γ の世界」より

周防九曜の場合






「朝比奈さんにはお話していらっしゃらないようですね。」
「何が?」
「あなたのことを、ですよ。」
「まあな。」
 返答は『そこ』への侵入と共に口にした。
 フルカラーだった世界がたった一歩でモノクロに変わる。
 此処を訪れるのも何回目になるだろうか。一回目は高校一年生の今頃、ちょうど一年前だったな。それから随分間が空いて、今ではちょくちょくお邪魔するようになってしまった。とは言っても、滞在時間なんて初回とは比較にならないほど短いものなのだが。
「なぜ、とお訊きしても?」
「あのお方はただでさえ毎日ハルヒに振り回されて大変なんだぞ。そこに俺自ら余計な心労をお掛けする必要性なんて全く無いからな。それに、」
 俺の発した接続詞が気になったのか、この空間に足を踏み入れて初めて同行者の古泉が此方を見た。
 にしてもお前ほんっと、ここ最近気楽そうな顔でこっちに来てるよな。いや、別にそれが悪いってワケじゃないんだ。むしろそうやっていられるのは良いことだと思うぞ。うん。
「・・・"それに"、何ですか?」
「朝比奈さんの支持してる説と"俺の現状"は違うものだからな。・・・どういう言葉であれ、あの方のお口から今の俺を否定されるのが恐いのかもしれん。」
「それは・・・」
 古泉は驚いたように目を見開き、けれど次の瞬間にはいつものにやけハンサムスマイルを浮かべる。
 たぶん作り物じゃないからだろう。その笑みには温かさや微かな苦さも感じられた。
「愛されてますね、朝比奈さん。僕は少し彼女に妬いてしまいそうです。」
「前半は認めるが後半は意味不明だ。・・・とっとと片付けるぞ。」
 返答は聞かず、俺は視界のずっと先でゆらりと立ち上がった巨人を見据える。青白い光を放つそれは、此処、涼宮ハルヒ製の閉鎖空間にのみ発生するイライラの塊だ。
 本来なら古泉の仲間達が赤い玉になって倒すべき存在であり、実際にもうしばらく待てばその巨人―――『神人』の周りに高速で飛び回る点が幾つか見て取れるようになるだろう。
 こんな情景も何回目なんだろうね。少なくとも両手の指の数は超えたな。
「今日はどんな倒し方がお望みだ?」
 視線は逸らさず、隣に立つ古泉に問いかける。
 ヤツはほんの少し逡巡してみせた後、そうですねぇと口を開いた。
「あなたが僕に初めて見せてくださったのと同じやり方で。」
「了解。」
 答えて、右腕を伸ばし、手を銃の形にする。照準は適当。ようは気分の問題だからだ。
 ピンと伸ばした人差し指を神人の中央部に向け、俺は古泉のリクエストに答えるべく声だけの引き金を引いた。



* * *



 今の俺の状態を知っているのはおそらくこの世界で六人だけ。佐々木と超能力者の橘京子、宇宙人の周防九曜に未来人の藤原、そして古泉と俺だ。他の誰かに情報が洩れたというのは今のところ確認出来ていない。
 佐々木は誰かに言うつもりも無いようだし、橘京子・九曜・藤原の三人は一応脅させてもらっている。古泉に関しては本人の口から「機関には秘密にさせて頂きます。」との一言を受け取っており、俺はこいつのことを信頼しているから、つまりそう言うことだ。
 それにしても古泉のヤツ、妙に嬉しそうに言ってやがったな。あなたと僕との秘密ですか、って。あいつ以外に佐々木達も色々知ってるんだが今のところ俺の本心まで明かしたのは古泉だけなんで、まぁそう言えなくもないのかね。なんとも恥ずかしいやつだ。
 時刻は零時を回った頃。
 神人倒しを終えてからそんなことをつらつらと考えつつ、古泉と別れて一人、帰路につく。
 あいつに俺のことを教えてから一ヶ月ほど。共に閉鎖空間へと赴き、神人の処理を手伝うのはすでに習慣と化していた。俺の我侭で作ってしまった状況だから、ある意味これは罪滅ぼしと言えるのかも知れない。現に、古泉と共に閉鎖空間へ行っても神人を倒すのは俺であり、古泉ではない。あいつは俺がついて来なくてもいいと言っているのにもかかわらず、僕が行きたいだけですから、と今の状況つまり俺に神人の倒し方をリクエストするという役を担うようになっていた。
 いや、別にそれに問題があるってわけではないのだが・・・。どうせなら神人のことは俺に任せてあいつはゆっくり休んでくれていれば良いのに、と思う。いくら短時間で済むといっても夜中にまで起きて活動する必要なんてもうすでに無いのだから。
 と言えば、あいつは「何だか過保護になってません?」と苦笑してみせるのだが、はてさて、俺はそんなに過保護になっちまったのかね。
 確かに色々思い出してから俺はこれまで以上に動くようになった。しかしそれは今まであいつらに散々頼りまくってきたから、その恩返しのような気持ちでやっているものなのだ。あとはそうだな・・・やっぱりSOS団のやつらが大切だからか。仲間を大変な目に合わせたいなんて、普通は考えねえだろ?俺はそこまでサド思考じゃない。
 と、そこまで考えて、俺は目の前に立つ黒い影へと問いかけた。
「何の用だ?こっちは今から帰宅して就寝するつもりなんだが。」
 街灯に照らし出された黒い影―――長い黒髪を持ち某女子高の真っ黒な制服に身を包んだ宇宙人、周防九曜がゆらりと動く。此方の正体をバラしたあの日以来一度も会っていなかった人物なのだが、いきなりこんな所に現れてどうしたと言うのだろうか。
 まるで幽鬼のように近づいてくる少女を見つめながら、俺はまた何か面倒な事でも起こるのかと溜息をつきたくなった。いや、実際につくことは無いが。
 九曜は此方からちょうど二歩離れた所で立ち止まり、俺より随分背が小さいためぐぐっと効果音がつきそうな感じで見上げて来る。それならもう少し離れても良いだろうにとは思うが、もしかするとその場合、俺が九曜の小さな声を聞き取れなくなってしまうのだろうか。・・・ありえない。
 世界は俺が望むままに動いてしまう。つまり聞こうと思った声は、それがどんなに小さくたって鮮明に聞き取れるのだ。例え宇宙人の声であってもな。むしろ人型端末として未だ不慣れな言語を使うよりも、天蓋領域の『言葉』で用件を伝えてくれたって構わない。その方が向こうも楽だろうし。
「・・・そう――――でも、そちらの――言葉で―――伝えるのが―――――礼儀、だから―――」
 驚いた。まさか記憶を思い出しても驚くなんてことがそう多々あるとは思っていなかったが、しかし驚いたよ。礼儀、だなんて。
 いや決して天蓋領域を貶めようと思ってるわけじゃない。けれどついこの間まで長門にキツすぎるちょっかいをかけてたような奴らだぞ?それがたった一ヶ月くらいでこんな行動をするようになるなんて。
 ちゃんと勉強したんだな、なんて。この場合、褒めたりすると相手のプライドはズタボロ決定?それなら止めておくが、いやしかし、その積極性は良いと思うぞ。とりあえず。
「で、用件は?わざわざ俺に日本語で伝えたいようなことがあるんだろ?」
 問うと九曜は緩慢な仕草で頷き――その動作自体は長門よりもはっきりとしていた――、漆黒の双眸で俺をひたと見据える。
 そして一言。
「―――お礼、を――」
「・・・礼なんぞされる覚えは無いんだが。」
 俺、何かしたっけ?
 やったと言えばやったが、あれは礼なんか言われることじゃないだろうし・・・。理由はどうであれ、腕を一度消失させられたことに対して礼を言うような特殊な性癖の持ち主じゃないだろう、こいつは。
 どうせなら"礼"ではなく"責め"だろう。俺に対してなされるならば。
「腕・・・・・・を一度――消されたのは―――わたしの、せい。―――――だから――あなたを―――責めるの、は――誤り。―――あの、コンタクトの方法、が―――――あなたたち、に、とって―――有害である、ことは――すでに・・・学習した。」
「そうか。そりゃ良かった。どうせ意思疎通するならもっとお互い気持ちの良いもんにしたいしな。」
 眠気がピークに達したようなゆっくりとした物言いを聞き終えてからそう答える。すると九曜はまたコクリと頭を縦に振って、これもその"気持ちの良い意思疎通"のために必要だと判断したことだと言った。
 どういうことだ?
「・・・己に―――与えられた――正、の効果を持つ――――行為に――対して―――礼を、返す・・・ということは――――友好な関係を、築く上で――重要である、と―――あなたと別れた、あと、に学習した。・・・・・・だから、わたしは――――あなたに礼を、言う。――――――ありがとう、と―――」
「礼を言うのは構わんが・・・一体何に対するものなのか言われてる方が理解しないと意味無いだろう。」
 九曜が己の言葉で伝えたがっているので此方からその思考を読み取るつもりはない。その所為で今の俺にはこいつの言っていることをあまり理解出来ないでいるのだが、はてさて、もうそろそろ此方から読み取ろうとすべきなんだろうか。そうでないと話が進まないような気がする。
 俺がそんなことを考えつつ答えると九曜は一瞬動きを止め、何かを考えるように虚空を見た。宇宙の遥か彼方にいる親玉とでも交信しているのだろうか。つーか今ここでこいつらのやりとりを聞いちまえば早いんだけどな。・・・いやいやそれはルール違反だ。礼儀に反する。まあ、もうしばらく待つとしよう。時間は無限にあるわけではないが、かと言って九曜の緩慢な動作に付き合えないほど少ないわけでもない。
 交信が終了したらしく、再び俺を視界に捉える闇色。
 人間の感覚として何となく感じたのだが、その眠気が充満したような双眸に僅かながら覚醒の前兆を思わせる色を窺えたような気がした。もっと写実的に言えば・・・そうだな、例えばマイクロ単位で見開かれた目とか、その中に映りこんだ街灯の灯りとか。
「どうした九曜。礼の対象とやらが俺に伝わるよう何とか出来たのか?」
 コクリと頷くこと、三度目。
 九曜は緩慢な動作を保ちつつもそれまでと比べて明らかな変化を得た状態で告げる。
「―――あなたの――言う―――――"対象"・・・を、言語化―――する。聞いて―――欲しい――――――」
 「ああ。」という俺の短い返答の後、九曜はどこか失っていた存在感を取り戻したような声音をその口から紡ぎ始めた。
「――腕を―――直して――――――くれて、ありがとう。・・・あの時、あなたが―――――わたしの腕を――修復する必要性は―――無かった。・・・・・・しかし、あなたは――わたしの腕を――――――わざわざ――修復して、くれた。――――――あなたは―――わたしに――――――必要外の・・・力、を使った。――だから、わたしは・・・そのことに、対して―――礼を―――――述べなければ―――ならない。――――――ありがとう。―――わたしは―――――それを伝えるため、に――――今日・・・ここに、来た―――――」
「・・・・・・、」
 いや、何て言うべきなんだろうね。
 嬉しい?照れくさい?
 九曜の腕を消滅させたのは脅すという行為にそれまでの怒りを上乗せした結果だったのだし、原因だった長門へのちょっかいが無くなればその意味も消え去る。だから俺は九曜(天蓋領域)から長門への干渉中止を確認した後、力の行使を止めた。おそらく、いや、きっと、そのままにしておいても俺が破壊という力の行使を止めたのだから九曜は自身でその腕をすぐさま修復出来たに違いない。だから気まぐれ――そう、気まぐれだ――で腕を直したのは俺にとっても九曜にとっても無意味なことだったんじゃないだろうか。
 そんな風に考えていたからこそ、俺は九曜からの礼に戸惑いを覚えた。
 自分が相手から感謝されるとは到底思ってもみなかったことに対して「ありがとう」と言われたのだ。そうなったって不思議じゃないだろう?その一方で実際、自分の行いに対して感謝されるというのは単純に嬉しい。面と向かって直接告げられるのであれば、更に照れくささもプラスされる。
 言うべき言葉が見つからないままじっと九曜を見ると、彼女は伝えたいことを伝えきった達成感のためか、どことなくすっきりした表情でその場に立っていた。
 用件はこれだけか?じゃあ、もう此処でお別れしてもOK?
「――まだ―――」
 十二月に出会った長門のように恥じらいやそれに準じるものがあるわけではないが、それと同じくらい強制力を持った声で引き留められる。お互い言うべきことは言い切った者と次の言葉が見つからない者なんだからこの場で別れても構わないだろう?なのにまだ何かあるのか?
「―――気持ちの――良い、意思疎通の―――ために・・・あなたも――――最後の一言が―――必要だと、考える―――」
「俺から、か・・・?」
「――そう。―――あなた―――――から――」
 もともと礼を言われる予定なんぞ無かったのだから、更に俺から何か言うことなんてあるのだろうか。
 相手の思考を読むのではなく、一個の人間として頭で考えてみる。
 言うべきこと・・・。俺が九曜に言うべきこと。礼を言った九曜に、俺が言うべきこと?
 礼を言われたものが相手に返す言葉・・・?
「どういたしまして?」
「語尾が―――上がる―――のは―――推奨、出来ない――――――」
 返答がこれまでより早かったように思えるのは俺の気のせいか。
「・・・どういたしまして。」
 言い直すと、それが正解だと言うように真っ黒な頭が四度目の頷くという動作を行なった。
 なるほど。「ありがとう」には「どういたしまして」か。
 今時の日本人よりもお堅い少女の様子に苦笑を浮かべると、不思議そうな視線が返される。それに「なんでもない。」と告げて頭を撫でた。
 これまで以上に見開かれる双眸。マイクロ単位だったのがミリ単位になった。
 その変化に更なる笑いが誘われる。
「よくお勉強出来ました。これからもその調子でちゃんとしたコミュニケーションがとれるように、な。」
 あの時は長門を大変な目に遭わせていたから怒りも抱いたしそれ相応の対応をした。けれど今、対象はそれが不適切なことだと学習し、人間に適した意思疎通を行なおうとしている。そんな九曜をいつまで経っても嫌っているほど矮小な存在じゃないつもりだ、俺も。
 思えば、九曜はただ少し長門達と比べて他者へのアプローチの仕方を知らなかっただけ。それをずっと怨むなんて愚の骨頂だろう。本人が正そうとしているなら、なおさら。
 撫でた頭を最後にポンと軽く叩いて手を離す。
 『唖然』と表現すべきであろう少女の瞳にチラリと見えたものが戸惑いに埋もれた喜びなら良いと思う。
「それじゃあ、俺、帰るな。」
 無言で頷きが一つ。
「『さようなら。』」
 "別れの挨拶"をきちんと告げて九曜の脇をすり抜ける。
 少女からの返事は無い。
 まあそんなもんかと思いつつ、一歩、二歩、三歩・・・。
「・・・さようなら。――――――また――会いましょう――――」
 遅れてやって来た返事に振り返る。
 視線の先には眠そうな雰囲気を纏った漆黒の少女。けれどその闇色の瞳に今度こそはっきりと意志が見えて、俺は笑った。
「ああ、またな。」








「長門視点でヒィヒィ言ってたのに九曜視点なんて書けるわけがない。
 ついでに古泉とキョンの話も書きたいし・・・。」
ってなわけで、九曜編ながらもキョン視点でお送り致しました。