■中二一護と浦原
「おにいちゃん、」 そう言って妹達と同じ年頃の見知らぬ少女に引き留められるのは、その少年にとってよくある、とまではいかないものの、それでも特に驚くほどのものではない出来事だった。 「おにいちゃん。あたしね、まいごになっちゃったの。」 ―――おかあさんもおとうさんも、どこにもいないんだよ。 少女は大きな瞳に涙を浮かべて一生懸命に言葉を伝える。 その視線に合わせるようにして腰を屈めた少年は、たどたどしく紡がれる台詞に耳を傾けながら「うん、うん。」と相槌を打ち、優しげな表情を浮かべた。 やがてその少女の話を全て聞き終えると、少年は立ち上がって胸よりも下にある頭をポンポンと叩くように撫でた。 「大丈夫。俺が一緒にお母さんとお父さんを探してやるから。」 「ほんと!?おにいちゃん、ありがとう!」 「お礼はお母さんとお父さんが見つかってからな。」 「うん!」 少年の言葉に元気を取り戻した少女は差し出された手に掴まり、涙の所為で少し赤く染まった目のまま大きく頷いた。 立ち上がった二人は手を繋いで歩き出す。 彼らが立ち去ったその場所。 どこにでもある平凡な電柱の下では花瓶に活けられた数本の小さな花が風に吹かれて揺れていた。 少女の手を引いて少年は閑散とした住宅街を歩く。 本人は決して機嫌が悪いわけではないのだが、眉間にはやや皺が刻まれ、加えてその鮮やかな色をした頭髪ゆえにどう見てもガラの良い人間には見えない。 しかし手を引かれている少女はそんな少年の容姿を気にすることも無く、自分よりも大きくてしっかりとした手を握り返しながらニコニコと楽しそうに笑っていた。 時々少年を見上げては「おにいちゃんのて、あたたかいね。」とはにかむ。 この年頃の少女と中学生という肩書きを持つ少年の体温を比べたならば普通は前者の方が高温なのだが、少年は少女の言い様に微笑み返して「そうかな。」と返すに留まっていた。 その度に握り返す小さな手は少年に己と少女との温度差を更に知らしめる。 己の体温は平均的であるにも関わらず、右手に感じるそれは氷のように冷たかった。 何とかして自分の熱を与えられないかと深く握りこんでもそれは変わらない。 こんなに小さな子なのに・・・と胸中で呟いて、少年は少女の両親を探すかのようにきょろきょろと辺りを見渡す。 と、その時、一軒の建物が少年の目に止まった。 「おにいちゃん?」 立ち止まった少年を見上げて少女が不思議そうに呼ぶ。 すると呼ばれた少年はその建物を指差して淡く笑った。 「歩いてばかりじゃ疲れるだろ?あそこでお菓子売ってるみたいだから、ちょっと行ってくる。」 「おかし!?あたし、アメさんたべたい!」 「わかったわかった。それじゃあ、ここで大人しく待っててくれよ?」 「うん!おにいちゃん、いってらっしゃい!」 「おう。」 少女の頭を撫でて少年は指差した建物へと向かう。 古ぼけたそこに掛けられた看板にはこう書いてあった。―――浦原商店、と。 「こんにちはー。」 ガラガラと引き戸を開け、顔を覗かせる。 コンクリートを流し固めただけの床は太陽の熱など知らないとばかりにひんやりと蛍光灯の明かりに照らされていた。 視界の中央には所狭しと並べられた生活雑貨や菓子類。 小学生の子供達が硬貨を握り締めて走ってきそうな感じがする。 ただ、今この場には少年を除く子供など一人もいなかったが。 「ごめんくださーい。」 店番すらいない店内に少年の声が響く。 へんな店、と呟いて、少年は中へと入った。 「いらっしゃい。」 「・・・ッ!?」 扉を閉めていたその背に突如として声が掛けられ、少年はビクリと肩を震わせる。 振り返ると、さっきまでいなかったはずの店内に一人の男が立っていた。 「え、えっと・・・お邪魔してます。」 「はい、いらっしゃいませ。何かご要り様っスか?」 「ごいりよ・・・?あ、飴をください。」 「飴っスか。それならこちらにありますから、好きなの選んでくださいね。」 「あ、はい。」 奇妙な男だった。 少年に対する態度がこうであるのだから、おそらくこの店の人間なのだろうが、どうも商売人という感じがしない。 それに何より、帽子で目を隠して表情を読ませないようにしている。 口だけが弧を描いて、陽気な音を吐き出していた。 あとはその格好。 趣味と言えばそれまでだが、時代錯誤も甚だしい作務衣(いや、甚平か?)を着込み、下駄を履いている。 帽子からはみ出る髪もぼさぼさだ。 しかし少年はその髪の色に目を留め、少しばかり目を見開いた。 「オッサン、変わった髪の色してんな。」 「お、おっさ・・・!?出来れば店長さんとか呼んで欲しいっスね。」 「おお、悪ィ。んで、店長さん、珍しい色だな。」 「そう言うキミもね。染めたの?」 「俺のは地毛だっつーの。」 短く切った髪の中に手を潜らせてガシガシと頭を掻く。 店長だと言うその男はそんな少年の様子に「怒った?ごめんね。」と笑いかけて「アタシも地毛なんスよ。」と毛先を弄った。 金よりも薄い色が指の間でひょこひょこと動く。 「それにしても見事な色っスねぇ。キミくらいの年頃だと色々大変でしょ?」 「あ?ああ、まあな。毎日碌でもない奴らに喧嘩吹っかけられてるよ。」 うんざりとした様子で少年が呟く。 男はクスクスと笑って「でしょうねぇ。」と同意を返した。 「中学生ってのはそんなモンですよ。高校に行っても暫くは続きそうですが。」 「うへ。今から気の重くなるようなこと言わねえでくれよ。俺まだ中二だぜ?これから高校のこと考えなくちゃいけねーのに・・・」 「それはそれは。ま、頑張ってくださいな。・・・あとコレ、良ければ差し上げますよ。頑張ってるキミにご褒美。」 そう言って男は少年の手に数個の飴玉を落とした。 レモン、イチゴ、ブドウ、ソーダ、オレンジ。 カラフルな包み紙が少年の手の中で主張し合う。 「ご褒美?」 「そ。だって今もキミ、"一般的には評価されない"慈善活動をしてるじゃないっスか。」 口元だけで微笑んで、男は扉の向こうへと視線をやった。 その先には少年が手を引いていた少女がいる。 なぜわかった?と少年が問おうとすると、それを遮って男が口を開いた。 「アタシもね、キミと同じものが見えるんスよ。だから、ね。」 「・・・・・・そっか。それじゃあ、ありがたくこれは受け取っておくよ。」 男の一言に納得し、少年は飴玉をポケットに押し込む。 これで少女に告げていた自分の用件は済んだ。 しかし少年は店を立ち去ることなく、続いて問いを口にした。 「ついでにちょっと訊きたいんだけど、いいかな。店長さん。」 「ええ、どうぞ。アタシが答えられることなら。」 男は解っていたとでも言うように頷く。 「あの子のことが見えるなら想像つくと思うけど・・・女の子を探してる両親、知らねえか?」 「知ってますよ。キミ達が来た道をもう暫く進めば良い。そしたら、」 途中で言葉は切られたが、それでも意味は解る。 少年は「どうも。」と告げて踵を返した。 引き戸に手を掛け、男を振り返る。 「じゃあ、俺はこれで。」 「またのご利用を。」 最後まで帽子を被ったままの男の声を聞きながら少年は扉を閉めた。 「おにーちゃーん!おっかえりー!!」 あめー!と言って駆け寄ってくる少女の頭に手を乗せながら、少年は男から貰った飴玉を少女の目の前に差し出した。 「どれがいい?好きなの選んでいいぞ。」 「んー、じゃあおれんじ!おにいちゃんのいろっ!」 言うのが早いか、少女は包装を解いて着色料たっぷりの飴玉を口の中に放り込む。 緩んだ表情に、やはり子供には甘いものだなと考えながら、少年も一つ口に含んだ。 「おにいちゃんは、れもんだね。」 コロリ、と交互に左右の頬を膨らませて少女が笑う。 その笑みで、少年は自分が無意識の内にそれを選んでいたことに気付き、「げっ」と顔を顰めた。 レモン、イチゴ、ブドウ、ソーダ、オレンジ。 カラフルな主張を続けるその中で、自分の選んだ一つが何色だったのか。 少女がオレンジだと少年を例えたように、少年は己の選んだ色に何を見たのか。 「おにーちゃーん、おーい。」 停止した少年の目の前で手を振って少女が「おーい。」と繰り返す。 「・・・ああ、悪いな。」 「へんなおにいちゃん。」 「まあそう言ってくれるなって。・・・あ。お前のお母さんとお父さんな、この道をもうちょっと行くと会えるってさ。」 「ほんと!?やったぁ!おにいちゃん、はやくいこう!」 「ああ、わかったわかった。」 先程とは違い、今度は少女に手を引っ張られるようにして来た道を更に進む。 目的が達されてその小さな手が少年から離れていくのは、もう暫く後のこと。 ■中二キョンと閉鎖空間帰りな古泉(not丁寧語) 中学二年生も中盤に差し掛かったある夜のこと、コンビニ帰りの俺は暗闇に沈む公園の中に奇妙な人影を見つけた。 なんだ、あいつ。 目を凝らせば、俺と同じ位の年かさの少年だと知れる。そんなやつがこんな時間にブランコに腰掛けているなんて、一体何があったのか。 本当はそのままスルーして家に帰っちまえば良かったのかも知れない。けれど俺は日常を甘受しつつも非日常を求める性質ゆえか、その奇妙な人影にふらふらと近づいてしまった。 カサリ、と手に持ったビニール袋が音を立てる。それでようやく気がついたのか、ブランコに座る人影はハッとした気配と共に顔を上げて俺を見た・・・のだろう、たぶん。 はっきりと言いきれないのは、ここが随分な暗がりで、相手の顔なんて殆ど見えていないからだ。隣の空いているブランコに腰掛けた俺が判るのは、そいつの顔がどうやら中々に整っているかも知れないということくらいでしかない。 ・・・ん?それだけじゃないな。こいつ、全体的になんだか草臥れている。 「・・・喧嘩でもしてきたのか?」 「まあ、そんなところだね。」 顔が良さそうだと思ったら、なんと声まで良かった。 ひょっとすると天は二物を与えた、とかそういうことなのだろうか。そのぶん何かでマイナスされてりゃ意味ないけどな。 おっと話がずれた。 なんとなく声をかけてしまったが、相手の方もなんとなく返してくれた。無視されなくて良かった。いいやつだな、お前。 「お疲れさん?」 「まったくね。あちらにも困ったものさ。」 どうやら知らない人間イコール俺に対して口が軽くなっているらしい。まぁそんなものかも知れない。今の俺だって、顔も名前も知らない、判るのは声程度の、けれどおそらく同年代と思われる目の前の人間に対して"なんとなく"他人には普通話さないことを話してしまえそうな気がしているからな。 その少年は肩を竦める気配を見せて溜息を一つ吐く。 「どんな相手か訊いてもいいか?」 「ああ、訊いてくれ。・・・本当に厄介なお人なんだよ。いつも自分本位でね、イライラするとこちらに容赦なく当り散らしてくるんだ。暴力的にね。まだギャーギャー喚いてくれた方が可愛げもあるんだが。」 「・・・その喧嘩相手ってのはどこぞのお転婆娘か?」 喧嘩の相手としては些か奇妙に感じるのだが・・・。 「そうとも言えるし、そうでないとも言えるかな。そうだな・・・発端は一人の少女だ。でもこちらに対して容赦なく拳を振るってくれるのはもっと強くて厄介な連中さ。」 ボディーガードのようなものでもいるのだろうか。 でもまぁどちらが悪いとか良いとか俺には判断つけかねるが、目の前の相手が相当大変な目にあっているということは理解出来た。本当にお疲れ様です。 「あはは。解ってくれるかい?本当の意味で理解してもらうことは出来ないかも知れないけど、でもそう言って貰えて少し気が楽になった・・・ような気がするよ。」 「気がするだけか。」 「気がするだけさ。」 切り返されて、俺は笑った。 相手も俺の笑いにつられるようにして声を上げる。 俺はガサゴソとビニール袋を漁って500mlのペットボトルを取り出した。スポーツ飲料として売られているそれは、その目的の割には甘すぎるような気がしなくもないが、別に運動する奴だけが飲むわけではないのでこれで良いのだろう。 「ホレ。」 「うわっと、」 そのペットボトルを掛け声と同時に放り投げて、相手が慌ててキャッチするのを眺める。 「これは?」 「やる。」 「・・・どうも。」 相手がキャップを開けたのを音で確認すると、俺も袋からもう一本取り出して蓋を開け、冷えた液体を喉に流し込んだ。これで風呂上りの一杯はおじゃんだな。まあ、それもいいか。 しばらくゴクゴクという音が続いて半分くらい飲み終わった頃、隣からキャップを締める気配を感じた。 「なんだかスッキリしたよ。実は最近立て続けでね、いろいろ参っていたんだ。でもキミのお陰でガス抜きが出来た。」 ブランコの鎖をキィと鳴らして少年が立ち上げる。 「それは良かったな。俺もお前の役に立てて良かったって思っておくことにするよ。」 俺はその影を見上げて笑う。 どうせ相手にゃそんな顔さえ見えてないんだろうが、それでも気配くらいは伝わると思ったんだ。 案の定、少年は俺の表情が判ったようで、小さく笑い声を上げるとペットボトルを持った方の手を軽く上げる。 中に残った液体が遠くの街灯の光を受けて僅かに光った。 「これ、貰って行くよ。・・・じゃあ、もう会うこともないだろうけど。」 「ああ。ま、頑張れよ。」 「言われなくても。」 そう言って少年が歩き出す。 静かな公園に靴が砂を噛む音がして・・・いや、車の音も聞こえた。しかも近づいてくる。 エンジン音に気付いてそう間も空かないうちに、車のヘッドライトが公園の中を照らした。 それはちょうど出口に向かって歩いていたやつの逆光になり、俺には少年の姿が完全に黒くなって背格好しか判らなくなる。けれどもあいつからすれば、俺の姿が今ハッキリと確認できたことだろう。 なんだか不公平な気がするぞ。 「愚痴、聞いてくれてありがとう。」 「・・・どういたしまして。」 振り返ったそいつは俺に微笑みかけ(と思う)、車に向かって歩き出した。 そのまま車に近づき、慣れた様子で乗り込む。 少年が乗り込むと車はゆっくりと発進して、公園にはまた闇と静寂が訪れた。 俺はしばらく車が止まっていた場所を眺めていたが、やがて手に持ったままだったペットボトルに蓋をすると、それをコンビニの袋に入れて立ち上がる。 キィと、あいつと同じ音を立ててブランコから退き、公園を出る。当然、あいつが乗って行った車は影も形も無い。 「実は怪物と戦う秘密組織のエージェント・・・だったりして。」 そうだったら面白いんだけどな。 自分の呟きに苦笑し、俺は公園をあとにした。 ―――それは、ある夜の奇妙な出会い。 |