例えば何も知らないからこそ気付いてしまったこととか。
色々知ってしまったために生じた矛盾とか、思い違いとか、すれ違いとか。 でも結局、何も言葉にされないのだから真実は本人しか知らないのだ。 終末来たりて未だ終わらず/終末来たりて未だ終われず
1(紺野樹/コンノイツキ) 旅禍の侵入・双極の破壊・反逆者・破面。 そういう単語が真央霊術院の教本に登場するようになってから数百年。 死神ならば誰でも尸魂界を騒がせた出来事として知っているそれは、だからこそ、もはや物語のようなものとして僕らの間に浸透してしまっていた。 まるで全てが御伽噺。実感が湧かないのだ。 ただし、旅禍侵入事件から始まる一連の出来事を直に体験した上位の死神達を除いて。 元一番隊隊長で今は真央霊術院の特別講師をなさっている山本元柳斎重国様。 山本様の後任として一番隊の隊長になられた京楽春水様。 その友人であり、現在は隊長職を辞任なさったものの、当時は十三番隊隊長でいらっしゃった浮竹十四郎様。 他にも砕蜂二番隊隊長や朽木六番隊隊長、日番谷十番隊隊長などなど。 事件当時、隊長や副隊長を勤めていた方々は悉くことの詳細までご存知だったりする。 そして、僕の上司もその一人。 元々現世で死神達のサポートをしていた方らしいのだが、その事件が切欠となって技術開発局の局長になられた。(本当は局長職に『復帰』なさった方らしい。・・・ということは、現世に降りる前には尸魂界で働いていたと言うことなのだろう。) 名前は浦原喜助。 僕ら局員は「浦原局長」とか、ただ単に「局長」とお呼びしている。 淡い色の金髪と翡翠色の目をした彼は何処か不思議で冷たい雰囲気を持った人だ。 いつも小さく微笑んでいるんだけど、でも実際はちっとも笑っちゃいない。 僕らが死神になる、否、生まれる前から局長と知り合いだったらしい方々は、そんな浦原局長を見ては悲しそうな顔をしたり、哀れみの目を向けたり、はたまた人によってはおぞましい物や親の仇を見るような表情だったり。 浦原局長が他人から受ける視線は様々。 でも一様にプラスの感情とは言いにくいもの達ばかりなのだ。 ・・・まぁ、見た目は決して悪く無いので若い女性死神達から桃色の視線を受けているときもあるけど。 とにかく、そんな僕らの局長は今日も今日とて研究所に篭りきり。 前任者である涅局長のように隊長職を兼任なさっておらず、書類関係が随分と少なくなっているからだろう。 そうでなければ今頃部屋で判子と筆を交互に動かしていなければならない。 浦原局長の帰還によって隊長職に専念するようになった涅十二番隊隊長の不気味な容貌を思い出しつつ、「きっと見た目ほど悪い人では無いんだよね・・・たぶん。」と口の中で呟いて、僕は己のすぐ傍に存在する巨大な円筒形の透明な筒を見上げた。 50センチ程の鉄製の台があり、その上に高さ2メートル強の強化プラスチックの筒。 その筒を固定するように、そこから更に暗い色の金属と様々なコードの塊が天井まで伸びている。 液体が詰まったその筒からは淡い光が常に発せられ、時折こぽりと気泡が生まれていた。 そして、ゆらりと壁面近くで揺れる鮮やかな『髪』。 (・・・まだ、起きてくださらないんですね。) 透明の筒、否、培養槽の中に浮かんでる人影に心の中で話しかけて僕は目を細める。 これの為だけに作られたと言う、技術開発局の建物の最奥に位置する部屋の中。 培養槽でずっと・・・そう、僕が生まれる前からずっと『彼』は眠り続けていた。 元は短かったと言う髪は今や腰の辺りまで伸び、着せられている白襦袢の袖や手足に繋がる細いコードの合間を縫って液体の中を漂っている。 部屋を淡く照らす光は培養装置から発しているものだけど、その光はまるで彼のオレンジ色の髪から生まれているような錯覚を僕に齎していた。 「樹くん、呆けてないで一護サンの体調チェックやっちゃってくださいね。」 「あ、はい。わかりました局長。」 少し離れたところにある制御装置のパネルを弄くっていた局長が顔を上げてそう言った。 僕は慌てて、けれど動作は落ち着いていつもの仕事をこなし始める。 心拍数、血圧、脳波、その他諸々異常なし。 細胞活性は極めて低い。これもいつも通り。 浦原局長の助手となってから続けてきた作業を淀みなく済ませ、僕はふと培養槽の壁面に片手をついている局長を見やった。 いつも感情の無い、あっても冷たさばかりの翡翠の目が、この時ばかりは色を湛える。 (まるで、恋でもしてるみたいに。) 悦びと愛しさと切なさと悲しさと。 希望と絶望と力強さと儚さと。 狂いそうなくらい感情を露にした瞳は、未だ一度も開かれたことの無い瞼の奥の光を望んでいる。 僕は知らなくて、でもおそらく局長は知っているであろう光を。 培養槽で眠る少年は今日もまだ、夢の中。 2(浦原喜助/ウラハラキスケ) 全てはあの戦いから始まった。―――と、言うべきか。 前代未聞、護廷を裏切った隊長達三名と、現世で死神代行を務めていた少年との戦い。 今では真央霊術院の教本に歴史として記されている出来事は、しかしそこには事実の一部しか載っておらず、真実にいたっては無いと言って等しいものだった。 例えば、どうして隊長達は護廷を裏切ったのか。 例えば、どうして死神代行をしていた少年がその討伐に当たったのか。(実際は『討伐』という言葉すら正しくない。) 例えば、裏切り者達を倒した少年が、その後どうなったのか・・・。 その事件を題材にした小説や絵本が――おそらく教訓のためだろうが――出版され、その全てにおいてラストは現世で平和に暮らす少年とその仲間達(少年は決して一人で戦ったわけではなく、現世の友人や死神達と共に戦いを挑んだのだ)が描かれている。 真実を知るものが見れば激昂するか、遣る瀬無さに唇を噛むか、はたまた鼻で笑いそうな最後を。 事実、その紙媒体を見かけることになった『彼』の友人達は怒ったり泣いたりしていた。 けれどだからといってその内容を改変させるわけにもいかない。 なぜならその話は美しい物語であり、皆にとっての教訓であり続けなければならないからだ。 そんな彼らの中で、さて自分はどうだっただろう、と思い返しながら、私は今まで背を預けていたものから体を離した。 照明を点けず、ただこの部屋唯一の発光物から溢れる光を体の正面で受けて小さく笑みを浮かべる。 「考えたところで、だから如何ということも無いんスけどね。」 光を放つ人一人分の培養槽の中、漂う人影にそう語りかけた。 あの日から姿は殆ど変わらないのに髪ばかりがゆっくりと、しかし着実に伸びていく彼。 時の経過を残酷にも教え続けるそれ。 絶望を、けれど僅かな生体反応で希望を与え続ける私の唯一。 「アタシにとって他人の感情なんて関係無い。キミだけが全てなんですから。」 抜けた隊長の穴を補うため尸魂界への呼び戻しがかかり、幼馴染と復帰したこの世界。 流石に永久追放を喰らっていた身なので皆がピリピリ神経を尖らせている隊長になることはなかったが、それでも技術開発局局長の座に就くことになった。 嫌だと言えばアチラさんとしてもどうしようもないものだったのだが――その気になれば私が雲隠れしてしまうから――、しかし私(と幼馴染)の答えは「諾」。 煩雑な業務を行う代わりに、たった一つの条件を出して。 その条件は、黒崎一護の身柄引き渡し。 そう。教本にも小説にも絵本にも書かれていない真実。 それは、最大の功労者である少年の末路。 全ての戦いを終わらせた彼は死に等しい眠りに落ちた。 何もかも、自分の出来ることをし尽くして。 何もかも、自分の出せる力を出し尽くして。 あれ程までに力強く輝いていた少年は、事態の終結の代償として、触れれば消えてしまいそうなほど儚い存在になっていた。 それを私が貰い受けたのだ。復帰の代価として。 勿論、反論の声は上がった。 “何をする気だ、実験にでも使う気か、どうしてそのまま静かに死を迎えさせてやらない。” しかしそんな声に答えることに私は一切の興味など無かった。 ゆえに放って置いたのだが、反論の声は無知から来る過激さを増して、とうとう私のことを鬼畜生と同類にするものまで出始めて今に至る。 どうでもいいことだが。 だって欲しい物は手に入った。 研究所の奥でこっそりと。 昏々と眠り続ける彼に延命措置を行い、覚醒のために手を尽くす。 もう一度その瞼の裏に隠された琥珀色を目にするために。 「一護サン、アタシはずっと待ってますから。キミが目覚めるのを、いつまでも。」 愚かなほどキミに恋焦がれながら。 3(朽木ルキア/クチキルキア) 物語のラストがいつもハッピーエンドだなんて、そんなことは有り得ない。 現実は言うに及ばず。 それを解っていたはずの私は、しかし、あの結末に悲しみと怒りと不条理を覚えずにはいられなかった。 「・・・・・・っ、」 初めて出会ったとき、彼はまだ現世に生きる普通の高校生だった。 それが私との遭遇でガラリと変わってしまった。 死神として仮初の力を持ち、数多の虚を斬り、やがては自身の内から湧く巨大な霊力を自由に操るまでになったのだ。 彼は強かった。 そして酷く優しかった。 ・・・故に、彼は全てを護るため、誰も失くさないため、あの者達と戦ったのだろう。 彼によって私達は救われた。 結末から数百年を経た今でもそれは語り継がれている。 現世で死神代行を務めていた少年が尸魂界の裏切り者達と戦った話が。 でも、私にとってそれは意味の無いこと。 だって今此処に彼はいない。 あの少年が、一護がいないのだから。 (私はっ・・・!) 全ての力を出し切り、魂魄をすり切らせた彼に何も出来なかった。 緩やかに消滅を待つだけの彼を前にして涙も流せず、ただ立ち尽くすばかり。 声を上げて泣くことが出来ればどれほど楽だったろう、とも思う。 けれど実際には許容範囲を超えた感情が外に出ることも出来ずに渦巻くだけだった。 そしてそれは、今も。 ・・・否、『今』は少し異なるかもしれない。 なぜなら私はこの黒々とした感情を向ける相手を見つけてしまったから。 現世で知り合い、実は私を散々な目に合わせてくれていた原因でもある人物の尸魂界復帰。 その人物の名は浦原喜助と言う。 浦原は元護廷の隊長で、それが違法な研究により永久追放となっていたらしい。 しかし隊長達の裏切りにより抜けた穴の補完も兼ねて刑は取り消しとなった。 そして戻ってきた彼奴は己が復帰し尸魂界に力を貸す代価として、なんと消滅しかけていた『彼』を引き渡すよう言ったのだ。 尸魂界も消えかけの役に立たぬ魂魄一つであの男の頭脳が買えるなら、とでも思ったのか。 あっさりと承諾し、彼を浦原に渡してしまった。 あの強欲商人が何を考えて彼の魂魄を引き取ったのか解らない。 だが一つの事実として男の昔を知る者から聞いた『浦原隊長・浦原局長』の話は碌なものではなかった。 残虐、非道、冷酷。 いくら彼を鍛えた剣の師だとしても、それさえ己の尻拭いのためだったのだから、浦原が彼をどう思っていたのかなど考えるまでも無いだろう。 だから不安になる。 だから怒りが湧き、憎しみが湧く。 あの男は何をするつもりなのだ、と。 擦り切れて儚くなってしまった一護の魂魄だが、それでも元は強大な霊力を秘めていたものだ。 だからこそ何かの研究に使えるのかもしれない。 でもそんなこと、許されてなるものか。 彼が大切で大切でどうしようもないくらい愛しい私とて、あとは消滅を待つのみとなった彼に出来るだけ静かな最後を迎えさせようと堪えていたというのに。 彼奴はただ自分の欲望のまま彼の魂魄を穢そうとしている。 なのにどうにも出来ないこの無力が悔しい。 腹立たしい。 そして私達の腕から一護を攫って行ったあの男が憎くて堪らない。 そう。結局は倫理観ですらどうでもよかった。 私は“彼を盗られた”私の嫉妬を道徳や倫理と言う言葉で包んで彼を睨み付ける。 此方が我慢して手を引いた彼を、横からあっさりと掻っ攫っていった浦原が憎くて堪らないのだ。 彼のためを思って、と理由を掲げて自分の気持ちさえ誤魔化し、しかしその実はドロドロとした嫉妬を向けるのだ。 一番隊から自身が所属する十三番隊の隊舎へと戻る途中、渡り廊下ですれ違う浦原を私はギッと睨み付けた。 死覇装の上から白衣を纏った男は後ろに助手らしき者を引き連れて一番隊へと向かう。 私の視線に気が付いているはずなのに――なにせ助手と思われる人物さえ此方を気にしている――、それでも何でもない風に進んでいく浦原。 彼の魂魄が浦原に奪われてからもう何年も経つ。 すでに彼はどうしようもない状態になってしまったのか。 消えてしまったのか。 それともまだ何らかの形であの男の手の中にあるのか。 知り得ぬ現実にもどかしさを覚えながら吐き捨てる。 「私はお前が憎い・・・ッ!」 しかし絞り出した声は私一人が取り残された廊下に霧散するだけだった。 |