キョン


 もう、疲れました、と。
 部室の机に頭を預けて呟く古泉を眺めながら俺は「そうか。」とその柔らかそうな髪に手を伸ばす。朝比奈さんと長門はハルヒに何処かへと連れて行かれ、今ここにはいない。
 SOS団の男二人組だけが取り残された空間でゆっくりと吐き出された短い言葉。俺はこうして相手から本音を言ってもらえるような信用を得られたことを嬉しく思い、同時に本音を呟かずにはいられない状況に陥っている古泉に酷く申し訳なく思った。なぜなら、
「じゃあ、解放してやるよ。」
「え・・・?」
 古泉が『機関』なんてものに属して神人退治を行なわなくてはならないのも、それ以前にハルヒが摩訶不思議な力を持ってしまったのも、全ての原因は俺にあるのだから。
 驚いて顔を上げようとする古泉の頭を押さえつけたまま、俺は全てにリセットをかけた。







Re_set







ハルヒ


 苛々する。
 三年前、自分のあまりの小ささに気付いて以来、あたしはいろんなことを試してきた。教室の椅子を全部廊下に出してみたり、そこらじゅうにお札を貼ってみたり、夜中の学校に忍び込んで校庭に一人で織姫と彦星宛にメッセージを書いてみたり。でも何も起きなかった。宇宙人も未来人も異世界人も超能力者も、誰もあたしの前に現れない。あたしはここにいるって必死にアピールしても、街中を探し回っても、不思議の欠片さえ見つからない。
 こんなに頑張ってるんだから宇宙人の一人くらい現れてくれたっていいじゃない。そうじゃなくても、一人くらいあたしをただの変人扱いするんじゃなくて、一緒に不思議探しを・・・・・・・・・何言ってるんだろう、あたし。不思議探しはあたし一人で十分よ。そりゃあ、人数は多い方が探しやすいと思うわよ。でも下手に足を引っ張るような奴がいたってどうにもならないじゃない。
 ああ、周りは黒い制服ばかり。鬱陶しいったらありゃしない。
 光陽園学院に入学したのはただ偏差値が良かったから。中学の先生と親の両方から勧められ、あたし自身も特に行きたいと思えるような高校も無かったからそれに従っただけのこと。もし宇宙人や未来人や異世界人や超能力者がいる高校があるのなら、例えそれが地球の果てに在ったってあたしは何としてでも入学してみせるのに。
 ここは普通の人間ばっかり!つまんないつまんないつまんない。涼宮さん、だなんて用も無いのに話しかけないで。クラスから孤立してるあたしに手を差し伸べてくれるってわけ?お生憎さま。あたしはそんな手なんか求めてません。あたしは特別を待ってるの。自分の小ささを自覚したあの時から。
 でも・・・どうしてかしら。最近のあたしは無意識の内に何かを探してる。宇宙人でも未来人でも異世界人でも超能力者でもなくて、他の何かを。それは誰かの『手』なのかもしれない。偽善で差し伸べられるそれじゃなくて、もっとこう・・・何て言えばいいのか。あたしを受け入れてくれる・・・・・・・・・あぁもう!何考えてんのあたしは!あたしは誰の手も要らない。欲しいのは不思議、特別なもの。それ以外は要らない。要らないの。
 だから知らない人間の手なんか想像しないでよ、あたしの頭!!







みくる


 最近、過去のことがすごく気になるようになった。その理由も、ましてやいつの時代を示しているのかさえ解らないけれど。でも確かにある時期からこっち、わたしは過去のことが気になって仕方がないという状態になってしまっていた。
 なんだろう。とても大切な気がするのに。
 少しでも何か判らないかと過去の記録も調べてみたけど、もやもやする胸に訴え掛けてくるようなものは無かった。
 今のわたしの権限じゃ自由に過去に行くことも出来なくて、記録だけじゃ感じ取れないことを実際にその場所・その時代に赴いて感じることも当然不可能。だからわたしは最後の望みとして早く昇進しなくちゃって思う。今の段階で出来ることなんて高が知れてるから、もっともっと上を目指して誰に咎められることなく過去に行けるように。そうやってこの焦燥感の原因を突き止める。
 わたしの本能は、鍵は過去にあるって訴えかけ続けている。過去に行かなくちゃ。過去に行って、それから。
「・・・っ、あれ?」
 脳内に構築されているネットワークが微かに乱れた。一瞬だけだったそれは「気のせい」と処理出来てしまえるものだったけど、わたしはそれをただの「気のせい」とは思えない。その理由を他の人に説明することは無理だけど、原因はなんとなく解るような気がした。
 キーワードは『過去』
 誰も知らない何かがきっと『その時』起こったんだと思う。もしかしたら誰かの手によって未来の改変が行なわれたのかも知れない。だったら過去の資料に何も残っていないのも頷ける。
 過去へ。とにかく過去へ行かなくちゃ。それが全てであり、答えに辿り着くための唯一。
 わたしはそう信じてる。
 ・・・ああ、でも。『それ』は一体『いつ』なんだろう。わからない。







古泉


 何かが足りないと思うようになったのはいつからだろう。
 友人に「天は二物どころか、たった一人に三物も四物も与える不公平な存在だ」と言わしめた諸々のおかげで、僕は昔から何事をも人並み以上にこなせる人間だった。勉強もスポーツも無理せず他人から羨ましがられる成績を残せたし、顔だって周りの女の子達に騒がれるくらいのレベルではある。だから僕の日常はそれなりに充実していた。
 でもふと気がつくと、僕の思考は何かが足りないのだと訴えていた。足りないものが何なのか、はっきりとは解らない。物なのか、人なのか、形の無い何かなのか。
 時折、あまりにも強い焦燥感に襲われて息が出来ないくらい苦しくなることもある。僕は大事なものを失くしてしまったのだ、と。
 そう、僕はきっとその何かを持っていたのだ。でも僕の記憶にはその何かを持っていたという事実も、また失ったという事実も、どちらも一欠片さえ存在していない。何なのだろう、この矛盾は。失っていないはずなのに確かに失ったのだと心臓の辺りが締め付けられるように傷むのだ。
 苦しくて、酷く切ない。
 きっと失ったそれは僕にとってどうしようもないくらい大切なものだったんだろう。
「・・・ぁ、」
 用事で学校を休み、いつもは使わない電車に乗っていると同じ車両に見慣れぬ高校の制服を来た男子が乗っているのに気付いた。あれは坂の上にある北高の制服だろうか。確かあの学校の校長は僕の通っている高校をライバル視してるんだっけ?その所為であの高校の生徒達は休みを削って授業が行なわれることもあるとか無いとか。可哀相に。
 ああ、でもどうしてだろう。どうでもいいはずの高校の制服を見ただけで泣きたくなるくらい切なくなってしまった。指先にまでチリチリと痺れるような感覚が走る。
 一体何なんだ、これは。







キョン


 一度全てにリセットをかけて俺は今、北高の二年生になっていた。
 涼宮ハルヒが特別な力を持たなかったこの世界では、ハルヒが北高に来ることもなく、朝比奈さんは過去に訪れず、古泉はウチの校長が勝手にライバル視してる高校に通っている。
 俺は普段、一般人として生活出来るように自分の力を顕現させていないからこのくらいしか感知出来ていない。ゆえに長門のことなんかはさっぱりだ。でも情報統合思念体が不思議能力付きのハルヒを除いてこの惑星の生物に興味を抱くとは思えず、つまりインターフェイスである長門もこちらに来ているはずがない、と俺は考えている。
 俺の記憶的には二度目になる北高への入学以来、俺の足は一度も文芸部部室に向いたことがなかった。この改変は俺の意思だったけど、やっぱりその所為でSOS団が消えてしまったのだと空虚な部室を見て実感するのが恐かったのだろう。きっとあの部屋にはコンピ研から奪ってきたパソコンも団長と書かれた黒い三角錐も素敵な未来人が使っていたお茶のための諸々の道具も弱いくせに懲りずに超能力者が持ち込んだアナログゲームも存在していない。それを確認してしまったら、俺はもしかして泣いてしまうかもしれないな。
 だって俺はあの空間が好きだった。ハルヒが居て朝比奈さんが居て長門が居て、ついでに古泉も居て。いろんなことに巻き込まれて大変だったけど、それを補って余りあるくらい無茶苦茶楽しかったんだ。
 最初の種を蒔いたのは俺。ハルヒに力を与えて世界がどうなるのか見守った。すると常識と破天荒な思考を併せ持つ少女はあれよあれよと言う間に沢山の事象を引き起こしていった。宇宙人と未来人に目をつけられて、超能力者を生み出して。しまいには俺すら巻き込んで世界で一番愉快な集団を作りやがった。
 その目まぐるしさと突飛さに俺は愚かなくらい楽しいと感じていて、だからこそ自分が蒔いた種の所為で苦しむ奴の存在を知っていながらも実感はしていなかった。・・・古泉の独白を聞くまでは。
 俺の所為で大切で特別な人間の一人だった古泉がボロボロになってしまっていた。苦しいと俺に吐き出さなければならないくらいに。
 それを聞いた瞬間、俺は申し訳無さでいっぱいになって、後悔、というものをした。
 償うにはどうしたらいい?
 思い浮かんだ問いの答えは簡単だ。リセットしてしまえばいい。俺が蒔いた種の所為で苦しむ奴らがいるのなら、最初から種を蒔かなければいい。そうすれば、少なくとも目の前で苦しんでいる友人と称すべき大切な人間の心を救うことは出来る。
 途切れてしまう関係を惜しいと思わなかったわけではない。でも悲しいのは俺だけで、リセットされた後の世界ではSOS団なんて俺以外誰も知らないのだから、悲しむ奴も勿論いないわけで。だったらまあ、それでいいじゃないか。
 そうして全てをやり直した世界で俺は一般人をやっている。国木田とは中学の頃と同じようにつるんで、高校から一緒になった谷口とは馬鹿騒ぎして、元気に帰宅部所属な人生。
 これはこれで面白いし楽しいけど、谷口達には悪いけど。大切なものが欠けた世界で生きている俺はたぶん、悲しいのだと思う。
「ハルヒ、朝比奈さん、長門、古泉。みんな居なくなっちまったな・・・」
 呟き、廊下の窓から何とはなしに外を眺めていると後ろを誰かが通っていった。静かだったから図体のデカい男子ではなく、小柄な女子だろうか。
 振り返ることもなくそんなことを考えていると、くい、とリセットされたある冬のことを思い出させる感覚でブレザーの裾を引っ張られた。思わず大袈裟なくらいの動作でそちらに顔を向ければ―――。
「・・・うそ、だろ?」
 小柄なショートカットの少女が雪解け水くらいの温度の瞳で俺を見上げていた。
 有り得ない。こんな所にいるはずがない。だって、彼女の観察対象はこの世界に存在していないのだから。でも目の前の少女は幻でも何でもなく、確かに実在している。
「長門・・・?」
 問いかけると、こくりとミリ単位で頭が動いた。嗚呼、俺が知ってる長門の動作だ。でもどうしてこんな所にいるんだよ。なあ、どうしてだ。
「・・・・・・あなたが、とても悲しそうだったから。」
 そう静かに告げて、対有機生命体コンタクト用ヒューマノイド・インターフェイスの少女は俺の顔に手を伸ばす。一体何だとそのままにしておくと、温度の低い小さな手が俺の頬を軽く掠っていった。
 役目は果たしたと下げられた長門の手には透明な液体がついている。長門は静謐な瞳で俺を真っ直ぐ見つめると小さく、けれどはっきりと告げた。
「泣かないで。わたしがいるから。」







長門


 もう泣かないで。優しいひと。
 せめてわたしだけは、あなたの傍に居続けるから。








結局みんな悲しい話。