あまいあまい、ミルクの匂いがする。
 まっしろで、ふにふにとやわらかくて、本能的に大切にしなくてはならないと理解するその存在。自分に向かって精一杯伸ばされた短い腕に、当時まだ小学生だった平和島静雄は感動すら覚えていた。
「しーにぃちゃ」
 呂律が回らず、そんな呼び方をする小さな小さな従兄弟―――竜ヶ峰帝人。帝人の母親から抱いてもいいと微笑まれ、静雄はびくびくしながら伸ばされた腕に応えた。
 三歳になったばかりの帝人はどこもかしこも柔らかくて、他の人より遥かに強い力を発揮してしまう静雄にとっては硝子よりも繊細に扱わなければならない。だからなるべく力を込めないよう抱きかかえると、それが不満だとでも言うように帝人がぎゅっとしがみ付いてきた。
「……ッ!」
「あらあら、帝人ってば相変わらず静雄君が好きなのね」
 カチンッと一瞬にして固まってしまった静雄と、そんな静雄にぎゅうぎゅうと引っ付く帝人に、帝人の母親が楽しそうに笑う。鈴を転がすような笑い声の中、小さな帝人は「しゅきー!」と元気よく母親に答えていた。
「みぃはしーにいちゃだいすき!」
「そうねぇ、静雄君はとっても優しいもんね」
「ちょ、え……叔母さん、やめてください!」
「静雄君ってば照れてるわー。でも帝人が静雄君大好きなのは本当なのよ」
 満面の笑みでスキスキと連呼する従兄弟を抱っこしたまま、静雄は叔母のからかいに顔を赤くする。帝人に好かれているのは嬉しいが、こうして第三者から指摘されると非常に恥ずかしい。腕の中で「しーにいちゃはみぃのこと、すき?」とか言われても答えるに答えられない。
「しーにいちゃ」
「えっと……」
「にいちゃ、みぃのことすき?」
「あ、う」
 つぶらな瞳が静雄を見上げていた。可愛くて愛しくてしょうがない従兄弟だが、まさかその子の母親とはいえ第三者がいる場所で好きだと返せるほど、静雄はそういう表現方法に慣れてなどいなかった。ちらりと叔母を一瞥すれば、彼女はそんな静雄を解った上で微笑んでいる。
「叔母さん」
「はいはい。じゃあ私はおやつの用意をしてくるから、静雄君は帝人を見ててね」
「どうもです」
 答えない静雄に帝人の頬が膨れ始めると、叔母は楽しそうにしたままそう言って部屋から出て行った。慌てふためく甥っ子を見るのも楽しいが、やはり息子を不機嫌にさせるのは彼女の望むところではないのだろう。
 そうしてやっと他者がいなくなった部屋で、改めて静雄は腕の中でぷくりと頬を膨らませている幼子を見つめた。
「帝人」
「ん」
「俺の事が好きなのか?」
「うん。すきー」
 さっきまで頬を膨らませていたのに静雄の意識が全て自分に向いた途端、にぱっと笑顔を浮かべる帝人が可愛くて仕方ない。本当にこの子は静雄が好きなのだ。けれどそれは幼い帝人が静雄の身体に顕現した力の恐ろしさを知らないから……静雄はそう思っている。
 静雄が他の人よりも異常に強い力を発揮する事は帝人も既に知っていた。しかし今はまだそんな静雄の状態もテレビの中のヒーローと殆ど変わりないと帝人には捉えられているらしい。しーにいちゃはかっこいい。しーにいちゃはやさしい。それが帝人の中の真実で、普通の人間から見た静雄の膂力とキレやすさがどれ程異常で恐ろしいものなのか、彼は理解していなかった。生まれた時から傍にいた静雄の力は帝人にとって慣れ親しんだもので、そんな恐ろしさなど幼い子供は抱きようが無かったのだ。
 何も知らないから傍にいてくれる。好きだといってくれる。恐れないでいてくれる。
 周囲の環境がその人間の『普通』になると言うならば、最初から静雄という『異常』がいた帝人の普通は他の人とは違うものになってしまう。それはとても帝人にとって問題になるかもしれない。だが、
(それでいい)
 帝人の幼顔を見つめながら静雄は思った。
 一般人とは違う『普通』のまま。このまま一緒に大きくなって、静雄の存在が帝人の普通になって、ずっとずっと寄り添って生きていけるなら。大好きだとその声で告げてくれるなら。もう何でも構わなかった。
 たとえ帝人の常識が他の人間と異なった形になってしまっても気にしない。むしろ静雄はそうなる事を望んでいる。
「にいちゃ?」
「大好きだよ、帝人」
「すき? みぃのこと、すき?」
「うん。すき。大好きだ」
「みぃもしーにいちゃだいすき!」
 腕の中の幼子が伸び上がって、ちゅ、と静雄の頬に唇を落とした。
 どこでそんな行為を覚えたのか知らないが、静雄は真っ赤になって帝人を見る。
「帝人!」
「んぅ?」
(ああもうめちゃくちゃ可愛い!)
 感情が暴走して抱き潰さないよう気をつけながら静雄も「お返し」と言って白い額に口付ける。くすぐったそうに首を竦めた帝人がきゃらきゃらと笑う様子に胸を熱くしながら、静雄は小さく柔らかく甘い子供を五感全てで感じるように少しだけ腕の力を強めて、
「帝人、大好きだからな」
 もう一度、その白い額に唇を落とした。



* * *



「……あー、なんか懐かしい夢見た」
 目を開ければ見慣れた天井。
 自分が住むアパートのベッドで静雄は起き抜けの掠れた声を出した。
 身体の向きを変えて横を見れば、そこには小柄な少年がすーすーと寝息を立てている。夢の中では小さかったあの子供もここまで立派に成長した。とは言っても、やはり平均より細身で、もうちょっと食べさせないといけないなぁなどと思ってしまう程なのだが。
 成長しても帝人は相変わらず静雄を好きでいてくれる。静雄の異常な力は理解しているし、一般人から見てそれは恐れるべきものであると帝人は知っている。しかし帝人の中の常識では静雄イコール恐れるものではなく、昔からずっと「大好きなシズ兄」のままだ。
 そう目立ったものではないが、静雄の存在はきっと帝人の常識を捻じ曲げてしまっているだろう。だが構わない。むしろ本望だという感情は今も静雄の中にある。
 どんなに甘やかしても甘やかし足りない大切な従兄弟の身体に腕を回して、静雄は夢でそうしたように白い額に口付けた。
「大好きだよ、帝人」
 囁き、再びまどろみに落ちる。
 幸福な眠気に誘われながら静雄はそっと目を閉じた。






クレイジーラブ

(狂ってる? それでいいじゃないか)







「モンスターブラッドの続編」をリクエストしてくださった匿名様に捧げます。
ありがとうございました!

ここの静帝はまだ家族愛だと言い切ります(ちょ)