あたし以外を見る目なんて潰れてしまえばいい。 あたし以外を呼ぶ声なんて無くなってしまえばいい。 あたし以外に触れる手なんて動かなくなってしまえばいい。 あたし以外の所へ行く足なんて折れてしまえばいい。
i n n o c e n t w o r l d
「おはよう、キョン。今朝もいい天気よ。」 そう言って少女は窓にかかったカーテンを開ける。 シャっと気持ちがいい音の後、部屋に降り注ぐのは清々しい朝の日差し。窓から望む空は青く晴れ渡り、雲ひとつ浮かんでいない。見事なまでの快晴。 窓を開け、澄んだ空気を肺一杯に吸い込むと、少女は振り返り、もたもたとベッドから身を起こす部屋の主を見つめた。 そしてもう一度「キョン、」とその人物を呼ぶ。 呼ばれた人物―――少女と同い年くらいの少年は、その声に伏せていた顔を上げ、少女の方へと向けた。ここで少年の動作に関して「視線を向けた」等の表現を用いることは出来ない。何故なら、少年には対象に齎すべき「視線」がなかったのだ。 キョンと呼ばれる少年の目には幾重にも真っ白な包帯が巻かれていた。もとは短かった前髪の下、ぐるぐると異常なまでに巻かれた包帯の内側の状態を知る者は、この少女と少年のみ。否、少年は"例え包帯を外しても己の姿を鏡で見ることが出来ない状態"であるため、視覚から正確な情報を得ることが出来ていたのは少女のみと言えるだろう。 かつて少年の両目を文字通り潰した少女は、美しい青空をバックに微笑を浮かべる。そのまま少年へと歩み寄り、真っ白な包帯を指先で幾度となく撫でた。 「髪も随分長くなったわよねぇ・・・。そろそろ切らなきゃいけないかしら。」 包帯を撫でていた指は髪へと伸び、優しくそれを弄ぶ。戯れのように触れては離れ、少女は夢見るように甘い表情を浮かべた。 「勿論あたしが切ってあげるわ。これでも他人の髪を切るのは得意なの。だからあんたの髪も綺麗にカットしてあげる。それに、」 台詞を止め、少女は指を髪から離した。 そして何かを耐えるようにぎゅっと拳を握ると、押し殺した声で低く呟く。 「あたし以外があんたに触れるなんて許せないもの。キョンはあたしだけのものよ。あんたはただ、あたしだけを感じていればいいの。」 その呟きを少年は黙って聞く。何故なら、それしか出来ないから。 少年は視覚を奪われた以外に、声も、手足を動かすことも同時に奪われていた。今や少年に出来ることは、ただ受け入れることだけ。何かを見、話し、触れ、向かうことを禁じられた少年は、この少女によって与えられる限られた空間内において、その声を聞き、繊細な指先が肌や髪を撫でる感触を受け取ることが全てとなっているのだ。 少女が微笑みを取り戻して再び少年に触れた。 愛しいものを見る目で、愛しいものに触れる手つきで。視線と指で少年を撫でる。 「ねぇキョン。あたしたち、ずっと一緒だからね?」 疑問系の、ただし事実上確定された未来を示す少女の言葉を、少年はただ黙って聞いていた。 あたし以外を見る目なんて潰れてしまえばいい。 あたし以外を呼ぶ声なんて無くなってしまえばいい。 あたし以外に触れる手なんて動かなくなってしまえばいい。 あたし以外の所へ行く足なんて折れてしまえばいい。 そうして要らないものを全て無くしてしまった後は、あたしと一緒にいましょうね。いつまでも、いつまでも。 |