全ての始まりは俺があいつを受け入れてしまったことなんだろう。


 あいつとそういう仲になったすぐ後から、俺は一週間の殆どを古泉の部屋で過ごすようになった。まだまだ親の庇護下にある高校生だと言うのに。でも俺にはそうしなければならない理由があるのだ。
「僕と一緒にいてください。僕の部屋で一緒に住んでください。片時もあなたと離れたくない。やっと想いが通じたんです。あなたと居られる時間を僕にください。おねがいします。僕と一緒に。学校から帰って来たら互いに『ただいま』『おかえり』を言って、僕が閉鎖空間から帰って来た時もあなたが迎えてくれて、ねえ。素敵でしょう?」
 初めて古泉の口からその台詞を聞いた途端、俺は本当に目の前の人間が古泉なのか疑ってしまった。だって、俺はこんな古泉を知らない。お前が古泉の何を知ってるんだ、と言われればそれまでかもしれないが、あまりの変わりように唖然として、とにかく俺はその時、古泉の提案と称すべきそれに答えるのが遅れてしまった。
 その沈黙の所為で古泉は俺が自分の願いを拒否したと感じたらしい。「そうですか。」と呟いて顔を伏せたと思ったらとんでもないことを口にしたのだ。
「あなたに拒絶されるなら死んだ方がマシですあなたに嫌われるなら死んだ方がずっといいだからこれから死んできますごめんなさい。それじゃあ、」
 そう言ってやつは本当にその辺にあったカッターを手に取って自分の首に当てやがった。もちろん慌てて止めたさ。「わかったから!俺はお前のことが好きだよ!」ってなりふり構わず叫び、こちらの手が傷つくのを承知で古泉の手からカッターを奪い取った。
 その時ついた俺の右手の傷と古泉の首筋に走った一線は今もまだ微かに残っている。特に古泉の方はよく見ないと判らない程度だが確かに出血した証拠があるのだ。
 しかし例え傷跡が消えても俺はたぶん、古泉の傍を離れることが出来ないのだろう。だって俺は、古泉に生きて欲しいと思っているから。


 SOS団の市内探索がある日。俺は必ず古泉にあることを言う。
「いいか。例えグループ分けで俺と一緒になれなくてもちゃんと『SOS団副団長の古泉一樹』をやるんだぞ。イエスマンで居続けろってワケではないが変な行動を取るな。俺のことが気になっても駆けつけてきたりするなよ。それがちゃんと出来たら、この部屋に帰って来た後でお前のこと『古泉』じゃなくて下の名前で呼んでやる。」
 なんとも傲慢な台詞じゃないか。しかしそう言わなければもう、今の古泉は『今までの古泉』を維持出来ないのだ。
 俺と一緒に居る時間が削られたと感じると誰彼構わず、それこそ特別視していたはずのハルヒに対してだって攻撃的な面を見せる。笑顔が保てない。暴言を吐く。仕舞いには手を出す。
 それを止めるために俺はこうして約束を取り付けるという方法を学んだ。
 効果はてきめん。この応用でどうしても自分の家に帰宅しなければならない時や古泉と距離を置かなければならない時も何とかなるように、ぶっちゃけると学校内において今まで通りの俺達を演じることも可能になった。
 自分自身に対する感想となってしまうが、短い期間でよくもここまで対処出来るようになったと思う。それだけ必死だったと言うことだろうか。なにせ少し間違えば、それは古泉の怪我という形で返ってくるのだから。自殺未遂しかり、閉鎖空間での負傷しかり。
 それに俺の言葉、特に命令形のものが古泉に与える影響の大きさも学んだ。今の古泉は俺が「死ね」と言うだけで簡単に死のうとする。その一方で閉鎖空間へ行く時なんかは「絶対に帰って来いよ。怪我するなよ」と言うだけでどういうワケか無傷で帰って来るのである。
「わかったか?」
「わかりました。」
 俺が念を押して確かめると古泉はにこにこと笑って頷く。そして、名前で呼んでもらえる、と嬉しそうに呟いた。それが何よりも幸福なことであるかのように。



□■□



「あのクソアマふざけんじゃねえよ。」
 思わず本音が口を突いて出てしまいました。すぐ近くに居た同僚がギョッとした目でこちらを見ていますが、まあ関係ありませんね。僕は今ものすごく腹が立っているんですよ。
 だってそうでしょう?折角今日は家で彼に名前を呼んでもらえるはずだったのに。どうしてどうしてどうして!なんで今日、この日、市内探索が終了した後すぐに閉鎖空間が発生するんですか。
 あの電波オンナ、彼と離れるのがそんなに嫌だったんですね。ふざけんなって感じですよ。今日は午前も午後も彼と一緒の組になっていたくせに。どうせ力を使って操作したんでしょうけどね。ああ腹が立つ。僕なんてここ最近ずっと彼とは別の組になってるっていうのに。もしかしてこれもあのデンパの所為でしょうか?妙に勘のいい人間ですしね。
 とりあえず神人退治は結構早く終わらせることが出来ました。これも彼への愛が成せる業です。しかしながら非常に面倒なことに問題が一つ。それが閉鎖空間を壊した後、現実世界に戻った僕の視線の先にいる森さんの口から出るであろう言葉です。早く帰りたいのに、なんで僕だけ残らなきゃいけないんでしょうか。
「古泉、私が言いたいことは解っていますよね?」
 恐い顔だ。笑顔の癖に目が全然笑ってませんよ。
「どうして助けなかったの?」
 森さんの言葉が示すのはおそらく、同じ閉鎖空間に赴き下手をして傷を負った同僚のことだ。ちなみに僕のすぐ傍にいたような気がします。まあ、僕の頭は彼のことでいっぱいですから、そんな石ころ程度かそれ以下の価値の人間に割ける容量なんてありませんけどね。
「すみません。自分のことでもういっぱいになってしまって・・・」
 しかしこういう時は台詞も選ばなくては。下手に本音を言って帰宅時間が遅くなってはいけません。"だって助けたら僕が怪我するかもしれないじゃないか"なんて言葉は言わないに越したことないんですよ。
 彼は僕に「死ぬな」「怪我をするな」って言ってくれましたからね。僕はそれを全力で守らなければなりません。なにせ彼の願いですから。大好きな彼の言葉を裏切るなんてそれこそ万死に値します。そんなものはこの世に存在しちゃいけないんです。今のところ、彼自身は僕の思いとは異なって彼の言葉に従わない人間が居ても構わないって思っていらっしゃるようですから、僕も特別何かをしたりはしませんけど。
 彼への愛に満ちた内心とは裏腹に、その場において最良と考えられる台詞を選択して吐き出す。勿論それ相応の表情つきで。
 するとどうやら森さんも信じてくださったようで、あなたも今までやってきたんだから最年少と言えどもしっかりね、と言い残して色々保留にしてくれました。さすが森さん。
 あ、でもあの視線ってもしかして僕の思惑に気付いてるってことなんでしょうか。鋭いですね。僕の心の中まで読んでしまうとは。しかしこうして形式だけでも整えておけば後はオッケーってことなんですね。わかりました、森さん。今後もそんな感じでやらせていただきます。ご協力感謝。その分、僕は神人退治のタイムを縮められるよう頑張りますから。利害の一致ですね。
 さあ用も済んだことですし、早くあの部屋に帰りましょう。彼が待っていてくれる僕と彼の部屋へ。
 今日も彼の言いつけを守って無傷だったこと、そして市内探索でちゃんとしていたことを褒めてもらいましょう。勿論約束通り下の名前で呼んでもらいながら。あの蠱惑的な唇から痺れるような声で名前を呼んでもらうのです。ああ、想像しただけで体が熱くなってしまいます。堪りません。


「おかえり、遅かったな。もしかして今日の神人退治、そんなに大変だったのか?」
 そう言って迎えられたこの瞬間の喜びと感動をどう表現すればいいのか!
 彼が遅くなってしまった僕を心配そうな顔で見つめてきます。ああ、そんな顔しないでください。僕はあなたの笑った顔の方が好きなんです。でもそうやって心配そうな表情も酷くそそります。結局はあなたなら何だって好きですよ、ってことなんですけどね。
「ただいま帰りました。今日の神人はそんなに強くありませんでしたよ。ただ、同僚の一人がミスをしてしまいましてね。しかも僕にも多少責任があるのだと上司に咎められまして。」
 それで遅くなってしまいました。申し訳ありません。と続けると、彼は「そうか。・・・いや、お前自身に怪我がなくてよかった。」と微笑んでくれるではありませんか!これは何たる幸せ!彼に心配してもらい、そして無事だったことに安堵してもらう。幸せ以外の何物でもない!
「ところで、なんでお前にも責任があるって言われたんだ?何かやったのか?」
 彼の反応に上機嫌になって僕は、いいえ、と答える。
「その逆ですよ。何もしなかったから怒られたんです。」
「・・・?」
 そうやって首を傾げる姿すら愛おしい。
「今回ミスした同僚をね、僕が多少頑張れば無傷で助けられたんじゃないかって。でもそんなの嫌じゃないですか。僕の方が怪我を負うかもしれないのに。」
 そう言ったところで彼の雰囲気が少し変わったことに気付いた。
 どうしたんですか。もしかしてミスをした同僚の心配ですか?止めてください。あなたが他人の心配をしていると考えただけで吐きそうです。気持ちが悪いです。思わずその対象を消したくなってしまいます。
「古泉・・・」
「下の名前で呼んでくださるのではないのですか・・・?」
 約束と違います。
 あ、もしかして僕はいつの間にか彼との約束を違えてしまったのでしょうか。だから下の名前で呼んでくれないのでしょうか。どうかお願いです、間違ったところは直しますから、どこが駄目だったのか教えてください。
「そうじゃない、そうじゃないだろ。・・・なんで大事な仲間を放っておけるんだよ。そんなの最低じゃねえか。」
 最低じゃねえか。最低じゃねえか。最低じゃ・・・最低最低最低。僕が、最低?
 僕は最低なんですか。あなたはそんな僕を嫌いになってしまうんですか。離れて行ってしまうんですか。僕を捨ててしまうんですか。
 そんなのは嫌だ。嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ!!!
 ガシリと彼の両手を捕らえる。
「こ、古泉!?」
 謝らないと!早く謝らないと!!
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいもうしません許してくださいどうか許してください僕を捨てないでくださいお願いですお願いしますこの手を離さないでくださいそのためなら何だってしますあなたの言うことは全て守りますこれからは同僚を助けろと仰るのならそうしますあなたの"傷つくな"というご命令を遵守した上でその願いすら叶えてみせますだからどうかどうか僕を嫌いにならないでください僕を捨てないでください怒らないでください睨まないでください傍にいてください離れていかないでください。・・・僕を、好きでいてください。」
 彼に縋り付いて必死にお願いした。
 捨てないで、お願いです。僕はあなたがいないと生きていけないんです。生きてる意味が無いんです。存在する意味が無いんです。だからどうか、どうかどうかどうか傍にいてください。お願いします。
「わ、わかった。わかったから落ち着け。な?お前を嫌いになんかならねえって。」
 本当ですか?本当に嫌いになったりしませんか?僕を捨てたりしませんか?
「ああ本当だ。俺はずっとお前を好きでいるから。捨てたりなんかしないから。ほら、一樹。」
 一樹。一樹!
 彼が名前を呼んでくれた!なんという甘美な響き!ああ僕は幸せ者だ。彼にこうして名前を呼んでもらえるのだから。
 ねえお願いです。もっともっと呼んでくれませんか。その名を。あなたの声で。
「一樹。一樹、一樹、一樹、いつきいつきいつき。大好きだ、一樹。愛してる。一樹だけを。ずっと一樹の傍にいるから。ずっと、ずっといつまでも一緒だ。」
「はい。いつまでも一緒ですよね。これから先、何があったって。一緒、ですよね。」
 目の前で彼が微笑む。
 顔を近づけても嫌がらない。
 唇に柔らかいものが触れる。
 舌が奥へと進む。
 艶かしい吐息が聞こえる。
 抱き締めた身体の温度が徐々に上がっていく。
 彼の腕が僕の背中に回る。
 ああ、生きてるって素晴らしい!!



□■□



「結局、俺も随分狂っちまってるんだよ。」
 熱に浮かされながら独り言つ。
 つまりは、そういうことだ。







そうして僕らはちてゆく
どこまでも一緒、に。









幸せですよ。だって彼と一緒だから。
幸せなんだろうな。だってあいつといることを不幸と思っちゃいないから。
(きっとまだまだ、自分達は堕ちていける。)