嫌を回復させることが出来ず、それどころか「ふん」と顔を逸らされる始末。それはある意味少女が少年に甘えていると捉えることも可能だったのだが、少年の『人間』として小学生の妹を持つ『兄』の部分が少女の幼さを感じさせる仕草に反応した。
「悪かったよ。そうだな・・・今度お前と一日、どこでも好きな所に付き合ってやるから、それで機嫌直してくれないか。―――江美里。」
「・・・ずるいですよ、そういう風に呼ぶのは。」
「なら止めた方がいいか?」
「それは困ります。」
 相変わらず口を尖らせたまま、しかしチラチラと視線を寄越す妹に、少年はようやく笑みを浮かべ、「なら問題ないだろ?」と少女の頭を撫でた。
 大人しく撫でられている少女の顔は、既に不機嫌さを形作るのに失敗して口元や瞳から嬉しさが滲み出ている。
「じゃあ今度の日曜日、わたしと一緒に出掛けてください。それと、」
「それと?」
 頭を撫でるのを止めて少年がそう聞き返した。
 己の兄がじっと自分を見つめてくる中で少女はやや戸惑うような仕草をするが、いくらもしないうちに決心したらしい。真っ直ぐに少年と視線を合わせて告げる。
「その日はずっと、江美里、と呼んでくださいね。お兄様。」
「ん?ああ。了解だ。」
 それが当然のことだとでも言うように少年が答えると、少女の顔には本当に嬉しそうな幼い笑みが浮かんだ。















■ハルヒ/中学生古泉と神キョン(?)



 ひゅうひゅうと音がする。しかし自然が生み出す美しくも畏怖さえ覚えるようなものではなく、それは矮小なる存在――つまり僕――によって生み出されるものだった。
 コンクリートのビルに叩きつけられてボロボロになった身体は呼吸をすることさえ厭わしく感じさせる。ただし、どれだけ上下する肺の動きとその度に聞こえる耳障りな音を自覚していても身体は勝手に生きるための諸々の動作を行ってくれるわけだが。
 視線を煩わしくも上下する胸から外し、壊れた(僕がそこに突っ込んで壊した)壁の向こう―――ビルの外へとやると、そこでは未だに青白く光る巨人が灰色の街を破壊するために腕を振るっているのが見えた。その周りにさっきまで自分もそうだった赤く小さな球が幾つか飛び交っている。ああ、ちょうど腕が切り落とされたところだ。
 このまま行けば今回も無事に『神』の尻拭いが終了するだろう。だが僕はそれを見届けることが出来るだろうか?全身を苛んでいたはずの痛みは危険度を示すかの如く徐々に感じられなくなっているし、視界もぼやけて巨人と赤い球のおぼろげな形しか捉えられない。
 もう一度視線を戻して自分の胸を見る。中学の制服を着たまっ平らな男の胸は相変わらず忙しなく(でもないか?)動いていた。けれど先刻と比べて変化している点を上げるとすれば、常人なら真っ先にその制服を濡らす色の拡大について述べたことだろう。うん、確かに汚い赤色が真っ白だったはずのシャツをかなりの割合で占領してしまっているな。
「いや、常人ならまず最初にお前の胸から突き出てる鉄の棒について何か言うんじゃないか?」
「・・・だ、・・・れ。」
 ひゅうひゅうという呼気の合間に別の音を混ぜて、淡々と発言してきた誰かに語りかける。
 誰だ、この人は。突然現れて、しかも僕の思考を読むようなことを。
「そりゃあ読んでるからな。あ、無理に喋るなよ。傷に響く。」
 気だるげな声の主はそう言って数歩こちらに近付いたようだ。しかし生憎出血多量――もちろん青白い巨人こと神人に吹き飛ばされ、そのままビルに突っ込み重傷を負ったためだ――の僕には気配を感じ取るスキルが普段より大きく欠如してしまっているので確信はない。しかも目玉を左右に動かして確保できる視野の中にはまだその『誰か』が入ってきていない。よっておぼろげな形として情報を得ることも不可能、と。
「おい、無理に動こうとするなって。さっきまで動く気なんかさらさら無かったくせに・・・俺にはお前がそこまで痛い思いをして見る価値なんて無いぜ?」
 それは僕が決めますよ。
「ああそうかい。それじゃまあ、そんなお前の無駄な意地に敬意を表して俺から動いてやろう。・・・・・・ほれ、見る価値なんてなかっただろう?」
 じゃりじゃりと粉々になったコンクリートやガラスを踏む音がして、視界に新たな人物の影が映りこんだ。しかし僕の視界は邪魔なぼかしフィルターが入ったままで詳細までは表示してくれない。
 ヤバい意味で感じなくなりつつある痛みにも苛立つが、今のこの視界にも苛立つ。思わず舌打ちでもしてやろうかと思うほどだ。(そしてもし舌打ちをすればこの身体に激痛が走るだろう。なにせ僕の身体には背中から腹(胸?)にかけて鉄の棒が突き刺さっている。)
「まあそう苛立つなよ。俺が何とかしてやるから。」
 は?あなたが何とかする?それは一体どういう意味なんでしょうか。
 もし――ここに突然現れたこと等はひとまず脇に置いておくとして――あなたが医者かそれ関係の知識と技能を持った方だとしましょう。けれどそんなあなたが僕に何かしらの治療を行うとして、果たして僕は今すぐ舌打ちせずともよい状態になることが出来るのか。
 ちなみに僕の現在の出血量はかなり危険な域に達していると思いますね。
「『ちなみに』の後は正解、それ以前は不正解。俺がここに突然現れたことを脇に置くことからして間違ってるだろ。」
 ・・・?じゃあ何ですか。あなたはまるで・・・そうですね、まるで神様のように万能の力の持ち主で、この灰色の世界に侵入したのもその力によるもの。そして今度は死にかけの僕を救うというわけですか。
「かもな。」
 馬鹿馬鹿しい。いっそこれが全て死にかけで見た幻(もしくは神人に吹っ飛ばされて気絶中に見ている夢)だと言った方が納得出来る。
「あーはいはい。ったく、死にかけのクセにホントよくそこまで頭が回るよな。普通だったら頭の中でも痛いって泣き喚いたり逆に何も考えられなくなったりするモンなんだが。」
 どうでもいいですよ、そんなこと。
「ごもっとも。んじゃ、ぐだぐだやっててもしょうがねえし、やるぞ。」
 そう言って『誰か』(男のようであるから『彼』と言ってもいい)は僕の両目を隠すように手を翳し、・・・って、あれ?痛みが戻って来て、それでまた薄れて、ああでも今度は感覚が鈍くなるんじゃなくて、まさしく"戻って"いく感覚で。意識すれば動かなかったはずの指先や足が思うように動く。
「はいオシマイっと。」
 目を覆っていた手が退かされる。一番最初に確認しようとしたのは胸から突き出ていた鉄の棒で、しかし致命傷を与えてくれていたはずのそれは見る影も無く、視界の中から消失していた。それどころかシャツを染めていた赤も、布に空いていた穴も綺麗サッパリ消え去っている。
「どういう、ことだ。」
 言葉を音にしても痛みは無い。
 ただしその音は壊れたビルの一室にぶち当たって無駄に跳ね返るのみ。折角口に出して言えるようになったのに、答えてくれる人物は―――『彼』はどこにもいなかった。
 致命傷だけではなく『彼』自身も綺麗サッパリ存在しなくなっていたのである。
 大きく崩れた壁の向こう側では神人がバラバラに切り裂かれて消えていく瞬間が見て取れた。僕達の『アルバイト』も終了というわけで。
「夢・・・?」
 呟き、首を傾げながらも、僕は仲間と合流すべく赤を纏った。















(08.09.20up)














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