かみさまのいうとおり




◆01

 真上から照りつける太陽の光は焦げ付きそうなほど強く、電柱にしがみついた蝉が命を振り絞って鳴いている。砂利道に落ちた電柱の短い影はいやに濃く、真っ黒な絵の具で塗り潰したかのようだった。
 この時間帯、両脇に田んぼが広がるあぜ道を好き好んで通ろうとする者は、普通はいない。しかし大人達が『五条様の杜(もり)』と呼んでいる森まで真っ直ぐに続くその道を元気よく駆ける幼い子供が一人。
 共に暮らす祖父からきちんと被るよう渡された麦わら帽子は子供の駆ける勢いで全く役目を果たせておらず、ゴム紐で細い首に引っかかっているのみ。黄金色の麦わら帽子に隠されることなく太陽の下にさらけ出されたのは、麦わらよりもやや赤みの強い短髪と虹彩が小さく四白眼となっている琥珀色の双眸だった。
 アニメのヒーローが描かれたTシャツに短パン、少し汚れた子供用スニーカー、役立たずの麦わら帽子。それだけの装備で駆ける子供の年は五歳か六歳――まだ小学校に上がる前だ。しかし娯楽と言えばテレビか外で走り回ることくらいしかないこんな田舎で生まれ育った所為か、幼い少年の足は並の子供と比べて非常に速かった。無論、育った環境だけではなく素質も大きく寄与しているのだろうが。
 こんな日差しでは大人でもうんざりするような道のりを走りきった幼子はそのまま鎮守の森の中へと足を踏み入れる。蝉の声はさらに増し、まるで天から降ってくるかのようだ。木々のおかげで陰はあるが、湿度が高く蒸し暑い。ここまで走ってきた反動もあり、汗がどっと吹き出した。
 透明な雫がまあるい頬を伝って顎からしたたり落ちる。はふ、と小さな口からは熱い吐息。それでも幼子は足を止めずにざくざくと下草に覆われた道なき道を進む。その足取りに迷いはない。
 しばらく歩いていると幼子の左右に小さな石灯籠が現れた。その間を通り抜けた瞬間、空気が変わる。
 うるさいほどに鳴いていた蝉の声がぱたりと聞こえなくなり、じっとりと肌を覆っていた不快な湿気が少し冷たいものに。どこからか川のせせらぎが聞こえ、足元には所々苔生した石畳が現れていた。
 子供はようやく足を止めて虚空へと語りかける。
「悟くん! あそびに来たよ!」
「いらっしゃい、悠仁」
 ふうわり、と。『ゆうじ』と呼ばれた幼子の前に一人の男が幻の如く現れた。
 真っ白な着物をまとい、藍色の羽織は袖を通さず肩にかけている。幼子の周りにいるどんな大人よりも背が高く、テレビで見るどんな芸能人よりも美しく整った顔立ちをしていた。見た目は若いのに髪が白く、瞳は星を散りばめたような瑠璃色。そんな浮世離れした容姿だったが、悠仁に笑いかける顔は親しげで、細められた双眸はとても優しかった。
「あは、汗びっしょりだねぇ。先にお茶でも飲もうか」
「うん!」
 青年に手を取られ、悠仁は石畳の上を進む。節くれ立った大きな手はひんやりと冷たくて気持ち良かった。


 青い目の青年が住む家はどことなく悠仁が祖父と共に暮らしている日本家屋に似ている。けれども部屋数は非常に多く、幾度かここに通っている悠仁でもその全てを覗いたことはない。また近くを小川が流れている所為か、空気もひんやりと澄んでいる気がした。
 以前、ほんの少し自宅と似ていると悠仁が零すと、青年はまたあの瑠璃色の両目を細めて「悠仁の記憶を参考にしてるからねぇ」と、よく分からないことを言っていた。ただ、わけが分からないものの、青年は元々不思議な人であったため幼い悠仁は「そういうものか」と納得していたりする。
 青年の家には玄関がない。広い家なのでどこかにはあるのかもしれないが、少なくとも悠仁は見たことがなかった。よって今日も今日とて沓(くつ)脱ぎ石で靴を脱いでそのまま縁側へと上がる。大人サイズの草履の横に小さなスニーカーが並んだ。開けっぱなしの障子をくぐって最初の部屋に足を踏み入れると、すでに畳の上には青年が立っていて、手にはお盆に乗った麦茶のグラスが一つ。カラン、と中の氷が涼しげな音を奏でた。
 手を繋いで歩いていたはずなのにいつの間に家へ入っていたのか、茶の用意ができていたのか。これもまた疑問に思えど解決はしない。ただそういうものであると受け入れるのみだ。悠仁は青年から麦茶のグラスを受け取って冷たい液体を一気に飲み干す。水分が全身へと染み渡るような感覚を覚えながらグラスを空にすれば、青年が嬉しそうにこちらを見つめていた。
「悟くんありがと!」
「どういたしまして。美味しかった?」
「うん! じいちゃんが淹れてくれるやつよりおいしい!」
「ふふっ、それは光栄だなぁ」
 青年が悠仁からグラスを受け取りお盆の上に戻す。だがそれをどこかへ戻す動作もなく、青年の手からはグラスもお盆も消えていて、代わりに白くて綺麗な男の人の手が汗で湿ったままの悠仁の髪をくしゃりと撫でた。
「さとるくん?」
 開け放たれた障子から涼しい風が入ってくる。それから水の匂い。悠仁にとって水はあまり良いイメージがなかったのだが、青年と一緒の時は不安も恐怖も一切感じずに済んでいた。むしろこの涼やかな気配は青年の象徴のようなもので好ましくもある。
 青年は畳の上で両膝を折り、悠仁と視線を合わせる。白く大きな手は幼子のまあるい頬を包み込んで愛おしげに撫でた。
「悟くんの手、きもちー」
「悠仁は走って来てくれるもんね」
「だってはやく悟くんとあそびたいもん」
「僕も悠仁と早く会いたいしたくさん遊びたいから、悠仁が走って来てくれるの嬉しいよ」
 大人の手が、するり、と汗に濡れた細い首筋へと下りる。ほんの少し身体の芯が痺れ、大人の手は冷たいはずなのにそれに触れられた箇所がじんわりと熱を持つような気がした。
「……ん」
「悠仁のお肌すべすべ〜」
「くすぐったいよぉ」
 長い指がTシャツの襟ぐりから中へと侵入する。しかし子供の首回りは小さいので大人の大きな手が入りきることはない。指先で鎖骨の辺りを撫でてから、青年の指はゆっくりと服の外へ出て行った。
 その代わり、今度はTシャツをまくり上げるようにして両手が裾の方から侵入してくる。冷たい手に脇腹を撫でられて悠仁は「ひゃ!」と声を上げるが、正面で膝をつく青年はにこにこと楽しそうな顔をするばかり。
 脇腹をさわさわ撫でられると次第に足の力が抜けてくる。くすぐったくて笑いそうになるのに、くすぐったいのとは別の感覚が腹の奥の方からじわじわと湧き上がってきて、出てくる声は鼻にかかった普段は出さないようなものになってしまっていた。「へんな声でちゃう」と悠仁が告げるも、青年は「変じゃないよ。かわいい」と返すばかり。いつもこう≠セ。これから悠仁はもっと変になるのに、青年は嬉しそうに笑って悠仁に「可愛い」と言い続けるのである。
 とうとう両足で体重を支えきれずに悠仁がぺたりと畳の上に座り込む。青年はそれを両手で支えつつ、ゆっくりと悠仁の小さな身体を畳の上に寝かせた。Tシャツは胸の上までまくり上げられており、日焼けした腕や顔とは違うミルク色の肌にピンク色の小さな乳首がよく映えていた。
 腹も割れておらず、性別すら曖昧な身体。内臓が詰まってふんわりと丸くなっている腹の上に青年がちゅうと吸い付いた。
「っ、ゃ」
 その小さな刺激だけで子供の身体が跳ねる。
 青年は滑らかな肌に唇を触れさせたまま瑠璃色に輝く双眸をきゅうと細めた。
「今日もたぁくさん仲良くしようね、悠仁」


「ぁ、……あっ、あ! っ、さと、さとるく、ん……ン」
 最初の頃は「くすぐったい」ばかりだったのに、それが違ってきたのはいつのことだろうか。頭がぼんやりとして、身体が熱くて、喉からは変な声が出て、とても恥ずかしいのに青年が「悠仁かわいい。悠仁だいすき」と繰り返すから、これで良いのだと思ってしまったのは。
 真っ白な雪みたいな美しい髪が悠仁の視界の下で揺れている。小さな赤ちゃんのように悠仁の胸に吸い付いているのは『悟くん』だ。小さなピンク色の粒を舐めて、吸って、真珠みたいな綺麗な歯で優しく噛んで、また舐める。もう片方は指でつまんで、抓って、たまにピンと弾くのだ。「きゃうっ」と子犬のような悲鳴が漏れて、濡れた乳首に青年の吐息が触れた。笑ったのかもしれない。
 乳首を弄られる度にジンジンと頭の奥が痺れていつもとは違う高い声が出る。おまけに今日はお腹の奥の方も何かが溜まっていくような心地がする。
「さとる、く……さとるくぅん、おなか、へんな、感じ」
「悠仁は可愛いなぁ。それで良いんだよ」
「やっ、ア……」クニクニと親指と人差し指で乳首をつままれながら悠仁は問い返す。「ぃ、いいの?」
「いいの。もっともっと良くしてあげるからね」
 そう言って青年は悠仁の胸をちゅうと吸い上げると、「ひ、ゃあ」という悠仁の悲鳴にうっとりとしながら唇を離した。
「あ、でもその前にちゅーしよ、ちゅー。悠仁すきでしょ?」
「ぅ? ん、」
 小さな身体に大人が覆い被さって顔を近づける。片手は体重を支えるため畳の上へ。もう片方の手は幼子の顎へ。
 ぽぅと呆けていた悠仁はすぐ目の前に近づいてきた綺麗な顔に見惚れながら、冷たくて気持ち良い手に誘われるまま小さな口を開いた。その中に、ぬるり、と入り込む大きくてやわらかなもの。
「――ん、くぅン、ン」
 大きな舌が小さな上顎や歯列を舐(ねぶ)る。舌を絡め取られて相手の口内に引き込まれ甘噛みされれば、無意識に足が小さく畳を叩いた。息が苦しい。でも、じんじんして、ぽわぽわして、ゆらゆらする。これが気持ち良いものなのだと、青年が教えてくれた。
 くちゅくちゅ、ぴちゃぴちゃ、と濡れた水音が頭の奥に響いてくる。唾液が後から後から溢れてきて、口の周りを汚していった。「飲んで」青年が囁く。そうか、飲み込んでしまえば良いのかと、悠仁は言われるままに流し込まれる唾液をこくこくと飲み込んだ。
「ん、悠仁は良い子だね」
「……っふ、ぁ」
 頭を撫でられ、頬を撫でられ、首筋を撫でられ。ご褒美とばかりにもう一度唇が重なる。大人と子供で口のサイズも違うから、悠仁が食べられてしまいそうな格好になるのはご愛嬌。再び唇を離すと青年は幼子の口から溢れて垂れてしまった唾液を舐め取って、ついでに自分の唇も舐め上げた。
 とくり、と悠仁の胸が高鳴る。散々弄られた胸がじんじんして、何も触れていないはずのお腹の奥の方も熱くて、具体的な想像など一切できないまま「もっと」と思ってしまった。
「悠仁、シャツ脱ごう。それにズボンも」
「ぬぐの……?」
「うん、手伝ってあげるからね」
「ん」
 言われるままに悠仁は青年の補助を受けながら汗で湿ったTシャツを脱ぎ、短パンも足から抜く。下着はどうすれば良いのか迷ったが、青年の指がかかったのでそのままズボンと同じく取り払った。脚の間には青年がいて、どうしても脚を広げる格好になってしまう。おしめを替える赤ん坊のようで恥ずかしいと告げたが、青年は微笑んだまま取り合ってくれない。「これでいいんだよ」と。青年は肩から羽織すら落としていないのに。
「ゆーじ、お腹熱い?」
「あつい……」
「それもね、気持ち良いってやつだよ」
「これ、きもちーの?」
「うん。だからもっと気持ち良くしてあげるね」
 白いかんばせが楽しそうに笑う。大きな手が悠仁の両膝に添えられた。そのまま左右に開かれ、ますます赤ん坊がおしめを取り替えられるような格好になる。だが悠仁が抗議の声を上げる前に脚の間で揺れていたそこへと青年が吸い付いた。
「――っ、あ!?」
 小さく未発達な陰茎は大人の口の中にすっぽりと包み込まれてしまう。「ちんこっ、きたない! はなして!」そう叫ぶも、じゅるじゅると吸い上げられると初めての感覚に背中から頭まで一気に痺れて言葉が途切れた。代わりに「や、ア、ああっ!」と意味のない大きな声が口を突いて出る。
「しゃと、さとる、く」
 背中と頭がビリビリして、お腹の奥が熱くって。ばたばたと暴れそうになる脚は青年の両手で押さえつけられ自由にならない。まだ毛も生えていないつるりとした股間では青年の白い頭が揺れていて、その髪が眩しいのか、自分の目がおかしいのか、とにかく視界いっぱいにチカチカと星が舞っている。
「アっ、あ、アァ! しゃ、さと、く……ン」
 ちゅるちゅるじゅるじゅると飴のように舐められ、吸われながら、悠仁は高い声を上げるばかり。そのうち何かが陰茎を駆け上がってくる気がして「や、あ、だめぇ」と青年の綺麗な白髪を掴んだ。
「しゃとる、きゅ、だめ! はなし、て。でちゃう! おしっこでちゃうよぉ!」
 ここから出るのはおしっこだけ。それを青年の口に出すわけにはいかないと悠仁は必死に離れるよう願う。しかし瑠璃色の双眸はそんな悠仁すら楽しげに眺めただけで、それどころかさらに強く未熟な陰茎に吸い付いてきた。
「あ、あ、あ、あぁーーーーっ!」
 ビクンっ、と小さな身体が跳ねる。出た、と思った。
「ぅ……ご、ごめんな、さ」
「んー、やっぱりまだ出ないよねぇ」
 しかし謝る悠仁とは対照的に、ようやく股間から口を離してくれた青年は苦笑しながらそう呟く。彼の視線に晒された悠仁の幼い性器からは液体らしきものはまだ何も出ておらず、赤く染まってふるふると震えていた。
「……ぁ、はえ?」
「大丈夫だよ、悠仁。おしっこ出てないから」
「だいじょー、ぶ?」
「うん、大丈夫」
 その一言にほっとする。
「大きくなったらね、ここからおしっこだけじゃなくて、白くてとろとろしたものも出るようになるんだよ」
「白い、の? びょーきじゃなくて?」
「病気じゃない。大人になった証ってやつだから、安心してね」
「ん。それが出ると……」まだ少しぼうっとした頭のまま先程の青年の言葉を思い出して悠仁は訊ねる。「悟くんは、うれしい?」
「そうだね。僕の手でそれが出るようになると嬉しいかな」
「……もっかいする?」
 もしかしたら回数を重ねれば重ねるほど早くそう≠ネれるかもしれない。
「えっ、いいの?」
「悟くんがうれしいなら、おれもうれしい」
「わー……」青年の目尻が薄桃色に染まった。「悠仁かわいい。本当に大好き」
 悠仁の身体を抱き起こして青年は小さな唇にちゅっと吸い付く。
「ねぇ、悠仁」
「なぁに?」
「僕ね、悠仁がいてくれたらずっと幸せなんだ」
「ほんとう?」
「本当だよ」
 ちゅ、ちゅ、と悠仁の顔や胸にキスの雨を降らせながら綺麗な顔が微笑む。
「だからずっと、ずぅーっと、一緒にいてくれる? 悠仁のこと大切にするから」
 悠仁にとってこの青年は特別な存在だった。
 優しくて、綺麗で、格好良くて、気持ち良くて、そして何より、とても大きな恩がある。
「ね、いいでしょ?」
 だからその問いに悠仁は迷いなく首を縦に動かした。
「いいよ。ずっといっしょにいようね、悟くん」
「やったぁ。嬉しいな。ずっと、ずっと、悠仁と一緒だ」
 至近距離で瑠璃色がキラキラと輝いている。その瞳孔が一瞬だけ爬虫類の目のようにきゅっと縦に長くなったような気がした。




◆02

 ――ひと月半前。
 今年、この地域は例年と比べてほんの少しだけ遅く六月下旬に梅雨入りした。雨はいつもより多く、激しく、『五条様の杜』の近くを流れる川もまた増水し、濁った水が轟々と音を立てて流れていた。
 鎮守の森の周囲には田畑が広がり、背後には緑深い山がそびえている。川はその山を水源とし、『五条様の杜』の脇を通ってこの地域を潤してくれるのだ。その立地ゆえ、森だけではなく山も川も『五条様』のものとされ、昔から大切にされている。
 それでもやはり一等重要視されていたのは鎮守の森にある社(やしろ)であった。森と道の境目にある石の大鳥居をくぐり抜け、さらに先へと進んだ先に建てられた社は小さいながらも管理が行き届き、常に美しく保たれている。それなりに大きな川があるにもかかわらずこの地域で水害がほとんど起こらないのもこの『五条様』のおかげだと言う大人が多かった。住民は持ち回りで森と社を管理し、日々の生活を送っていたのだ。
 そして今年の担当は悠仁の家――虎杖家である。とは言っても悠仁と祖父の二人暮らしであるため、近隣住民の手を借りながらの管理となっていた。祖父は大変な頑固者だが決して悪い人間ではなく、また孫の悠仁の人懐っこさが隣人達に大層気に入られており、何くれと無く手を貸してくれるのだ。
 ただし手伝いはしてもらうものの、祖父には自分が今年の担当であるという自負もあったらしい。大雨で社がどうなっているか心配だと言い、祖父は昼間なのに真っ暗な空の下、家に悠仁を残して出掛けていった。
 最初の一時間は悠仁も特に気にせずテレビを見ながら祖父の帰りを待っていた。二時間後、つけっぱなしにしていたテレビから老人が大雨の日に用水路の様子を見に行ってそのまま転落し帰らぬ人になってしまったというニュースが流れてきた。その十分後、テレビから視聴者の注意を促すような甲高い音が流れてきた。警報ってやつだ、と悠仁は思ったが、テレビの上部に流れる文字を幼い悠仁はまだ読むことができない。しかしそれが良くないものであることは知っていた。
 五分後、悠仁の姿は茶の間から玄関へと移動していた。黄色いレインコートに赤い長靴。度々祖父にやってもらっていた『雨の日の格好』を四苦八苦しながら整え、子供は外へと飛び出す。
 風は然程強くない。しかし叩き付けるような雨は小さな身体にとって痛いくらいのものだった。それでも悠仁は怯まずに祖父の言葉を思い出しながら鎮守の森へと向かった。
 悠仁の家から鎮守の森へ向かうには二つのルートがある。一つは遠回りになってしまうが正式な道、この地域の中央を貫く参道だ。こちらは川と並行に延びており、道幅もある。そしてもう一つは悠仁が虫取りなどで森へ遊びに行く時に使うあぜ道であった。社に参る時は参道を、遊ぶ時はあぜ道を通る。
 参道は東西に延び、あぜ道は南北に延びている。祖父は社の様子を見たいはずなので、参道を通っていった可能性の方が高く、悠仁の足はそちらへ向けられた。
 いつもはそれなりに人がいるはずの参道もこの大雨では人っ子一人見当たらない。悠仁は誰にも見咎められずに参道を走り抜け、途中で祖父と会えなかったことに不安を覚えながら石の大鳥居をくぐり抜けた。
「じいちゃーん! じいちゃん、どこー!」
 バシャバシャと水を跳ねさせながら駆け、小さな身体で精一杯声を張り上げる。しかし木々に打ち付ける雨の勢いは強く、幼子の声など簡単にかき消された。ついに社まで辿り着くが、そこに祖父の姿はない。どこへ行ってしまったのかと琥珀色の双眸が不安げに揺れる。
「じいちゃーーん!」
 社に向かって叫び、返答を待つ。しかし聞こえるのはザアザアと激しい雨音ばかり。悠仁はぐるりと周囲を見回してから今度は社に背を向けてもう一度祖父を呼んだ。
「じいちゃん! じいちゃーーん!」
「あんまり叫ぶと喉を痛めちゃうよ」
「っ!?」
 唐突に背後から声。驚いて振り返ると、見上げるほど大きな人影が蛇の目傘を差して悠仁を見下ろしていた。
「だ、れ」
「はじめまして」
 何故か大音量の雨音にもかき消されることなくその人物の声が悠仁の耳に届く。
 その人物は若かった。けれども髪は真っ白。遮る物のない瞳はキラキラと光る不思議な瑠璃色。身長は悠仁の最も身近な大人である祖父よりずっと大きい。着物は白く、肩にかけた羽織は藍色。こんな天気ではすぐに汚れてしまいそうな服装だが、まるで雨水が彼の服を汚すのを厭ったかのように白い着物は美しいままだった。
「は、はじめ、まして」
「僕は悟。君の名前を教えてくれる?」
「いたどり、ゆうじ、です」
「うん、行儀が良いね。流石あの爺さんのお孫さん」
「っ! じいちゃんのこと、しってるの?」
「知ってるよ、今年のお世話係だもん。だよね?」
 悟と名乗った青年の言う『お世話係』というのが森と社の管理を担当する者のことだとすぐに分かった悠仁は「うん」と頷く。
「君も社の周りの掃除とか色々手伝ってくれてたよね。いつも偉いなぁって思ってたんだ」
「そう、なの?」
「そうなの。こうしてお話できたのは初めてだけどね」
 にこにこと青年は嬉しそうに笑う。それからレインコートを着ていてもすでにずぶ濡れと言って等しい悠仁の姿を改めて見やると「ねぇ、悠仁」と語りかけてきた。
「悠仁の爺さん、どっか行っちゃったの?」
「う、うん! だからここまでさがしに来たんだ」
「僕が知る限りじゃここにはまだ来てないんだけど……」青い目がくるりと周囲を見渡す。まるで木々の向こうまで見えているかのようにじっくりと首を巡らせた青年はやがてある一点でふっと目を眇めた。「あっちか」
「おにーさん……?」
「悟でいいよ。もしくは悟くんかな。僕、悠仁と仲良くなりたいからね」
「さとる、くん?」
「そうだよ」
「えっと、悟くんはじいちゃんがどこにいるかわかる?」
 藁にも縋る思いで問いかける。祖父のことを知っている人なので、居場所は分からずとも一緒に探してくれるかもしれない。そう期待していると、青年はひょいと悠仁の方へ手を差し出した。
「分かるよ」
「ほ、ほんと!?」
「うん、だから一緒に行こう」
 思わぬ幸運にぱあっと目の前が開けた気がした。悠仁は首を何度も縦に振って青年の手を握る。ひんやりと冷たい手に一瞬驚いたが、祖父の安否の方が大事ですぐに気にならなくなった。


「じいちゃん!?」
 青年に連れてこられたのは轟々と濁った水が流れる川。河川敷は二段構造で、一段目はすっかり水の下だ。悠仁はそれをガードレールに齧り付くようにして見つめる。
 二段目も間も無く水に浸かってしまうだろう。そんな場所で祖父が気を失っていた。飛び出しそうになる悠仁の手を青年がぎゅっと握りしめて「危ないよ」と注意を促す。
「でもじいちゃんが!」
 あれでは生きているか死んでいるかも分からない。身体が急激に冷たくなるのを感じながら悠仁は行動を制限しようとする青年を睨みつける。
「ここで悠仁が行ってもあの爺さんは助けられないでしょ」
「助けられるもん!」
「無理だって」
 だからね、と青年は続ける。
「僕が行ってくるから、悠仁はここで待ってて」
 そうしてするりと手が離される。青年は近くに設置されていた階段を降り、倒れ伏した祖父の元へ辿り着く。そのまま年老いているとはいえ人間一人を簡単に抱き上げ――しかも傘を差したままだった――、悠仁の元へと帰ってきた。
「じいちゃん!」
 青年が膝を折り、悠仁が祖父に触れられるようにしてくれる。だが「んー、これは……」と整った顔をかすかにしかめた。その意味を悠仁もすぐに察する。
「……っ、じい、ちゃ」
 祖父の身体は冷たかった。ただ水に濡れて冷えているだけではない。老いた身体は呼吸さえしていなかったのだから。
「社の様子を見に来る前に川の様子も……って感じだったんだろうけど、下手して足を滑らせたのかな。頭に傷がある」
「じ、ちゃ……」
 ヒク、と喉が痙攣する。淡々と分析する青年の声は全て悠仁の耳を素通りしていった。
「じいちゃ……じい、ちゃん、じいちゃん」
 小さな手で冷たい身体を揺さぶる。しかし祖父が息を吹き返すことはない。
「さとる、くん、どうしよ。じいちゃん、じいちゃんが」
 この場で頼れるのは目の前の青年しかいない。ただの青年がすでに心肺停止状態にある老人をどうこうできるはずもないのだが、悠仁はこの青年に頼る以外のことを考えつけなかった。
 たすけて、と激しい雨音の中で乞う。じいちゃんをたすけて。なんでもするから。
「ねぇ悠仁」
 大雨の中、いやにはっきりと聞こえる青年の声。自分の声さえまともに聞き取れないのに彼の声だけは何にも邪魔されず届いていた。
 青い、青い目が、悠仁を見つめる。
「僕のお願いを聞いてくれたら、爺さんを助けてあげるよ」
「え……」
 ぱちり、と悠仁は両目を瞬かせる。
「じいちゃんをたすけてくれる?」
 状況が絶望的なのは幼心にも理解していた。けれど目の前の青年はそれを何とか出来るのだと言う。
 ならば、選択肢は一つだ。
「何でもする! だからじいちゃんを助けて!」
 にんまり。青年の美しい顔が笑みを浮かべた。
「じゃあ悠仁、僕と仲良くなろう。あと、僕から言い出すまで他の人には僕のことを内緒にして」
「それだけでいいの?」
「充分だよ。……さて、『縛り』は成(な)った」
 青年が傘を持っていたはずの手を祖父の胸に翳す。蛇の目傘は地面に落ちたが、青年の身体が濡れることはなかった。「――――」青年が何事かを呟く。途端、力なく地についていた祖父の指が痙攣したように見え――。

     ◇

 縁側に腰掛け、悠仁はサアサアと地表に降り注ぐ雨を見つめる。あの日とは違う優しい雨だ。隣に気配が生じて頭を巡らせれば、白い着物をまとい肩に藍色の羽織を引っかけた青年がにこりと微笑んで腰掛けていた。
 彼は、悟くんは、悠仁の祖父の命の恩人である。彼のことを他者に話すのは禁じられているので、祖父は自分が一度死んでしまったことにも気づいていない。あの日は社の様子を見に行かなければと思いつつも居間で眠ってしまったことになっている。ただ、自分が大雨の中、社のついでに川の様子を見に行き足を滑らせて転落する夢を見たということで、以降は雨が降ってもそのような場所へ赴くことはなくなった。
「悟くん」
「なぁに、悠仁」
 綺麗な人。優しい人。とても、不思議な人。
 人、とは言ったが、青年は人間ですらないのかもしれない。けれども彼は悠仁と仲良し≠セ。そう約束したし、今の悠仁はそうあることを望んでいる。青年が教えてくれた「気持ち良いこと」には色々びっくりしたけれど、彼曰く自分達でする分には悪いことではないらしいので良しとした。ともあれ、これでいい。これがいい。他は気にしなくていいのだ。
「きょうは、きもちいーことしないの?」
 両足を交互に揺すりながら悠仁は問いかける。短パンではなく水玉模様の浴衣の裾がひらひらとはためいた。浴衣を着たのは初めてだったが、裾を短めにして作られたそれは活動的な悠仁にとっても着心地の良い物となっている。その素足の上にぽとりと水滴が落ちた。
 早朝から降り出した雨は昼を過ぎてもまだ止まない。黄色いレインコートを着て真っ赤な長靴を履いて、水たまりをぴょんぴょんと跳び越えながらあぜ道を走ってきた悠仁は当然の帰結として至る所に泥が跳ねていた。大半はレインコートが防いでくれたが、青年に出迎えられた悠仁は髪や顔にも泥水をつけていたらしい。結果、「先に湯浴み……お風呂に入ろうか」と苦笑と共に浴場へと案内される羽目になった。
 初めて足を踏み入れる浴場は浴槽も洗い場も広く、部屋全体に木の良い匂いが漂っていた。「こういうのテレビで見た!」と興奮して叫べば、「悠仁はこういうお風呂に入ってみたかったんだね」と青年から不思議な答えが返される。続けて「誰もいないから泳いでも良いよ」と言われたことが嬉しくて返答の意味を訊ねることは頭からすっぽり抜け落ちてしまったけれど。
 風呂から上がると用意されていたのは水玉模様の涼しげな浴衣で、ついでにパンツは見当たらなかった。ふかふかのタオルで悠仁の身体を拭っていた青年は下着の不足を一切気にすることなく浴衣を手に取り「じゃあ着せるよー」と。つまり下着は要らないらしい。おかげで今も股間が少しスースーしている。
 そんな両足をすり合わせて悠仁は青い目を見上げながら「しないの?」と再度問いかけた。悟くんと仲良く≠ネって以降、そういう触れ合いをしない日の方が少なかったので。それにここ最近は青年と会っていない時も少しだけ身体がむずむずすることがあった。
 悠仁の問いかけにただただ美しい微笑を浮かべていた顔がもう少し口角を上げてにんまりと笑った。星を散りばめたような瑠璃色の双眸が瞬きの間だけ瞳孔を細長くさせる。以前にもこのような変化を見たことがあったのを思い出し、見間違いではなかったのだなと悠仁は思った。
「悠仁、おいで」
 明確な返答の代わりに青年が自らの腿をぽんぽんと叩いた。どうやら乗れということらしい。
 これから始まる『気持ち良いこと』に悠仁はほんのりと頬を熱くしながら言われたとおり青年の脚に跨った。自然と浴衣の裾が割れて太腿が露わになる。青年の顔の位置からではその奥さえ見えているかもしれない。
「良い子」
 そう言いながら青年は大きな手で浴衣の上から悠仁の背中を撫でた。幾度か往復し、次いで指先が背骨の上を伝い始める。項から下へ下へと骨の形を確かめるような動きで尾てい骨まで辿り着き、その奥のくぼみにそっと指先を押し当てた。
「……ン、ぅ?」
 先日青年に前を舐めて吸われた時の感覚をたくさんの水で薄めたような感じがして悠仁は無意識に唇を噛み締める。長い指が今度はとんとんと小刻みに同じ場所を叩いた。その動きにつられてお尻の穴が少しだけヒクつく。
「慣らすのも気持ち良い方が良いもんね」
「さとるくん?」
 悪いことにはならないとこの目の前の存在を信頼しているが、それとは別にまた青年がおかしなことを言い出したと思った。
 首を傾げた悠仁に青年は優しく微笑んで、今度は両手で頬を包み込んでくる。あ、ちゅーするんだ、と気づいて悠仁は小さな口を開けた。目は瞑っても開けていても青年としては構わないらしいが、瞑った方が口の中の感覚がさらに鮮明になって気持ち良さが増すのだと悠仁は経験上知っていたので、口を開けると同時に目は閉じてしまう。
 親鳥から餌を与えられるひな鳥のような仕草だったが、その口内に潜り込んでくるのは大人の大きな舌だ。くちゅり、と自分ではない人のやわらかな肉が口内を満たし、歯も上顎も舌の裏側さえも丹念に舐められていく。特に上顎の奥の方はくすぐったいのに身体がピクピクと震えてしまう場所だ。
「ぅ、ん……ん、ンン」
 ひんやりとした手が頬から喉へと下る。さらに鎖骨を撫で、そのままするすると浴衣を肩から落としてしまった。はだけた浴衣の下の身体は日焼けした場所としていない場所がくっきりと分かれており、その境目を長い指がそっとなぞる。
「んん、ふ、あっ! さと、りゅ、く」
 くすぐったいよ、とぬるぬるした唇をすり合わせたまま抗議する。だが青年が取り合ってくれることはない。ちらりと目を開いて見つめた青い瞳は実に楽しげで、二の腕と首筋を何度も何度も指先で撫でていった。
 もどかしい感触に悠仁の両足はもぞもぞと動き出す。けれども青年の太腿に跨っている所為で欲しい感覚は一切得られない。ただ、もどかしいと思っていることは青年にも伝わったらしい。爪の先まで綺麗な男の人の指が、つつつ、と首筋からさらに下りて淡い色をした乳輪の縁をくるりとなぞった。そして、きゅ、と小さな粒をつまみ上げる。
「あ、あンっ」
 ぴりぴりとした刺激が走って思わず悠仁は声を上げた。唇は離れてしまったが、代わりに青年が左右の手で同時に悠仁の胸をつまんだりさすったりして気持ち良くし始める。
「あっ、あ、はっ、ぅ、あ」
「悠仁は乳首触られるの好き?」
「あン、ん、あっ、ん! す、すきぃ」
「素直な良い子」
「きゃあぅ!」
 左右一緒に抓られて腰が跳ねた。知らず知らずのうちに両足の指がきゅっと丸くなる。なだめるように再び乳輪を優しく撫でられるが、上がった息が整う前に「悠仁、あーん」と声が降ってくる。
「あ、あー? ふ、ぐぅっ」
 口の中に入ってきたのは青年の舌ではなく指。人差し指と中指が小さな舌をむにむにと押し潰したり掴んだりし始めた。時折上顎をくすぐられると、舌でそうされた時と同じようにうっとりと感じ入ってしまう。「かわいー」と青年が囁いた。
「ん、う、……むぅ、んン、ん」
 刺激によって分泌された唾液が青年の指にたっぷりと絡んでいく。「もういいよ」と言って青年が指を引き抜いた。ちゅぽん、と音がして悠仁の唇と白い指の間に銀色の糸が伸びる。
 ヌラリと濡れ光る指は悠仁の唇を撫でると、乾かないうちに下へ。大きく開かれた足の間、帯で引っかかっているだけの浴衣の奥へと入り込む。
「や、あ――っ!」
 ほんの少し芯を持った、けれども頭をもたげるには至らない幼い性器に唾液で濡れた大人の指が絡む。先端を擦られると何かが飛び出しそうな感覚にたまらなくなった。
「あっ、あっ、あ、あ! あ! ああ〜〜〜!」
 気持ち良くて、目の前がチカチカして、けれども何も出す物がなくて、ただただお腹の中が熱い。悠仁は助けを求めるように「しゃとるくん! しゃとりゅくん!」と目の前の相手に縋った。
「しゃと、りゅ、ぅむ、ンー!」
 救いの代わりに唇を大きな口で塞がれる。ぬるぬるした舌が口のいろんな所を気持ち良くしてくれて、悠仁は流し込まれる唾液をこくこくと飲み込みながら上からと下からの快楽に酔った。
 まだ何も出せない性器は可哀想なくらいに青年の手の中で震えている。唾液の方はそろそろ乾き始めていた。一旦悠仁との口づけを終えた青年は中途半端に濡れた己の指先を見て、その手をひらりと翻す。
「さとりゅ、く……?」
 どうしたの。悠仁は視線でそう問いかける。
 すると青年は翻した手のひらにいつの間にか乗っていた物を悠仁の目の前に持ってきた。
「なぁにこれ。きれーだね?」
 無色透明の硝子瓶。その中には蜂蜜のような金色の液体が入っている。青年はその瓶の中身を指先につけ、悠仁の前に差し出した。
「舐めてごらん」
「ん……、あ」舌を伸ばして指先を舐めると、花の香りとほんのり甘い味がする。「おいしい」
 悠仁の返答に青年はにっこり笑って、さらにたっぷりと指で甘い液体を掬い上げた。もう一口もらえるのかな、と期待した悠仁だったが、しかしその指は悠仁の脚の間へと伸ばされ――
「ひゃ、ああんっ!」
 唾液よりも粘度がある液体は悠仁をもっと気持ち良くしてくれるものだった。
 にゅるにゅる、ぐちゅぐちゅと粘ついた水音を立てながら青年の指が悠仁の性器を扱く。腰が跳ねてしまうのを止められない。「あっ、あっ、あ、ああ、あっ」声もたくさん出て、その合間に青年が「良い子、良い子」と悠仁を褒めそやした。
 気持ち良い、で頭の中が満たされたまま悠仁は青年の上でひんひんと啼き喘ぐ。最後にきゅっと性器の先端を擦られて悠仁は思わずのけぞった。大きな手で背中を支えられていなければそのまま後ろへ倒れ込んでしまっていたかもしれない。
 性器の先端からは何も出ないままくったりと脱力した悠仁。その額に青年はちゅうと口づけて、金色の液体を再び指で掬い取る。ただしその指が向かうのは幼い性器ではなく、そこよりさらに奥。ひっそりと存在する小さな菊門だった。
「ん、ぁ……?」
 襞と襞の間に液体を塗り込めるように指が動く。出せないままイった身体を脱力させていた悠仁は思わぬ場所への愛撫にふわふわとした心地のまま小首を傾げた。
「さとる、くん?」
「悠仁はね、きっとここでも気持ち良くなれるよ。少しずつ慣らしていこうね」
 くるり、指が円を描く。悟くんがそう言うならそれで良いのかなと悠仁が思った矢先、指先が、つぷり、と中に入ってきて悠仁は目を見開いた。
「ひゃ、あっ!?」
 小さな穴に指一本分とは言え大人の男のパーツが入り込んでいく。反射的に身を固くした悠仁に青年はキスの雨を降らせ、「大丈夫だよ」と耳元で囁いた。耳殻を食みながら「気持ち良くしてあげる。僕を信じて」と甘い声を注ぎ込む。
 悠仁は青年の腕を掴んでこれ以上の侵入を防ごうとしていた手を離し、代わりに自身の浴衣の帯を掴んだ。それどころかさらに足を開いて青年が奥を弄りやすいようにする。
「悠仁は本当に良い子だね。大好き」
 青年が実に嬉しそうに告げながら小さな額に口づけた。
 それだけでふにゃりととろけた身体はさらに青年のお気に召したようで、クスクスと笑い声さえ零しながら綺麗な指で悠仁の中を弄っていく。悠仁は異物感に眉根を寄せながらも、青年の指を受け入れようとして自然と深い呼吸を繰り返していた。
 ちゅこちゅこと粘ついた水音を立てながら指は悠仁の中から出たり入ったり、単純な動きを繰り返す。排泄にも似た感覚にぶるりと身体が震えた。その度になだめるかの如く顔中にキスが降ってきて、小さな身体は驚くほど素直に弛緩してみせる。
 ただ悠仁は同じ所を行ったり来たりされていると思っていたが、青年の指は確実に奥へと進んでいた。爪の半ばまでだったのがいつしか第一関節を超え、さらにもう一関節分。中で指が曲がるようになると、青年はもう片方の手で悠仁の身体を支え直し、幼子の胎に埋めた指を、くい、と軽く屈曲させた。
「――っ、ァ?」
 これまでなかった別種の感覚に悠仁は琥珀色の両目を見開く。なにこれ、と不安になって青年を見つめれば、「きっと悠仁が好きになってくれるところだよ」と返された。瑠璃色の双眸は悠仁の反応を満足げに見守っている。
 視線を絡めたまま再び体内で指が曲げられ、ある一定の箇所をフニフニと弄ばれた。「ン、ふっ……ぁ、あ、あ」前を弄られた時とは違う、さらに奥から熱が溢れ出してくるような感覚。
「今はまだ指しか入らないけど、大きくなったらここで僕を受け入れてね」
「ひゃぅ、あ……? さとるくん、を?」
「そうだよ」
「ぁ、ぁ、あぅ、ン……っ」
 中を弄られて感じる熱は刻一刻と増してくる。触れられれば触れられるほどその感覚は鮮明に、比例して思考回路はあやふやになっていった。
「ゆーじ、気持ち良いでしょ?」
「あァ、あ、きもち、い……?」
「初めてなのにこんなにとろとろの顔して、悠仁は僕の指が本当に気持ち良いんだねぇ」
「きもち、い……きもちいい……あっ、あ、あ、しゃとる、く、ゆび、きもち、いーよぉ……」
 じゅぽじゅぽと音を立てながら青年の指が悠仁の気持ち良い所を刺激する。もっとたくさん触ってもらえるように両足は限界まで開き、手は自然と自らの太腿を支える位置に移動していた。「……っは、悠仁って本当に最高」少し熱くて湿った声が青年の唇からこぼれ落ちる。ふわりと香るのは花の匂い。それを胸いっぱいに吸い込むとさらに頭が気持ち良さでぼうっとした。
「大きくなって僕のが入るようになったら、もっと、もーっと気持ち良くしてあげるからねぇ。楽しみでしょ?」
「あっ、あっ、も、と……? ひ、あ、やん! しゅき、きもちーの、しゅきぃ! あっ、あっ、さとりゅ、くん、の、ほし、ほしいっ、ほしいよぉ」
 そうしたら自分はもっともっと気持ち良くて、きっと悟くんはもっともっと嬉しくなってくれる。本能的にそう察して悠仁は目の前の相手に懇願する。
「ふふっ、それは悠仁の身体が大きくなったらねって言ったでしょ。僕も我慢できなくなっちゃうから、そうやって素敵な誘い方しないでってば」ちゅ、ちゅ、と悠仁の顔や胸に口づけながら青年がうっとりと瑠璃色をとろかせる。「だから今は指だけ、ね」
 青年が告げると同時。悠仁の中に入っている指を曲げるのに合わせて肛門と陰嚢の間にあるやわらかな皮膚を親指で押し込まれた。気持ち良いところ≠ェ内と外の両方から挟み込むように刺激される。
「あっ、ア、あっ、それ、だ、め、ゃ……あ、あ、なんか、きちゃ、あ、あ、あああァーーーーッ!」
 ビクビクビクッ! と下腹が激しく痙攣する。足先はきゅっと丸くなって、開きっぱなしの小さな口からは舌がはみ出していた。その舌を青年がちゅうと吸い上げる。
「ん、ん、ぅ、ンンっ!」
「っは、あ……悠仁、かわいい……ゆうじ、だいすき……」
「みゅ、ん、ンん、ぅ、んん、おれ、も。さとるくん、だいすき」
 絶頂と深い口づけで息も絶え絶えだったが、悠仁は瑠璃色のキラキラした瞳を見つめ返しながらそう答える。白と青のうつくしい青年はその答えを聞いてとてもとても幸せそうに微笑んだ。




◆03

 雨の日の出逢いから月日は流れ、悠仁は小学五年生になっていた。
 クラスの女子達は日々恋愛話に花を咲かせ、男子達も異性に隠しきれない興味を持ち始めている。そんな子供達の心身の成長に合わせる形で、今日は最後の授業の際に男女を別々の教室に分け、同性の先生が身体の変化や異性との関係についての話をする時間が設けられた。似たようなことは四年生の時にもあったが、五年生になってからはより具体的な内容で。
 性を意識し始めた子供達にとってそのような話は理解や納得よりも興味や羞恥を感じる割合の方が高い。授業の後は少し教室の空気も浮ついていて、ひそひそと内緒話をするグループもあった。
 そんなクラスメイト達の中で悠仁は黙々とランドセルにノートや教科書を詰めながら帰宅の準備を急いでいた。幼少期は毎日のように、小学校に通うようになってからは三日と空けずに『悟くん』の元へ通っており、今日もまた彼の待つ屋敷へ向かう予定となっている。
 優しくて綺麗で不思議なあの人に悠仁は毎日でも会いたかったが、学校できちんと勉強するのも、仲良くなった同年代の友達と思い切り遊ぶのも悠仁にとっては大切なことだ。加えて青年本人にもそれらは今の悠仁にとってとても重要なことだから疎かにしてはいけないと言われていた。それ故の現在の訪問頻度である。
 いつもならウキウキしながら迎える放課後は、しかし本日最後の授業によって落ち着かないものへと変わってしまっていた。心臓の鼓動が普段より速く、頬も熱を持ち始めている。
 クラスメイトに指摘されたらどうしようと不安になりながら悠仁はランドセルを背負い、自慢の脚力を充分に活用してそそくさと教室を後にした。


「今日の悠仁はなーんか落ち着かないねぇ。どうかした?」
 褥で悠仁を抱き上げ膝に乗せた青年はTシャツの裾から侵入させた手で薄い脇腹を撫でつつ、小首を傾げて問いかけた。青年に「学校で何かあったの?」と重ねて訊ねられ、悠仁は視線を彷徨わせる。
「ゆーじ?」
「えっと……あの、」
 恥ずかしさで顔が赤らむ。
 今は脇腹に添えられている手がやがて花の香りがする金色の液体をまとわせ悠仁の身体の中に入り込んでくるのはすでに明白。最初は指一本も入りきらなかったその場所も容易く三本の指を呑み込むまでになっていた。ばらばらに動く指にいつも悠仁は翻弄され、青年にしがみついて甘い声を上げるのだ。
 ただし青年にとって今の状態が最終目標ではないことを悠仁は幼少期から仄めかされていた。青年が望んでいるのはその場所で青年の指ではなく青年自身を受け入れてもらうこと。それが一体何を示すのが悠仁は分かっていなかったのだが、今日の授業でついにその輪郭を捉えてしまった。そう言っても良いだろう。
 視線が合うとさらに羞恥が増すような気がして悠仁は青年にぴったりと身体を密着させ、肩口に額を押しつけながら「今日、学校でね」と説明を始める。
「授業で男の人と女の人の身体のこととか、やって」
「お。性教育ってやつね。そっかー、悠仁ももうそんな年かぁ」昔から全く見た目が変わらない青年は悠仁の髪に頬を擦り付けつつ、腕の中の子供の成長を実感したようにしみじみと呟く。「大きくなったねぇ」
「――で、悠仁は何が気になったの? 女の子の身体のこと……じゃあないよね」
「ぁ……っ」
 ふに、とズボンの上から股間を揉まれて悠仁は小さく声を上げる。続きは言われずとも理解できた。大きなおっぱいやお尻に興味がないわけではないが、クラスの男子達のように興奮しながらそれらについて語ることは悠仁にはできない。胸や尻よりも強く思考を奪うものを悠仁はすでにこの青年によって知らされているのだから。
「ね、ゆーじ。教えて?」
「……ぁ、あ……んん、ぁ」
 もう片方の手で尻を揉まれる。長い指がその奥にある秘所を気まぐれに押しては離れ、これから与えられる快楽を成長途中の身体に予感させた。青年の肩に額を押しつけたまま悠仁は「はあっ」と早くも熱の籠もった息を吐き出す。
「あの、あのね……」
「うん」
「悟く……ぁ、は、おれが大きく……んっ、なった、ら……あ、ここ、で」悠仁はしがみついていた手を片方だけ外して自身の腹を撫でた。「さとる、くん……を、ぁ……受け入れ、る……ぁ、あン、や、さとる、くん、おはなし、でき、な……ぁ」
「ごめんごめん」
 もどかしくも無視できない気持ち良さと直接的な快楽を同時に悠仁にもたらしていた青年は悪びれた様子もなく謝罪する。
「でも何となく理解したよ。もしかして悠仁は僕の何≠受け入れるのかようやく分かったってことなのかな」
「ん……」
 こくり、と頷く。
 そう、悠仁は気づいてしまったのだ。この綺麗な青年が悠仁に何をしたがっているのかを。
「怖い?」
「こわくない」
 即答できたのは相手が『悟くん』だからというが一番の理由だが、大人の男の性器がどのようなものなのか具体的なイメージをまだ持てていないというのもかなりの割合を占めていた。
 と同時に、具体的なイメージがないからこそ知りたいとも思う。ゆえに、悠仁はここへ来てからずっとそわそわして落ち着きがなかったのだ。
「悟くん、あのね」
「なぁに?」
 悠仁はまだ青年のその部分を見たことがない。そもそも青年はこれまでほとんど服を脱がなかった。いつも悠仁ばかり裸にされて大切な場所も全部晒され、指と口で余すところなく気持ち良くされている。
 いずれ悠仁がもっと大きくなったら青年はそこ≠ナ悠仁と繋がるのだろう。まだ精通もしていない悠仁だったが、きっと二人一緒に気持ち良くなれるのだと予感していた。
 だから。
「悟くんの、見たい」
 悠仁はついに言ってしまう。発言したついでに思い切って顔を上げ、青年と視線を合わせた。
 声も無く、キラキラと星が散った瑠璃色の双眸がまん丸に見開かれる。だが驚愕は一瞬で、悠仁が何をやっても「可愛い」「大好き」と繰り返す青年は今回もまた嬉しそうに表情を崩した。
「いいよ」
「いいの?」
「もちろん」頷き、青年は悠仁の鼻の頭にちゅっと唇を落とす。「その代わり、僕のお願い聞いてくれる?」


「はむ、ぅ……ん、ぅん、う……、ん、んン」
「そうそう、上手だね」
 着物の裾を乱しただけの青年の脚の間に、裸になってうずくまる。
 自分のものとは全く形が異なる大人の象徴は大き過ぎて、青年が悠仁にしてくれるようにすっぽりと咥え込むことはできなかった。代わりにエラの張った先端に吸い付き、太い幹の部分は両手を使い前後に扱く。青年が用意してくれたほのかに甘いあの液体をたっぷりと使ったので滑りも良く、さらに先端を咥えた悠仁の舌にはほんのりと甘い味が広がった。
 口に含んだり舐めたりするばかりで技巧など一切なかったが、それでもチラリと見上げた先の青年はとても嬉しそうにしていた。悠仁と目が合った彼は「お願い聞いてくれてありがとう。頑張った悠仁にはご褒美あげなくちゃね」と両目を細める。
「ぅ? むん、ん……っ、ゃあ!」
 にゅるん、と後ろに指を入れられて悠仁は思わず青年の逸物から口を離した。唾液と甘い液体で濡れた唇は幼さからかけ離れた色気さえまとわせている。受け入れることに慣れたその場所は容易く青年の指を呑み込んで、下半身が痺れてふにゃふにゃになってしまいそうな快楽を悠仁に伝えてきた。
「ここに、僕を受け入れるのは」
「あっ、あっ、あっ、そこっ、あ、きもち、い、あっ……さとる、くん、きもち、いいよぉ」
「……もう少し、先になるね。ははっ……かわいー顔。とろっとろじゃん」
「さとりゅ、く……さとりゅくん……」
 再び逸物を口に迎え入れる余裕もなく、悠仁は青年の太腿に縋りついて無意識に腰を揺らす。くちくちと粘ついた水音を立てながら中を弄る指の動きがたまらなく気持ち良い。下腹がヒクヒクと断続的に痙攣し、青年の指を甘く締め付けた。
 間も無く二本目も挿入され、中のしこりの部分を挟むようにして揉み込まれる。
「ひ、ぅあ……あっ、ア、あ、あ」
「ゆーじってば腰揺れてる。気持ち良いんだね」
「んっ、ん、あっ、あ、は、あっ、う、きもち、いっ、あ……」
 指摘され腰の揺れを自覚しても止めることができない。もっとたくさん擦ってほしい、もっと強く触ってほしい、もっと奥へ来てほしい。青年だけを知っている未成熟な身体はたまらないほど青年だけを求めていた。
「ほし……さとるく、ん……んっ、あっ……ほしい……あっ、あ、ん、さとる、く、ン……これ、ほしいっ」
 芯を持った大人のそれに悠仁は頬を擦り付けるようにして懇願する。
 授業では好き合った男女がこれを使って繋がるのだとも習った。悠仁はこの美しい青年のことが大好きで、青年も悠仁を大層好いてくれている。また悠仁に女性器はなく二人とも男ではあるけれど、世には同性同士のカップルもいるのだと言う。そしてそれは確かに多数派ではないが、決して可笑しなことではないのだとも。
「あー……ホント、悠仁ってば可愛い」
「ぅ、あっ、あンっ、あ、あっ、あ! あ! あっ!」
 三本目の指を挿入して青年は容赦なく悠仁の中を攻め立てる。「今すぐ契っても……いやいや、まだ身体ができあがってない」ぶつぶつと青年が何事かを呟いた。悠仁は彼が何と言ったのか聞き取れず、頭が真っ白になりそうな快楽の中で「悟くんが欲しい」と、とろけた声で繰り返す。もっと気持ち良くなって、一緒に高みまで上りたい。
「ああもう、叶えてあげたいけど我慢してねー。時期が来たら即行で最高に気持ち良くしてあげるから」
「や、やぁ……さとるくん、さとるくん!」
 熱に浮かされた頭で「一緒に気持ち良くなりたい」と願う悠仁。青年は困り顔で「もうちょっと待って」と悠仁の額に口づける。だが唇を離して再び悠仁と視線を合わせた彼は良案を思いついたのか、瑠璃色の瞳を輝かせた。
「入れることはまだできないけど、悠仁が僕のこと気持ち良くできる方法がもう一つあるんだよね。やってくれる?」
「ん、やる」
「ふふ、ありがと」
 微笑み、青年は悠仁の中から指を引き抜く。その感触にさえ腰を震わせながら悠仁は次の言葉を待つ。
「それじゃあお尻こっちに向けて四つん這いになって」
「こ、こう?」
「そうそう。太腿はできるだけくっつけてね。……ん、良くできました」
 悠仁が言われたとおりの体勢を取ると、青年は褒めながらその腰を掴む。何をされるのか期待と不安がない交ぜになった状態で悠仁が待っていると、脚の付け根付近に、ぴと、と触れるものがあった。
「さとるくん……? わっ、あっ、あ!?」
 じゅぽっと脚の間に熱くてぬるついたものが押し込まれる。それはすぐに引き戻され、再び押し込まれ、ピストン運動を繰り返す。会陰と共に陰嚢を擦られ、悠仁は初めての感覚に「あっ、あっ」と声を漏らした。
 前を擦られるのとも後ろを弄られるのとも違うが、確かにそこにある快感は次第に悠仁の頭をぼうっとさせ、やがて腕に力が入らなくなる。しかし悠仁の腰はしっかりと大人の手に掴まれたままで、尻を高く上げる体勢を取ることになってしまった。
「あっ、あ、あン、んっ、あ、ゃ」
 嬌声と共に口から溢れた唾液が真っ白な褥を濡らす。「はっ……良い声」青年がうっとりした様子で呟いた。腰を掴む手の力が強まり、脚の間を出入りする動きがさらに激しくなる。
「あ、あっ、さと、さとるくっ、ん! きもち、い、い? あっ」
「気持ち良いよ。悠仁も気持ち良いみたいで良かった」
「んっ、おれもきもち、いっ、あっ、ひゃぅ」
 じゅぽじゅぽと激しい水音を立てながら二人は擬似的な性交を続ける。青年のものは徐々に硬度を増していき、背中から聞こえる吐息も「ゆうじ」と呼ぶ声も熱っぽくなっていた。それだけで未成熟な身体は歓喜に打ち震える。
 悠仁の名を呼ぶ度に太腿の締まりが良くなることに気づいたのだろう。青年が身体を折り、悠仁の耳元に唇を寄せた。
「ゆーじ」
「〜〜〜〜ッ!」
 名を呼ばれただけだ。それなのに何も入れられていないはずのお腹の中がきゅんと切なくなり、悠仁は反射的に太腿をこれまで以上に強く締めてしまう。その間をこじ開けるように熱い塊が入り込み、急に引き抜かれて、
「――――っ、は」
 ひときわ熱を帯びた吐息と共に熱い飛沫が悠仁の背中に降り注いだ。




◆04

 日が沈み、丸い月が昇り始めた午後七時。参道の始まりとなる鳥居から『五条様の杜』の入り口にある石の大鳥居、そして森の中にある社にまで設置された提灯に一斉に明かりが灯される。深い群青色に染まる町の中を橙色の光が列を成し、幻想的な光景を作り出した。
 悠仁が住む地域では毎年八月に夏祭りが行われている。出店が並び、親が幼子の手を引き、恋人同士が仲良くそぞろ歩き、子供達が元気よく遊び回る、どこにでもある小規模なものだ。しかし十二年に一度、夏祭りは特別なものとなる。『巳(み)の祀(まつ)り』と呼ばれる祭りで、今回がその十二年に一度の年に当たっていた。
 満十二歳以上の住民は日が沈むと同時に白い装束をまとって家を出、社に参拝する。悠仁の祖父も慣習に従い、先程、十二歳未満である悠仁を残して『五条様の杜』へと出掛けていった。
 今宵は例年と違って出店もなく、初めて『巳の祀り』を体験する子供にとっては不満が溜まる日となっている。十二年に一度の祭りは例年のような『五条様』への感謝を示しつつも住民達が楽しむためのものではなく、これまでの十二年の安寧に感謝し、またこれからの十二年を平穏無事で過ごせるようこの地域の主たる存在に祈るためのものなのだ。
 無論、特別な祭りであるため参拝だけで終わるはずもない。悠仁も祖父に聞いただけなので詳しくは知らないが、今宵一番の大仕事として社の前で『五条様』に舞が奉納されるらしい。祖父はその際に舞い手に合わせて鼓を打つ役目を負っているとのことで、今日は朝から準備に忙しくしていた。
「……ひま」
 今夜は十二歳未満の子供が『五条様の杜』へ行くことが許されていない。祭りの準備があるので、実質的には今日一日ずっと関係者以外立ち入り禁止状態だった。夏休みで学校もなく、また『悟くん』に会いに行くこともできなかった悠仁は窓の外の暗くなった景色を眺めながら唇を尖らせた。
「ひま。ひーま、ひーま、ひーーーーま」
 この辺り一帯が厳かな雰囲気に包まれ、賑やかなテレビを見ることもはばかられる。となれば、あとは風呂に入って寝るくらいしかやることがない。祖父の帰りは遅くなるとのことなので、彼を待つ必要も無かった。
 弱い風が吹いて軒下に吊るされた風鈴がチリンチリンと涼やかな音を奏でる。その優しい音色に誘われるように悠仁はころりと畳の上で横になり、いつしか目を閉じ眠りの世界へと旅立っていた。


「……じ、ゆーじ。起きて」
 大きな手に肩を揺すられ、悠仁はうっすらと目を開けた。煌々と明かりが灯された室内でぼうっと天井を見上げていると、その視界にぬっと人影が入り込んでくる。
「あ、起きた」
 人工の光を受けて白銀に輝く髪と、陰になってもなおキラキラ輝く瑠璃色の瞳。目を開けた悠仁ににっこりと笑いかける青年の姿に、夢現だった意識がはっきりと覚醒する。
「悟くん!?」
「はーい、さとるくんでーす! 悠仁、おはよ」
「おは、よ……? あれ、こんばんは?」
「時刻的には『こんばんは』だね」
 にこにこと嬉しそうな青年に手を貸してもらい、悠仁は身体を起こす。白い着物に藍色の羽織、ついでに足元は白い足袋の、いつもどおりの姿をした青年がそこにいた。
「なんで悟くんがここにいんの……?」
 青年の屋敷は悠仁の家に似ていたが、悠仁の家に青年がいるというのは違和感がある。やはりあの場所は特別だったのだな、と頭の片隅で悠仁は納得していた。似ていてもあの場所は青年の領域であり、こことは違う。
 本能的にそう察する悠仁だったが、問いかけを言葉どおりに受け取った青年は笑みを絶やさぬまま「実はね」と突然の来訪の目的を告げた。
「悠仁を迎えに来たんだ。ほら、行こう」
「えっ、えっ、ど、どこに!?」
 悠仁を立たせるどころかそのまま抱き上げ、青年は玄関へと足を向ける。
「どこって、そりゃあ勿論、今夜どこかへ行くとすればお祭りに決まってんじゃん」
「だ、だめだよ! じいちゃんが今夜は森へいっちゃダメだって言ってた!」
「そうだねぇ。今夜は社の主のためのお祭りだもんねー。だから……」
 祖父の言いつけを破るわけにはいかないと腕の中で抗議の声を上げる悠仁。それに対し、青年は美しい目を殊更キラキラと輝かせながら当然のことであるかの如く言い放った。
「悠仁は絶対に僕と一緒にいなきゃいけないんだよ」
 そして悠仁の視界は一瞬にして切り替わる。玄関を通った記憶も無いまま、瞬きの後、悠仁と青年は太鼓と笛の音が響く厳かで薄暗い屋内に移動していた。
「え……さ、さとる、くん?」
「しぃ。悠仁、ちょっと静かにしていようね」
 そう言って板張りの床に降ろされる。
 部屋に光源はなく、閉じた木戸の隙間や格子窓から外の明かりが僅かに入ってきていた。外は篝火や提灯によって明るいが、こちらは暗がりになるため、木戸を開けたり格子窓に近寄ったりしない限り外からこちらが見えることはないだろう。ただし逆は異なる。
 悠仁からは、格子窓の向こう――この建物の正面に当たる場所に設けられた舞台で複数の大人達が鼓を打ち、笛を吹き、鈴を鳴らし、その音色に合わせて美しい着物をまとって顔を白い面布で隠した人物が優雅に舞を披露しているのが見えた。彼らに気づかれてはいけないのだと察して悠仁は声を潜め「ここ、どこ?」と青年の着物を掴む。
「初めて入ったから分からない? でもよく見て、悠仁。あの灯籠とか、そこの石畳とか、見覚えがない? 舞台は今日組まれた物だから悠仁は知らないだろうけど」
「うん……?」
 灯籠や石畳と言われて真っ先に思い浮かんだのは悠仁が頻繁に遊びに行っている青年の屋敷とその周辺の景色だった。確かに物は良く似ているが、記憶と照らし合わせてみると色々配置が異なっている。
「思い出して。昔、悠仁も爺さんと一緒によく来てたでしょ? 落ち葉の掃除とか草引きとか頑張ってたじゃん」
「…………あ」
 思い出した。悠仁は声を潜めたまま、それでも答えが分かった者特有の興奮を隠せずに瞳を輝かせる。
「『五条様の杜』の社だ!」
「せーかい!」
 青年も声を潜めつつ正解した悠仁の頭をくしゃくしゃと撫でた。
 一瞬で移動し、尚且つ誰の目にも留まることなく社の中に侵入した方法など問うても仕方ない。この青年は最初からそういう不思議な人であった。また悠仁が頻繁に訪れている青年の屋敷に関しても、青年同様不可思議なところがある。悠仁以外の誰かが訪ねてきたこともなければ、『五条様の杜』にそのような建物が存在していることを誰かが匂わせたこともないのだ。青年のことはまだ誰にも告げていないため悠仁から屋敷の存在を明かすこともないが、もしこの地域の住民に屋敷のことを訊ねたとしても誰一人として答えられないだろう。存在そのものを知らないのだから。
「悠仁、今夜のお祭りに興味あったんじゃない? 大人達がどんなことしてるのか気にならないわけないもんね」
「そりゃそうだけど……俺、ここに来ても良かったの?」
 今宵、十二歳未満の子供は『五条様の杜』に立ち入り禁止だ。その禁を犯してこんな所に来てしまっても大丈夫なのかと悠仁は問う。すると青年は「全く問題無いよ」と笑って格子窓の外で行われている舞へと目を向けた。
「だって僕のためのものだし、ね」
 そもそも十二歳未満の子供は参加不可ってのも向こうが勝手に決めただけだし〜。まぁうるさくなくて良いんだけどさ。――と青年は口の中で呟くように付け足し、悠仁の方へ視線を戻す。
「折角やってもらってるんだから一応見ておくけど、僕としては悠仁と一緒にいる方が楽しいんだよね。と言うわけで、」
 するり、と。ひんやりした手が悠仁の頬を撫で、ささくれ一つ見当たらない指が小さな唇に押し当てられた。
「楽しくて気持ち良いこと、しよっか」


「ぁ……ぁっ、ぅ」
「そうそう、声を抑えられてゆーじは良い子だね。外の皆に僕達がここにいることバレちゃマズいもんね」
 青年の胸に背中を預ける形であぐらを掻いた彼の脚の間に座り、両方の胸の頂を同時に弄られながら悠仁は声を殺してその快感に耐えていた。すでにシャツもズボンもパンツも全て脱がされ、それらは自分の尻の下でくしゃくしゃになってしまっている。
「っ、っ、ぅ……っ! っ!」
 固さを楽しむように芯を持った乳首を青年の指でコリコリとつままれ、時折ピンと指先で弾かれる。その度に腰が震えたが、声を上げても足で床を叩いても外の人間にこちらの存在がバレかねないため、全て我慢するしかなかった。
 ヒクヒクと震えながら声を抑えていると、発散できない得も言われぬ熱が腹の奥に溜まっていくような気がする。視界は潤み、外の光と中の闇の境界が曖昧になっていった。気持ち良くて、熱が下がらなくて、頭がぼうっとする。けれど声を出すわけにはいかないと、悠仁は必死に理性を繋ぎ止める。
 出逢ったあの日から悠仁は青年との約束を守って彼のことを誰にも話していない。そのためこうした睦み合いに関しても一切他言したことはなかった。また相手の名を伏せてその存在を匂わせる会話さえしなかったため、世間の常識に照らし合わせてあまりにも異常なこの交流が他者に知られることは一切無かった。そして他者に知られ、指摘されてこなかったからこそ、悠仁自身はこれが異常な状態であることも自身の貞操観念が可笑しくなっていることも一切分かっていない。先日の性に関する授業はまだぼかした説明も多く、悠仁は大人が幼い子供に手を出すことが人間社会において許されないことであることを知らなかった。
 つまり悠仁が体中をまさぐられ、気持ち良くされながらもこうして声を潜めているのはいけないことをしている自分≠他者に知られたくないからではない。ただただ青年との最初の約束を守るために、とろとろになった身体でも何とか理性を繋ぎ止めようとしているに過ぎないのだ。
 あまりにも素直な悠仁の様子に青年が青い目を細める。愛おしげな表情を悠仁の潤んだ視界では正確に捉えることができなかったが、雰囲気は充分に伝わってきた。気持ち良さに背中を反らし、胸を相手の手に押しつけるような格好になりながら悠仁は青年の顔を見上げる。薄く開いた唇の間から嬌声の代わりに小さく舌を出して。
「さと、くっ……ぁ、ぁ、ちゅー、しよ、ちゅー、したい」
「最高に可愛い誘い文句じゃん」
 ふっと吐息だけで笑い、青年が悠仁を抱えて態勢を入れ替える。向かい合わせになるよう悠仁に自分の脚を跨がせて深く唇を合わせてきた。
「ふっ……ぅ、ぅん、む、ん」
 大きな舌が悠仁の口内に入り込んでくる。絡まり合った舌はぬるぬるしていて、気持ち良くて、どこか甘い。ぐちゅぐちゅと濡れた音が頭蓋に直接響けば、頭の中まで青年の舌にまさぐられているような心地がした。
 片手で後頭部を支えられ、もう一方の手では再び胸を弄られる。ふっくらとした乳輪を指でくるくるとなぞられるのは大変もどかしい。無意識のうちに尻が揺れて青年に吐息だけで笑われた。その後すぐにきゅっと少し痛いくらいの力で乳首をつままれ、胸から尻にかけてビリビリと走る電撃に悠仁は「〜〜〜ッ!」と青年の口内に嬌声を吐き出した。
「は……ゆうじ、かわいい」
「ぁ、ぁ、っ、さと……く、ん……ん、こえ、出ちゃ……」
 唇を離されてもなお胸は弄られ続けている。声を出してはいけないから、と悠仁は無意識に赤い舌を見せながら再びの口づけを強請った。青年の瑠璃色の双眸がとろりと甘くとろける。
「そうだね。口、塞がないとね」
「ぁむ……ふ、く、ぅん」
 舌を絡ませ、甘噛みされれば、それだけで脚がピンと伸びた。くちゅくちゅと唾液を交換しながら腕を青年の背中に誘導される。藍色の羽織の内側、白い着物に縋りつくよう悠仁が腕を回すと、青年が一旦子供の身体から手を離してばさりと藍色の羽織を肩から外し、床に敷いた。そしてそっと悠仁の身体に触れると、未成熟な肢体を脱いだ羽織の上に仰向けで寝かせる。
 されるがまま寝転んだ悠仁は唇が離れた隙にとろんとした目で青年を見上げ問いかけた。
「さとるくん……?」
「ねぇ、悠仁」
 悠仁の頭の両脇に手をついて青年が口の端を持ち上げた。
「今日は向かい合ったまま僕のこと気持ち良くしてくれる?」
「ん、いーよ」
 脚の間で擦るやつだ、と察して悠仁は両足を自ら進んで引き寄せた。どんなにぴったりくっつけようとしても太腿には少し隙間が残っているが、青年のものはこの隙間よりも充分太いので問題無いはずだ。足の向こうでは瑠璃色の双眸が楽しげに細められていて、悠仁の方まで嬉しくなってくる。
「ありがと」
 短い感謝の言葉の後に悠仁の内股にぬるついた液体の感触。ふわりと花の香りが漂ってきて、いつもの甘い蜜が使われたのだと気づいた。その匂いだけで下腹がヒクつく。まだ白い液体を出したことがない陰茎さえも緩く芯を持って勃ち上がり始めていた。
 大きな手が悠仁の足首をまとめて掴んで斜めに倒す。体格差も手伝って、青年がぐっと腰を曲げるとキスが十分可能なほど顔を近づけることができた。悠仁は誘うように唇を薄く開いて舌を出す。期待に胸が高鳴って早く早くと舌先が勝手に揺れた。
「ほんと、悠仁ってば最高」
 囁きと共に深い口づけが降ってくる。そして、
「っ、――、ぅ、ふ、ぅん!」
 じゅぷ、と脚の間を熱の塊が貫いてきた。会陰を擦り上げ、陰嚢を後ろから突き、未熟な陰茎の裏筋までもごりごりと刺激していく。背骨を駆け上がってくる直接的な快感に目の前がスパークする。
 キラキラと星が輝く視界の中、至近距離にある瑠璃色が砂糖菓子よりも甘くとろけていた。塞いでいた口を離し、それでも唇が触れ合うほどの距離で青年は「かわいい。かわいい。大好きだよ、僕の大事な子」と睦言を囁く。悠仁は両手を青年の頭に回して答えとなる言葉の代わりにその薄い唇に噛み付いた。すぐに後頭部を支えられ口づけが深くなる。
「ん、んんっ、んっ、ぁ、ぅ、ん、むっ、ン!」
 上からも下からもぐちゅぐちゅと水音がする。勢い良く肌をぶつけて音を鳴らすわけにはいかないためか、青年の腰の動きはゆっくりで、徐々に身体も慣れてくる。だがそれがさらに悠仁の中で官能を呼び起こしていた。弾けるような快感ではなく、奥から奥からいくらでもせり上がってくるような熱。口づけの合間に「はあっ!」と大きく息を吐き出せば、想像以上に濡れて艶めかしいものとなっていた。
 白い髪に細い指を絡めて何度目かも分からないキスを。太腿を擦り上げる塊はさらに熱と体積を増し、間も無く限界が来ることを予感させていた。外で行われている舞も佳境で、曲が激しくなってきている。
 ダンッ、と舞台を跳ねる音。シャンシャンと鈴が鳴り、誰とも知れぬ声で合いの手が入った。
 ああ、社の外に人がいる。この秘密を見られてはいけないのに、青年のことを知られてはいけないのに、扉一枚隔てた先にたくさんの人がいる。そう自覚した瞬間、まだ何も入れられていない悠仁の胎がきゅうんと疼き、
「〜〜〜〜〜ッ!」
「っ……」
 太腿をこれまで以上にぎゅっと締め付け、そこを貫いた青年のものが悠仁の腹に白濁を吐き出した。
「さと、りゅ、く……」
「は、あ……。かわいい悠仁、君はずっと、ずーっと、僕だけのものだからね」
 唇をすり合わせ、囁く青年。
 不思議な双眸は先日と同様、縦に細長い瞳孔を晒している。悠仁の足首を解放した手で子供の腹部に散った白濁を胸にまで塗り込めながら、青年は――この社の主であり、今宵奉納される全てのものを受け取る側である存在は――その瑠璃色に悠仁だけを映し出していた。




◆05

 中学生ともなれば触れられる情報は一気に増え、虎杖悠仁も自身の状況が――正確に言えば件の美しい青年との関係が――異常であることは充分承知していた。だがそれが一体何だと言うのだろう。自分は自分で他人は他人。世間一般がどうであれ、虎杖悠仁という人間は今の状況に全く不満を持っていない。むしろ他人にこの関係を知られ口を挟まれるのを厭うくらいだ。したがって悠仁は昔交わした約束どおり誰にも何も言わずに幼少期から全く変わらぬ関係を続け、青年のことを『悟くん』と呼び慕っていた。道徳や倫理と照らし合わせて悩む隙すらない。
 そんな悠仁が色々なことを理解すると同時に悩んだのは青年のその呼び方くらいなものだ。
 彼はおそらく、否、きっと、人間ではない。悟と名乗る件の美しい人は、悠仁とは文字通り別の世界に住まう者である。そしてこの地域の住民達から崇められ、祀られる存在。皆がそう呼ぶように自分も呼び方を改めた方が良いのだろうか。思い悩んだ末に本人へ相談すれば、青年はやけに子供っぽい仕草で「今更他人行儀な呼び方しないでよー」と唇を尖らせた。よって悠仁は今も彼を「悟くん」と呼んでいる。「くん」呼びが少々恥ずかしく感じる年頃になってきたので、いずれは「悟さん」呼びだろうかと考えながら。
「もしくは悟? いや、悟様、とか……?」
「他人行儀は嫌だけど悟様呼びはちょっとぐっとくるね!」
「悟くんマジ俗世にまみれてんじゃん」
「古風な話し方でオマケに知識が古いままアップデートされないのも考え物でしょ?」
 悠仁の独り言に反応した青年はそう言ってにっこりと笑った。
 いつもの屋敷のいつもの縁側。外と大して変わらないその場所に押し倒されながら、考え事をしていた悠仁は目の前の美丈夫に意識を戻す。幼い頃は彼からの好意を受け止めるだけで精一杯だったが、それらを与えられ続けまた心身共に成長した今となっては、青年に胸をまさぐられつつも別のことに意識を割ける程度にはなっていた。無論、意識を割くと言ってもそれは目の前の相手に関することのみであるが。
 学ランの前を盛大に開けられ、中に着ていたパーカーは脱がす手間を惜しんで首まで押し上げられている。特に鍛えているわけではないものの少しずつつき始めている筋肉が滑らかな皮膚の下で息づいていた。「まだまだ成長途中だね」まるで若木を思わせるしなやかな肢体を視線で愛撫し、次いで腹から胸にかけての筋肉の凹凸を指でなぞりながら青年は呟く。「もうちょっと……もうちょっと大人になったら」瑠璃色の双眸が焦れるように悠仁を見た。
「もう俺、悟くんを受け止められるくらい大きくなったと思うんだけど」
 青年が悠仁の身体に何をしたいのかなんてことはすでに理解している。人形のような美しい顔からは少々想像しがたい立派なそれだって何度も見て、触って、熱量も大きさも把握していた。だからこそ、まだ成長途中ではあるが今でも充分に彼の望みを叶えられると思っていた。
 けれども青年は首を横に振る。
「もう少し我慢させて。ゆーじのためにもね」
「俺のためかぁ。だったら仕方ない」
「そうそう。僕、悠仁のことめちゃくちゃ大切にしたいからあと少しだけ我慢」
 それに、と美しい男は美しい笑みを浮かべて続けた。
「悠仁まだ精通だってしてないでしょ」
「……」
 事実である。身体は少しずつ男らしくなってきたが、先々月十四歳になったばかりの悠仁は未だにそちらの意味で大人にはなっていない。クラスの半分くらいはすでに経験している気配があり、最近少し焦り始めたところだった。無論、焦っても何にもならないのだが。
 羞恥で顔を赤らめる悠仁。その額に青年がちゅうと口づけを落とす。
「可愛い可愛い僕の悠仁。中だけで気持ち良くなれちゃう君も本当に可愛いよ」
「それは悟くんの所為でしょーが」
「僕の所為だから余計に愛おしいんじゃないか」
 言葉による返答は求められずに唇が合わさる。
「……ン、んん」
 するりと侵入してきた舌に応えつつ悠仁はゆっくりと腕を持ち上げて、新緑の葉からの木漏れ日を受け白銀に輝く頭部をそっと抱え込んだ。


「あっ、あ、っ、んっ……ん、あ」
 学ランの袖には腕を通したまま、中のパーカーは胸が見えるまでまくり上げられたまま。それでも律儀にズボンと下着は足から抜かれ、悠仁は両膝を立てた仰向けの体勢で尻の中をまさぐられていた。
 ぐちぐちと粘着質な音が自身の後孔と青年の白い指の間で繰り返し奏でられる。十年近くかけて受け入れることに慣らされた孔はすんなりと指を呑み込んで、快楽だけを悠仁の身体全体に行き渡らせていた。
 悠仁の脚の間に陣取っていた青年が、前立腺を擦られてヒクリと下腹部を痙攣させる子供の姿に甘ったるい笑みを浮かべる。目が合うとおもむろに腰を折って悠仁の瞼に口づけを落とした。
「んっ、ぁ、さとるくん?」
「ゆうじの目が綺麗だなぁって思って」
「それなら、ぁ、っふ、ん、さとるくんの方が、っ、きれーじゃん……ぁ、ゃ、そこ」
 くにくにと前立腺を揉まれて悠仁は快楽を逃がすようにつま先を丸めた。背骨から頭蓋にかけてビリビリと痺れ、同時に下腹部へはどろりとした熱が溜まっていく。すでに勃ち上がっている陰茎は覆い被さる青年の着物に先端を擦られ、その度に悠仁は「あっ、あ」と短く嬌声を上げた。
 その声をもっと引き出そうと思ったのか。青年は悠仁のもう一方の瞼にも口づけを落とすと、再び身を引いて下肢への刺激に注力し始めた。気まぐれに太腿を撫でていた方の手で悠仁の陰茎を扱く。と同時に中への愛撫も一切怠らず、三本の指を使って前立腺を刺激する。
「ひ、ぅ……んっ、んっ、なんか、きちゃ、う」
 腹に溜まる熱が勃起した場所へ集まっていくような気がして悠仁は思わず両足を青年の腰に擦り付けた。「悠仁? どーしたの」と瑠璃色の双眸を瞬かせて青年が問う。分からない。何か分からないけれども「来る」のだ。悠仁はかぶりを振ってそれを伝える。
 嫌なものではない。むしろもっと気持ち良くなれる気がした。
 あと少しでそこに至れそうだと本能が囁く。その誘いに乗って悠仁は青年に両手を伸ばした。
「きもち、い……から、ね、だから、もっと……あっ、ひ、ぁ、もっと、ほし……っ」
 前立腺を擦られて、陰茎をたっぷり扱かれ、それでもまださらに『気持ち良い』が欲しい。強請る悠仁に青年は「はあっ……」と熱い吐息を零した。
「かわいい悠仁。いいよ、いくらでもあげちゃう」
「ぅ、ん……あっ」
 ぐい、とさらに足を開かされる。青年が再び腰を折って顔を近づけてきたのだ。ただし今度は慈しみを込めた瞼へのキスではなく、愛欲に濡れた唇を合わせるために。
 互いの唾液で濡れた唇を擦り付け、甘噛みし、舌を絡ませる。悠仁は青年の背に腕を回してしがみついた。上からも下からも粘着質な水音が響き、聴覚からも犯されるようだ。そしてそれがたまらなく気持ち良い。下肢からは痺れるような快楽、口内への愛撫は頭をぼうっとさせ、薄く目を開けると瑠璃色の瞳がこちらを見つめていて胸が疼く。
「ふっ、ぅ……ぅ、ぅ、ん、んんっ」
 性器の先端をぬるついた指で擦られて悠仁の腰が跳ねた。今までで一番強く来る♀エ覚に襲われる。
 そんな悠仁の反応を見て青年がさらにそこへの愛撫を重ねる。最も敏感な場所を執拗に責められ、悠仁は青年の口内に「んんっ、ん! んぅ!」と嬌声を吐き出した。
 やがて鈴口に爪を立てるようにひときわ強く擦られた瞬間、
「ん、んっ、ん! ……っ、〜〜〜ッ!」
 びゅる、と悠仁の陰茎から白濁が飛び散る。
 とんでもない開放感に全身から力が抜け、悠仁はくったりと身体を弛緩させた。吐精した性器から液を最後まで絞り出すように扱かれて「……っ、ぁ」と声が漏れる。
「あは、悠仁おめでとう。これで大人に一歩近づけたね」
「ふ、ぇ……?」
「ほら」
 白濁した粘液を自らの手にまとわせて青年が微笑んだ。
 呆けた悠仁は嬉しそうな相手の様子を見て条件反射的に口の端を持ち上げようとするが、
「え、ちょ」
「おいしくないけど、おいしい」
 指についた液体を舐め、こともあろうにそう宣(のたま)った青年にぎょっと目を剥く。「きたない!」と抗議するが、そんな悠仁にさえ青年は嬉しそうだ。赤い舌を出して悠仁へ見せつけるように指をもうひと舐めする。
「〜〜ッ、悟くん!」
「恥ずかしがってる悠仁もかわい〜。ね、ね、もう一回しよ。気持ち良すぎて最高に可愛いくなっちゃう悠仁が見たい」
「あ、まっ……ひゃ、あ!」
 達したばかりの性器を再び握り込まれる。長い指が絡んで鈴口を擦られると、制止の声は途端に甲高い嬌声へと変わった。
 青年からの愛撫に慣れた身体は快楽にとことん弱い。力の抜けた下肢を相手の良いようにされながら悠仁は整った青年の容貌を見つめる。瑠璃色は楽しげに輝き、けれども目尻は少し赤い。自分の痴態を見て興奮しているのだと分かって悠仁の背筋をぞくぞくと快感が走り抜けた。胎の奥がきゅんきゅんと疼く。その動きを指で感じ取った青年が両目を細めて「ほんと、かわいい」と独りごちた。
「ぁ……あっ、あ、ゃ、また、くる、きちゃう」
「うんうん。もう一回イこうね。今度はこっちも気持ち良くしてあげる」
「あっ、あ、あ、ひ、ぃ、あ、あ……っ」
 唇の代わりに今度は胸に吸い付かれた。ぢゅるぢゅるといやらしく音を立てて吸われ、前歯で甘噛みされる。舌が乳頭を押し潰し、小さな孔をほじるようにぐにぐにと刺激された。
「あ、ゃ、あ、また、またきちゃ、ぁ」
 若い性の象徴は与えられる快楽の波に抗えず、またすぐに勃ち上がってくる。裏筋を親指で強く擦られて悠仁の腰が揺れた。無論その程度の動きで逃れられるわけもなく、続いて中で動く指に前立腺を強く揉み込まれる。
「っ、あ、あ、〜〜〜〜ッ!」
 耐える間も無く吐精した。けれども。
「あっ、ま、まって、まだイってる、イってるからぁ!」
「大丈夫、大丈夫」
 さらに中を指でぐちぐちと刺激される。
 頭では精液を吐き出して終わったと思っているのに、身体の方の熱が引かない。どんどん与えられ続け、強過ぎる快楽に目の前がチカチカした。
「や、ぁ、あ、さとるくん! さとりゅくん! ん、ぅんん」
 口づけが交わされる。悠仁の精液を舐めた後の口だったがそこは一切気にならなかった。青年の舌が入り込み、互いの舌が絡み合う。胎が熱くて、怖いくらいに気持ち良くて、口の中が満たされて、頭の中が幸せでスパークする。
「ふぅ、ぅ、ん……んっ、んっ、ぅ……」
 深く唇を重ねたまま胎の中の指を、ぐい、と強く押しつけられ、
「ぅ、ふ、ぅん――――ッ!!」
 三度目の絶頂。
 吐精できたのかさえ自覚できないまま悠仁はゆるゆると全身を弛緩させ、後孔から指が引き抜かれる感覚にヒクリと内腿を震わせた。




◆06

「んっ……く、ぅ」
 中学に上がると同時に自室を与えられたのはこういうことのためだったのかなと冗談半分に考えながら、悠仁は先端から零れる先走りの液を塗り広げつつ右手で自身の性器を扱く。
 刺激すれば勃ち上がるそこは確かに今も快感を伝えてくるが、吐精するにはまだ足りない。裏筋を擦っても鈴口を重点的に責めても、もどかしく腹部と内腿がかすかに震えるばかりだった。
「なんでだ……」
 クラスメイトの男共は大体やっているであろうその行為が上手くできない。悠仁は眉尻を下げて溜息を吐いた。確かに熱を持て余しているものの、中途半端に勃ち上がった性器がそれ以上に虚しさを誘う。
 股間で揺れる愚息を一瞥し、溜息をもう一度。諦めた悠仁は右手と性器をティッシュで拭い、冷たいシャワーを浴びるために風呂場へと足を向けた。


 翌日。
 オナニーが上手くできなくて困っていると相談した結果、悠仁は現在、畳の上に座ったままその相談相手である『悟くん』に後ろから抱きかかえられる格好で性器を扱かれていた。
「ぁ、あ……ん、っ、あ」
「そうそう、良い子だねぇ」
 幼子をあやすような青年の物言いだが、後ろから伸ばされた手は悠仁の性器に添えられて裏筋と亀頭を同時に刺激してくる。花の香りがするあの液体を使わずとも悠仁自身が出した先走りだけで充分な滑りは得られており、室内では熱の籠もった吐息と共にぐちぐちと粘ついた水音が断続的に響いていた。
「っ、ん、ん……っ、は……ぁ」
 裏筋を強く擦られて腰が震え、次いで鈴口に指の腹を押しつけられると息が詰まりつま先がぎゅっと丸くなる。触れられてもいない菊門がヒクつき、悠仁は普段からそこへ与えられている刺激を想像しただけで顔を赤らめた。
「ふふ、悠仁ってば物欲しそうな顔してる……でも今はこっちだけ、ね」
「あ、あっ、あ、……っ!」
 最も敏感な部分である先端をぐりぐりと擦られて悠仁は快楽から逃れるように青年の胸に頭を押しつける。だが刺激は止まらない。「オナニーできるようになりたいんでしょ?」耳元で囁かれ、ついでに耳朶をぱくりと食まれた。
「ほら、イって」
「っ、あ、あ…………、くッ、ぅ!」
 びゅるる、と性器から白濁が吐き出される。ようやく訪れた開放感を味わいながら荒い呼吸を繰り返していると、青年が悠仁の頭部にキスを落としながら「よくできました」と囁いた。そうして腕の中の存在を横抱きにするよう態勢を変えると、彼は悠仁の顔を覗き込みながら美しいかんばせに笑みを乗せた。
「ちゃんと出たじゃん。良かったね、悠仁」
「悟くんに触ってもらうと出るんだよなぁ」
 青年の胸に頭を預けたまま悠仁は呟く。家で自分の手を使った時とは違うムスコの素直な反応に持ち主としては何とも言い難い気持ちだ。
「このまま悟くんにやってもらわないとイけない身体になったらどうしよう」
「え〜それはそれで大歓迎だけど」精液をまとわせた指先でくるりと悠仁のへその周りを撫でながら青年はこう提案した。「じゃあ次はこの態勢のまま悠仁が自分でやってみる?」
「このまま?」
「そう。このまま。僕は見てるだけ」
「んー」
 性的なことを最も相談しやすい相手として青年を選びこの屋敷を訪ねた時点で羞恥に関しては見ないフリをした。そもそも彼にはもっと恥ずかしいことをされているし、その姿を見られている。まさに今更な話だった。ならばその提案に関しても否定する理由はない。
「じゃあ……」
 そう言って悠仁は瑠璃色の双眸に見つめられたまま自身の性器に手を伸ばした。
「っ、ん」
 くちゅり、と先程吐き出された精液や先走りが潤滑油となって動きを助ける。目を閉じればさらに刺激を感じ取りやすくなり、悠仁は「……っ、は」と熱の籠もった息を吐き出した。手は勿論のこと声でも手伝いをしないつもりなのか、青年は沈黙を保っている。ただその存在を肌だけで感じながら悠仁は青年の動きを真似るように両手を使って己を慰めた。
「ぁ、ん……」
 しかし。
「…………さとるくん」
 目を開いて顔を上げる。こちらを見つめていた青と視線が絡むと、悠仁は縋るようにその名を呼んでいた。
「なぁに」
「……できない」
 どうしようもない現実を認める。
 青年の動きを模倣しようとも、もっと気持ち良い所を探そうとも、悠仁が自分の手だけで達することはできなくなってしまっていた。その事実に愕然とする。悠仁の中にあった男としての矜持がぽっきりと音を立てて折れた気がした。
 しかしそんな悠仁とは対照的に青年の口の端はゆるゆると持ち上がり、瑠璃色が楽しそうに細められる。
「つまり悠仁は本当に僕がいないとイけない身体になっちゃってるってことだね」
「悟くん嬉しそうだね……」
「嬉しいに決まってるじゃん」ちゅう、と悠仁のこめかみに口づけて青年は満面の笑みを浮かべた。「悠仁にとって気持ち良いことイコール僕との行為って身体が覚えちゃってるわけでしょ? 悠仁は僕専用って感じがして凄く良い」
「専用ってか今のところ悟くんしか知らないんだけど」
「これから先も僕以外を知ってもらう予定はありません。返事は?」
「はーい」
「よろしい」
 ふふふ、と幸せそうに笑いながら青年は悠仁の顎に指をかけて唇を合わせてきた。口を薄く開いてそれに応えていると、中途半端に勃ち上がっていた性器に青年の長い指が絡む。
「っん、あ……」
「良い子の悠仁君にはもう一回気持ち良くなってもらいまーす」
「あ、っは、あ……ぁ、」
 ぐちゅぐちゅと音を立てて陰茎を扱かれる。すぐに内腿が震え、下腹部が熱くなった。
 悠仁は相手の項に腕を伸ばしながら一旦離れてしまった唇を再度求める。
 一人で自慰もまともにできないという事実に男としての矜持は重傷を負ったが、こうして青年が嬉しそうにしているのならそれはそれで良いかもしれない。――そんな風に考えながら。


「あのさ、もしかしていきなり『オナニーできなくて困ってる』なんて相談しに来て実はメーワクだった?」
 二度目の熱を吐き出した後、青年の腕の中で悠仁は青い瞳を見上げて問いかけた。
 満足そうな表情で子供を抱き締めていた青年はその問いかけににっこりと笑みを深めて「まさか!」と答える。
「むしろ一番に頼ってもらえてめちゃくちゃ嬉しいね。僕無しじゃイケなくなった悠仁が僕を相談相手として真っ先に選んだ。なんだか身体だけじゃなく心もすっかり僕のものって感じがする」
「悟くんに慣らされちゃった身体も悟くんのことを好きって思ってる心も俺のものじゃねーの?」
「そりゃまぁ悠仁のものではあるけどー」
 悠仁の意見を認めつつそう告げる青年の顔はこれでもかと甘くて、まとう空気も非常に嬉しそうだ。
「でも、そうじゃなかったりもするんだよねぇ。特に身体は」
「……どーいうこと?」
 幼少期から青年の手によって甘やかされ慈しまれ彼のために育ってきたような部分も無きにしも非ずだが、それでもこの身は虎杖悠仁のものであるはずだ。
 首を傾げる悠仁に青年は微笑み、秘密を明かすようにひっそりと告げる。
「悠仁ってば、始めて僕と出逢った時に真名(まな)を教えてくれたでしょ」
「マナ?」
「本当の名前。今の時代じゃ本名、フルネームだと思ってくれて良いよ」
「あー……確かに名乗ったわ」
「でしょ。それに加えて悠仁は僕がこの屋敷で出した物を何度も口にしたし、共に時間を過ごしてきたじゃない?」
「うん」
「この時代じゃ廃れてしまった文化だろうけど、真名を明かすことは相手に自分の存在そのものを握らせることに等しい。何も知らない小さな君は初対面で僕に対しそれを行った。そして僕に存在を握られたまま君は僕が出した物をその身に取り込み、僕の傍にいることで僕の力の影響を受け続けた」
 青年の口元は美しい弧を描いている。けれども不思議な輝きを宿す瑠璃色の双眸はすでに笑っていなかった。じっと悠仁を見つめてその反応を観察している。
「だからね」
 悠仁の身体を包み込むようだった腕はその身を拘束するための檻へと変わり、決して逃がすまいという意志を漂わせる。
 そして特筆すべきは瑠璃の瞳。瞳孔は縦に割れ、青年の感情の高ぶりと、何より彼が人外――人よりも上位の存在であることを知らしめていた。
「その所為で……僕にとってはそのおかげで、悠仁は段々と僕のものになってきてんの。……君は僕が見つけて、僕が欲して、僕のためにある、虎杖悠仁。僕の、悠仁」
「さとる、くん」
「怖い?」
 そう囁きながら青年は悠仁の首筋に唇を寄せる。太い血管の上に口づけて彼は言った。
「でもごめんね。逃がしてあげられない」
 跡がつくほど強くはなく、けれども無視できない強さで口づけた場所に歯を立てられる。生物の本能として反射的に身体が強ばった。しかし悠仁はその動きに青年が反応する前に意識して身体の力を抜きながらそっと己を戒める腕に手を触れさせる。
「期待してもらってるとこ悪いけど、全然怖くないよ」
「ゆうじ?」
 青い目が悠仁を覗き込む。
 離れられなくなるまでこの身を作り替えてから真実を明かしたのか、それとも本当はまだ離れられるうちにこちらのためを思って教えてくれたのか、その辺りは悠仁には分からない。だがいずれにせよ至る結論は同じだった。
 悠仁は不思議そうな顔をする青年の唇にそっと自身の唇を触れさせると、美しい彼を真似て口の端を持ち上げる。
「逃げるどころか、むしろ悟くんと一緒なら地獄にだって行ってあげる」
「……っ!」
 瑠璃色の双眸が見開かれキラキラと輝きを増した。目尻は興奮と歓喜で朱に染まり、悠仁を逃がさないための檻が力強い抱擁に変わる。
「本当にいいの?」
「いいよ」
「遠からず君の時間さえ止めて悠仁を永遠に僕のものにする予定だけど」
「最初からそのつもりだったんじゃねーの? 俺の成長を待ってたってことは」
「冴えてるね、そのとおり。君が十分に成長したら虎杖悠仁は永遠に僕のものだ」
「うん。遠からず俺は、虎杖悠仁は、悟くんの……この杜の主『五条悟様』のものになるよ」
 青年が何者であるかその口から明確に告げられたことはないけれど、それでも正解は至る所に用意されていた。己の真名を口にした悠仁に青年は「うん」と頷く。
 これは誓いであり、また確かな事実だ。虎杖悠仁は五条悟のものとなる。そして。
「その時は僕も悠仁のものだ」
 五条悟もまた虎杖悠仁のものとなる。それは最初から決まっていたようなものだった。何故なら彼も最初から悠仁に彼自身の真名を明かしていたのだから。『五条様の杜』の主として、『悟』という悠仁だけが知っている名を。
 額を触れ合わせ、至近距離で視線を絡ませ、二人は永遠の誓いを交わす。
「楽しみだね、悟くん」
「楽しみだね、悠仁」
 この先にある永久(とわ)の歩みを心待ちにしながら。

     ◇

 二人が永久を誓った一年後、虎杖悠仁の祖父が亡くなった。
 苦痛はなく、穏やかで眠るように迎えた最期だった。




◆07

「ちゃんとお別れできたかな?」
 学ラン姿で祖父の旅立ちを見送った悠仁の隣に白い着物と藍色の羽織姿の青年――五条悟が現れる。
 梅雨の季節にもかかわらず空は青く澄み渡り、火葬場から立ち上る煙がよく見えた。
 遺族を慰めるためか、それとも近隣住民への配慮のためか、火葬する施設の周囲には広い庭園が設けられており、空は見せつつも木々がほどよく他人の目と気配を遮断してくれている。火葬が終わるのを待つ間、祖父のただ一人の遺族である悠仁の周囲には青年以外に誰もおらず、おかげで他人に煩わされることなく別れを悲しむことができていた。先程の五条の問いかけも悠仁に答えを強要するものではなく、ただ黙ってそこにいてくれる。
 しばらく二人で細く立ち上る白い煙を眺めていると、急に胸が詰まって目頭が熱くなった。祖父のまだ温かい身体を前にして涙を零して以降それは止まってくれていたはずなのだが、慣れた気配が隣に立ったことで抑えが効かなくなってしまったようだった。
「……っ、ぅ」
 ずず、と鼻を啜る。
 隣の気配が一歩こちらに近づき、大きな手が悠仁の肩をそっと抱き寄せた。されるがまま悠仁は五条の胸に頭を預ける。
 再び涙が止まるまで、そうして二人は静かに白い煙を見送り続けた。


「サンキュ。もう大丈夫」
 目尻を赤く腫らしたまま悠仁は笑みさえ浮かべて五条に告げる。
 亡くなる少し前から祖父は病院で世話になっており、孫としてある程度覚悟はしていたが、やはり肉親との別れは辛く悲しいものだった。しかし悲しんで顔を伏せているだけでは何にもならない。「もういいの?」と訊ねる五条に「おう!」と答え、悠仁は一歩前に踏み出した。そしてくるりと背後を振り返り、こちらを見守る瑠璃色を見詰め返す。
「そろそろ骨上げの時間だと思うから行ってくる」
 祖父の交友関係や生前の指示もあり、通夜や葬儀は行っていない。火葬のみの直葬だ。今更呼ぶような親戚もおらず、火葬後に遺骨を骨壺に収める『骨上げ』も悠仁一人で行う予定となっていた。
「うん、いってらっしゃい」
 こちらを送り出す五条の声に悠仁は「いってきます」と告げ、前へ向き直る。そのまま歩き出そうとするが――

「どォしてぇ……どォして、ぇ、死ンじゃった、ぁ、あ、ノぉ……? 悲しィ、寂しぃ、ヨぉ……」

「――ッ!?」
 背の低い植木の向こうから得体の知れないものが姿を現わし、悠仁は足を止めて息を呑んだ。
 シルエットは四つん這いの人間に近かったが、腰から下は中途半端に溶解し、両腕の力だけで進みながらずるずると下肢を引き摺っている。長い黒髪の間から眼球の代わりに真っ黒な虚が覗いた。
 見えないはずの目で『それ』は悠仁が己を見ているのに気づくと「あ、ア、ァ」と気味の悪い声を上げてこちらに向かって来る。下半身が動かないため進みは遅いが、それが余計に生理的嫌悪に近い恐怖を煽った。
「ひっ……!」
 喉を引き攣らせ、悠仁は無意識に一歩下がる。その肩をすぐ後ろにいた五条がぽんと叩いた。
「さ、」
「大丈夫。僕に任せな」
 穏やかな声と共に青年は悠仁の前へ。
 大きな背に庇われて悠仁の肩から自然と力が抜ける。まだ得体の知れない物はすぐそこにいるにもかかわらず、恐怖から凍り付くようだった指先にはすでに体温が戻り始め、絶対的な安心感が悠仁を包んでいた。
 一方、悠仁から五条へと意識を向けた化け物はそれまで一心に悠仁へと向かっていた歩を止め、それどころか「う、あ、あ」と何かを恐れるように後ろへ下がり始める。
「まったく……」
 呆れたような、声。
 六月としては有り得ないほど涼やかで水の気配がする風が吹き、藍色の羽織がひらひらとはためいた。
「この子が美味しそうに見えるのは仕方が無いことかもしれないけど」
 声は呆れつつも笑っているように聞こえる。しかし一歩また一歩と化け物の方へ近寄っていく五条が決して笑っているわけではないことを悠仁は感じ取っていた。
 ざわざわと空気が揺れ、木々が騒ぐ。明らかに五条は怒っていた。それも酷く。
 そうして彼は化け物と悠仁のちょうど中間で足を止め、

「僕の気配が染みついた僕の可愛い可愛い愛し子に手を出そうなんて烏滸がましいんだよ、呪い風情が」

 断末魔さえ上げる暇は与えられなかった。
 悠仁からは五条が何をしたのかさえ分からない。ただ瞬き一つの間に化け物は塵となって消え失せ、こちらに振り返った五条が「びっくりしたよね」と優しく笑いかけてきた。
「今のは……」
「呪い、だよ」
「のろい?」
「そう」
 五条は頷き、見上げる悠仁の背にそっと両腕を回す。
「あれは人間の負の感情が集まって生まれる呪い、呪霊。普通の人間には見えないんだけど、特殊な状況下だったり、ある種の才能を持ってる者なら姿を見たり声を聞いたり触れたりすることができる。人に害をなすものも多いから呪霊を祓って生計を立ててる奴もいるんだよ」
 五条のような人ならざるものがいるのだから、この世界には化け物――呪霊と言うらしい――も存在しているのだろう。初めて目撃し、説明された世界に戸惑いながらも、悠仁は納得の意思を見せる。頷いた悠仁に「それでね」と五条が続けた。
「悠仁は元々見えない側の人間だったんだけど、僕とこういう関係になった所為で後天的に見える側になっちゃったみたい」
「悟くんとは十年も前に出逢ってたのに、これまで一度も見たことなかったんだけど……。もしかして急になるもんなの?」
「今日いきなり見えるようになったわけじゃないさ。何せ悠仁が住んでるのは僕が守護する地域だからね。元々呪霊は少ないし、その少ない奴らも僕を恐れて普段は姿を見せない。だから悠仁はこれまで呪いに遭遇するどころか遠目に見かけることさえ無かったんだ。でも……」
 大きな手が悠仁の頭を撫で、耳朶をくすぐり、頬へ添えられた。白皙の美貌が申し訳なさそうに眉尻を下げる。
「ここは町の外れで僕の社から遠い。だから悠仁の家の近くより呪霊の動きが活発だったみたいだ。それに呪霊は人の負の感情から生まれるから、学校や病院、こういう人の死に関する場所なんかで発生しやすかったり集まりやすくなってたりするんだよ」
 それ故に君に怖い思いをさせてしまったと五条は己の至らなさを謝罪した。
「あと悠仁は呪霊からかなり美味しそうに見えてると思う。呪霊って目が合うと襲ってくるタイプが多いんだけど、悠仁はさらに特別ね。僕の力がそこそこ染みついちゃってるからアイツらにとって悠仁はパワーアップアイテムに見えてるんだ」
「えっ」
「ホントごめんねぇ。こんなことなら事前に大掃除でもしておけば良かった〜」
 力が染みつく――というのがどういう意味なのか悠仁にはいまいち理解できないし実感が湧かないのだが――くらいに関係を持ったことに関しては一切悪びれず、ただただ己の不手際のみを詫びる五条。悠仁とて五条との関係を悪く言われようものならそれが五条本人であったとしても抗議するところだが、こうもあっけらかんとされるのもイマイチ釈然としなかった。
「ま、今後は気をつけるから安心して! 呪いごとき、悠仁には指一本触れさせないから」
 そんな子供の心境を知ってか知らずか、五条はぎゅうぎゅうと悠仁を抱き締める。力強い抱擁は彼の愛情と自信の両方の大きさを窺わせ、悠仁は小さく溜息を吐いたのち青年を同じくらい強く抱き締め返した。何はともあれ自分はこの青年がいれば大概のことは満たされるのだろう、と思いながら。
「……ちょっと時間取っちゃったね。ほら、爺さんを迎えに行ってあげな」
 抱擁を解き、五条に背中を押される。悠仁は「うん」と頷き、小走りで今度こそ建物内へと向かった。




◆08

 激しくはないものの傘無しでは歩けない程度の雨が今日は朝からずっと降り続いている。制服のズボンの裾はすでにぐっしょりと濡れそぼって、洗わなきゃなー面倒臭いなーってか梅雨で乾かないんだよなーと、一人暮らしになったばかりの悠仁の気分を憂鬱とさせた。
 他人よりも随分と優れた身体能力を持つ悠仁は高校への登下校も徒歩で済ませている。五十メートルを三秒で走る脚力は伊達ではない。しかし雨の中、傘を差したまま走って帰る気にもなれず、こうしててくてくと田舎道を歩いているのだった。
 人通りの少ない道路。家の近くまで来ると商店どころか民家さえもまばらとなり、晴れの日であってもすれ違う車は家と田畑を行き来する軽トラックが主となる。あとはこの地域を巡回しているバスくらいか。ちょうど自分の横をバスが通っていったのを目で追いつつ、悠仁は胸中で付け足した。下手をすると一時間以上バス停で待ちぼうけを食らうこともあるので、時刻表の確認は必須だ。
 そのバスの停留所まで辿り着いた時、悠仁はバス待ちの客のための小さな屋根の下で「くそっ」と毒づいている少年を見かけた。
 ツンツンとはねた黒髪に黒い制服。学ランよりも動きやすそうな服装だが、色合いや襟と胸元にある校章と思しきボタンからそれが制服なのだろうと悠仁は判断する。年の頃も自分と同じくらい。顔立ちは整っているが、空を睨む目がやけに鋭かった。
「もしかして傘持ってなくて困ってんの?」
 話しかけたのは相手がこの天気の中、傘さえ持たない軽装で、かつ悠仁が物怖じしない性格だったからに他ならない。話しかけられた方は目を見開いて驚きを露わにし、明るい髪色と学ランの中にパーカーを着るという服装を順に眺めて「えっと……」と戸惑っていた。
「ああ、ごめん。アンタさっき通り過ぎてったバスでここまで来たんだよな? あと二個くらい先の停留所ならコンビニとか、傘も売ってる店の近くなんだけど……」ちらり、と悠仁は時刻表を確認する。「やっぱり。次のバスは三十分後だ。一時間後じゃ無いだけマシなんだけど、待つにしても長いよな」
「そうか……。出てくる時は小雨だったし行けると思ったんだが」
 気安い悠仁の態度に少し感化されたのか、黒髪の少年がぼそりとそう答える。「目的地はここで合ってんの?」と訊ねれば「ああ」と短い返答。「『五条様の杜』って呼ばれてる鎮守の森へ行くつもりだったんだ」
「へぇ」
 観光か何かだろうが。学生のようなので自由研究や社会科見学の一環かもしれない。
「でもそれならやっぱりもうちょい先で降りた方が良かったかもな。鎮守の森には近いけどこっちは裏側みたいなもんだし。参道を通って表から入った方が良いんじゃねーの?」
「いや、気になるのは社よりも――……スマン、何でもない」
「?」
 雰囲気どおりペラペラと何でも話すタイプではないらしく、黒髪の少年は口を噤んだ。社ではなく森の植生の方を調査しに来たのだろうか。だったらこの辺で下車するのも分かる気がする。
 ともあれ彼が困っていることに変わりはなく、悠仁は「じゃあさ」と男子二人が入るには少し小さい傘を掲げて提案した。
「この先に俺んちがあるんだけど、良かったら寄ってく? 傘くらい貸すし、なんなら少し休憩してってもいーよ」


「初めて会った人間を自分一人しかいない家に招くなんて不用心が過ぎるぞ」
「えー。でも俺、喧嘩とかで負けたことねーし」
 結局、傘一つではどちらも濡れてしまって、悠仁は虎杖家へ招待した少年と交代で風呂を使った。身体はそれほど冷えていなかったが、服が濡れたのでいずれにせよ着替える必要があったのだ。
 シャワーを済ませた悠仁がタオルで髪を拭きながら居間に戻ると、先に風呂を使わせた黒髪の少年――禪院恵と名乗った東京在住の同い年の男が、畳の上にあぐらを掻いたまま悠仁を見上げる。
 身長は然程変わらないおかげで渡した服は問題なく着られているようだ。「何か飲む?」「ああ」「麦茶でいい?」「頼む」と短い言葉を交わし、悠仁はタオルを首に掛けて冷蔵庫の扉を開けた。
「でもそれなら禪院だって不用心でしょーが。初めて会った人間の家にほいほい入っちまうとか」
「俺は良いんだよ。何かあっても対処できるくらいの力はある」
「もしかして喧嘩強い?」
「……………………弱くはない」
 禪院の返答にはたっぷり間があり、また色々と含みがあるようにも感じられた。悠仁ほどではないにしろしっかりした身体をしているので、体格が良いこと以外に武術か何かを修めているのかもしれない。
 冷蔵庫から麦茶のペットボトルを取り出した悠仁はそれを持って流し台へ行き、グラスを二つ並べて中身を注ぐ。カチャカチャと物音を立てていた所為で禪院の「術は一般人に使うモンじゃねぇんだけど」という呟きを聞き取ることはできなかった。
「ほい、麦茶」
「サンキュ」
 居間に戻ってグラスを禪院に手渡す。麦茶を一口飲んで禪院は「ともかく」と同い年のくせに親のような目をして言った。
「知らない人間を容易く家に上げるな。男でも、喧嘩が強くても、ヤバい時はヤバいんだからな」
「はいはい。じゃあ禪院だって他人にホイホイついて行ったらダメだかんな」
「分かってるよ」
「本当に分かってる? 俺んちまでついて来ちゃったのに」
「オマエは大丈夫そうだったしな」
「えーどの辺が」
「全体的に」黒髪の下で青緑色の双眸が悠仁を見つめていた。「バス停で傘持ってなくて困ってた男にあんな顔して話しかけてきた時点でイイヤツ確定だろ」
「あんな顔ってどんな顔……。まぁ善意がきちんと汲み取ってもらえて良かったデス」
 今考えるとバス停でのあの誘い文句は変な意味に取られてしまう可能性もあった。こちらの意思を正確に読み取ってもらえたのは僥倖だったのだろう。
「善意ついでの提案だけど、禪院ってホテルとか取ってる? もしまだならウチに泊まってもいいよ。濡れた制服は……一晩中扇風機の風当てとけば何とか乾くはず」
「それは流石に迷惑だろ。家の人も帰ってくるだろうし」
「あ、言ってなかったっけ」
「?」
 麦茶のグラスを持ったまま禪院が首を傾げた。
 同い年なのに大人びていて、けれども話してみると言葉数は多くないが気安くて、悠仁の周囲にはいなかったタイプの人間である禪院恵。そんな彼の首を傾げる姿はどことなく子供っぽく、悠仁は自然と笑みを零す。友達は多くなさそうだが、その数少ない仲間を殊更大切にしそうだな、と思った。
「虎杖?」
「実はさ、俺、両親いないんだよね。オマケに親代わりで一緒に住んでた爺ちゃんはこの前死んじまった。だから今はこの家で一人暮らしなの」
「っ!」
 分かりやすく禪院が息を呑む。「すまん」と何故か謝る彼に悠仁は「なんでオマエが謝ってんだよー」と苦笑した。
「ま! ともかくそういうわけで、オマエが良けりゃ泊まってってよ。友達の家に泊まるみたいで楽しいかもしんねーし」
「だから初対面の相手を……いや」禪院は途中で言葉を止め、かぶりを振る。「そうだな。じゃあお言葉に甘えさせてもらう」
「おう!」
 これまでこの家に誰かが泊まったことはなく、悠仁は初めての体験に少々浮かれながら大きく頷いた。

     ◇

「僕の大事な悠仁から他の男の気配がします」
「雨降って困ってた同い年の奴を家に泊めただけなんだけど」
 禪院恵と出会った翌日、一夜を虎杖家で過ごした彼は礼を告げて朝早くに出て行った。まだ雨が降っていたので使わなくなった傘を譲れば「後で返す」と言われ、悠仁は「もらってくれたらいーよ」と返答しておいた。その返答に禪院は逡巡し、「分かった」と一言。何とか乾いた黒い制服をまとって虎杖家を後にしたのだった。
 平日であった悠仁はそのあと学校へ行く準備をし、日中はいつもどおりに授業を受け、放課後に森へ入って五条の屋敷へ向かった。そして現在、屋敷よりも手前にある石灯籠の辺りで悠仁の姿を見るや否や上機嫌で抱きついてきた五条は一瞬で不機嫌そうに口をへの字にし、冒頭のやり取りと相成ったのである。
「つか気配って何? 神様ってそんなんも分かんの?」
「正確に言えば呪力ってやつね。残穢とか。ちなみに僕が悠仁にこれでもかと擦り込んでいるのは神力。でもまぁ人間の呪術師からすれば呪力も神力も然程違いはないんだろうけど」
「? さとるせんせー、言ってる意味がよくわかりませーん!」
「僕の可愛い生徒な悠仁君〜! 安心して。必要になったら改めて教えてあげるよ」
「はーい」
 ふざけた言葉の応酬で五条の機嫌は一旦元に戻ったらしい。先生呼びが気に入ったのだろうか。そもそも不機嫌そうな顔はただのフリだった可能性もある。
 五条は抱きついたまま悠仁の頭に顎をぐりぐりと押しつけて「匂い消し匂い消し……」と呪文のように呟いた。
「悟くんはその呪力? とやらが分かるらしいけど、じゃあ悟くんが俺につけてる神力? 呪力? は他の人にも分かったりすんの?」
 ちなみに先日の化け物――呪霊は分かるらしいが。人間の中にも呪いや呪霊の関係者がいるような口ぶりだったので悠仁がそう訊ねると、五条は「まぁね〜」と、のんびり返した。
「察知能力の高い奴は分かる。でもこの前の件で学習した僕はきちんと悠仁に宿っちゃった力を隠しているので大抵の人間や呪いは気づけません」
 だから安心してね、前みたいに襲われやすくなったりしてないからね、と耳元で囁かれ、悠仁はこくりと頷いた。「手間をかけさせているな」と申し訳なく思う代わりに「大切にされているな」と感じて嬉しくなってしまう。
「まぁ契っちゃったら悠仁も半分神様みたいになって隠しきれなくなるんだけど」
「それって大丈夫なん?」
「大丈夫大丈夫」
 ぎゅう、と強く抱き締めた後、五条が青い双眸で悠仁を見つめた。
「悠仁は僕が守るから」
「俺も男だし、守られてばっかってのもなぁ」
「仕方ないさ。いわゆる専門分野ってやつ。こっち関連は僕に任せなさい」
「じゃあ他に何か困ったことがあったらちゃんと俺を頼ってくれる?」
「勿論! はぁ〜悠仁は今も昔も可愛いけど、最近は格好良くもなってきてるから僕ずっとドキドキしちゃう」
「え、ほんと!?」
「ほんとほんと! まぁそうやって喜んでる悠仁は最高に可愛いんだけどね!」
 そう言って頬に吸い付いてくる青年に悠仁はくすぐったいと声を上げて笑う。ただし頬に何度も吸い付いていた唇がやがて首筋へと下り始めると、「流石に外ではちょっと」と言って五条を制止した。
「この先は悟くんのとこに行ってから、で……おなしゃす」
「ん。そうだね」
 朗らかなじゃれ合いからかすかに淫靡な気配が顔を出し、五条の瑠璃色の双眸がすっと細くなる。ひんやりした大きな手が悠仁の手を取り、屋敷の方へと導いた。その動きに逆らわず悠仁は止まっていた足を動かす。
 虎杖悠仁が成長期を終えるまで二人は本当の意味では契らない。そのことを充分理解しているものの、五条悟という存在をすっかり擦り込まれた身体はいずれ来るその時を今か今かと心待ちにしていた。




◆09

 学校の帰りに友人に誘われ寄り道していると、曇天の下で禪院恵を見かけた。一昨日出会った時は『五条様の杜』に用があると言っていたので植生でも調べているのかと思ったのだが、本日彼がいたのは生前祖父が世話になっていた病院の近く。悠仁は首を傾げつつも目が合った禪院に軽く手を振り、どうしたのかと訊ねる友人達に何でもないと答えてそのままゲームセンターへ足を向ける。禪院の方もこちらが友人達といることに気を遣ってか、軽く手を上げて応えただけで、わざわざ近寄ってくることはなかった。
 そのまま一時間程度ゲームに興じたところで仲間の一人に連絡が入り、急に抜けることとなった。残りのメンバーで遊んでも良かったのだが何となくそういう雰囲気にならず、悠仁を含めた全員がその場で解散。予定外の暇ができてしまった悠仁はそのまま誰もいない家に帰宅する気も起こらず、足が自然と鎮守の森へ向かう。
 祖父が亡くなって以降、悠仁が『五条様の杜』を訪ねる頻度は――毎日のように出掛けていた幼少期ほどではないが――増している。やはり一人はさびしいのだ。触れ合った時の肌のぬくもりは当然のように悠仁のさびしさを埋めてくれるし、ただ五条の顔を見て話すだけでも胸の奥が温かくなって足りないものが満たされる気がした。
「悟くん、いるー?」
「ようこそ悠仁! 会いたかったよ〜!」
 沓脱ぎ石に片足をかけて屋敷の中に声をかけると、返答は中からではなく外から聞こえた。振り向いた悠仁の視界いっぱいに白い着物が映り込み、そのまま五条の抱擁を受ける。
「もしかして出掛けてた?」
「ちょっと見回りをね。この間から別の地域の呪霊がこっちに入り込んでてさ」
「え、大丈夫なの?」
 青年の腕の中から瑠璃色の双眸を見上げて問えば、パチリとウインクつきで「当ったり前じゃ〜ん!」と返される。
「他所の呪霊だしそれを追いかけてる人間もいるみたいだからなるべく僕の方から手出しするつもりはないけどね。僕が守護する地域で何かやらかそうものなら容赦はしないよ」
 五条がそう言うのなら問題無いのだろう。悠仁は「そっか」と安堵する。会話が一段落するのに合わせ後頭部に手を添えられれば、その動きに逆らうことなく目を閉じ、降ってくる口づけを薄く唇を開いて迎え入れた。


「っは、あ……、あ、っ、ぅ、あ、ぁ……」
 膝に乗せられ向かい合わせで抱き締められたまま後孔を弄られる。花の香りがする黄金色の蜜をたっぷりとまとわせた長い指が悠仁の中をぐちゅぐちゅといやらしくかき混ぜていた。
 青年の肩に額を押しつけるようにして強い快楽の波に耐えるが、触ってもいない陰茎はすでにしっかりと勃ち上がり、とろとろと先走りを零し始めている。
 全裸の悠仁とは対照的に五条は白い着物どころか藍色の羽織すら脱いでいない。けれどもその着物には悠仁から溢れた先走りや後孔からしたたる蜜が付着し、また喘ぐ悠仁が噛んだり掴んだりした所為で盛大に皺が寄ってしまっていた。五条本人はそれらを気にすることなく、むしろ楽しげに悠仁へ快感を与え続ける。
「ほぅら悠仁、気持ち良いねぇ」
「ゃん、あっあっ、きもち、い……あっ」
 前立腺を擦られて両足が跳ね、踵で畳を蹴りつけた。気持ち良さで腰から下がどろどろに溶けてしまいそうだ。
 中に入っている指は三本。縁を広げながら比較的浅いところを出入りしている。うち二本の指で前立腺を挟むように捏ねられると「ぃ、ひあ……っ」と悲鳴のような声が出た。
「まっ、あ、つよ……そこ、は、もっと、やさし、あっ、ひ、ぁ、……あ、あっ」
 背中を支えるもう一方の手は優しいのに、中を弄る指には一切の容赦が無い。過ぎた快楽に目の前がチカチカと明滅し、悠仁は全身を上気させて逃れるように胸を反らした。
「さとる、く、も、だめ、ぁ……あ、くるっ、なんか、きちゃ……あ」
「うん、イって」
「ひ、ぃ――ッ!」
 ぐに、と前立腺を強く押し込まれて下腹部が引き攣った。
 一瞬の空白。その後に悠仁は精を吐き出す。直接触れられることなく達した性器はとろとろと出し切れなかった白濁を零し、それが幹を伝い落ちて陰毛を濡らした。髪よりも少し濃い色をした茂みへ白い粘液が落ちる感触にヒクリと腹を痙攣させて悠仁は五条にもたれかかる。
「ふふ、後ろだけでイっちゃったね」
「っ、はあ……あ、なんか、へんな感じ、する」
 射精したのに緩やかな気持ち良さが終わらない。熱は冷める気配が無く、じんわりと頭の芯から侵してくる。後孔が咥え込んだままの指を食み、その刺激で悠仁は「……っ、ぅ」と小さく呻いた。
「前を触らずにイちゃったからかな? 悠仁ってばとろっとろじゃん」
「ん、ぅ……」
 かわいい、と口を吸われ、悠仁は熱に浮かされた頭のまま舌を絡めてそれに応える。
「ぁむ……んん、ぅ、……ぅ、ん」
「はっ、あ、ゆーじかわいい……ね、もう一回イってみせて?」
「う……? あ、やっ、あ、また……!」
 五条が再び悠仁の中をかき混ぜ始めた。ぐちぐちと卑猥な水音が奏でられ、悠仁は目の前の着物にしがみつく。
「ああっ、あ、あ、さとる、く……っ、あ」
「嗚呼……悠仁ってば本当に可愛い……」
 熱の籠もった瑠璃色が悠仁を一心に見つめていた。その双眸を見つめ返すだけで自分の身体にもっと熱が籠もりそうな気分になる。
 これはあと一回程度じゃ終わってもらえないかもしれない。
 恐れではなく期待に震える身体で悠仁は五条の項に腕を回し、しっかりと大きな身体に抱きついて甘い悲鳴を上げた。

     ◇

 中だけの刺激で何度も達してしまった身体は五条の屋敷で身を清め制服を着直した後もどこか熱っぽく、五条には「送ってく? いやいっそ泊まって……あ、それは流石に僕が厳しいな。我慢できない。うん」と言われる始末だった。悠仁は「外の空気吸って歩いてるうちに治るから」と苦笑して五条の申し出を断り、こうして帰路についている。
 一年で最も日が長いこの時期は未だ空に明るさが残っていた。数時間前までは梅雨らしい曇り空だったのだが、悠仁が森の中にいる間に雲が切れたらしい。東の方は紺色に染まりつつある一方、西の空には少し赤みを帯びた金色が広がり、ぽつりぽつりと点在する街灯がようやく光を灯し始めている。
 誰ともすれ違うこと無く家の前まで辿り着いた時、悠仁は黄昏の中の暗い我が家の前に人影を見つけて「ん?」と眉根を寄せた。
「こんな時間に一体誰が……って、禪院?」
「おう」
 家の前に佇んでいたのは数時間前に見かけた禪院恵だった。
 一体いつから悠仁の帰宅を待っていたのか。「ごめん、まさか禪院が来てるとは思わなくて」と謝罪しながら悠仁は彼の元へ駆け寄る。
「こっちが勝手に押しかけたんだ。気にするな」
「そう言ってくれるとありがたいわー。で、どうしたん? 忘れ物でもした?」
 取ってこようか? あ、中に入る? と続ける悠仁に禪院はかぶりを振って右手に持っていた物を差し出した。
「これ、返そうかと思って」
「傘……それ禪院にやるって言ったじゃん」
「でもオマエんちのもんだろ」
 禪院が返しに来たと言うのは悠仁が与えたもう使わない傘だった。祖父が使っていた物で、あまり美しい状態でもない。東京へ帰る時に邪魔になれば捨ててくれても構わないと思っていたくらいだ。
「禪院って律儀だよな」
「最初は返さなくて良いって言われてんだからそのまま持って帰るつもりだったけどな。今日オマエを見かけたら会いに……いや、その、返しに、行こうと思うようになって」
「? そっか。それで来てくれたんだ」
「悪い。迷惑だったか?」
「全然!」
 気まずそうな顔が悠仁のその返答でほっと力を抜き、緩んだ。「とりあえず中に入って茶でも飲んでけよ。麦茶だけど」「いいのか?」「遠慮すんなって」傘を受け取りながらそうやり取りを交わし、悠仁は禪院の前を通って家に入ろうとする、が――。
「……禪院?」
「これは……残穢か?」
「え?」
 家の扉に手をかけるより早く、その手を禪院に掴まれる。悠仁を引き留めた彼は青緑色の瞳で睨み付けるように悠仁を見、戸惑いと警戒の滲んだ声で「おい、虎杖」と名を呼んだ。
「オマエ学校から帰ってくるまでにどこ行ってた。なんか変な目に遭わなかったか?」
「は? いや、オマエいきなり何を言って……。てか今『ざんえ』って」
 どうして禪院恵が五条の言っていた呪いに関する言葉を呟いたのか。相手の突然の奇行に目を白黒させながら悠仁は頭に疑問符を浮かべた。だがその反応の方が禪院には予想外だったらしい。「オマエ、まさか」と青緑色を見開く。
「こっち側≠ネのか?」
「こっちってどっちだよ」
「だから、見える方なのかって!」
「見え……え、おま、まさか」
 掴まれた手はそのままに、悠仁は禪院を見つめ返して自由な方の手で目の前の相手を指差した。
「禪院も呪いが見えてんの?」
「っ!」
 息を呑む禪院。どうやら彼もまた呪いや呪霊と呼ばれるものを見ることができる人間であったらしい。おまけに――
「ああ。見えるし、呪いを祓う立場の人間だ」
「……そういう人がいるって聞いたことは、ある」
 まさかのまさか、だ。
 禪院恵は悠仁と同い年。大人びている理由はそういう立場の人間だったからなのかと納得しつつも、この年で呪いから人を助ける仕事についている彼が何だか凄いもののように思えた。
「まぁ俺は見えるだけで、祓うとかそういうのは分かんねぇけどさ。禪院はスゲェんだな」
「いや、俺は学生だし……まだまだ強くなんなきゃいけねぇ」
「向上心まであるとか」
「今の自分の力量に充分な自信が持てないだけだ」
 それに、と禪院は続けた。
「呪術師……ああ、俺みたいな呪いを祓う人間のことな……は、才能も必要だが努力だって必要だ。だから見える側のオマエももしかしたら見るだけじゃなくて祓う方の人間になれるかも。つーか、残穢だよ。その残穢。一体どこでどんな奴につけられた? 気配は薄いが……これは人間のものじゃねぇ」
 手首を解放されたと思ったら両肩をガシリと掴まれて、悠仁は「うおっ」と声を上げた。「見えてるんなら相手がどんな姿でどこにいたかも分かってるんじゃないか」と詰め寄られる。
「おっ、おい、禪院! 落ち着けって!」
「っ、わり……」
 近づき過ぎていた顔を離し、禪院は視線を下げて謝罪した。だが黒髪の奥にある青緑色の双眸は悠仁からの答えを待っている。
「何か必死だな……?」
「俺が追ってる奴かもしれねぇんだ」
「へ?」
 ぱちり、と両目を瞬かせる悠仁。どういうことだと視線で訊ねれば、禪院は同じ見える側の者としての親近感からか、躊躇うことなく口を開いた。
「東京から来たってのは言っただろ。俺は任務の途中で取り逃した呪霊を追ってここに来た」
「もしかして初日に『五条様の杜』へ行くって言ってたのは……」
「ああ、あそこがこの地域で一番強い力の気配がしていたから確認しておこうと思って」
「でも違った?」
「……」
 無言で禪院は頷く。
 それはそうだろう。鎮守の森にいるのは人に仇なす呪いではない。その呪いからこの地域の人間を守っている土地神――五条様なのだから。
「禪院が探してる呪霊、だっけ? そいつ多分、森の近くには出ねぇよ」
「なんでそう言い切れる」
「あの森の主……五条様がこの辺を守ってくれてるから。俺が前に呪霊を見たのもここからずっと離れた町の端にある火葬場だったし」
「五条様って、ここに祀られてる蛇神の?」
「そ。龍とか蛇とか言われててどっちなのかは知らんけど」
 もしかしたらどっちでもあるのかもしれない。ともあれ、強い神であることは間違いないのだろう。前に呪霊を何の動作もなく一瞬で消滅させた情景が脳裏によみがえる。呪いのことはよく分からないが、あれは強者の振る舞いだった。
「そうか。……ん? じゃあオマエにまとわりついてるその気配は」
「え! あっ、ああ! これは気にしなくて良いから! つかお願い気にしないで!?」
「はあ?」
 今の悠仁についている気配と言ったらそれは五条のものでしかない。五条は悠仁が呪いに襲われないよう対策を取っているようだが、それでも触れ合ったのはつい先程。そして禪院はおそらく気配を察知する能力が優れているのだろう。
 しかしどんなに凄い相手とは言え、禪院は同い年の男で、たぶんきっとおそらく悠仁にとって友達と呼んでも良い存在だ。そんな相手に同性と色事に耽っていたとはとてもじゃないが言えない。五条との約束があろうとなかろうと絶対に口にできない案件だった。
 怪訝そうな禪院の意識を逸らしたくて悠仁は「あ、そうそう!」と声を大にする。
「さっき学生とは言ってたけど、もしかして東京には呪術師になるための学校があんの?」
「あ? ああ、東京と京都に一つずつ……」
「へ、へぇ! 俺もそこで勉強したら禪院みたいな呪術師になれんのかな」
「さっきも言ったとおり才能と努力次第、とは思うが」
 突然呪術師への興味を示した悠仁に禪院は思い切り戸惑っているようだった。悠仁自身も何を言っているのかちょっと分からない。が、何も口からデマカセを言っているわけではなかった。
 五条の影響で後天的に呪いが見えるようになった悠仁。その呪いを今の悠仁はどうすることもできない。五条に守られ、その腕の中で大人しくしていることしか。五条はそれで良いと言ってくれたが、やはり自分にできることはないかと探してしまう。
 何より悠仁は幼少期から身体能力が高く、どちらかと言えば常に『守る側』『助ける側』の人間だった。もし呪いに関しても自分が誰かの、何かの、五条悟の、役に立てるなら――。禪院の登場で見えた希望に悠仁は思わず手を伸ばす。
「才能の有無は知らねぇけど、努力なら俺だっていくらでも……」
「虎杖……オマエ呪術師になりたいのか? 呪術師やってる俺が言うのもなんだが、決して良い仕事じゃない。むしろ醜くて、辛くて、えげつないことばっかりだ。それでも?」
「やりたい。俺にできることがあるなら、俺は全力を尽くしたい」
 生き様で後悔しない、そして五条の隣に立っても決して恥じない自分であるために。
 その決意を汲み取ったのか禪院は一つ溜息を吐いて小さく「オマエほんとそういうとこ……」と呟いた。
「禪院?」
「いや、気にするな。……そうだな、だったら俺の任務が片付いたら一緒に東京に――」

「だめだよ」

 第三者の、声。
 その声の主は悠仁の背後から両腕を伸ばすとぎゅっと抱き締め、禪院の手から己の愛し子の身体を取り返した。
 慣れた気配に感触、そして耳に心地良い声を聞いて、悠仁は背後から自分を抱き締める青年に驚きと歓喜を向けた。
「さと……むぐっ!?」
「ゆーじ、他の人間がいる場所でその名を口にするのは控えようね」
「むぐむぐ」
 口を手で覆われた悠仁は素直に頷く。そうして口元が解放され視線を前に戻すと、驚いて固まっている禪院の姿が目に入った。
「あ、えっと、急に現れて驚いたよな? 実はこの人が……ああ、だから待って待って! なんか良く分かんねーけどそのポーズは攻撃態勢ってやつだろ!? な!? お願いストップ!」
 悠仁に話しかけられてすぐ影絵を作るように両手を組み合わせた禪院へ悠仁は慌てて弁明と懇願をする。
 青緑色の鋭い視線は悠仁を通り越して背後の五条へと向かっていた。近づく気配もしなかったのに急に現れたのだから、驚き、警戒するのも無理はない。しかも禪院は呪霊を祓う仕事をしていると言っていた。戦闘という日常から離れた行為にさえ瞬時に対応できるのかもしれない。
「虎杖、ソイツは一体誰だ。いや、何≠セ」
「えっとだからこの人がさっき言った『五条様の杜』の――」
「土地神。これでも神の名を冠する者だ、一介の術師如きがまともに戦り合えるとは思わないでくれるよね?」
 虎杖の台詞を途中で奪ったのは五条本人だった。しかし敵意とまではいかないにしろ刺々しい物言いに悠仁は思わず眉を顰める。背後を振り仰いで「ちょっと」と注意を促すが、
「ねぇ悠仁」
「――っ」
 青く冷たい目が悠仁を見ていた。
 五条のこんな目を悠仁は知らない。今まで一度もこんな目を向けられたことは無かった。息が詰まり、心臓が早鐘を打つ。蛇に睨まれた蛙のように悠仁は浅い呼吸を繰り返した。
 美しい顔が悠仁に迫り、至近距離で口元だけが笑みを浮かべる。
「東京へ行きたいの? ここを離れて? 僕の元を離れて?」
 見開かれた瑠璃色。その瞳孔が縦に伸び、同時に悠仁の身体に回された腕がその身をきつく締め上げる。

「許さない」

 きみは、ぼくの、ものだ。
 五条がそう告げると共に悠仁の身体は浮遊感に包まれ、一瞬ののち、その身体は自宅前ではなく五条の屋敷に戻されていた。




◆10

「ヒッ……悟く、やめっ! お願い待って!」
「やめない。許さないって言っただろ」
「いたっ」
 褥の上に仰向けで押し倒され服を剥かれる。学ランのボタンが弾け飛び、抵抗する腕は大きな手一つでまとめて拘束された。足の間に入り込まれているので無体を強いる相手を蹴り飛ばすこともできず、悠仁は顔を青ざめさせる。
「待って、待ってってば悟くん! なんでこんなことすんだよ! 俺何か悪いことした!?」
「はあ?」
 パーカーの裾をめくって胸に噛み付こうとしていた五条が薄い唇を歪ませて悠仁を見た。瞳孔を縦に細長くしたままの双眸は氷のように冷たく、美しいのに恐ろしい。
「悪いことって……自覚無いの? 僕を置いて遠くへ行こうとしたじゃない」
 爪の先まで整った大人の男の手が悠仁の顎をぐいと掴む。
「一緒にいるって約束したよね? 永遠を誓ったよね? 君は僕のものだし僕は君のものになるそのはずでしょ? なのに君は僕から離れるの? 遠くへ行くの? 駄目だよ絶対許さない。僕から離れるなんてどんな理由があろうとも許さない。そうだよ離すもんか絶対離してやるもんか僕らはもう縛りを結んでるんだから永遠に一緒にいるんだよ一緒にいなきゃいけないんだよなぁオイ分かってんのねぇ悠仁、ねぇ!」
「う、ぐっ」
 指の力だけで顎の骨を砕きかねないほど強く掴まれ、視線さえ五条悟から逃げることは許されない。痛みと呼吸のし辛さに悠仁は呻き、目尻には涙が浮かんだ。
 屋敷の中に明かりは灯っていない。開け放たれた障子から入る光量は少なく、薄暗い部屋で髪も肌も着物も白い青年の姿がぼうと浮かび上がっていた。その中で瑠璃の双眸が炯々たる光を放って悠仁を射る。
「誓え。今ここで改めて誓え」
 完全なる無表情で『神』が告げた。
「オマエは僕のものだ。離れること能わず、永久(とわ)に僕の隣に在れ。……さもなくば、罰を下す」
「……さとる、くん」
 見下ろす瞳は冷たく、誓えと告げる声からは怒り以外の感情を感じられない。身体どころか魂さえ床に縫い止められているような、逃げ場のない圧倒的な畏怖が悠仁を襲う。彼は人ではなく神なのだと、決して逆らってはいけない、怒らせてはいけない存在なのだと、生き物の本能に刻み込むかのようだった。
 それでも、悠仁は――。

「なんで、笑うんだよ……ねぇ、悠仁」

 眉根を寄せ、苦しげに呟いた青年に悠仁は「だって」と告げた。
「たとえ俺がこの場で誓わなくたって悟くんは俺を好きにできるはずだろ。このまま契って、俺を人間じゃなくして、悟くんの隣に縛り付ければ良い。なのにそれをしないで『改めて誓え』なんて、さ」
 何年一緒にいたと思っている。何年慈しまれてきたと思っている。悠仁はずっと青年を見てきたのだ。大切にされてきたのだ。たとえ初めて彼の怒りを向けられたとしても、この身に受けた愛情が一時の畏怖に凌駕されるなど有り得ない。彼の真意を察すれば、なおのこと。
「悟くんは優しいよなぁ。俺のこと本当に大好きなんだね」
 きっと五条は悠仁の『言葉』が欲しかったのだろう。
 彼が言った『縛り』がどういうものなのか、どれほどの強制力を持っているのか、悠仁には分からない。しかしおそらく破ることは容易くないはずだ。その上であえて五条は言ったのだ。改めて誓え、と。言葉にしろ、と。それは約束を守らせたいからではなく、約束が守られるという確証を得たいという叫びだった。
「悟くん、手ぇほどいて。ちょっと痛ぇし、これじゃあ悟くんを抱き締めらんない」
「っ! ゆ、じ……」
 まるで自分の手に激痛が走ったかのように五条が悠仁の両腕を解放する。顎を掴んでいた手すら離して身を起こそうとした彼を、悠仁はそのまま腕を伸ばして引き留めるように抱き締めた。
「――っ、ゆ」

「俺も好きだよ。大好き。悟くんが大好きだ」

 五条の頭を己の胸に引き寄せて、赤子を慈しむように抱擁する。
「心配させてごめん。勘違いさせてごめん。俺が悟くんから離れるわけないじゃん。誓うも何も、こんなに好きなのに悟くんと離れたいなんて思うわけないだろ」
「……でもあの子供に東京行って呪術師になりたいって言ったよね」
 悠仁の胸に頭を押しつけたまま五条が呻くように告げる。彼がどの時点からどうやって盗み聞きをしていたのかなんて、その存在を思えば問う必要も無い。きっと心配してこちらを探ってくれていたのだろうと好意的に捉えながら、悠仁は「ああ、それは」と腕の中の白い髪を優しく梳いた。
「ただ呪いを見ているだけじゃなくてさ、俺が呪いから誰かを助けられるなら、助けたいって思ったんだ。役に立ちたいって思ったんだ」
「そんなの僕が悠仁の分も祓って――」
「だからだよ。そう言ってくれる悟くんの隣に立つために俺だって祓えるようになりたい。守られてばかりじゃなくて、悟くんの隣に立っても恥じない自分でありたいんだ。俺にそれができるなら、全力で」
「ゆうじ……」
 五条が顔を上げる。瑠璃色の双眸は丸い瞳孔に戻ってほんの少し潤んでいるように見えた。
「それにさ、俺はもう自分が呪術師になれる可能性を知っちまった。自分にできることがあるのに、悟くんの言うとおり何もやらずにいて平和な日常を過ごしたら、俺はきっとそんな中でふとした瞬間に思うんだ。ああ、もし自分が呪術師になって呪霊を祓っていれば死ななかったはずの人が今この瞬間にも酷い目に遭ってるのかもしれないんだなって。あんな恐ろしい化け物を前にして気が狂いそうになってるのかもしれないって。実際のところどうなのか分かんないけど、そんなことを考える度に気分が沈んでさ。そういうのって何か嫌だ」
「は……ははっ……悠仁ってば本当に格好良いね」
「でしょ? 俺は悟くんの隣に立つ。だから、そんな俺が生き様で後悔するなんて格好悪いじゃん。後悔したくない。恥じたくない。俺は五条悟に相応しい存在でありたい」
 だから呪術師になることに興味を持ったんだよ、と悠仁は締めくくった。
 五条は悠仁の顔の両側にそっと手をつき瑠璃色の双眸で見下ろす体勢を取る。悠仁はそれを追いかけて腕を伸ばし、五条の頬を両手で包み込んだ。
「悠仁、好きだよ」
「うん」
「君がいれば何も要らない」
「うん」
「……君を見つけられて本当に良かった」
「俺も、悟くんに見つけてもらえて本当に良かった」
 そっと唇が重なり、悠仁は目を閉じる。触れるだけのそれはまるで命を吹き込まれたかのように悠仁の中を温かいもので満たしていった。
「ねぇ悠仁、呪術師になりたい?」
「なりたい」
「じゃあここを出て勉強しに行かなきゃね」
「でも悟くんと離れたくないんだよなぁ」
「僕も悠仁と離れたくないよ。でも君の願いは叶えてあげたい……だから」
「さとるくん?」
 身体を起こした五条が悠仁の下腹部に手を這わす。完全に日が沈み、夜の時間が訪れた。昇り始めた満月の光が太陽に代わって白い青年を照らし出す。
 艶めく瑠璃色に悠仁はごくりと息を呑んだ。
 五条が微笑む。

「僕をここで受け入れて。まだ少し早いけど、もう一瞬だって君を僕の手から離したくない」

 ――契りを交わそう。虎杖悠仁を五条悟の伴侶とするために。

     ◇

 絹の褥を背中で感じながら悠仁は足を開いて相手を迎え入れる。五条は容貌だけでなく着物の下に隠されていた身体も溜息が出るほど美しく、月光に照らされた姿に悠仁は思わず頬を染めた。
 互いの肌を隔てる布は全て取り払われ、明るい月の光の助けもあって相手の姿がよく見えた。五条もそんな悠仁の反応にうっとりと目を細めてまだ完成されきっていない肢体に覆い被さる。
「悠仁、いいよね」
「うん。俺を悟くんのものにして」
 五条の背に腕を回して悠仁はそう願った。瑠璃色が甘くとろけて絶世の美貌をさらに魅力的なものへと昇華させる。
 まだ日があるうちにこの屋敷の中で散々弄られた悠仁の後孔はすでに男を迎え入れるのに充分な柔らかさを宿していた。五条はそこへ黄金色の蜜を垂らして充分な固さを持つ自身の陰茎をひたと押し当てる。
「……っ、あ」
 熱が、悠仁の中に入ってくる。
 それは指とは比べものにならない質量だった。反射的に身体が異物を拒もうと後孔に力を込めるが、「ゆうじ」と蜜よりも甘く名前を呼ばれた途端、奥が疼いた。唯一を迎え入れるために入り口が緩み、内部がほどよく五条のものを締め付け始める。
「あっ、は、ぁ……っ、あ、あ」
 エラの張った部分を超え先端が中に入り込むと、五条は両手で悠仁の腰を掴みさらに奥へと入ってくる。圧迫感が酷い。なのに、嬉しい。悠仁は両足を五条の腰に絡めてさらに求める。
「っ、ふ、ぅ、ぁ、おっき、ぃ」
「は……っ、」
「……ぜんぶはいっ、た?」
 五条の動きが一旦止まり、悠仁はそう訊ねた。中はすでに五条のもので満たされ、これ以上入りそうにはないと思える。しかし見上げた先にいたひとは小さく苦笑し、
「ごめんね、まだまだ」
「ひ、ぃ、ぁ……!?」
 ぐい、と腰を押しつけてきた。満たされたと思っていた内部をさらに熱の塊が押し進み、悠仁は圧迫感に声を上げる。
「あっ、あ、そん、な、ぁ……も、はいんな、い、ぃ、ひ」
「大丈夫、まだ入るよ」
「あ、ぁっ、ァ」
「……っ、ゆーじ、ゆーじ」
 かわいい。すき。だいすき。ぼくのゆうじ。
 繰り返し繰り返し紡がれる睦言は麻薬のように脳を冒して、幸福感に身体が溶けてしまいそう。そんな悠仁に五条は赤くなった目尻を下げて微笑み、身体を倒して悠仁の胸に口づけた。
「っ、ふか……ぁ」
「ふふ、それじゃあ一緒に気持ち良くなろうか」
「ぅ、あ……っ!?」
 腰を引かれ中から五条のものが出ていく。しかしギリギリまで抜かれたそれは再び悠仁の中に押し入り、亀頭でごりごりと前立腺を擦り上げた。
「ひぃ!」
 ぐちゅぐちゅじゅぽじゅぽと激しい水音を立てながら五条がピストン運動を繰り返す。そのたびに前立腺を強く擦られて悠仁は最早喘ぐことしかできなかった。頭の中が真っ白になって目の前にチカチカと星が舞って、気持ち良いのが終わらない。
「あ、あっ、あァ、あっ、ん、あン、ん、……っあ!」
「はっ、ねぇゆーじ、きもちいいね。悠仁の中とろとろして熱くってきゅうきゅう僕のこと締め付けてきて、本当に最高」
「ひゃ、あ、あんっ、おれ、もっ! おれも、きもち、い……あ、あっ」
「ね、ね、このまま奥にいってもいい? ねぇゆうじ、もっとゆうじの中に入ってもいいよね?」
「んン、んっ、いい、いい、からっ! さとりゅく、も、きてっ、おく、きてぇ!」
 奥がどこを示しているのかなんて一切考えなかった。ただ五条が欲しい。一緒に気持ち良くなりたい。満たして、満たされて、全てを五条のものにしてほしい。
「かわいい、ゆうじかわいい。っは、あ、」
「さとる、く、さとりゅくっ、うっあ、あっ」
 腰を掴む五条の手がさらに強く悠仁を引き寄せ、
「――ッッッ!」
 ごちゅん、と五条のものが悠仁の最奥を突いた。
 息が止まる。ぴんと足が伸びて一瞬意識が飛んだ。快楽と言うよりも衝撃に襲われて悠仁は声を失う。だが五条はやめない。一旦腰を引いて再び悠仁の最奥をえぐった。
「っ、おっ、ぁ……ッ!!」
「ゆーじ、ゆーじっ」
「おっ、あ、っう、ぁ、アっ、あ」
 太い幹で前立腺を押され、亀頭でこれでもかと奥を突かれる。肉体も、精神も、わけが分からないくらい気持ち良かった。今この瞬間、五条だけが悠仁の世界の全てだ。
 五条の腰の動きは徐々に速くなり、それに合わせて悠仁も絶頂へと上り詰めていく。触られてもいない前はすでに芯を持って勃ち上がり、だらだらと先走りをしたたらせていた。そこを五条が片手で包み込む。
「っあ――ッ」
「ね、悠仁っ、一緒にイこう」
「ん……っ、いく、さとるくんと、い、っしょ……ぁ、あ、ア!」
 亀頭を強く擦られると同時に五条のものが悠仁の奥を貫いた。
「っ、あっ、ア〜〜〜〜〜ッ!!」
 悠仁は勢い良く吐精し、その衝撃で中を強く締め付ける。
「くっ……!」
 五条も呻き声を上げて悠仁の中に熱を放った。
「ぁ、ぁ、っあ……」
 その熱は体中に広がり、悠仁の世界を書き換えていく。
 全てを悠仁の中に出し切った五条は「ゆうじ」と何よりも甘い声で名前を呼び、唇を寄せた。
「さとる、く、ん……ン、ぅ」
 冷めない熱に満たされたまま口づけを交わす。唾液は甘露。絡み合う舌は快楽だけを生み出して、いつまでも口づけていたくなる。そうして唇を合わせたまま、抜かずに悠仁の中に留まっていた五条のものに、くん、と奥を刺激される。
「んんっ! ふ、ぅ……ンあ」
「もっと、いい?」
「あ……」
 求められれば、その言葉だけで身体が歓喜する。悠仁はきゅんと中を締め付けて頷いた。
「ん。もっと、ほしい」
「じゃあいっぱい悠仁にあげるね」
 快楽を。愛情を。精を。心を。
 再び唇を重ねながら五条が小刻みに腰を打ち付ける。悠仁は全身でそれに応え、五条の腰に足を絡め直した。




◆11

 目が覚めたのは満月が夜空の真上に君臨する時間帯。褥から起き上がり、悠仁は傍らの気配に視線を向けた。
「……もしかして悟くんずっと起きてた?」
「初めて悠仁と一緒に過ごす夜なのに眠るなんて勿体無いからね」
 どうやら契りを交わしてそのまま眠ってしまった悠仁のことをずっと眺めていたらしい。五条は褥の上に寝転がったまま瑠璃色の双眸でこちらを見上げて微笑む。
 悠仁の身体は汗も流されさっぱりした状態で、白い襦袢姿になっていた。後始末の方も完璧。それに対し礼を告げれば「むしろお楽しみの一つだったから」と嬉しそうに返された。
「もう少し寝てな。月が眩しいなら雲で隠してあげるし」
「現代っ子が月の光が眩しくて寝られないとか有り得ねぇって」
 さらりと天候の操作も可能だと示唆されたが、悠仁はひとまず「でもありがと」と続けた。
「じゃあ何か気になることでもあった?」
 五条が身体を起こして問いかける。その手が悠仁の頬を撫で、悠仁もまた彼の手にすり寄った。
「んー……目が覚めたのは偶々なんだけど、そういや何か忘れてるような」
 一眠りした後も身体の内側は五条から与えられた多幸感で満ちており、それに浸って思わず目を閉じてしまいそうになる。しかしここへ連れ去られる前のことを思い出して悠仁はバチリと目を見開いた。
「そうだ、禪院!」
「悠仁が褥のルール違反ど真ん中射貫いてくる。ひどい」
「ああああ、ごめんって」
 一夜を共にした相手の前で違う者の名前を呼ぶのが非常識だというのは悠仁にも分かる。しかし事態が事態だ。
 禪院恵は目の前でいきなり友人が攫われて落ち着いていられる人間ではないだろう。きっと心配させている。下手をすれば探し回ってくれているかもしれない。
 ふて腐れた雰囲気を隠さずこちらをジト目で睨む五条の鼻先に悠仁はちゅっと愛らしく口づけて「ごめん、機嫌直して。あと手伝って」と、ルール違反ついでに己が伴侶に助力を乞うた。
「アイツを探して謝んなきゃ。悟くん、爺ちゃんの時みたいに禪院の居場所探せる?」
「もー! できるけど! できるけど!!」
 初夜を終えたばかりの相手のあんまりなお願いに五条は地団駄を踏んだ後、それでもがっくりと項垂れて「そうやって誠意が簡単に出ちゃうのも悠仁の良いところなんだよねー。はあ。すき。くそ」と呟いた。
「ちょっと待ってて。あ、探してる間に悠仁は外出られるよう着替えてきな」
「おう! あんがと!」
「大事な君のお願いだもん。叶えなきゃ夫が廃るってもんだよ」
 そう笑う五条の声を背に受けて悠仁は褥から抜け出す。
 ちなみに生憎と学ランのボタンは半分以上行方不明になっており、着替え終わった悠仁は完全に前を開けてパーカーを見せる姿になっていた。


 禪院恵の姿は悠仁が通う学校の中にあった。
 自分達が屋敷に引っ込んでいた間に何があったのか残穢を探って推測した五条によると、最初、どうやら禪院は見知らぬ人外(=五条)に連れ去られた悠仁を探して最も力の気配が濃い場所――つまり鎮守の森を探りに来たらしい。しかし森は五条の力によって望まれない者を拒む術が仕掛けられていた。禪院は森の奥へ入ることができず、試行錯誤しているうちに別の大きな呪力に気づいた。
 新たに現れたのはおそらく禪院が追いかけてきたという呪霊で、彼は悠仁よりもそちらを優先することにしたようだ。これに関して五条は「苦渋の選択ってやつかな。呪霊を放置する危険度の方が高いと判断したんだろう。マジ正解」と感想を漏らしている。事実、五条は悠仁を殺めないが、件の呪霊は多くの人間を害する存在だった。
 禪院に見つかり追いかけられることとなった呪霊は応戦するも劣勢で、悠仁が通っている高校へ逃げ込んだ。そしておそらく今も禪院は呪霊を探して校内にいる。
「能力的にはあの子供の方が強い。でも呪霊はすばしっこくて小狡いんだろうね。向こうはまだ取り込み中だろうけど会いに行く? ついでに祓っちゃおうか」
 何せ呪霊が逃げ込んだのは悠仁の学校であり、明日も普通に授業がある。呪霊なんぞに居座られては悠仁が普通の生活を送れない。それを案じての五条の発言に、まだ呪いを見ることしかできない悠仁は「お願いしまーす」と素直に頷いた。
 そうして五条曰くトんで¥uきの間に夜中の高校へと移動した悠仁達。
 校門前で校舎を見上げながら悠仁はぽつりと訊ねた。
「そういやなんでリアルタイムで森の外のゴタゴタに気づかなかったの?」
 五条の話は全て残穢という名の状況証拠から推測されたものだ。彼ほどの力の持ち主であれば術によって森に入ることを拒まれた人間がいることも、呪霊が現れたことも、そこで戦闘が起こったことも、即座に気づけたはずである。
 しかし悠仁の問いかけに五条は頬を掻いて苦笑いを零した。
「実は悠仁のことで頭いっぱいになっちゃってて、そんな余裕が全く……」
「やだ俺の背の君が俺のこと好き過ぎる」
 反射的に答えると、五条に「あは」と笑われた。
「『背の君』なんて古い言い方、良く知ってたね?」
「この前、古文の授業で習ったー」
「そっかー」
「まぁ他は何言ってんのか全然分からんけど。何あれ本当に日本の言葉?」
「……テストやばかったら僕のとこにおいで。教えてあげる」
「俺の旦那様は先生だった……?」
「五条先生と呼んでくれて構わないよ」
 古い神の意外なハイスペックさに驚きつつ、コントを終えて悠仁は校門に手をかけた。押し開けるのではなくそのままひょいと跳び越える。後をついてきた五条が悠仁の肩に手をかけて「呪霊の残穢があるよ。見える?」と囁いた。
「うん……?」
「目を凝らして。呪術師になるなら残穢は見えて当然、って言うか見えなきゃお話にならない。今の悠仁ならできるはずだ」
「………………あっ」
 悠仁は思わず声を上げる。
 大きな人間の手のような形がぺたぺたといくつも残されているのが見えた。それは校舎の外壁を駆け上がり屋上へと続いている。
「呪霊は屋上にいる?」
「残念。もう移動してるよ。屋上から跳んで別の校舎に移ってる。呪術師のあの子供がまだ追いかけてるってことは、やっているのは鬼ごっこか、それともかくれんぼか……」そう言いつつ、五条は遠くを見るように視線を向けて「はい、発見」と実に軽い口調で呟いた。
「じゃあ行こっか。あ、くれぐれも悠仁は僕から離れないでね。神と契ったばかりで呪術のこと何も知らない悠仁は呪霊にとって最高の御馳走だから」
「……マジ?」
「マジ。力の気配が濃いからこれまでみたいに簡単には抑えられない。ってか悠仁自身で抑える訓練していこうね。ひとまず今は呪霊に近づいたら真っ先に狙われるよ」
 そう言って背中を押される。何とも恐ろしいことを告げた上での悠仁を先行させる形だが、悠仁自身は背後の存在に絶大な安心と信頼を抱き、指示されるまま夜の学校を走り出した。


「禪院!」
「っ! 虎杖!?」
 校舎の四階にある空き教室で呪霊よりも先に見つけたのは禪院恵の横顔。それが何を見ているのか――彼が何と対峙しているのか――気づかずに廊下側から声をかけてしまった悠仁は、次いで焦りに満ちた声で禪院に「逃げろ!」と叫ばれた。「え」と言う間も無く、五条に腕を引かれて抱き寄せられる。窓ガラスが破壊される甲高い音が響いて、直後。
「おお、おおおおオオオあアアアアっ!」
 耳をつんざく醜い悲鳴が上がる。
 対峙していた禪院から目標を変え、悠仁目掛けて大口を開けて突っ込んできた呪霊が身体の三分の一程度を吹き飛ばされて廊下でのたうち回っていた。
 教室から出てきた禪院が「大丈夫か!」と声を荒らげる。次いで青緑色の双眸は悠仁を抱き寄せたままの五条を見、「アンタは……っ!」と警戒を露わにした。
「悠仁とは仲直りしたからそんな怒らないでよ」
 軽薄さすら感じられる態度で五条は告げ、そして。
「……あと、そこのゴミは僕が片づけちゃって良いよね? できないとはいえ、僕の悠仁を狙ったんだから」
 背筋が凍り付くような声に禪院が息を呑む。一方、五条の腕の中に確保されたままの悠仁は見上げたすぐ先にある冷たい表情をした美貌に思わず「うわイケメン」と零していた。自分に向けられない限り、あの顔は非常に鑑賞のしごたえがある。そう思えるのも五条と契った悠仁だからかもしれない。
 悠仁の呟きが聞こえたのか肩を抱く手にちょっと力が籠もりつつ、五条は呪霊に向かって軽く腕を振った。ノーモーションで倒せない相手だから……ではなく、わざと悠仁に動きを見せるためだろう。純粋な力をぶつけただけのそれは充分過ぎる威力を持ち、呪霊の残り三分の二も綺麗さっぱり消し去ってしまった。
「せんせー、見せてもらってあれだけど今何やったのかさっぱり分かりませーん」
「あとで特別授業してあげる!」
 校舎に入る前の教師と生徒のコントもどきを再開させつつも悠仁は「よろしくおなしゃす!」と早々に締めくくった。同時に、教えてもらうことも多いのだしこれから人前で五条を呼ぶ時は「先生」もアリかもしれないなと少しばかり思った。いくら真名を出せないとは言え、流石に「旦那様(はぁと)」とは呼べない。五条は喜ぶかもしれないが。
 呪霊が消え、ガラスと諸々の破片が飛び散った廊下に残ったのは悠仁と五条、そして禪院だ。その禪院が悠仁に「本当に大丈夫なのか?」と問いかける。
「怪我とかは全く! あ、もしかして心配してんのは後ろのこと?」五条を一瞥し、悠仁は視線を禪院に戻す。「ダイジョーブ! ちょっとした行き違いもありましたが今はラブラブ夫婦になりました!」そう言い切って親指を立てた。
「………………は?」
「やだもう悠仁ったらぁ! ラブラブだなんて本当のことを!」
 禪院は目を点にし、背後の五条は非常に嬉しそうにしている。
「どういうことだ」
「詳しく話せば長くなるんだけど、この神様とは小さい頃から知り合いでさ、めちゃくちゃ大事にしてもらってたんだよ。で、将来的には一緒になろうって約束してて俺もそのつもりだったんだけど、でも俺、呪術師になりたいって言っただろ。……で、このひと本来は土地神だからここから離れられないんだけど、一緒になる予定を早めて東京についてきてもらえるようにしたんだ」
「……つまり?」
「僕と悠仁がセッ「先生は黙ってて!」……あ、その呼び方で通すんだ」
 口を挟みかけた五条を制止したものの意味は伝わってしまったらしい。禪院が非常に頭の痛そうな顔をする。しかししばらく頭を押さえていた彼はやがて手を下ろして「……わかった」と告げた。
「虎杖が力を持っていることも、その力を悪用するタイプじゃないことも事実だ。神と契った人間が呪術師として受け入れられるか分からないが、ひとまず俺の担任に話を通しておく」
「! じゃあ……」
 目を輝かせる悠仁に禪院は薄く微笑んで頷いた。
「呪術の世界へようこそ、虎杖悠仁。あんま良い所じゃねぇけどな」

     ◇

「うっっっそだろ! あはははは! 白蛇(しろへび)=Aまさか君がこっちに来るなんて!」
「おえ……、魂食い(たまぐい)≠カゃん。オマエこんな所で何やってんの?」
 東京都立呪術高等専門学校。東京郊外の山中に建てられた数多の建造物によって成り立つその場所に悠仁は足を踏み入れた。が、石の階段を上りきった場所で出迎えてくれた禪院恵の担任だという袈裟を着た黒髪の男は、悠仁の隣に立つ青年の姿を認めると腹を抱えて笑い出し、五条もまた苦いものでも食べたかのように顔をしかめて呻いた。
「何って勿論『教師』さ。呪術師のね」
「人間のフリして?」
「楽しいよ。なかなかの充実感だ。手塩にかけて育てた人間が活躍するのは嬉しいものさ。君達と出会ったうちの生徒も優秀だっただろう? まぁ呪霊を倒したのは君だそうだけど。そしてその子が君の――」
 男の黒い瞳が悠仁を見る。
「なんだよ。絶対やらねぇからな」
「ははあ……あの白蛇がそこまで人間に執着するとはね」にこり、ではなく、かすかに目を細めるようにして夏油が笑った。「ま、いいんじゃないか」
 そんな男二人のやり取りを交互に眺めていたのは何も悠仁だけではない。すぐ隣にいた案内役の禪院が「え……先生も人間じゃなかった……? は……?」と呟いて呆然としている。ここへ来るまでの話では、禪院の担任は夏油という名字の三十路前の男で、階級は『特級』を与えられた特別強い呪術師の人間≠セと聞いていたのだが……。
「禪院の担任が実は人間じゃなくてしかも俺の先生と知り合いだったなんて……世間は狭いよな」
「……そうだな」
 最早それしか言えない。
「でも確か夏油先生には年下の彼女がいたはずなんだよな……。学生の頃に任務で助けた女の子。勿論、人間の」
「神様って何やかんやで人間のこと好きなんかな」
「かもしれねぇ」
 二人で勝手にそう結論づけた後、悠仁は傍らの五条の着物を引っ張った。
「先生、先生、ごじょーせんせー!」
「なぁに、悠仁」
 人前での『五条先生』呼びをそれなりに楽しんでいるらしい五条がハートマークでもつきそうなくらい甘い声で応じる。視界の端で夏油が「うげ。本当に変わったな……」と独りごちるが、もしかしたら自覚が無いだけで彼も彼女とやらの前では態度が全く違うのかもしれない。旧知である五条がこう≠ネのだから。
「質問なんだけど、『しろへび』と『たまぐい』って何? あだ名?」
「まぁね。僕達って真名を教えるわけにはいかないじゃん? だから別の呼び名を使ってんの。呼ぶ方が勝手につけるからムカツク名前もあるけどね!」
「へえ〜」
「そういや夏油先生の下の名前って非公開でしたね」
「そうそう」
 五条の回答に禪院と夏油も乗っかってくる。何はともあれそういうことのようだ。「真名って面倒だね」と悠仁が呟けば、五条がそんな悠仁をぎゅっと抱き締めて「でも悠仁はいっぱい僕の真名を呼んでね〜! 勿論二人っきりの時に!」と花かハートでも飛んでいそうな声を出した。
 そして悠仁の耳元に唇を寄せ、
「ね、ゆうじ」
「〜〜〜ッ!」
 ゾクソクゾクッと夜の褥での行為のような痺れが背骨を伝わり全身に広がる。一瞬にして顔を真っ赤に染めた悠仁に禪院は「おい、どうした?」心配そうな視線を送り、夏油は「やれやれ」と呆れ果てていた。
「ま! 何はともあれ」
 何とも言えない微妙な空気を振り払うように夏油がパチンと手を叩く。
 視線を集めた袈裟の男はどことなく胡散臭い笑みを浮かべて歓迎するように両手を広げた。
「呪術高専へようこそ虎杖君。存分に学び、存分に戦い、立派な呪術師になっておくれ」
「っス! よろしくお願いしまっす!」
 五条に抱き締められたままなので全く格好はつかないが、悠仁は腹から声を出して答える。そして改めて全力を尽くすことを誓った。
 己の生き様で後悔せず、五条の隣に立っても恥ずかしくない自分であるために。







2020.07.26〜2020.08.10 Privatterにて初出