僕と彼と変則的日常
「すまない古泉! 急で悪いんだが今度の連休、うちの子を預かっといてくれないか?」 「……はい?」 高校時代の部長(女)の男版みたいな課長の『お願い』に、内心「さあ今日は定時帰りだきゃっほう!」となっていた僕は思わず間抜けな声を出してしまった。あれ? と言うか今度の連休って明後日からのことですよね? いきなり過ぎませんか、ああ課長がいきなりなのは良くある事ですかそうですね、って何ですかそれ! 「実は嫁と結婚記念日で旅行に行くことになってなー。折角だから夫婦水入らずでと思って」 何が結婚記念日だ独身貴族の嫉妬を買ってそんなに嬉しいかコラってかあんたら夫婦は結婚何年目で子どもは何歳だっけいつまでラブラブ夫婦やってるつもりなんだこの野郎。 「キョンを……あ、うちの子な。あいつも小四だから、一人で留守番ってのはまださせられんが、信頼の置ける人間に預かってもらうならそれなりにと思ってだな。親戚に預かってもらおうと思ってたら、運悪く予定が入っててさぁ。ま、連休だから当然と言えば当然かも知れんのだが」 「あの……それで何故、僕が…?」 「ん? なんだ古泉。お前、この連休は特に予定も無いんじゃなかったのか?」 「そりゃありませんけど。課長にその話ってしましたっけ?」 「いや、さっき偶々通りがかった時に聞いただけだ」 「そ、そうですか」 仕事場で不用意に連休の予定なんか話すんじゃなかったー! と、こっそり頭を抱えるも時既に遅し。最初は「預かっといてくれないか?」と疑問系であったにも拘わらず、瞬きの間に確定事項と化して来ているではないか。課長の瞳が、空気がそう言っている。逃 げ ら れ な い ! そりゃまぁ最近恋人と別れたばっかりで連休なんて超ヒマ、スケジュール帳を開くと予定の蘭に打ち消し線が山ほど引かれているような身ですけどね? ちくしょー、自分で言って泣けてきた。 「じゃ、古泉。明日、連れて来るからよろしくな! 勿論お前は定時で上がって良いから」 これ、断ったらどうなるんだろー。そう思いながら、こちらを窺っていた同僚達にチラリと視線を向けると、彼らは一様に首を横に振っていた。訳すと「諦めろ」もしくは「ご愁傷様」。頼り甲斐の無い奴らめ。今度仕事で切羽詰ってても助けてあげませんよ? あ、嘘です冗談です。仕事は助け合い・協力が大事ですからね。あっはっは。はぁ。 ……うん。どうやら受け入れる以外策は無いようだ。ここで変に拘って拒否しても、相手からの印象が悪くなるだけですしね。どうせ連休中はヒマであることに変わりは無いんです。だったらそのキョンくん(ですよね? きっと男の子だ)を預かって、保父さんごっこでも何でもやって差し上げましょう。将来そのスキルは絶対役に立つとか何とか、涙ながらに言い訳しつつ。 と、言う訳で。僕はいつも浮かべている微笑を顔に貼り付け、自身の上司に対して首を縦に振った。 「僕でよろしければ」 グッバイ。僕のフリーな連休さん。 はい、そんでもって当日。課長の言った通り定時で上がった僕だったが、鞄を持っている右手と逆―――左手に握っているのは小さな男の子の手だった。 明日は休日なので、仕事が終わってそのまま帰宅するのではなく「今日は飲むぞー!」と街に繰り出す人間が多いのか、通勤電車の中は意外と人が少ない。それでも座席は埋まってしまっているが。まあ、すし詰め状態ではないので、小さな子どもを連れている身としてはありがたいが、んなモンぶっちゃけどうでもいい。つーか会社の受付ホールで引き合わされた時に短く挨拶して以来、この子と一度も口を利いていないのだが……こんなので大丈夫なんだろうか。 「大丈夫ですか? 疲れていませんか?」 「(こくり)」 頷くだけか…! 勇気を振り絞って問い掛けたお兄さんに、あなたはそれだけしか返してくれないんですか…! うえーん、と頭の中で古泉Aが泣き、それを古泉BとCが慰めている。 まぁとにかく、電車に揺られること二十分、徒歩十分。そんなこんなで我が家(賃貸マンション)に到着です。やっぱりと言うか何と言うか、キョンくんはずっと無言のまま。脳内古泉Aの涙は枯れ果てました。代わりに古泉Bが三角座りで「の」の字を書き始めてしまっていますが。 スーツの内ポケットから鍵を取り出してガチャリと扉を開ける。さー狭いですけど入ってくださいねぇ。 笑顔と手の動きで入室を促すと、子どもは少し躊躇ってから玄関に足を踏み入れた。靴を脱ぎ部屋に上がるのを眺めながら、僕も続いて入り、扉を閉める。そして部屋の奥へ行くと―――。 「うちのバカ親がすみませんでした!!」 ……んん? ガバリと頭を下げたキョンくん。「うちのバカ親」ってのアレですよね、課長のこと。いやーっつうか元気なお声ですねぇ、お兄さんビックリ。 「ほんとぉぉぉにマイペースと言うか、他人の迷惑を考えないと言うか、ご迷惑をお掛けします。なるべくご負担にならないよう過ごしますので、うちのバカ親を恨みつつ連休中はよろしくお願いします」 キョンくんは深々と頭を下げたまま、小学四年生とは(あらゆる意味で)思えない台詞をツラツラと吐き出す。この場合における僕の一番正しい行動は? 一、課長がバカでマイペース(キョンくん談)であることを否定しつつ、キョンくんの来訪を喜んで見せる。二、肯定したいけど人道的にそれはちょっとアレなので笑って誤魔化す。三、「ドンマイ」的に、とりあえず肩でも叩いてあげる。 「…………。大変ですね、あなたも」 「いやいや、古泉さんほどでは」 選択肢、四。二人で一緒に重い溜息でも吐いて、それから夕食の相談でもする。 結局「四」を選び取り、それから僕達は夕食の話を始めた。作るのもアリだが材料を揃えるところから始めなくてはならないので、今日はどこかへ食べに行くとしよう。 出会ってまだ一時間も経っていないが、この子とならこの連休も案外上手くいくかも知れないと思った。 * 〜 * 〜 * 〜 * 〜 * 〜 * 〜 * 〜 * 〜 *
「遊園地へ行きませんか?」 「遊園地!? い、行きたい!」 子どもなくせに、口調は妙に大人っぽくで、でもぱっやり子どもで。 「敬語、やめてくださって構いませんよ」 「でも古泉さんは大人で、俺よりずっと年上だから……」 「あなたなら、全然嫌ではないんです。それに“さん”付けでなくても」 「こ、古泉…?」 「そうです」 話を聞いた時にはあんなに嫌だったのに、あっと言う間に僕の方から歩み寄っていて。 「古泉、一緒に寝てもいいか…?」 懐いてくれることに、大きな喜びを感じた。 「今の古泉くん、私と付き合ってた時より楽しそうだわ」 「え? そうですか…?」 「気付いてないの? そんな顔しておきながら」 気付き始めた、自分の中の本当。 「こ、古泉っ!?」 抱きしめた身体はとても細くて、小さくて。 ああ、まだまだ彼は子どもなんだと思い知った。 「あと一日ですね」 「そうだな」 愛しい愛しい、僕の―――。 「……離れたく、ないなぁ」 |