「タイムリミットだ。」
 ぽつりとその呟きが放たれたのは僕達の卒業式が終わってから数時間後。部室で「祝!卒業!」の弾幕の下、SOS団員全員が無事に卒業出来た――朝比奈さんは一年前に卒業していたが――ことを祝ってささやかながらにパーティーを開き、それもまた終了して最後の下校と相成った時のことだった。
 団長席の背後にある窓の外はすでに夕陽の赤色が大分弱まり、紫と青のグラデーションを描き始めている。そんな中で『彼』が放った小さな声に、部室に居た全員が反応を示した。私服姿の朝比奈さんは大きな目をパチパチと瞬かせながら彼を見、長門さんは相変わらずの無表情で――と僕が思っているだけで、本当は色々と変化があるらしい。彼曰く――じっと彼に視線を送っている。そして僕もまた彼の言葉の意味が分からず、癖になった敬語と大仰な仕草で問いかける。
「タイムリミット、とは?」
 まさかこのパーティーが終わったことを指している訳ではあるまい。それくらい彼の声音と表情で分かる。
 ―――呟きを放った彼の声と表情には"何も無かった"。笑みも、気だるさも、呆れも、喜びも。今まで彼を彩ってきた感情がどこにも浮かんでいなかったのだ。
 改めて彼の状態を観察し、その異様さにぞっとする。笑みを浮かべた顔が引き攣るのを自覚出来た。そして朝比奈さんの顔も徐々に強張り出し、長門さんですらどこか硬い雰囲気を纏い始めているのに気付く。が、その硬くなり始めた雰囲気を壊すように『彼女』が口を開いた。
「キョン、」
 彼女・涼宮さんが発したには些か静かすぎる声。しかし確かに戒めの意を含んだそれは静まり返った部室に充分なほど響いて、次いで彼の表情に苦笑を浮かばせる。「はいはい、悪かったよ。」と両手を挙げて降参のポーズを取る彼にようよう肩の力が抜け、僕は硬い頬を緩ませた。
「いきなりどうしたんですか。突然無表情になるもんですから驚いてしまいましたよ。」
「それは悪かったな。・・・だが約束だったし。」
「約束?」
 言葉の意味が理解出来ずに首を傾げる。すると彼は僕に直接答えをくれるわけではなく、涼宮さんの方に顔を向けて右手を差し出した。
「期限は高校卒業の日、日没まで。お前ももう充分に楽しんだだろ?」
「・・・そうね。」
 彼の問いかけに涼宮さんが短く答え、少し悲しそうに目を眇める。何だ?彼女は彼に何かを借りていた?それを返すのが今日、この時間ということなのだろうか。
 僕が疑問を抱いている間に涼宮さんが差し出された彼の手の上に自身のそれを重ねる。男性が女性をエスコートするような様子のそれは、しかし決して見た目通りのものではない。涼宮さんの表情はやはり悲しげで何かを惜しむようであったし、正反対に彼は自身にとって価値の無い物をそれでも期限が来たからと受け取るのだという顔をしていた。
 手を重ねたまま涼宮さんは彼を見つめ、溜息を一つ。そして何かを告げるために口を開く。(と同時に長門さんが視界の端で僕が見て判るほど驚愕に目を見開いた。)
「返すわ、この力。」
「「・・・え?」」
 たった一音の疑問系は僕と朝比奈さんの口から。長門さんは黙したまま。
 しかしそんな僕達に構うことなく彼はほんの微かな笑みを浮かべて涼宮さんの手を放した。
「能力の返却を確認。・・・今までご苦労さん。」
「次は誰にするつもり?あと佐々木さんからもちゃんと返してもらってるんでしょうね?」
「それはもちろんだ。あいつからは昨日返してもらってる。お前の方が一日遅いから駄々捏ねてやがったぜ。」
「ふんっ、当然よ。あの子の方があたしより一日早く借りてたじゃない。」
 腰に手を当て、涼宮さんが憤慨した素振りを見せる。それに答える彼はまたほんの少しだけ表情筋を動かしてなんとか笑みと称せる顔を作っていた。
 彼らの言っていることが解らない。いや、解っているはずだ。僕はただ解りたくないだけ。
 急に足元が不安定になったような気がして一歩よろめく。カタン、と不用意な音を立てた僕に彼ら二人が視線を向けるけれども、それは僕を心配するものでなければ突然のことに訝しさを覗かせるものでもない。
「力が、消えた・・・」
 独り言のような僕の言葉に彼が口元を緩ませる。
「そりゃあ、ハルヒはもう『機関』が言うところの神様じゃなくなっちまったからな。」
「今まで散々迷惑かけてきちゃってゴメンね。契約上自覚がなかったとは言え、古泉くんには・・・ううん、古泉くんにもみくるちゃんにも有希にも、いっぱいお世話かけちゃって。でも、本当に楽しかった。自分勝手だとは思うけど、あたしはこの力を持っててよかった。みんなに会えてよかったわ。」
「朝比奈さんも長門も今までお疲れ様でした。古泉、お前もな。」
 色々あったけどこれで大団円。めでたしめでたし。とでも言うように彼も涼宮さんも締め括る。
 僕は二の句を継げず、長門さんも変わらず何かを発する気配は無い。そんな中、朝比奈さんが戸惑いを露わにしながらも、状況は理解しているのかいないのか、おそらく後者だろう様子で彼と涼宮さんを交互に見た。
「えっと、あの・・・どういたしまして?あたしこそみなさんと一緒にいられて楽しかったです。・・・って、あれ?違う?」
「あはは。朝比奈さんって相変わらず優しい方ですね。どういうことなんですか、って俺に怒ってくれて全然構わないんですよ?あ、でもハルヒはこの六年間、自分に不思議な力があるって自覚は無かったんで怒らないでやってくださいね。」
 ぽんぽん、と弟か妹――もしくは娘――にするように涼宮さんの頭に軽く手を落としながら彼がこれまで通りの表情を作る。それがどうにも不自然に感じてしまうのは、ついさっきまでの無表情を覚えているからだろう。今の彼は心からそんな顔をしているのではなく、自身がこれまで保ってきたキャラクターを表現するためだけに(まさしく)"作った"のだ。きっと。そう感じる。
「それから長門。お前の親玉の興味についてだが、必要なら観察対象をハルヒから俺か、もしくは次に俺が選ぶ『契約者』―――能力の貸与対象者に移してくれればいい。」
「・・・了承した。後日、情報統合思念体の判断を伝える。」
「頼む。」
 朝比奈さんに次いで長門さんへと、彼は作った表情を向けて告げる。長門さんの返答に僅かな逡巡しか含まれていなかったのは、この状況に対する判断を下すための権限がTFEI"端末"でしかない彼女になく、全ては情報統合思念体にまかせるしかないためだろうか。
 長門さんへの対応が終わり、彼が最後に視線を向けたのは僕。この学校に転校して来た当初、まるで仮面を被るように表情を作っていた僕が言える義理ではないが、どうしても彼の"普段通りの顔"に好意が湧かない。むしろ僕が抱く感情は生理的な嫌悪感に似ていた。かつてはどうしようもないくらいに安堵すら覚えたそれなのに。
 そんな僕の感情を知ってか知らずか、彼は僕の名前を口にする。
「古泉は・・・閉鎖空間の対処を引き続き頼むなんてのは言えないよな、流石に。やっぱ次から閉鎖空間なんてオプションは外しておくか、うん。そしたら・・・そうだなぁ。」
 彼はそこで一旦言葉を切る。ただしそれほど経たないうちにポンと両手を打ち鳴らし、いいことを思いついたとでも言わんばかりに軽い口調を伴って僕の目を覗きこんだ。
 よく出来た人形の目玉を思わせるそれに意図せず僕の足が一歩後ろへと下がる。しかし彼本人が気にした様子は無く、穏やかな顔でその一歩分を縮める。
「このままそれぞれの任務が終わって離れ離れなんてのもなんだが虚しいし、古泉、次はお前が『神』にでもなってみるか?」
 勿論ハルヒの時みたいに自覚とか今の記憶とかは抜かせてもらうけど。
 そう告げる彼の声と共に、僕は何故かキリキリというねじまきの音を聞いた。












狂ったねじまき




動力の根源からして狂っているのだ。そりゃあ勿論、全てが狂うのは当たり前というものだろう。






















なんだか訳の解らない話になってしまった…。

そして古泉、申し訳ない。
















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