γ の世界」より

喜緑江美里および北高生徒会長の場合






「少しお時間をいただいてもよろしいでしょうか。」
 放課後。そう言って生徒会室へ誘うと『彼』は一瞬だけ驚愕に目を瞠り、しかしすぐに表情を取り繕って上級生であり生徒会書記でもあるわたしに多少気だるげな平常通りの表情で返した。わかりました、と。


「どうしたんですか喜緑さん。・・・また、ハルヒが何かやらかしましたか?」
 生徒会室のソファにわたしと向かい合うような形で座り、目の前の存在が長門有希と同じ対有機生命体コンタクト用ヒューマノイド・インターフェースだと知りながら、彼は人間の上級生に対する口調と表情でこちらの話を促した。涼宮ハルヒに最も強い影響力を持つ人間としてではなく、SOS団と名乗る学校非公認集団の一員として。
 彼は解っているのだろうか。彼の行動一つでこちら側――情報統合思念体――が窮地に立たされる可能性の大きさを。己が持つ切り札の大きさを。存在価値を。
 昨年の十二月に起きた長門有希の暴走により、情報統合思念体は上書きされた三日間その存在が消失していた。自身が作り出したインターフェースにより自己の存続の危険性が生じることを認知した情報統合思念体は長門有希のこれ以上の暴走行為を危惧し、その破棄も討議の場に上ったが、しかし彼の一言で現在それは凍結状態にある。彼は長門有希を通じ、もし我々が長門有希を破棄するならば、彼の「ジョン・スミス」としての存在を涼宮ハルヒに明かし、彼女に己の力を自覚させた上で情報統合思念体の消滅をも辞さないという脅迫行為に及んだのだ。よって、彼が情報統合思念体の"命綱"の一つを握っていると言えるのである。
 そんな我々にとっても軽視できかねる存在の彼は、わたしが出した紅茶を飲みながら黙したままのこちらを少々不審な目で窺っている。不審、と言うよりは不安、だろうか。彼が属する非公認団体の長である涼宮ハルヒは所謂問題児だ。周囲で巻き起こる事態は別として性格はごく一般的な彼からすれば、それは当然心配や不安を覚えるものなのだろう。
 わたしは彼の良くない顔色を直すべく規定された通りの微笑を浮かべて、いいえ、と否定の言葉を告げた。そう、彼をここに案内したのは涼宮ハルヒおよび非公認団体の活動に関することではない。我々情報統合思念体と彼との間でのことだ。
「お聞きしたいことがあるんです。」
「俺に聞きたいこと、ですか。答えられることならお答えしますよ。」
 微笑は目に見える効果を示さなかったらしく、彼の表情は未だ幾許かの硬さを保っている。しかしこれを上級生もしくは情報統合思念体のインターフェースに対する緊張であるならば、特に問題は無い。
 喜緑江美里の性格設定によりこの場では無意味と判明しつつも微笑を浮かべ続け、わたしは本題を切り出した。
「最近、長門有希が特定の事象においてのみ情報統合思念体への報告義務を怠っています。その理由を教えて欲しいのです。」
「それは・・・俺には関係ないんじゃないですか。」
「いいえ、関係あります。」
 そう告げると、彼はティーカップをソーサーに戻し、眉間に皺を寄せて僅かな不機嫌さを滲ませた表情を形成した。わたしはそれを微笑みのまま受け止める。
「なぜなら、その特定の事象が全てあなたに関することだからです。」
「・・・訳が分かりません。」
「つまり、長門有希はあなたの行動およびそれに付随して起こる現象に関してのみ、詳細な報告を情報統合思念体に行っていないのです。あなたが指示したのですか?それとも、この状況は長門有希の意思によるものですか?」
 半年前ならば後者の可能性などゼロだったのだが、あの十二月を境に長門有希は異時間同位体との同期――言い換えれば未来予知――を拒否し、人間でいう所の「意思」を発露させた。よって後者の可能性も否定出来ない。さあ、今の状況は彼によるものか、長門有希個人によるものか。お答えください。そして、一体あなたは何をなさっているんですか。
「俺は、長門の意思を妨げるようなことなんてしたくないと思っています。だから長門にそういうことをするな、と頼んだ覚えはありません。少なくとも俺の視点からすれば。ただ、俺の言葉が長門にどう受け止められているのかってことに関してはあまり解りませんけどね。」
「では、長門有希が報告義務を怠っていることに関して、それはあなたの指示ではない、と?」
「一応そのつもりです。・・・で、それなら長門をどうにかしちまうのも構わないって訳ですか?あいつの不利益になることなら俺は・・・いえ、俺達SOS団は全力で阻止させてもらいますよ。」
 向けられたのは挑戦的な瞳。てっきり怒りに満ちた鋭い視線でも受け止めなくてはならないかと思っていたのだが、どうやら彼には"余裕"があるらしい。やはり「ジョン・スミス」という切り札があるからだろうか。それくらい、こちらも全力で当たれば対処出来るものなのだけれど。観察対象達と敵対しても彼らへの対抗策が無い訳ではない。
「無理ですよ。俺達には敵わない。」
「・・・今、わたし声に出していましたか?」
 もし彼を敵に回したらという考えを、わたしは口にしていた?いいえ、そんなことは有り得ない。情報伝達関連においてあまりにも不完全な有機体である彼のような人間ならまだしも、人型とは言え情報統合思念体によって作り出されたインターフェースたるわたしが不必要に思考を音にすることは無い。
 では、彼がわたしの思考を読んだ、と・・・?それこそ有り得ない。彼は普通の人間だ。涼宮ハルヒに唯一選ばれた一般人、それ以下でもそれ以上でもないのに。
 目の前に座る彼はいつの間にか不安も不審も消し去って、絶対的優位な者としての穏やかな表情を浮かべている。その中に気だるさも混じっているのは彼の仕様だろうが、どうしてそのような表情をしているのか。これは長門有希が報告していない事柄に関連している可能性が極めて高いと判断される。
「わたしは今、考えを口にしていましたか?」
 もう一度彼に問う。
 彼は首を振るなどの動作をせず、ただ言葉だけで答えた。
「いいえ。」
「では何故、」
「だぶん喜緑さんも長門と同じ存在だからじゃないですか?長門って無表情なことが多いですけど、きちんと見ていれば考えとかも解ってきますし。喜緑さんは長門より表情豊かに作られてるみたいですからね、親しくなくてもなんとなく解るんじゃないですか。」
 それは、嘘、ですね。
 わたしの表情の豊かさは作られたもの。だからそこから思考を読み取ることは不可能なはず。しかし彼はそんなわたしを目の前にして平然と言ってのけた。白々しく。彼もわたしの表情と思考が一致している訳ではないことに気付いているはずなのに。
 この人物に思考を読まれたのは確実。それはどうやって?彼は、一般人ではないのか。
「あなたは何者ですか。」
「それは喜緑さんの方が良く知ってるんじゃないですか。どうやらハルヒの周りに集まる奴らってのは本人よりそいつのことを良く調べてるみたいですしね。」
 はぐらかされる。答える気は無いということですね。
 しかし「一般人です」と即座に返されなかったことから、彼は自身が一般人ではないと認めている、と推測することは出来る。彼が普通の人間ではないということは現時点では確証を得られない仮定であるが、情報統合思念体において議題に上らせるべき、および今後詳細を観察すべきものとして認識した方が良いだろう。
「質問を変えます。あなたは今、どのような状態にあるのですか。一年前と、半年前と、数ヶ月前と、何か変わったところは?」
「・・・それをあなたにわざわざ言う理由はありませんよ。」
「交換条件ですか?見返りがあれば教えてくださいますか?」
「一体何と交換させる気ですか。」
「さあ?それはあなたと話し合って決めるべきものではないかと。」
 こちらがしつこく食い下がると、正面の彼は徐々に機嫌を降下させていく。たしかに気分の良いものではないだろう。しかしこの程度、わたしたちが注視するほどのものではない。
「教えていただけませんか。長門有希が報告しなかった"あなた"を。」
「だから―――、」
 何かを言おうとして、そのまま彼の台詞が止まった。視線が向いた先は廊下に繋がる出入口。他の生徒会の役員や生徒会室に用のある一般生徒が入ってくる可能性もあるため、鍵はかけていない。そして現在、この部屋に近づいてくる存在が一つ。その存在は最もこの部屋に入室する可能性が高い生徒だった。
 ガラリと扉が開く。
「喜緑くん?・・・と、キミはあの非公認団体の一員だな。何か用かね。」
 それとも喜緑くんが彼を呼んだのか、とこの学校の生徒会長にして、涼宮ハルヒの傍にいる古泉一樹が所属する『機関』にその地位を与えられた人間がわたしに顔を向けながら作られた口調で問う。
 どうやら時間切れらしい。
 互いに相手が"普通"ではないことに気付きながらも、わたしたちは今の立ち位置を保持するため一般の「生徒会長」と「書記」であろうとする。ゆえにその両方が一つの空間にいる場合、わたしたちは作られた方の自分を演じなくてはならないのだ。つまり情報統合思念体のインターフェースとしてのわたしはここまでで、これ以上彼と話すことは出来なくなってしまったということ。
 よかったですね。今回はわたしのしつこい追及から逃れることが出来ますよ。
 相手に自分の思考が読めること前提で微笑みかけると、彼は些か苦く笑った。
「会長。わたしは私用がありますので、これで。」
「ああ、わかった。気を付けて帰りたまえ。」
「はい。お先に失礼します。」
 最後にそう言って、わたしは生徒会室を後にした。



□■□



「助かりました。」
「何のことだ?」
 書記の喜緑を相手にしていた時よりも少しばかりダラけた様子でソファに身体を預けながら言ったそいつに俺は短く答える。しかしこちらの声に面白がってる要素を感じ取ったらしく、奴は咎める意味を込めてチラリと視線を寄越した。そして諦めたように溜息を一つ。
「まあいいです。おかげで喜緑さんからは逃げられましたしね。」
 実際出て行ったのはあっちだがな。
「俺的には同じですよ。あの人はちょっと苦手っぽいんで。」
 そのようだな。雰囲気からすると彼女に色々問い詰められていたようだが。
「まあそうですね。こっちだってそれなりに喋りたくないことだってあるんですけど・・・。あの人は仕事熱心な方みたいですから。」
 眉尻を下げて苦笑するそいつに俺も吐息を零すようにふっと笑ってソファに座る。場所は先刻まで喜緑が座っていた所、つまり奴の正面だ。生徒会長用の席に座っても良かったのだが、今はあまりそんな気になれなかった。
 こいつ相手なら眼鏡も不要だろう。そう思って生徒会長になるための小道具を外し胸ポケットに引っ掛ける。
「確かに喜緑江美里は優秀な書記ではあるな。・・・だからお前らに関するそっち系のことにも熱心なのか。」
「らしいっすね。俺も実感したのは初めてでしたけど。」
 肩を竦めて奴は、やれやれ、と零す。そういう動作や台詞は簡単に癖になっちまうぞ。ああ、もしかしたら既に癖なのかもな。
 しかし古泉曰く宇宙人――正確には情報統合なんちゃらのインターフェースとか何とか――らしい喜緑江美里は、一体どういう理由で今頃こんな一般人を生徒会室に連れ込み問い詰めていたのだろう。確かこいつらの非公認団体には喜緑と同じ宇宙人である長門有希とやらがいるはずじゃないのか。だったらそいつから話を聞けばいいのに。まさか仲違いでもしたのか?
 ・・・ま、俺には関係の無いことだが。俺は俺で、それっぽい生徒会長を演じていれば良いだけだ。それだけで内申やら何やらが面白いくらい良好になるからな。
 ただし気まぐれで何かしてやることはあるかもしれん。古泉やあのやかましい迷惑女はともかく、『鍵』だとか言われているこいつは俺にとって不快な人間ではない。むしろどちらかと言えば好感を持てるタイプだからな。手助けすることは無いにしても――そもそも俺は「生徒会長」だからきっとあの団絡みの厄介事で困っているであろうこいつに手を貸す可能性はほぼゼロだろう――困った事態に陥っていたならば「ご愁傷様。まあ頑張れよ。」と肩を叩くくらいのことはしてやるんじゃないだろうか。
 正面ではキョン――涼宮ハルヒがそう呼んでいたな、確か――とやらが喜緑に淹れてもらったらしい紅茶を啜り、何とも言えない顔になっている。
「ああ、その紅茶・・・。機械的な味がするだろ。喜緑が淹れたものは全部そうなんだよ。他の奴らは美味い美味いと飲んでやがるが、俺にしてみればこんなもん、機械がいつもキッチリ分量測って淹れてる味も素っ気も無い代物だ。茶ってのはもっと何かあるもんだろう?」
「確かに。うちで朝比奈さんが淹れてくださっているお茶はいつでもその味以上に美味しい何かが入ってますね。」
 愛情とか、と苦笑しながらそいつは言う。
 それはそれは。実に良いお茶汲みメイドがいたものだ。
「そいつは未来人、だったか?見た目も悪くないし、男としては多少お相伴に預かりたいと思えなくもないな。」
「でも巨大な障壁がすぐ傍に居ますからねえ・・・」
 全くだ。
 おそらく俺達二人の脳内には同じ女が浮かんでいることだろう。ギャンギャンと喚く性格破綻女が。最近大人しくなってきたと言ってもやはりまだまだ一般人を名乗れる規格には収まり切らない行動力を発揮しているし、その例えはあながち間違いではないと思うぞ、俺は。
 想像しなくてもいいやかましさを頭の中で再生してしまったのが原因か、ふいに煙草が吸いたくなった。この部屋にいるのは目の前の奴一人、そしてこいつは俺の本性を現在進行形で晒している奴だから何も気兼ねすることは無いな。
 そう思って相手に断り無くブレザーの内ポケットを探る。ヘタにズボンのポケットなんかに入れて落としてしまうのも馬鹿らしいので煙草はいつもこの中だ。しかし。
「・・・あれ、」
 無い。
 あ、そう言えば昼間屋上で吸ったのが最後の一本だったな。これじゃあお預けか。
「煙草、ですか。」
「ん?ああ、だがもう全部吸っちまってた。こりゃ帰るまでプチ禁煙だな。」
「半日以下じゃないっすか・・・それはプチじゃなくてミクロとかでしょ。ミクロ禁煙。ナノでも構いませんけど。」
 呆れ混じりの苦笑を浮かべながら正面に座るそいつはズボンのポケットを漁っていた。なんだ、煙草の代わりに飴でもくれるのか?
「どっちが良いんです?飴か、煙草か。」
「そりゃ当然、煙草。」
「・・・でしょうね。」
 俺の即答に、口角を微かに上げて奴が差し出したのは。・・・おいおい。お前、不良だったのか。
「諸事情で偶々持ってたんですよ。でも俺自身には不要な物なのでこれは差し上げます。ああ、俺から貰ったってのは絶対誰にも言わないでくださいよ。」
 奴から受け取ったのは未開封のダンヒル(ライト)。メタリックな青のパッケージが俺の手の中で蛍光灯の光を反射している。
 貰えるのは有り難いが、諸事情って何だよ、諸事情って。成績以外教師が顔を顰めるような問題なんて無いはずのお前がどういう理由でこんなもの持ち歩くってんだ。
「理由ですか。そうっすね・・・実は俺も一般人じゃなくて本当は魔法使いでした、とか。そんな感じでどうですか。その煙草も会長が望んだからわざわざ俺が魔法を使って出した、と。」
「阿呆か。俺は確かに涼宮ハルヒの裏側を知ってる人間の一人だが、ンなことを簡単に信じるような脳内花畑人間でもない。」
「そうですか。俺的には結構イイ線だと思うんですけどねぇ、魔法。望んだら実現、って。」
 くすくすと笑うそいつに溜息で返答して、俺は貰った煙草を一本取り出し火をつける。遠慮?そんなもんこいつには必要ないだろ。副流煙に関してはその責任を放棄させてもらう。
 俺が煙草を吸い始めると奴は、臭いが移るんでせめて俺が出て行ってからにしてくださいよ、と笑いながら呟き、冷めた紅茶を飲み干して腰を上げた。美味くないなら飲まなきゃいいのに、律儀だな。
「その煙草は喜緑さんの追求から助けてくれたお礼です。だから遠慮なく全部吸っちまってください。」
「言われなくてもそうさせてもらうさ。」
 ほら、お前の肺が黒くなる前にあの女の所へ戻りな。そうでなくても臭いがついたらあいつが煩いんだろう?
「そうですね、お邪魔しました。」
「気が向いたらまた来いよ。俺が居れば喜緑もちょっかい出して来ないだろし。それに俺も素で話せる奴がいれば楽だしな。」
 扉に手をかけた背中にそう話しかける。すると振り返った奴は嬉しそうにしながらも「古泉がいるじゃないですか。」と笑った。お前、わざと言ってるだろ。
「古泉は論外だ。あいつは俺の本性を知ってるが、俺が気を抜けるかと問われれば"否"以外に答えは無い。」
「でしょうね。・・・じゃあ、お言葉に甘えてまた寄らせてもらいます。」
「ああ、好きな時に"避難"して来い。」
 煙を吐き出しながら俺はニヤリと笑ってそう告げる。美味い煙草をどうもありがとよ。
「どういたしまして。」
 そして奴は一礼し、この部屋を去った。








キョンが出した煙草は、キョンがそう望んだから出現したものですよ。
だから会長があの時「飴」と答えていれば飴が出てきたことでしょう(笑)

長門が情報統合思念体に報告していない事柄は、キョンが"変わった"ことです。
自分の中のエラーを取り除いてくれたことも含めて。
理由は、キョンが変化を恐れているということを感じ取ったからかもしれませんし、
もしかしたらキョンの情報を他者に渡すのが嫌だと思ったからかもしれません(笑)
そんでもってキョンはキョンで、長門に何かあれば躊躇い無く力を使うつもりです。
「無理ですよ。俺達には敵わない。」っていう台詞の所なんですけどね。