「γ の世界」より
長門有希の場合
「広域帯宇宙存在――暫定的に『天蓋領域』と呼称する――からの干渉を確認。目的不明、ただしこちらへの行動妨害行為に値する。よって対象を敵と認識。ただちに対処す・・・ッ、」
情報統合思念体との連結が途切れた。これは、そう。昨年の雪山で起こった状況と同じ。加えて連結の遮断のされ方が以前よりも巧妙になり、容易には回復しないことが見込まれる。 瞬時に対処方法を変更し、情報統合思念体との再連結を優先順位の上位に設定。インターフェイス個々の防御機構を維持しつつ、それに取り掛かった。 大量の情報のやり取りによる負荷が有機体の熱量を増加させていく。 長期戦になることは必至だった。 これが、彼がこの部屋に訪れる5時間6分前の出来事である。 * * * 闘争が始まってから4時間17分後、大量のデータのやり取りによってわたしと言う個体に掛かっていた負荷が、何の前触れも無く一瞬で消滅した。 天蓋領域からのアクセス停止。原因は不明。 情報統合思念体との連結回復。データベースから事例の照合を開始・・・・・・・・・該当無し。ただし第三者の介入という可能性が上げられる。その第三者の特定及び有無の確認は、現時点において不可能。 そう結論付けた後、わたしは情報統合思念体との連結に異常が無いか確認してから通常モードに移行した。同時に、闘争の間に起こった出来事のうち重要項目として上げられるものを情報統合思念体の観測結果からダウンロード。確認。情報闘争に不要と判断されていたデータを補完する。 そのデータの一つに対して、わたしの意識は必要以上に注目してしまった。 「何故・・・・・・目的、不明。」 涼宮ハルヒの鍵である「彼」が、休日にSOS団もよく利用する駅前の喫茶店にて、先日接触した複数の有機体と再度接触していたのだ。 現時間軸に元から存在する人間が二人、異時空――端的に言うと未来――の人間が一人、そして天蓋領域によって造られたインターフェイスが一人。計四人が彼と席を共にしていた。 そしてその中で、9秒間の彼の精神的活動が観測されていなかった。これは涼宮ハルヒによって形成された閉鎖空間へ侵入した古泉一樹らの状態と酷似している。ただし肝心の涼宮ハルヒの閉鎖空間の発生は確認されていない。ゆえに、彼がその9秒間、涼宮ハルヒ以外の何者かの閉鎖空間へと侵入していた可能性が高い。 彼がその四人と接触を持ったこと、そして何者かの閉鎖空間へ侵入したことがわたしの中で要注意項目に設定され、その行動に対する疑問が浮かび、同時に人間において戸惑いと称される心理的変化が生じる。 この一年間で随分と「人間らしく」なった己にまた別の戸惑いを覚えつつも、しかし、わたしは情報統合思念体から齎された新たな情報によって戸惑いという感情を意識から除外した。 「対象インターフェイスの部分的破損を確認。現在は修復済み。原因不明。破損時刻は―――」 わたしに掛かっていた負荷が消滅する十数秒前に彼と共にいた天蓋領域製のインターフェイスの一部が突如として破損していた。原因は解らない。方法も、それを成した者の正体・有無も。 しかしこれが情報統合思念体との連結再開の理由であることは推測できた。おそらくあちらに何らかの障害が起きてこちらへの干渉が不可能になったのであろう。もしくは障害を引き起こした何者かによってこちらへの干渉を停止させられたか。 ただし前者ならまだしも後者の場合ではこちらも注意しなくてはいけなくなる。 今回はその存在によってこちらが有利に、あちらが不利になったわけであるが、今後ともそうなるとは限らない。情報統合思念体でも天蓋領域でもない第三者の登場は状況の変化に対してこちらの予想を不可能にさせる可能性が非常に高いのである。 「けれどわたしという個体は後者であると確信し、尚且つそれに対してマイナスのイメージを抱いていない。・・・これは何故。存在の原理上、わたしに"直感"といったようなものは無いはずなのに。」 そう声に出しても当然のことながら疑問は解決されなかった。 しばらくして、わたしの部屋に「彼」が訪ねて来た。 彼の進むルートからそれは予想出来ていたことだが、実際にインターフォンの鳴る音がすると指先に不要な力が掛かる。まるでシステムの不具合が起こったかのよう。 しかしこれは以前から彼のみに対して度々観測されていることであり、その度にエラーチェックを行っていたが、結果は常にオールグリーン。全て正常値で、不具合の理由は不明なままだった。またこの不要に掛かる力は外環境に対して大きな影響を与えることが無い。よって無視できるレベルと判断し、エラーチェックのみで終了する。 今回も同様に、マンションのロックを解除して彼がこの部屋に現れるまでの間に、システムのチェックを終了させた。ただし此度のチェックでは、先程の干渉による影響で一部に別経路での不具合が観測された。現時点における問題は皆無と判断し、修正は彼がこの部屋を去った後で綿密に行うことにする。 「長門、俺だ。」 「入って。」 玄関の扉まで辿り着いた彼の声を聞き、部屋に迎え入れる。「急に悪いな。」と言って入って来た彼に違和感。何かが先日顔を合わせた彼と違っているような気がした。(インターフェイスが「気がした」という表現を使うのもおかしなことなのだが。) 原因はおそらく、未修正のエラーだろう。 しかしそう検討をつけてみても、わたしの一部が「違う」と否定する。わたしの中の不具合が原因の錯覚などではなく、本当に何かが違うのだ。今の彼と以前の彼の何かが。 しかし身体的特徴は人間と言うカテゴリ内で無視できる(正常な)程度でしか変化しておらず、また異時間同位体でもない。古泉一樹のような特殊能力が備わった様子もない。 ・・・そう、これは言うなれば「空気」だ。彼の纏う空気が異なっている。 そうのような判断を下すわたし自身も理解不能であるのだが、何故かその考えに至り、わたしはストンと物が重力に従って落ちるかの如く納得した。 「どうした長門。何かあったのか?」 「何か、と言うならば、それはあなた。今のあなたは以前のあなたと"空気"が違う。」 そう答えると、彼は一瞬虚を突かれたように目を剥き、次いで口端を吊り上げてクスリと吐息のみで笑った。 「やっぱ"さすが長門"って感じかな。空気だなんて表現が出てくるのは何か不思議な感じもするが、何かが変わったことは見抜かれちまったわけだ。」 「変化の原因はここに来るまで共にいた四人との接触?」 「ああ。」 端的な肯定。 母音のみのそれは、その音の単純さとは裏腹に複雑な感情を滲ませているようだった。正の要素的なもの、負の要素的なもの、どちらも含んでおり、わたしには言葉による表現が不可能な代物である。 しかしその表現を探す以前に、わたしにはもう一つ彼に問うべきことがあった。 「情報統合思念体の観測によると、あなたがここに辿り着く57分21秒前からから57分12秒前までの9秒間、あなたの精神活動が観測されなかった。状況は閉鎖空間へと赴いた場合に酷似している。問題が無ければ正確な情報の提供を。」 「ホント、長門は全部知ってるんだな。」 「全ては知り得ない。ゆえにあなたに問う。・・・回答は不可?」 「いや、そうでもないけど・・・。」 彼は肩を竦めて先を続ける。 「俺が精神活動を停止させてたってのは、たぶん佐々木の閉鎖空間に入ってた所為だろう。それしか思い当たらんな。ほら、前に朝比奈さんを誘拐した奴らがいただろ?そのうちの一人で橘京子ってやつがいるんだけど、そいつがまぁSOS団で言う所の古泉ポジションなんだ。・・・で、俺は橘京子に連れられて佐々木の閉鎖空間にお邪魔してたってわけ。」 「佐々木と称される女子は涼宮ハルヒと同様の力を持っている?」 「それなら長門の方がよく知ってるだろ・・・と言いたいところだが、情報統合思念体がハルヒに対するみたいに佐々木にアプローチしてないってことは、お前んところじゃアイツは一般人だと判断してるんだよな?」 「そう。しかしあなたの言い方からするとそれは正しくないのだと推測される。」 頭を肯定の意味で動かすと、彼が微かに笑った。 「まあな。・・・確かに、あいつはハルヒと同じ力を持ってるよ。しかも自覚済みだ。でも自覚済みだからこそ、力を使わないようにしてる。二年くらい前に一度使ったみたいだが、そん時はハルヒに紛れて情報統合思念体も上手く観測出来なかったんだろう。他の理由があるのかも知れんが。あ、そう言えば・・・」 「なに?」 「橘京子はそれを知らなかったらしい。佐々木にはハルヒみたいな力なんか無くて、ただ閉鎖空間を持ってるってことだけしか認識出来ていなかったみたいだ。だからハルヒの力を佐々木に渡すよう俺に協力を求めてきたぜ。」 「あなたは、それに協力するつもりだった?」 訊いた瞬間に、何故か胸が痛んだ。おかしい。これは何かの不具合だろうか。 そう考えながら彼の双眸を見据えると、見慣れたと言ってもいい顔が苦笑の表情を形作った。その笑みにささやかな慈しみというものを感じ取ったと認識したのは、わたしの中にあるデータベースから弾き出された正確な情報によるものだ。なぜ彼がそのような表情を浮かべてわたしを見たのかは不明だったが。 「んなワケねえって。俺はSOS団の団員その一であって、あいつらの仲間なんかじゃない。確かにハルヒの力が無くなれば安穏とした生活に戻れるだろうけど、俺は今のままが好きなんだよ。」 そう言って、彼は視線を窓の外へと向ける。 この部屋から見えるのは視界の大部分を埋める空と、下部を占める家々の屋根、遠くの方に立っているビル。しかし彼の目はそれらを捉えているわけではなく、別の何かを見据えているようだった。物語に書かれている言葉を借りるとすれば、"まるで未来を見ているよう"。 これから先のことを見つめて、彼は何を考えているのだろうか。 「今のまま?」 「ああ、だから何も変えたくない。・・・・・・変えたくないんだ、長門。」 "変えたくない"・・・それは決して昨年の十二月十八日から三日間の出来事を指しているわけではないだろう。しかし彼はあの時と同様かそれ以上の変化を恐れているような態度で同じ言葉を繰り返した。 先を見据えて今を望む彼。 その思いとは裏腹に、まるでこれから、もしくはもう既に変化の前兆が現れたことを感じ取っているかのように。 わたしはそんな彼にかけるべき言葉を探して、いまだ遠くを見つめたままの背中を視界の中央に据える。そして口を開いた。 「現状維持は古泉一樹と彼が属す組織の現時点における至上命題。そして我々もあなたの望む意味では現状を維持したいと考えている。朝比奈みくるも同様。だからわたし達は全力で今を守る。・・・あなたが思い詰める必要は無い。」 目の前の肩が微かに動く。 筋肉が僅かに緊張、そして徐々に弛緩。 驚きと安堵を終えた彼は、そうしてようやく振り返り、わたしと目を合わせた。 「・・・そうだな。ありがとう、長門。」 「いい。感謝されるようなことはしていない。わたしは本当のことを言ったまで。」 「でもお前は俺にそれを気付かせてくれただろ?だから、ありがとう。」 「そう。」 憂いを宿した瞳のまま、それでも嬉しそうに微笑んで彼は玄関へと向かう。 「帰るの?」 「ああ。本当は長門の様子を見に来ただけだし、それなのに何だか色々教えてもらっちまったり・・・スマンな、来るのも帰るのもいきなりで。」 「別に構わない。」 「そっか。」 クスリと吐息を漏らして「サンキュ。」と呟き、玄関に辿り着いた彼は靴を履く。わたしはその姿を斜め後ろから眺め、黙って立っていた。 「あ、そうだ。」 扉を開けて出て行こうとしたちょうどその時、彼は突然何かを思い出したかのようにこちらを振り返り、わたしの額に手を添えた。ふわりと羽のような感触と温かな体温が伝わる。 「・・・なに?」 「こっちの事情ってことにしておいてくれ。」 彼は突如として触れてきた手を同様に突如として離し、「じゃ、また学校で。」と言い残すと扉の向こうへ消えてしまった。 再び内と外を隔てた扉を呆然と眺めながら、わたしの右手は無意識のうちに額へと移る。彼の体温が残っているわけでもなく、ただその感触と熱を記憶として留めているに過ぎなかったが、額に触れた手のひらがじんわりと温かくなるような幻に囚われる。 と、その時。 わたしはあることに気付いた。 「エラー修正完了。・・・わたしの意志ではない。」 彼が帰った後で修正する予定だった不具合が全て解消されている。 先刻までは確かに存在していたはずの"違和感"が今は少しも感知できない。 何度チェックプログラムを走らせても結果は同じだった。エラー無し。システム・オールグリーン。 これは彼が成したことなのか? 今までのデータを照合しても、その可能性はゼロだ。涼宮ハルヒの力によってインターフェイスに干渉する能力が身につくということも考えられないわけではないが、それは彼女と彼の事情から言って有り得ない。では何故。 考え、わたしは変化していた彼の空気を思い出す。 「あなたは、変わってしまった・・・?」 呟いたその次の瞬間、わたしは頭を振った。 違う。彼は変わってなどいない。確かに纏う空気は変わっていただろう。しかし彼そのものはずっと彼だったと、わたしの"直感"が告げる。そしてわたしはその直感を信じたい。―――否、信じる。 「そう、あなたはあなた。本質は何も変わらない。」 本質―――。 そうだ、あなたのその本質は変わらない。それがもっとも的確な表現だと判断する。 「あなたはあなた。今までも、これからも。わたし達と変わらずあり続ける、あなた。」 瞳も声も、手のひらも。そしてその思いさえ。 共に。 補足 キョンの能力は本人が望まない限り他者にその存在を感知されない。 ゆえに九曜への干渉について、情報統合思念体は「現象」を感知出来たけれども、 それを行った「当事者」が誰なのかは判らないまま。 また、同様の性質を持つ佐々木の能力も通常では感知されない。 しかしハルヒの場合、自分という存在を誰かに気付いて欲しいと望んだために、 最初から情報統合思念体や古泉一樹らや朝比奈みくる達に感知されている。 佐々木は最近までそれを望まなかったので、初期ミスに等しい橘京子関連にしか知られていなかった。 |