闘え少年
「なぁキョン、帰りにゲーセン寄らね?」 「ワリィ。今日用事あんだよ。」 「ふーん、そりゃしゃーねえな。んじゃ、またの機会に。」 「おう。」 そんな、なんてことないクラスメイトの会話を聞きながら、鞄に教科書やノートを詰め込む。会話をしていた一方――遊びに誘った方――の名前は、生憎、先日の進級及びクラス替えで初めて同じ組になった僕の頭に未記憶だったけれど、キョンと呼ばれたもう一方に関しては一年の時のクラスも同じだったため、それなりに知っていた。その一風変わったあだ名が広まったのは入学式から半年経った頃で、確か彼の友人がその家を訪ねた次の日だったように記憶している。 キョンと呼ばれる同級生は、その奇妙な呼び名の割には平々凡々な容姿をしている。でもってその容姿通りと言うべきか、とっつきやすい性格のようだ。僕もこうして時折彼の様子が視界に入ったり声が聞こえたりした時にふと思う程度でしかないのだが、本当にもう、普通という言葉がぴったりなほど周囲に波風立たせず、仲の良い友人を数人持つありふれた男子中学生。まあ、多少他よりもダルそうにしていることはある、かな。ちなみに僕自身と彼との接点はクラスメイトと言う以外殆ど無く、その仲は良い訳でも悪い訳でもない。これもまた『普通』だ。 下校の準備が整い、僕も他と同じように鞄を持って教室の扉をくぐる。あの二人はとりあえず途中まで一緒に帰るみたいだ。そう思いつつ腕時計で時刻を確認すると、長針と短針はばっちり塾の時間が近付いて来ていることを知らせてくれた。別に勉強が嫌いって訳ではないけれど、こうして放課後に遊べず、数式や英文と睨めっこしなくちゃならないってのは少々憂鬱でもある。目の前で(不成立とは言え)遊びの会話をされると余計に、ね。 僕は小さく溜息を吐き、もう一度だけ先を行く二人の背中を眺めた。 そんな塾へ行く前の憂鬱さや溜息は今この状況を予見して表に出てきたのではないかと、今の僕は思う。何故かって?じゃあ、状況説明が出来る余裕なんて持ってるつもりはないけれど、出来得る限り話そうか。 時刻は午後十時を過ぎたところ。場所は繁華街と隣接する地区の裏道(と言うかその繁華街とこの地区の境目にある道)。あんまり夜に通りたいような所ではないのだが、駅と自宅の間を結ぶ近道であるため、塾から帰る時はよく利用させてもらっている。そして悲しいかな、今日はとんでも無いタイミングにぶち当たってしまったらしい。―――ぽつんぽつんと立ち並ぶ街灯の光を避け、壁に背を預けた僕の目の前に立ち塞がるのは高校生から大学生くらいの男三人。いかにもなガラの悪さでこちらをまるで獲物の如く見下ろしている。って、まさしく彼らにとって僕は絶好の仔ウサギちゃんとやらなんだろうけど。 あああ・・・と頭を抱えて蹲るか、ここからダッシュして逃げ出したい気持ちでいっぱいだ。しかしながらこんな事態に初めて遭遇してしまった僕の身体は、現在まったく言うことを聞いてくれず、ガチガチに固まったまま彼ら三人にぎこちない愛想笑いを向けていた。もう泣きそう。むしろ終わった。 「おやおや、どうしてちまったんでちゅかー?おにいさんたちのことが怖いのかなぁ?」 三人のうちの一人、フードつきトレーナーを来た真ん中の男がニヤつきながら顔を近付けてくる。煙草の嫌な臭いがツンと鼻の奥を突いた。そいつの赤ちゃん言葉と僕が顔を背けて出来るだけ離れようとしているのを、他の二人――僕から見て右がジャラジャラと両耳にピアスをつけていて、左がこの辺りで評判最下位の高校の制服を着ている――がゲラゲラと声を上げて嗤う。 「でも大丈夫でちゅからねー。ぼくがおにいさんたちに有り金ぜーんぶくれたら、優しいおにいさんたちはなぁんにもしないから。・・・たぶん、な。」 最後の台詞だけは妙に低い声で、しかも耳元で囁くように。思わずこちらの両肩が跳ねると、また下品な嗤い声が起こった。 はい、ここで僕が取り得る選択肢は二つ。一つ目は、彼らにお金を渡し、その後しこたま殴られる。二つ目は、彼らにお金を渡すことを拒み、その後しこたま殴られてから無抵抗のところで有り金全部持って行かれる。・・・どっちもどっちだ。言うなれば「DEAD or DEAD」。今日この時にこの道を通ってしまったのが運の尽き。 グルグルとこの世の無常さについて思考を巡らす僕に、彼らは要求を拒否されたと感じたのだろう。瞬く間に纏う雰囲気が苛立たしげなものになり、剣呑な双眸で睨み付けられる。 「・・・おい。さっさと出すモン出せよ、ガキ。」 ピアス男がそう言いながら左手で掴みかかってくる。息が、苦しい。声が出ない。筋肉が硬直して思うように動かせない。 混乱と恐怖で凍り付いた僕に、相手はチッと舌打ちをして右の拳を握った。これはもう、下手したら病院ではなく葬儀屋のお世話になるかも知れない。そんな雰囲気だ。 そして、ピアス男の右手が動いた。 「・・・ッぅあぐ!」 バキ、と頬への重い衝撃。その勢いのまま僕の身体は宙を飛んで地面に激突する。殴られたショックで脳はぐわんぐわんと揺れ、痛みと合わさって立つことすらままならない。 地面で身を丸める僕にその三人は嘲りを落とす。薄らと目を開けて相手を見ると、また嗤われてから足で仰向けにされた。その一方で学制服の奴が僕の手から離れた鞄のファスナーを開いていた。どうやら財布や携帯電話を探しているらしい。探している、とは言っても、分かりやすい所にあるのですぐに抜き取られるのを目撃してしまう訳だが。 「ったくよぉ・・・。手間とらせんじゃねーぜ。」 「こりゃお仕置きが必要だな。」 言うや否や、脇腹に強烈な一撃が与えられた。誰の足かだなんてもう考える暇もない。痛い。ただひたすらに痛い。なんで僕がこんな目に。こんな碌でもない奴らに碌でもない目に合わされなきゃいけないんだ。 芋虫みたいに身を丸めてお腹を抱える。耳に付くのは下品でどうしようもない嗤い声。誰か助けて、なんて思ってもこんな所じゃ誰も助けてくれない。人通りは無いし、もし誰かが通りかかったとしても相手はガラの悪い男三人だ。殆どの人間は見て見ぬふりをしても可笑しくない。 ぎゅっと瞑った瞼の奥が熱くなる。もう、嫌だ。 「何してんの、オニーサンたち。」 三度目の衝撃に襲われるよりも前に聞こえてきた、その声。どこか聞き覚えのある声だったが、こんなに冷たくて軽薄な声を放つ人物など僕は知らない。 地面の上に転がったまま声の主の方へ視線を向ける。最初に視界に入ったのは靴―――白色の、ヒモつきの運動靴。僕の中学の規則では、靴はこういう感じの物でないといけない。一部黒色のラインが入ったそれは、どうにもこんな場所には不似合いに思える。それから徐々に視線を上げていけば、ジーパン、Tシャツ、それから黒のラフなジャケット。身長はそれほど高くない。で、顔は――― 「っんだテメーは!」 「中坊は引っ込んでろよ!」 ピアス男と学生服の奴がその人物に突っかかっていく。けれど僕は自分と同じ境遇に陥るかも知れない人物を心配するよりも、三人組が次々と放つ口汚い罵りの言葉を煩く思うよりも、何よりもまずその人が『彼』であることに対し心底度肝を抜かれていた。 罵詈雑言を涼しい顔で受け流す彼は、 「キョ、ン・・・?」 クラスメイトの、キョン。 三人の怒鳴り声の中でも僕の声が届いたらしく、キョンの視線がこちらを向く。すると彼は意外そうにやや驚いた顔をし、どこか鋭さを思わせる雰囲気から普段の彼と似たようなそれになる。 「お前・・・、国木田?」 名前を呼び、それから「しまった」とでも言いそうな顔を作るのは何故なんだい。・・・って、そりゃこんな所にいるのをクラスメイトに見かけられちゃ、そういう顔にだってなるかな。いや、そんなことよりもむしろ。キョン、早くここから立ち去らないと僕みたいになるよ。 キョン一人じゃ僕がこの状況から救われることはない。そんなのは充分承知なので、まあ逃げられるものなら逃げた方がいいんじゃないのかと目で訴える。それが伝わったのかどうなのか、キョンの口元には微かな笑みが刻まれた。意図は不明。僕がキョンの考えを知る前に、今度はキョンが学生服の奴に胸倉を掴み上げられたのだ。 「おいおい、テメーこいつの知り合いか?」 そう言って向けられる視線は僕へ。 キョンの双眸も学生服からこちらへと再び向けられて、「まぁね」と告げる。 「ただのクラスメイトさ。」 「そのオトモダチを助けに来たってワケか?お優しいこって。」 「そっちは偶然。俺は元々こっちに用事があったから。」 にこり、とキョンが笑ったのは目の錯覚?気が付いた時には鈍い打撃音がし、キョンの身体は学生服の奴から解放されていた。ただし僕のように殴られた訳じゃない。無様な格好で地面に這い蹲っていたのは学生服の方だ。 「俺の胸倉掴み上げて喧嘩売って来たのはそっち。で、俺は即刻お買い上げ。意味は解るよな?」 倒れた相手の腹を容赦なく踏みつけ、キョンが残る二人に顔を向ける。そこに刻まれていたのはキョンらしくない――先刻現れた時、そして今も纏っている尖った鋭い雰囲気にぴったりな――獰猛とも言える笑み。 自分よりも年上で体格もいい人間を一瞬で行動不能に落とし入れた手際の良さに二人が驚いて動きを止めている最中、キョンは相手の能力を見定めるような目をして続けた。 「俺のイライラ解消のために、潰れてもらうよ。オニーサンたち。」 □■□ 「なぁキョン、帰りにゲーセン寄らね?」 友人から放課後の誘いを受けたその日、俺は実のところ朝からずっとイライラが続いていた。理由なんて特に無い。寝癖が中々直らなかったとか、出された朝食の献立が(食わせてもらっている立場であることは重々承知だが)気に食わなかったとか、いつも履いているはずの靴が今日に限ってスムーズに履けなかったとか。そんなどうでもいいことが何らかの弾みで怒鳴り散らしたくなるほどのイライラを生み出していたのだと思う。 が、原因なんてもう本当にどうでもいい。こんなのは思春期特有の出来事なのだ。もう少し成長すれば収まってくれるだろう。だから今考えるべきことは、それでも出てきてしまったイライラをどうやって昇華するか、だ。なに、難しいことじゃない。昨日今日でこんなイライラを感じるようになった訳でもなく、俺ももうそれなりにこの感覚との付き合い方を学んでいる。自分の周囲に迷惑をかけず行う対処法も同じく。そして今日は帰宅後にそれを実践するつもりなのだ。ってな訳で、こいつの誘いには乗ることが出来ない。 「ワリィ。今日用事あんだよ。」 「ふーん、そりゃしゃーねえな。んじゃ、またの機会に。」 「おう。」 アッサリと引き下がってくれるのは、奴がそういう性格だから。俺と親しい友人達は大体こんな感じだ。やっぱり付き合いが深くなってくると性格もそれなりに自分(の都合)と適したものになるのだろう。俺がこうやって誘いを断ることも今まで何度かあったことであり、相手は気にした様子も無く代案を出す。 「途中までご一緒させてくれよ。キョンはもうあのダンジョン、クリア出来たんだろ?」 要は下校中にそのゲームのクリア方法を教えろ、ということだ。それならお安い御用。つーかお前、まだクリア出来てなかったのかよ。簡単だろうが。 「そう言えんのはクリアしたからだろ。あーくそ、地下五階までは余裕なんだがなぁ・・・」 友人の呟きを耳にしながら揃って教室の扉をくぐる。それじゃまあ、家に帰るまでの時間を使ってダンジョンの地下六階以降へ進むための方法を伝授すると致しますか。 帰宅後、俺は素早く制服から私服に着替えて家を出た。母親には友人の家に泊まり込んで勉強してくるなんて言い訳をしたが、さすが我が母と言うべきか「わかったわ。キョンくんは泊まりでゲーム大会ね。」と朗らかに笑ってくださった。む、やはり勉強するなんて嘘はバレてしまうか。と苦笑しつつも、本来の目的は全く予想もされていないようなので安堵する。ちなみに次の日が平日である場合、やはり泊り掛けで遊ぶなんてことは許されない。今日が金曜日であったことが幸いしたな。 了解しました、なんて冗談半分の返事を告げて家を出る。自転車に乗って向かう先は勿論、友人の家などではない。俺が目指すのは駅近くの繁華街―――その、吹き溜まりのような空間だ。 目的地に着くと、"ちょうどいい人間"が現れる時刻になるまで時間を潰す。潰し方はその時その時だ。もう何度もここへ足を運んだおかげで何人かには顔を覚えられており、その中の誰かに遊んでもらうなんてことも。ん?「遊んでもらう」ってのがどういう意味かって?その辺は各自のご想像にお任せするとしよう。大丈夫。大したことはしていないさ。 「あら、少年じゃない。」 なんて考えていたらタイミングよく、その"遊んでくれる人"の一人が店(勿論『お水』の)から顔を出した。そうして開店前の店に入っておいでと手招きするのは、そこのママ。源氏名はキミコさん。本名は知らないし、キミコさんもまた俺の名前を知ることはない。なので俺のことは単純に『少年』と呼ぶ。これは大体、俺と遊んでくれる人に共通の事項だな。 「ちわっす。キミコさん、今一人なんすか?」 「店の子達が来るにはまだちょっと早いからね。」 着物姿のキミコさんは襟元をちょこっと直しながらそう言って笑う。 「ほら、いらっしゃい。ジュースでも奢ってあげるわ。」 「ありがとうございます。」 ご好意に甘え、俺は彼女に続いて店へと入った。 まだ夕陽が眩しい午後五時。俺が彼女の店から出るまであと数時間。 そして陽もとうの昔に沈み、徐々に酔っ払いどもがふらふらと彷徨い始める時刻になった。無論キミコさんの店にずっと居たわけではなく、俺は開店して彼女が接客し始めたのを見計らってその場を辞している。ただしそれでも些か時間を持て余していたため点々と別の人間の所を訪ねたりもした―――が、その辺は特別何かあったという訳でもないので説明は省かせていただこう。 時刻は午後十時過ぎ。そして今俺が歩いているのは煌びやかな表通りではなく、灯りも少ない裏通り。俺のイライラを発散させるのに"ちょうどいい人間"は人目の多い表通りより、こういった所の方が遭遇しやすいのだ。普段ならばもうちょっと歓楽街よりの、まだちらほらと飲み屋があったりする場所をふらついているのだが、今日はなんとなくそれよりも更に外側――地区の境目辺り――を選んでみた。 虫の知らせなんてものがあるのかどうかは知らない。ただし事実として、俺はその光景を目にすることとなった。 「・・・おやまぁ。」 口から零れ落ちるのは自分自身でも暢気だと思える音。まだ少々距離があって詳細は判らないが、街灯の光を避けるように人影が四つ―――うち三人は背もそこそこあり、俺が求めていた人間に分類されるだろうと思う。残り一人は哀れにもその三人の餌食にされかけていると言ったところか。・・・ああ、殴られた。小柄な身体が地面に倒れ伏し、痛みで身を縮める。三人のうちの一人がその殴られた人物の荷物を漁り始めた。俺だって褒められたことをしているつもりはないが、それでもあいつらのやってることに好意なんて抱きようもない。 自然と眉間に皺が寄る。そしてまた視線の先では小柄な身体が跳ねた。今度は蹴りかよ。 良くなかった機嫌が更に降下したのを自覚しつつ、舌打ちを一つ。正義の味方になんてなるつもりはないが、しょうがない。タイミングがタイミングで、このまま見過ごす訳にもいかないし、俺のイライラ発散はあいつらにお願いするとしよう。 足音を潜ませながら彼らに近付き、そうして俺は相手が苛立つような軽薄な声音で語りかけた。 「何してんの、オニーサンたち。」 強い三つの視線と弱い一つの視線がこちらに向く。 「っんだテメーは!」 「中坊は引っ込んでろよ!」 最初はいきなり声を掛けられたことで警戒が一気に高まっていたが、俺がまだまだ子供であることを見て取ると、顔を歪ませて突っ掛かってくる。まるでキャンキャン吠える子犬だな。 図体ばかりな相手の幼稚さにフッと苦笑を漏らしそうになったその時、耳に思いもよらない人物の声が聞こえた。 「キョ、ン・・・?」 「お前・・・、国木田?」 三人から視線を外すと、そこにいた(地面に倒れていた)のは同じ中学でクラスも同じ少年。確か名前は国木田。 マジか、勘弁してくれよ。これでも俺、自分がこういう性質だって今まで誰にも知られずにやってきたんだぜ?それがこんな所でバレるって・・・。 そのまま視線を交わしていると、国木田はこちらに逃げろと視線で訴えてくる。お優しいって程度じゃねーぞ、お前。そこは助けてくれって縋るところだろ。・・・いや、俺が頼りないからそういう顔をしているのかね。それじゃあこれからの俺を目撃したら度肝を抜かれるんだろうな。 フッと、先刻漏らし損ねた――ただし先刻とは意味合いの違う――苦笑を浮かべる。そして国木田の驚いた顔を確認した直後、俺の視界は強制的に切り替わった。学制服の男に胸倉を掴み上げられたからだ。 「おいおい、テメーこいつの知り合いか?」 「まぁね。ただのクラスメイトさ。」 体勢が体勢なだけに肩を竦めることは出来ないが、そのつもりで身動ぎする。相手はそれをただの虚勢と取ったのか、「そのオトモダチを助けに来たってワケか?お優しいこって。」と相変わらず自分が絶対優位にあると信じた表情で嘲りを含んだ声を出す。 はっ、気に喰わねえな。だが、今のこの体勢で俺には俺なりの大義名分が出来た。俺の基本スタンスは『喧嘩は売らない』。ただし――― 「そっちは偶然。俺は元々こっちに用事があったから。」 ―――『売られた喧嘩は言い値で買う』 既に喧嘩はあっちが威勢よく売って来た。あとは俺がそれを買い取るだけだ。 俺はにこりと笑い、右の拳を握る。そしてそのまま相手の頬へと叩きこんだ。耳に入ってくる打撃音。腕を伝うのは確かな衝撃。体勢は不十分だったが、それでもまともな一撃を生み出せたことを教えてくれる。俺は解放された襟元を適当に整え、無様な格好で地面に這い蹲る学制服の人間を見下ろした。 「俺の胸倉掴み上げて喧嘩売って来たのはそっち。で、俺は即刻お買い上げ。意味は解るよな?」 そして倒れた相手の腹の一番痛みを感じる箇所を踏みつけ、残る二人に顔を向ける。ニッと口元が吊り上がるのをそのままに、俺は彼らに告げた。 「俺のイライラ解消のために、潰れてもらうよ。オニーサンたち。」 さあ、楽しい楽しいパーティの始まりだ。あんたらが俺のストレス発散に付き合える程度には骨のある人間であることを心底祈ってるよ。 わざとらしい嘲笑を浮かべて手招く。するとピアスの男が顔を真っ赤にさせて飛び掛ってきた。 「ふざけんなよクソガキが・・・っ!」 頭に血が上っている所為か、その動きは単調だ。なんのフェイントも無く伸ばされる腕を見据えながら、俺も退かずに一歩前へ。無粋な腕は前進に合わせて身を僅かに捻るだけで難なく回避出来る。そのまま避けた腕を左手で弾き、相手がよろけたところへ拳を繰り出した。下から上へ、顎を打ち据えたアッパーカットは俺自身が驚くほど綺麗に決まり、ピアス男の身体を仰け反らせる。が、ここで気を抜くことを残ったもう一人が許しちゃくれなかった。そいつ―――フード付きトレーナーの男が右腕を伸ばしきった俺の脇腹目掛けて殴り掛かってくる。その顔に浮かぶのは仲間がやられたことに対する憤怒ではなく、ただ単純に「もらった!」とでも言い出しそうな勝ち誇った笑みだ。まったくもってお目出度い。そんな遅い動きで俺に何か出来ると思ってんの? 「もう少し考えて動いてくれよ。」 呆れ混じりに呟いて、ピアス男を殴りつけた拳はそのままに、左脚を軸にして身体を思い切り捻る。振り上げた右脚は逆らうことなく回転させてぐるりと半周。そのまま勢いをつけて踵をトレーナー男のこめかみに触れさせた。がん、と骨にぶつかる感触。クリーンヒットだな。 トレーナー男も地面に倒れ、起き上がる気配を見せない。どうやら蹴りの衝撃が頭蓋骨の内側にまで届いて脳振盪を起こしたらしい。あんなに無防備に飛び込んでくる方が悪いのさ。ああだが、他の奴は結構打たれ強いみたいだな。 「キョンっ!!」 国木田の焦った声は、俺が学生服の男に後ろから羽交い絞めにされたためだ。しかもさっき殴ったはずのピアス男が早々に起き上がっている。その視線はギラギラと怒りに輝いていて、これから思う存分やり返してやるって思いが言葉にせずとも伝わってきた。 しかし余裕ぶっこいた顔してるところ悪いんだけど、あんたら俺がこのまま素直に殴られてやるとお思いか?だったら医者に行っても救えないほどの大馬鹿だな。つーか俺が後ろから来た学生服男の気配に気付けなかったとでも?んな訳ねーだろ。 「あはっ!折角なんだし、もうちょっと楽しみたいだろ?」 口の端を吊り上げて嗤う。そして間髪置かずに肘を後ろの学生服男へ叩き込んだ。脇腹を掠める一撃は大ダメージにならずともそれで充分。緩んだ拘束からさっと抜け出し、身体を反転させて向かい合う。呆気にとられた顔のそいつへ笑いかけてやり、俺はその胸倉を掴んで勢いよく引き寄せた。 「おらよっ!」 「う゛ぇ・・・!」 片方の腿を持ち上げて膝を相手の腹部へ叩きつける。そのまま地面に叩き付ければ、学生服のそいつはアスファルトの上で腹を抱えたまま嘔吐した。俺はそこへ容赦なくもう一度蹴りをお見舞いする。いっそ胃の中のモン全部吐いちまいな。 「てめっ!」 「おお、悪い。忘れてた。」 ピアス男の拳が飛んで来たので笑顔で応戦する。 まずは左手でその一撃を受け止めて横へ流す。だめだめ、そんな力技じゃ、いくら体格で勝っていようとも俺には勝てねえよ。もうちょっと頭使えって。 右手を相手の側頭部へ伸ばし、銀色の金属を掴む。そして相手の動きも利用しながら、俺はピアス男のピアスを毟り取った。ぶちっと音を立てながら赤い血が飛ぶ。「ぎゃあ!」という叫び声が耳を劈き、思わず顔を顰めてしまう。ああもう、煩い。思いっきり蹴られるよりマシだろうが。 「こういう風になっ!」 ピアスを毟り取られた痛みで前屈みになっていた相手の首筋目掛け、俺は高く上げた踵を振り下ろした。がん、がつん、と音は二段構え。一つは俺の踵が対象物にぶつかった音で、もう一つがその勢いのままピアス男が額を地面に打ちつけた音だ。 はい、これで終了。多少の物足りなさは感じるものの、いいストレス発散になったよ。思う存分身体を動かしたおかげでイライラも大分解消された。 地面に這い蹲って呻くことしか出来ない二人と、それすら出来ずに気絶した一人。そいつらを見下ろした後、俺は未だダメージから立ち直れず地面に転がったままのクラスメイトへ手を差し出した。 「国木田、起きられるか?」 「え?・・・あ、うん。」 多少は辛そうだが、そう言って国木田がこちらの手を取り起き上がる。ほら、鞄も。何か無くなってる物はないか、ちゃんと確かめろよ。(ちなみに携帯電話と財布は近くに転がっていたので拾って渡す。) 「なあ、」 「ありがとう、キョン。で、どうしたんだい?」 「今のこと、誰にも言わないでくれると有り難いんだが・・・。」 「いーよ。」 「・・・・・・へ?」 あまりにも簡単な承諾にこっちが驚きを隠せない。もう少し戸惑うとかはないのか、国木田よ。俺はお前の目の前で三人の人間を殴ったり蹴ったりしたんだぞ。 「そりゃ、平々凡々だと思ってたクラスメイトがこんなに喧嘩に強いなんて驚きだけど・・・。キョンの意志はどうあれ僕を助けてくれたのは事実だし、感謝してもし足りないくらい。だったら『言わないでくれ』っていう簡単な願いの一つくらい叶えなきゃ。」 俺の疑問に国木田はそう言ってにこりと微笑んだ。アッサリしすぎな性格には好感が持てるが、それでいいのかと思っちまう。お前がこの三人のような目に合うとは思わないのか。 「全然。だってキョンは僕やクラスメイトに手を上げたりしないでしょ。それくらいはキョンを見ていれば判るよ。」 じゃあ単純にさっきの俺を怖いと思ったりは・・・。って、その顔じゃ思ってる訳ないよな。つーかお前が嬉しそうに見えるのは俺の目の錯覚なのか? 「錯覚じゃないと思うよ。だってこんなこと他の誰も知らなさそうだし・・・僕とキョンだけの秘密って響きもなんだか良くない?」 いや、同意を求められても困るって。 これまではただの大人しい人間としか認識していなかったのだが、国木田という奴は相当変わった人間であるらしい。反応が普通じゃない。しかしながら、それはそれでいいかと思う。だって(危害を加えるつもりなんてないのに)無闇矢鱈と怖がられるより、こうしてあっけらかんと笑ってくれる方が気分もいいだろ? いつの間にか俺は苦笑を浮かべていて、それを見た国木田も笑みを深くする。足元に三人の人間が倒れ伏している状況には不釣合いすぎる態度だが、気にするほどでもないだろう。 そうして俺はこの夜、俺の事情を知るちょっと変わった友人を得ることになった。 |