それは、僕がまだ中学生だった頃の話。我らが『神』の暴挙にもある程度慣れて、周囲に目を向けられるくらいには落ち着きや安定といったものを持てるようになった時分のことだ。


「狂犬・・・?」
「が、いるらしい。このビルの地下にな。」
 所謂"先輩"の男性は冗談半分の口調でそう告げた。
 僕達が所属する『機関』は発足してまだ長くないが、その性質ゆえに能力者として先頭で働くこちらにすら全く知らされない部分を持っていた。その知らされない部分の一つが男性曰く『狂犬』なんだそうな。
「お前も『機関』が敵対組織を潰しまくってることくらいは知ってるだろ?」
「ええ。まるでアニメの悪役のようにね。」
 こちらの返答に男性は小さく吹き出しながらも「そうそう。」と肯定し(上に知られれば少し困ったことになるな・・・)、そのことと『狂犬』がどう繋がるのか、先を続けた。
「ここには俺達みたいな閉鎖空間で働く『能力者』以外にも情報管理を担当する奴らやこっちの護衛をしてくれてる奴ら、どこからともなく資金を調達してくる人間だっている。そして、反『機関』グループを潰す奴らもな。敵に情報を知られないためか、そういう直接攻撃を担当する人間の詳細は高レベルの機密事項にされている。ま、相当えげつないこともやってみるたいだし、それを知った能力者が満足に力を振るえなくなるのは困るって理由もあるんだろうけどな。」
 確かに。
 僕達『能力者』の中には神に選ばれた人間として自分がヒーローだと思っている者がいないわけではないのだ。そんな人間が『機関』運営のために相当汚い仕事をする者がいることを知れば、砂上の楼閣とも言えるそのアイデンティティが崩れかねない。
 頷く僕に、彼は続ける。
「だが俺みたいに噂好きな人間ってのは『機関』にも結構いてな。例え"上"が隠そうとしていてもそれなりに情報は漏れてくる。まあ嘘か真実かは五分五分のところだが・・・。で、最初に戻るが、その直接攻撃担当の人間の中に特に上手い・・・と言って良いのかどうかは不明だが、とにかくずば抜けた奴がいるらしい。そのずば抜けた能力の持ち主が、」
「狂犬、というわけですね。」
「ああ。任務遂行率は最高だが、性格が少々イっちまってるらしい。」
「それはそれは・・・。さぞかし『機関』も扱い辛いことでしょう。」
 能力が高いのは有難いが『狂犬』と称されるほどの性格の持ち主ならば、諸手を挙げて歓迎できる事態でもあるまい。まあ、僕には関係のないことだろうが。『狂犬』でも何でも、好きにこのビルを出入りすればいい。
 そう思って言ったのだが、男性からの返答は僕の予想を見事に裏切ったものだった。
「いや、そうでもないらしい。"そいつ"は『狂犬』だが、『機関』にとっては『忠犬』なんだとさ。」
「・・・は?」
 おっと、先輩に対して言うには些か不適切な返答でしたね。すみません。しかし何ですか、それは。『狂犬』なのに『忠犬』?
 疑問が顔に表れていたのだろう。男性は苦笑を一つ零して、
「『機関』に忠実すぎて、いざ仕事の時には他の仲間が引くほどやりすぎるんだと。だから『狂犬』。」
「噂になるほどに?」
「ああ。真偽のほどは怪しいが、こうやって俺達の会話に上るくらいなんだから、それ相応の奴なんだろうよ。まったく、怖いねぇ。」
 本気で信じているわけではないが、決して全否定するわけでもなく。『機関』の不透明な部分の存在を知る者特有の表情で男性はそう話を締めくくった。僕もそれに合わせて「怖いですね。」と返しておく。
「そんな彼らと僕達が顔を合わせることなんて無いんでしょうけどね。」
「まあな。どうせそんな奴らはどっぷり『機関』に嵌ってオモテには出て来ねえ人間ばっかりだろうしな。」
 男性はそう言い、そこで僕達の『狂犬』に関する会話は終わった。
 何故なら神のご機嫌が悪化したからだ。またか、と言うことすら忘れるくらいに「またか」という気分だな。
「明日、学校あるんですけどねぇ・・・」
「休んじまえよ。どうせ他の組織にもお前が能力者だってことも、神が閉鎖空間を発生させたこともバレてんだ。わざわざ取り繕う必要もねえだろ。」
「・・・そうですね。」
 先輩提案の甘言に乗ってみようか。
 どうせ「今更」だ。今までにだって学校を欠席したことは何度もあるのだし。
「これが終わったら、昼まで眠ってやろうかと思います。ま、それが実現するかどうかは、まさに"神のみぞ知る"なんですけどね。」
「ははっ、違いねえ。」



□■□



「だそうよ、『狂犬』くん?」
 結果的に能力者達の会話を盗み聞きする形になった俺に、森さんは茶目っ気たっぷりにそう言った。男子中学生と年齢不詳の女性という組み合わせは他人の目に奇異に映ったかもしれないが、生憎、この場に俺達以外の人間はいない。だから「お前らは一体何なんだ」という目は無く、そういう意味では助かったのだが、一方でこの女性を自分一人で相手にしなくてはならないことに辟易することも無きにしも非ず、だったりする。
 俺は控えめに溜息を零し、
「まあ外れてはいないんじゃないですか。俺の優先事項が『機関』であることに変わりは無いんですし。」
 それゆえに仕事時の自分がかなり容赦の無い人間であることも自覚している。
「でもあそこまで噂が広がっているとは・・・。」
 自重すべきですかね?
「あなたに自重されるとちょっと困ってしまうわ。何せあなたは『機関』への貢献度がとても高い子ですからね。」
 それが無くなってしまうのは避けたい、と森さんが冗談とも本気とも取れる口調で笑う。
「絶対に裏切らない存在というのが『機関』には必要なの。情報に関してはこちらでもっと機密性を高めます。だからあなたは今までどおりに動いてください。」
 了解です。
 それじゃあまあお言葉に甘えて(?)これまでどおりに働かせてもらいますよ。
「それにしてもあの能力者・・・男性の方の最後の台詞はいただけませんね・・・。」
 そう言った俺に、森さんは同意を示しながら微笑む。
「そうですね。あなただってきちんと学校に通っている身ですのに。」
 そうだそうだ。オモテに出て来ないとは失礼な。
 俺は『機関』で今の仕事をするようになってからもずっと学校には通っているぞ。まあ胸を張れるほどの成績ではないが・・・。活動時間が『神』の機嫌に左右されない分、あの俺と同年代の『能力者』よりもよっぽどきちんと通えているのではないだろうか。(だからって少年の能力者の方が例え明日学校を休んだとしても、俺がそれについてどうこう言うつもりなどない。彼らは『神』の機嫌に振り回されて昼も夜も関係の無い生活を余儀なくされている身なのだから。)
 下手に欠席して他者へと情報が漏れることのないようにとの配慮もあり、明日もいち学生として日中活動せねばならん身を抱え、俺は欠伸を一つ。
「っと、すみません・・・」
「ふふ。あなたもまだまだ子供というわけですね。」
 そうですよー。あの可愛らしい顔をした超能力者君と同じ、未成年です。義務教育期間中のお子様です。認めますから、そうやって母親のように微笑むのはやめてください。お願いします。なんだかこう、全身がむず痒くなってしまうんですよ。
「それは失礼しました。それじゃあ今日は特別に、あなたの労をねぎらうということで、わたしが家まで送ってあげましょう。」
 その扱い方が思いっきり子供に対するものなんですよ、とは言えずに、俺はただ黙って頷く。正直、まだ発展途上のこの身体には送ってもらった方が有難いのだ。オモテでは普通の中学生を演じ、ウラで銃刀法違反に思いきり引っかかる物を握る人間にはな。今夜もすでに一仕事終えた後だ。(血のにおいはちゃんと取れてると思うんだが・・・。大丈夫だよな?)
「今日もお疲れ様でした。」
「いえ、森さんこそ。この後もまだ仕事なんですよね・・・?」
 大人と子供の差があるとは言え、この人はちょっと働きすぎなんじゃないだろうか。
 心配になって顔を顰めると、彼女はまるで少女のように淡く微笑んで、
「でしたら、あなたがもう少し大きくなってからわたしを手伝ってくださいね。」
 そう言い、俺の手を取る。
「さあ行きましょう。」
「・・・はい。」
 大きくなったら、か・・・。そうですね。もう少し身体が大人に近づいてもっと動けるようになったら、『機関』のためにというだけではなく、あなたのために働いてみるのも良いかもしれません。
 未来なんて不確定のものを約束することは出来ないが、言葉にはせず胸の内だけでそう告げて、俺は森さんに手を引かれるまま歩き出した。










右手に銃を、左手に日常を。-a few years ago-









 それにしても。まさか数年後、神様だけじゃなくあの超能力者君とも同じ高校に通うことになるとはね。
 俺の仕事は相変わらずだったけど。・・・いや、昔よりはやれることも多くなった、かな?(どうです、森さん。)








機関の忠犬キョン版で「右手に銃を、左手に日常を。」の数年前の話。
中学生の古泉とキョンをニアミスさせるだけのつもりが、うっかり森×キョンに走りました。
でもここのキョンは、もし『森さん』と『機関』のどちらかを選ばなくてはならなくなったとしたら、迷わず『機関』を選びます。
そんなキョンです。