「γ の世界」より
谷口および国木田の場合
嘘だろ!?
まず思ったのはそれだった。そんで傾いだ身体は重力に逆らうことなく真っ逆さまに降下を始める。足が滑ったと理解した後にふわりと浮かび上がるような感覚を覚えて・・・ああもうだめだな。これは下手をすると後頭部から直撃コースかもしれん。なんでよりによってこんな時に階段から落ちるかな、俺。 手すりとか掴まれそうな所も無く、伸ばした手は空を切った。おおジーザス。俺はきっと「あのこと」で運を使いきっちまったに違いねえ。ここで頭打って去年の冬のキョンみたく三日間意識不明とかだったらシャレになんねーぞオイ。俺の大事な大事な予定は今週末に控えてんだ。倒れてる暇なんか無いっつーの! と、一瞬で考えられる頭って実際すごくね?超余裕っぽいよな。でも現実は今も俺の身体は落下中で絶体絶命大ピンチってわけだ。ちょっとホント!誰かヘルプ!神様助けてくれっ!! 「―――っと、危ないだろ、谷口。」 「へ・・・?キョ、ン?」 「それ以外の何だってんだ。」 落ちると思った(ってか落ちてた)身体は、気付けば本年度も同じクラスになった親友(だろ?俺達は。いくらこいつが部活・・・団活だっけ?まあいい。とにかくそれ中心の生活を継続していようとも、だ)にがっちりと支えられていた。 おおキョンよ、いつの間に現れたのか知らんがマジで助かった。しかもお前、支え方とか何気に上手いな。ちょっと有り得んくらいに衝撃らしい衝撃も無かったぞ。 「はいはい。ぼけっとしてねえでさっさと自分の力で立ってくれ。お前を教室まで引っ張っていくつもりは毛頭無いからな。」 「そんな冷たいこと言うなよキョン。」 答えつつ、キョンから身体を離す。 俺とそんなに変わらない体格してるくせによろめくことすらしなかった親友殿その一 ――その二が国木田であることは言うまでもない――は「ったく。」と零し、きっと俺を受け止めるためだろう、階段の踊り場に放り投げていた鞄を手に取った。で、俺達は教室へ行くため階段を上りだす。 あーマジで助かったぜ。キョン様様だな。けど、こうやって落ち着いて考えてみると、キョンが俺を助けたことにちょっとばかし疑問を覚えないわけではない。俺の記憶が正しけりゃ、俺が階段から落ちそうになった時、キョンは近くにいなかったはずなのだ。あ、気配云々とかはあんま気にしないでくれ。そんなモン――しかも可愛い女子ならともかくヤローの気配なんてな――を一般人の俺に感じられるはずがない。俺が「キョンは俺の近くにいなかった」と考えているのは、もしあいつが近くにいたなら朝の挨拶がてら声を掛けてくれるはずで、でもそれが無かったからだ。 まさか瞬間移動とか?涼宮が食いつきそうなネタだぜ、まったく。・・・と、冗談はその辺に置いておくとして。グダグダ考えるよりも先にまずは言うべきことがあるだろ、俺。 「言い忘れてたが、キョン、ありがとな。」 「どういたしまして。けどお前、階段で転ぶとかちょっと浮かれすぎじゃないか?」 「俺、浮かれてんの判る?」 スキップで階段を上っていた覚えはないんだが。 「まあな。階段から落ちかけたってのにニヤニヤしてるし。どうせ何かいいことでもあったんだろ?ま、どうせお前のことだ、晩飯に好きなものでも出るとかそんなところだったりしてな。」 失礼な。高二にもなって高が晩飯如きに浮かれたりしねーよ!ハズレだハズレ! 「ニヤついたままの顔で睨むな。全然怖くねえから。つうか腹立つ。」 「だってしょうがねえだろー。週末にデートが待ってるとなりゃあ浮かれずにはおられまいよ、なぁキョン?あ、彼女ナシのお前に言っても意味のないことかもな。」 「嫌味を言う元気があるならもう一度階段落ちをやらせてやっても構わんぞ?」 「スイマセン調子に乗りました。だから笑顔で鞄を置くのはヤメテクダサイ。」 目が笑ってねえからマジでこえーよ。 「わかればよろしい。・・・しかしまあ、いつのまに彼女なんて作ったんだ。」 ふっふー。よくぞ聞いてくれました! 「この間の連休中にな!お前が涼宮達とワケのわかんねー活動やってる最中に俺は一生懸命青春してたってわけよ。」 「あれがワケの分からん活動であることは認めるがな・・・。ま、精々頑張ってこいよ。いち友人としてお前の健闘を祈りつつ、去年の冬みたいにまた俺と同じ独り身に戻ってくるのを心待ちにしてやるから。」 そう言ってキョンはにやりと笑う。けどその表情に嫌味なものは欠片も無くて、俺はキョンの後半の台詞に腹を立てることもなく「そうは行くか!」と笑って返していた。 なんかキョン、お前ちょっと変わった?そう言えば春休みが明けた辺りからほんの少し前とは違っていたような。悪い意味じゃなくてだな、こう・・・どう言えばいいのか判んねえけど、妙に達観してるって言うか(ん?これは前からか?)、中身的なものが成長したと言うか。器がデカくなったとか?んー・・・そうだな、守ってくれてるって感じかも。 同年代の男に思うなんて間違ってるかもしんねーけど、キョンは春休みが明けてから前より包容力が増したような気がする。(うわ、この表現、我ながら気持ち悪い。) 一体春休みの間に何があったのかねえ。中学時代の女友達――佐々木、だっけ?――に会ったってことは国木田との会話で知ってたけど、それが何か関係してんのかな。でも高が同窓と会ったくらいでそんなに人の内面が急成長するとも思えん。いや、そう思ってるのは俺だけで、実は結構変わるモンなのか? 「・・・どっちにしろ、キョンがキョンだってことに変わりはねえんだけどな。」 「ん?何か言ったか?」 「いんや、何も。ほら急ごうぜ。ホームルームが始まっちまう。」 「遅くなったのは誰の所為だと思ってんだよ。」 「俺?」 「疑問系で答えるな。確実にお前が浮かれて階段から落っこちそうになった所為、だろ。」 「あはは。」 「笑って誤魔化すな。」 ぽすん、と軽く拳で肩を小突き、キョンが半眼を向けてくる。が、それはすぐいつものやや眠そうな目に戻って「ああそうだ。」と何かを思い出したらしい表情で俺を見た。 「谷口、その週末デートとやらには傘を持って行った方がいいぞ。午後から雨だから。」 そう妙にきっぱりと言う。今時週間天気予報なんて思うほど当たっちゃくれねえのに、力強く断言するんだなお前は。瞬間移動の次は未来予知か? しかも俺が今朝確認した限りは今週いっぱい晴れマークだったぜ。勿論都合よくその週間天気予報が当たることを信じて、デート日が晴れであることにガッツポーズをしたのは言うまでもないだろう。 「まあそう微妙な顔をするな。騙されたと思って折りたたみの一本でも鞄に入れて行け。上手くすれば――言い方は古いが――彼女さんと相合傘だ。」 「何か知らんが、りょーかい。そんじゃお前の自信たっぷりなお言葉を信じて傘持って行かせてもらうわ。」 「そうしとけ。」 □■□ 「―――と言うことがあってな。」 「へえ。それで谷口は浮かれまくりでキョンが苦笑いしてたってわけだ。」 谷口から今朝の階段落ち未遂事件の詳細を聞き終わり、僕は机の上に出していた弁当箱を仕舞った。生憎キョンは本日、部室で作業があるらしく(ホームページが如何とか)、この昼休み中、教室からは姿を消している。だから僕と谷口の二人だけで昼食ってわけ。男三人が集まって姦しくなるわけじゃないけど、やっぱり一人欠けると寂しいものがあるね。 それはともかく。 確かに谷口の言う通り、春休みが明けてからキョンの態度が僅かに変化したような気はする。でもそれが人としての成長ってことじゃない?キョンも涼宮さんに引っ張られて色々毒されたり許容範囲を広くせざるを得なくなってきてるみたいだし。それに谷口も感じた通り、結局、キョンはキョンなんだから気にするようなことじゃないよね。こう言うのもなんだか気恥ずかしいけど、僕達が友達であることに変わりはないってこと。 そして時間は少し流れ、谷口が指折り数えて待ちに待っていたデート当日。 僕は家で参考書を眺めつつ、急に曇り始めた空を窓ガラス越しに見上げた。これはキョンの言っていたように雨になるかもしれない。天気予報じゃ降水確率は低めの値だったけど・・・と、そう思っているうちに雨粒が窓を叩き始めた。 谷口、キョンが言ったようにちゃんと傘持って行ったかな。上手くすれば相合傘、だっけ?きっと彼女さんとやらは今朝の天気予報を信じて傘なんて持って来ていないだろうし、これをチャンスにして男の株が上がるといいね、谷口。 それにしても、どうしてキョンは今日雨が降るって知っていたんだろう。気象予報士でさえ判らなかったのにさ。ただでさえ文系の彼が天気図の読み方をその道の専門より熟知しているはずもないのにねえ。 ・・・ま、気にしてもしょうがないことかな。必要ならキョンの方から言ってくれるだろうし、僕から問い質すつもりは毛頭無い。当事者である谷口は・・・どうかな。本当に傘を持って行っているなら、教えてくれたキョンに大袈裟な感謝をしたあと訊くかもしれないし、そんなのは全部頭の中から吹っ飛んでデートの自慢話になるかもしれない。後者の可能性の方が高いと思えてしまうのが、谷口が谷口たる所以かも。本人には言えないけど。 「さてと。」 参考書を閉じて鞄に仕舞う。それを持ち、部屋を出て一階へ。谷口はデートだけど、僕は残念なことにこれから塾だ。 いつもなら自転車で駅まで行く道のりは、しかし今日は雨だから徒歩で行かなくちゃならない。当然時間もかかる。けどキョンの台詞を聞いていたから時間的余裕は十分で、面倒な雨なのに何故だか少しだけ楽しく思えた。 ゴールデンウィーク明けくらいの話。 キョンが週末の天候を変えなかったのは、以前長門が原作で言ったように、 ずっと先の地球の天候が影響を受けるから・・・のはず。 |