僕ら閉鎖空間で戦う超能力者にはそれぞれ護衛がついているらしい。世界で十人程度しかいない貴重な存在だから、とか何とか。でも結局は、「機関」が他よりも神に近いと考えられる超能力者を独占するため、他の組織に取られて力を失いたくないためなのだろう。まあ、過激な反機関グループ等では超能力者を取り込むどころか殺害してしまおうとする傾向も無きにしも非ずなので、まだ生きていたい自分としては護衛が在るに越したことはない。監視されているようで決して良い気分ではないけれど、こんなポジションに就かされてしまった時点でそれは諦めるしかないだろう。
だから、今この道を一緒に歩いている彼には少なからず罪悪感を覚える。いや、むしろ、彼の調査書に目を通した僕が言える立場ではないが、他人に彼を見られたくなかった。面倒臭そうな横顔も、これから僕に勉強を教わるのが気に食わないといった表情も、僕の部屋はどんな風になっているのやらと興味津々な目も、どれも僕が独占していたい。 こんな浅ましい想いを彼が知ったら、一体どうなってしまうのだろう。やはり「気持ち悪い」と距離を置かれてしまうのか。でも優しい彼のことだから、もしかすると拒絶はしないでいてくれるかも知れない。例えこちらの想いに答えてくれなくても、だ。 自分の中で隣を歩く彼がどんどん美化されていくのに気付いて、僕は胸中で苦笑した。彼は確かに「鍵」だが、その前に一人の高校生なのだ。ただ他の人よりは幾らか優しいだけの。でもその少しの違いに宇宙人も未来人も超能力者も、そして神さえも惹き付けられてしまうのだ。盲信の気があるのかも知れない。だからきっと、気付けば彼を美化しているのだろう。 「なにニヤニヤしてるんだ。そんなに俺の小テストの点数がおかしかったか。」 「それは被害妄想と言うものです。僕はただ、僕の部屋にあなたがいらっしゃるという事実が嬉しいだけですから。」 「なんだか初めて家に友達を呼ぶ子供みたいだな。」 「あながち間違ってはいませんね。だってあなたは僕の大切な友人ですから。」 「・・・ッ、」 そう、大切な。あなたは僕の大切な人なんです。だから緊張はしますけど、嬉しくないはずがないんです。 と、息を呑む彼に伝えられたらいいのに。僕は臆病で、まだ結果のわからない賭けに出る勇気は持ち合わせていない。情けないけれど、この心地いいぬるま湯のような今にもう少し浸っていたかった。 ふと前方から歩いてくる人影に目がいった。なんてことはない。背広を着た普通の中年男性だ。でも何故か気になって、僕はいつでも隣の彼を庇えるよう神経を張り詰める。閉鎖空間でなければ僕はただの人間だけど、それでも彼を想う男としてその盾になれれば・・・。 男性との距離はどんどん縮まっていく。5m・・・4m・・・3m・・・2m・・・・・・男が動いた!軽く手を振ったかと思うと、その手中に現れたのは袖口に隠されていたらしいナイフ。男の目は完全に僕だけを見ていた。でも隣の彼が一緒に危害を加えられないとも限らない。僕は男の動きに気付いた瞬間、彼を守るために一歩前へ出ようと――― 「邪魔。」 「・・・え、」 声は隣の彼から。左手で僕の肩を掴んで後ろに下がらせ、自分は代わりに前に出て男へと向かって行く。声は出せなかった。僕はただ目を瞠るばかりで、彼の背中を見つめ続ける。 その後に起こったことはまさに一瞬だった。 素手で向かって行った彼がいつの間にか男をうつ伏せにし、その上に馬乗りになっている。左手で男の腕を捻り上げて行動不能に陥らせ、右手で男が持っていたナイフを奪い、それを男の首筋に当てていた。 「吐け、どこの組織だ。素直に答えれば殺さない。」 「だ、れが・・・!」 「そうか。」 僕を置き去りにして男と彼は会話を交し、そして彼は男に冷たくそう言い放つと、一片の躊躇なく人気のない夕方の道路にポキリと小気味よい音を響かせた。 「ひ、ぅぐ・・・っ!」 悲鳴を噛み殺す男の小指が関節を無視した方向に折れ曲がっていた。彼はあくまでそれを冷たく見据え、「言う気になったか?」と問う。それでも男は答えない。そうするとまた、ポキリ。今度は薬指が曲がっていた。 なんだ、この光景は。 彼と男の応答が続き、男の五指全部が可笑しな方向に曲がった後、彼は小さく溜息をついて疲れ気味に「そうか。もういい。」と呟いた。その気だるげな声はまさに僕が知っているいつもの声で、しかし目の前に広がる光景はこれまでに考えたこともないもので。 呼吸を忘れたかのように口をパクパクと開閉させる僕に気付き、彼がくすりと笑った。目を細め、口端を緩く持ち上げて、どこかチェシャ猫を髣髴とさせる笑みだ。まるで今まで彼のこの姿に気付けなかった僕を嘲笑うような。 その視線に耐え切れず、僕は彼から目を逸らした。くつり、と嗤い声が聞こえる。 「なあ、」 声は僕ではなく彼に押さえ付けられている男に対するものだった。 「あんた、本当に口が堅いんだな。そんなに自分の組織に忠誠誓ってるなんて尊敬するよ。俺も機関に忠誠を誓ってる身なんでね。」 彼の放った台詞に僕が思わず視線を戻した時、その男は訝しみの表情から一転、驚愕に目を見開いていた。彼が、あの彼が、僕と同じ「機関」の人間・・・?そんなこと、僕は知らない。知らされていない。彼は神の「鍵」で、でもその前に普通の高校生で―――。 「なんだ知らなかったのか。・・・まあ、簡単には知られないようにしてたけどな。でもこれで驚いてもらっても俺は嬉しくないんでね。さっさと俺的本題に移らせてもらうぞ。」 あくまで声は楽しそうに。 「あ、でもちょっと前置き。あんたもそうだから解ってくれると思うが、自分のところの大切なものが害されそうになったら凄く腹が立つよな。俺はそれに加えて、その害そうとしてくれた奴にどんな報復をしてやろうかって考えるタイプの人間なんだ。」 だから教えてやるよ、と続け、彼は優しくけれども甘い猛毒を含んだ声音で告げた。 「あんたが古泉―――超能力者の中でも神に最も近い存在を狙ってたってことは最初からバレバレだったんだ。しかも前に警告しただろう?あんたの前任者にさ。でもあんた達は諦めなかった。俺を一般人だと思い込み、"無力な人間"と一緒にいる古泉を狙った。・・・これがどんな結果を齎したか解るか?機関はもうGOサインを出したんだよ。」 男が「まさか・・・!?」と息を呑む。顔を青褪めさせ、歯がカチカチと音を立てた。 「あんたから聞き出す情報なんて最初から無かった。それでも指を折らせてもらったのは俺の趣味。思ったほど啼いてくれなかったから片手で止めたけどな。」 でも景気よく啼かれると近所迷惑か、と軽い調子で言う。悪夢でも見ているようだった。 「機関」が敵対組織に"そういうこと"をするという話は聞いたことがある。僕達が触れない、もっと暗部を担当する者がいる、と。でもそれが彼だと言うのか。鍵で、高校生で、SOS団の団員達が惹かれて止まない彼だと。 「機関の警告を受け入れずに"これ"だからな。今頃あんたのところのお偉いさん、全員捕まってるだろうよ。」 僕の絶望を余所に、彼は甘く楽しそうに囁く。 所属する組織に強い忠誠を誓っていたらしいその男は彼の囁きを耳に入れ、発狂したかのように暴れだした。しかし彼はその動きをいとも容易く封じ込め、くつりくつりと暗い嗤い声を零す。 「というわけで、イジメはこの辺にしておくか。・・・・・・じゃ、先に逝っとけ。」 右手の刃が男の首を掻き切る。彼の声は最後まで楽しそうだった。 * * * 気がつくと僕は自分の部屋にいて、彼が心配そうに顔を覗き込んでいた。 「あ、れ・・・?」 どうして自分がここにいるのか解らない。確か僕は彼と一緒にこの部屋に向かっていて、それで―――。 「お前、びっくりさせんなよ。歩いてる途中にいきなり倒れるから焦ったぜ。」 「え、僕が倒れた・・・?」 「記憶が無いのか?」 彼の訝しげな顔を見ながら頷く。ところで彼が言うように、本当に僕が帰宅途中で倒れたのなら、彼は一体どうやって僕をここまで運んだのだろうか。 「あぁそれか。なんかタイミングよくお前の携帯電話が鳴ってな。表示見たら森さんって書いてるし・・・で、悪いとは思ったが、そのまま通話ボタンを押させてもらった。」 「そうでしたか。森さんが連絡を・・・。」 一体何の用だったんだろう。あとでお礼を言う時に訊いておこうか。 「本当にご迷惑をお掛けしました。」 「そう言うんだったら体調管理はもっとしっかりな。お前、貧血で倒れたらしいから。」 「肝に命じておきます。」 彼に心配されたという事実が思った以上に嬉しくて、そのとき僕は愚かなくらい浮かれていた。だからだろう。彼の着ている制服が休み明けでもないのにクリーニング後のような綺麗さを保っていたことに、僕は気付いていなかった。 目前に真実を、その手中に虚構を。 『 』 「ええ、古泉一樹のあの記憶は完全に消えています。」 『 』 「はい。お手数をお掛けしました。」 『 』 「そうですね。大事な超能力者が使いものにならなくなったら困りますから。」 『 』 「いえ、俺は機関の敵を殺しただけですよ。あ、今回森さん達が捕らえた奴らのことですけど・・・」 『 』 「本当ですか!?じゃあ、俺も参加していいんですね。ありがとうございます。個人的にはヤスリが一押しです。」 『 』 「・・・森さんって俺よりえげつないですね。」 『 』 「褒め言葉ですよ。それじゃ拷問部屋・・・じゃなかった。審問室でお会いしましょう。」 そう言って、キョンと呼ばれる少年は携帯電話の通話終了ボタンを押した。 「右手に銃を、左手に日常を。」と同設定で古→キョン(キョンは機関の忠犬)版。 こちらのキョンは、古泉が機関にとって大事な人間だからこそキョン自身も大事にするって感じでしょうか。 そして森さんと仲が良かったり。 |