俺がいつからこんな状態だったのか、それは自分でも分からない。ある日突然、変化したのかも知れないし、最初からだったのかも知れない。昔はまだ覚えていた可能性も無きにしも非ずなのだが・・・ま、分からんことに違いはないさ。
 あが、と間抜けな声を出しつつ口に指を引っ掛けて鏡を覗き込む。映っているのは見慣れた――ただし口を開けた――己の顔だ。そういや、こうして鏡で自分を見ることが出来た奴は『同族』の中でも少なかったな、と思う。例外的な俺とは違い、皆美形のナルシスト揃いだったから、きっとどんな美女よりも鏡の中の存在を愛してしまっていたことだろう。
「まあ、他の奴らが今も生きてるかどうかなんて知ったこっちゃねえけどな。」
 力と容姿を過信して無茶するのが多かったから。
 当時の仲間を思い出して苦笑を漏らす。と同時に、口角を上げた所為で、唇の間から異様に鋭く尖った犬歯が全貌を露にした。柔肌に突き刺せば容易に血を溢れ出させるだろうそれは、まさしくそうするためのもの。人の血を啜って生を紡ぐ存在が持つ特徴。
 ・・・そう、鋭い犬歯を持つこの身は所謂『吸血鬼』と称される存在。
 もう自分がどれくらいの時を吸血鬼として過ごしたのか、繰り返しになるが俺自身まったく覚えていない。世界の変化を見れば随分長い気もするが、人の世なんてあっという間に移ろい行くものであるし。
 そんな目まぐるしい変化の中、世の中の動きについて行けなかったのか、はたまた俺が先述したようにやや調子に乗りすぎてハンター達に狩られてしまったのか、気が付くと同族達は大半が姿を消していた。勿論物理的にだ。
 ま、だからどうって程じゃないんたが。もともと個人主義的な種族だし、他がどうなろうと自分に何も無ければ問題ないってのが基本スタンスなのさ。
 鏡に映る俺は剥き出しだった犬歯を唇の向こう側に仕舞い込み、(自分で言うのもあれだが)凡庸な顔を晒している。はは、この凡庸さが長生きの秘訣なのかねえ。カッコ笑いカッコ閉じる。
「・・・さて。ふざけてないで、そろそろ食料確保に行きますか。」
 今宵は新月。闇に紛れて活動するにはぴったりの日だ。黒いマントなんて古風な格好をするはずもなく、俺はどこにでもいそうな中高生的服装で外に出た。
 この後にどんな出会いがあるかも知らず。


「おーい、大丈夫かー?」
 餌を探して街をふらふらしていたら、ビルとビルの間に出来た細い路地に息を殺してうずくまる人影を見つけた。陰になってよく判らないが、おそらく男。んで、俺とそう体格も変わらん奴だろう。もしかしたらもっと細いかも知れない。
 もやしだ。
 が、ただ子供がうずくまっているから声をかけてやるほど俺はお人好しじゃない(と言うか『お人』でもない)。空腹気味の俺が路地の奥に声をかけたのは、そこから美味そうな匂いが漂ってきたからだ。血の匂い、が。
 ひょいひょいと邪魔なゴミを避けて少年(仮)に近づく。・・・随分とまあ、派手なことで。と心中で呟いてしまった。
 近くで見た少年は自動車事故にでも巻き込まれた後のように身体中傷だらけで、黒い学ランにも笑えないくらいの血が滲んでいた。意識は・・・一応あるみたいだな。しかし顔を上げて近づいてきた人影――俺だ――を確認するほどの気力はないようだった。
 一体何があったんだ?周りの様子からすれば、特に異様なことが起こったわけでもないようだし・・・。こんな子供がこんな時間にこんな場所にいるってのは少々不可解ではあるが。まさかどこぞの仁峡モノの如く『鉄砲玉』な役割でもあるまいに。
 とか考えていたら急に強い飢餓感に襲われた。きっと近付いた所為で更に強まったこの匂いの所為だ。
 ごくりと喉を鳴らして少年のすぐ傍に膝をつく。間近で見た顔はなかなかに綺麗なものだった。年齢は・・・中学生か?思っていたより幼い。この前まで小学生だった可能性もある。
 そうやって観察がてらじっと眺めていると、少年がのろのろと顔をこちらに向けた。
「・・・今回の『協力者』は随分とお若いんだな。」
 皮肉げに、薄らと笑って少年が言う。
 んん?これはもしやマジで事故なんかではなく、映画や漫画みたいにどこかの組織が云々ってやつだったりするのだろうか。
 まだ中学生になったばかりであろう子供には些か不釣り合いな状況に、思わず顔をしかめる。すると相手は何か勘違いをしてしまったらしく、呆れたように鼻を鳴らした。
「心配しなくても閉鎖空間は消滅した。それが僕達の仕事だからね。だからあんたも自分の仕事をさっさとやってくれ。」
 正直そろそろヤバいんだ、と付け足された言葉に胸の内だけで苦笑する。この人違い中の少年は――その思考回路が正常であるならば――どうやら本当に漫画的アニメ的立場にいるらしい。まあ、俺のような存在も昔からいたわけだし、完全否定は出来んわな。
 そうこうしているうちに少年の体調が本格的に思わしくなくなってきたようで、白い肌は土気色に変わり、目に見えて弱り始めた。
 助けに来たはずの人間が何もしようとしないのを見ると、少年は小さく息を吐き出し、
「まあ、ここで終わるのも所謂一つの運命ってやつか。まさしく『神』がお決めになった・・・」
 嘲るように言った。
 なあ少年よ、お前は死にたいのか?それとも本当は生きたいのか?そんな、何もかもに絶望して、諦めて。けれど死の恐怖で知らず知らずに身体を堅くさせて。
 思わず口から零れた問い掛けに少年が一度驚いたように目を見開き、次いで何かを我慢するかの如くキツく瞼を閉じた。
「そんなの・・・そんなの、生きたいに決まってるじゃないか!」
 弱った身体から感情が爆発する。
「毎回毎回死ぬような思いをして、こんな厄介な力を授けておきながら傷の回復が特別早いわけでもなくて。詳しくは知らないけど死んだ人もいるって言うし・・・。逃げたい。逃げられるものなら逃げたい!でも僕達がやらなきゃ世界が崩壊するのも解ってるんだ。でも、でも!」




「死にたく、ない・・・!」




 絞り出すような呟き。
 それを聞いた俺は自分自身でも気付かぬうちに口角を上げて言葉を返していた。
「いいぜ。じゃあ望み通り、怪我程度じゃ死なない身体にしてやるよ。」
「・・・ぇ、」
 これは一体どんな気紛れなんだろうか。俺自身にも解らない。
 そもそも少年の話からして既に現実をひどく逸脱したもので、簡単に全てを信じることは難しい。だが彼は死にそうな怪我を負い、本当は死にたくないのだと言う。まあ、それにさ。
「な、何を・・・!」
 傷だらけの腕をとって舌を這わせば、少年の狼狽した声。
「味は悪くないな。」
 美味いと分類出来る血の人間を自分の配下として確保するのもいいだろう。
 力なく腕を引こうとするのを無視し、俺は特別な言葉を呟いてから少年の腕に噛み付いた。



□■□



 今から二年半程前、僕は"変わった"。その更に半年前にも劇的な、それこそアイデンティティが瓦解するような変化があったのだが、その時僕はまだ一応の『人間』だったのだ。
 それまで僕は特別な空間の中でのみ超能力者として活動し、けれどそれ以外では成長もするし、怪我を負えば回復に何日もかかる普通の人間だった。でも、もう違うのだ。
 成長期の男子としてなら特に問題無く成長している。背も伸びたし、ひょろひょろだった身体にも適度な筋肉がついてきた。おかげで『変化』した僕自身、"それ"にはなかなか気付けなかった。だけどある日、閉鎖空間でいつかの如く大怪我を負って―――

 迎えが来るまで建物の陰に身を潜ませていた僕は急速に身体から痛みが引いていくのを感じ、自分の身体を見下ろして息を呑んだ。
「怪我が・・・消えた?」
 そんな馬鹿な。確かに僕は洒落にならない傷を負っていたはずだ。でも服を捲ったって擦った跡も切り裂いた跡も強く打った跡も見つからなくて。痛みも、ない。
 唐突に思い出したのは、以前この時と同様に大怪我を負った日のこと。決して意識がはっきりしていたわけではないから、『彼』との出会いは夢で、回復にかかった時間からして実は怪我もそれ程ひどくなかったのかも、と考えていたのだが・・・。
 でもあの時のことは夢などではなく事実だったのだ。そして僕は『彼』に何かをされた。簡単には死ねない何か、を。そして異様な回復力を持つ『何か』へと変化してしまったのだ。
「・・・っ、」
 恐い、のか?いや違う。僕は生きたかった。適当に選ばれただけの役割の所為であっさり死になくなんかなかった。怪我の痛みと理不尽さに憤り、悔しかった。だから、これは。
「僕が、望んだこと・・・」
 ぐっと拳を握り締める。怪我の回復力はあの時よりも更に高まっていたようで、気付けばもう普通に動けるようになっていた。
 探してみようか、『彼』を。
 身体上何の問題もなく立ち上がり、薄汚れたビルの向こうに光る月を見上げて、思う。『機関』に知られれば『彼』にとっても(おそらく人間とは言えなくなった)僕にとっても良い事態にはなりそうにないので黙っておくとして。地道に、目立たず、ゆっくりと『彼』を探してみるのもいいかも知れない。ただ閉鎖空間を飛び回って超能力者としてしか過ごせない生き方より、こっそりとでも『彼』を探して生きる方がずっと意義のあることのように思えた。

 そして僕は高校生になり―――。

「久しぶりだな、少年。」
 我らが『神』の通う高校に転入した初日。周りから自分達以外の人影が消えた時を見計らってか、『神』の『鍵』がそう言って酷薄な笑みを浮かべた。
 部室で顔を合わせた時とは全く違う雰囲気に思わず警戒を強めるが、遅れて相手の台詞を理解した途端、僕は「あ・・・」と声を上げた。
 この声、聞き覚えがある。甘いような、優しいような、でも一方でひどく愉しげで、こちらを嘲っているような声。
「ふうん・・・。覚えてたみたいだな。感心感心。」
「当たり前ですよ。僕はずっとあなたを探していたのですから。」
 彼だ。彼がここにいる!まさかこんな所で出会えるなんて・・・!
 二年半ぶりに再会した彼はどうやら僕とは違い身体的な成長がなかったらしく、記憶の中に薄らと残る印象そのままの姿だった。その事実と二年半前の彼の行動を照らし合わせ、もしかして、という思いに駆られる。
「どうやら俺の正体に気付いたらしいな。」
「ただの予想ではありますけどね。」
 ニヤリと口角を上げた相手に微笑でもって返す。
 ああでも、もし本当に彼がソレだとしたら、噛み付かれた僕はどういった区分になるのだろう。異様な回復力はあるけれど、身体の成長は――彼の身長を追い越した今も――まだ続いているのだし。
「答え合わせが必要か?」
「出来ればお願いしたいですね。あの時から僕が一体どんなものになったのかも知りたいですし。」
「ああ、あれか。」
 苦笑を滲ませて彼が呟く。
「そんじゃま、俺がやったことについても一緒に説明させてもらおうかね。・・・だがまずは少年、お前は俺が何だと思ってる?」
 彼からの問いに、それなりの自信を持って答える。不老で血を吸うと言えば、やはり。
「吸血鬼、ですね。」
「ご名答。」
 ぱちぱちぱち、と三度手を鳴らす。僕の予想は当たっていた。ならば、
「今の僕もあなたと同じ・・・」
「いや、同じではないな。現にお前は普通に成長してるだろ?」
「ええ。しかしこの回復力は人間のものじゃない。」
 答えた僕に、彼はクッと喉を鳴らした。
「それは『俺達』が気に入った獲物につけるマークみたいなモンだ。傷が治りやすいのはその獲物が簡単にくたばっちまうのを避けるため。不老・・・つまり本物の吸血鬼じゃ血は吸えないんでね。」
「獲物ですか・・・」
 かつて助けられた相手にお前は獲物だと宣言され――つまりいずれ殺されるかも知れないということだ――、微かに予感はしていたけれど、衝撃的ではあった。相手の言葉を繰り返すしかない程に。だが恐怖を微塵も感じないのは何故だろう。
「・・・俺が憎いか?」
「どうしてそんなことを聞くんです?」
 恐怖を感じない理由に辿り着く前に彼が静かな問を発した。僕は彼の問い掛けの意味が本当に解らず、質問で返す。
 すると彼は少し意外そうな顔をして、
「だって人間とは違う身体にされて、しかも理由は餌ときた。普通は怒るなり憎むなり恐れるなりするものじゃねえか?」
「けれどあなたを前にして死にたくないと言ったのは僕だ。あなたはその願いを叶えただけ。それに・・・」
 答えているうちに何故自分が彼に対して恐怖も怒りも憎しみも抱いていないのか解ってしまった。思わず言葉を切った僕に彼が「それに?」と続きを促す。
 僕はそんな彼を真正面から見つめ、自然とそうなるに任せて笑みを浮かべた。
「・・・それに、あなたの纏う空気が優しかったんです。『獲物』に向けるにしてはあまりにも、ね。気付いていませんでしたか?」
「空気って、お前。」
「吸血鬼だろうが何だろうが、とにかくあなたは他人を引き付ける優しいヒトだということですよ。それこそ宇宙人も未来人も神様もその周囲に集まってきてしまうほど。」
 呆気にとられる彼に近付き、その距離を詰める。
「勿論『僕(超能力者)』も、あなたに引かれた一人だ。」
「っ!?お、お前っ、今・・・!」
「何です?」
 ケロリとした表情でそう返すと間近にある顔がサッと赤みを増し、慌てて彼が距離を取る。目を見開いて唇を手で覆ったその仕草は(本人はきっと認めないだろうが)なんだかすごく可愛らしい。
「おそらく僕よりもずっと年上であろうあなたがこれくらいで赤面するなんて、少々予想外ですね。」
「これくらいでって言うけどな、そんな、いきなりキスとか・・・!」
 キス、という単語に自分で照れたらしい。途端に彼は口をつぐむ。なんだこの可愛い生きもの。
「今まで他の誰かとこういった経験をしたことは?まさか相手がいなかったとでも言うつもりじゃあ・・・」
「・・・・・・いなくて悪かったな。」
 え?
「何だその意外そうな顔は!」
「いえ、だって本当に意外でしたから・・・」
「っ!もういい!忘れろ!!お望みならお前につけた印(マーク)も消してやる!」
「それは困ります!」
 思わず僕が叫び返すと、彼ははたと言葉を止めてこちらを見つめた。その顔は最初「何故?」という表情を浮かべていたが、次いで何かに思い至ったらしく、自己完結しようとする。いやいや、それ絶対違いますから。と急いで僕は訂正を入れる。
「勘違いをしていらっしゃるようですけど、きっと違いますからね。」
 マークを付けられていた方が怪我の治りが早いから、だなんて。
 それも理由の一つではあるかも知れないが、今、あなたの前に立っている僕にとってもっと大きな理由が一つ、ある。
「じゃあ一体何なんだよ。」
「簡単です。」
 訝しげな彼にニコリと笑い、囁いた。
「さっきも言った通り、僕はあなたに惹かれている。だからね、どんな形であれ、あなたと繋がっていたいんです。」
 まるで運命の相手であるかのように。
 それを聞いて再び顔を赤らめた彼は本当に可愛らしく愛しかった。









被 所 有 宣 言








(ああもう、なんてやつだ!)
(そう言わずに・・・これからよろしくお願いしますね。)






















古泉としては恋情よりも崇拝の方が強い、かな?

今はまだ(笑)
















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