「なあ、母さん。うちの帝人ちゃんは案外面食いだったんだね」
「やだわあなたったら。帝人ちゃんは最初から面食いさんよ? 幼馴染の正臣君だってそうだったじゃない」 「なにぃ!? 帝人ちゃんの初恋の相手は正臣君だったのか!?」 「こらこら、そんな鬼のような形相しないで。じゃなきゃ何年も離れてた男の子の誘いに乗ってわざわざ上京なんてしないでしょ?」 「ぬぐぐぐ……」 「(……一人娘の父親ってこういうものなのかしら。まあ上京の理由の殆どは帝人ちゃん自身が東京に興味津々だったからなんでしょうけど。正臣君の誘いはその背中を押した程度ね)」 池袋の街中でのほほんと会話を繰り広げていたのは、本来埼玉にいるべき一組の男女―――竜ヶ峰竜也と竜ヶ峰ひとみの夫婦であった。 夫婦がいるのは池袋駅からもほど近いサンシャイン60通り。普段なら人混みで歩くのさえ若干困難なその通りは、しかしながら現在、人っ子一人……というところまではいかずとも、徒競走なら余裕でできそうなくらい人口密度が低下していた。 それもそのはず。現在サンシャイン60通りを占拠している存在がいたからだ。 「にしても、帝人ちゃんってば面食いプラス奇妙なものが好きだからって、男の子の趣味もそっち寄りになっちゃったのかしら。金髪のバーテンさんに真っ黒くろすけさんだなんて……」 そう呟いたひとみの視線の先では、通りを占拠している存在こと池袋では知らぬ者がいないと言われる程の有名人、平和島静雄と折原臨也が非常に不穏な気配を漂わせて睨み合っていた。 ちなみに未だ『戦争』と称される喧嘩は始まっていない。それは標識を捩じ切ったりナイフを投擲したりする彼らの手がそういった無機物ではなく、竜ヶ峰夫婦にとってとても関わりの深い人間に触れていたからだった。彼ら夫婦の一人娘、竜ヶ峰帝人の両腕を拘束するような形で。 もしこの場に池袋の戦争コンビを知る常識人がいたならば、夫婦に向かってはっきりと告げた事だろう。「いや、お前らそんな会話してねえで、さっさと娘を助けてやれよ」と。普通の池袋人は静雄と臨也に片腕ずつ拘束された女子高生を見て、その女の子の腕がいつ千切られてしまうのか、はたまたナイフで切り裂かれてしまうのか、はらはらドキドキの嫌な汗をかく。事実、サンシャイン60通りの入り口付近にいた夫婦とは戦争コンビ+女子高生を挟んで反対側の池袋人達は、いつでも救急車を呼べる態勢に入っていた。勿論少女の腕を心配して。 しかしながら竜ヶ峰夫妻はこの街の常識を知らない。ましてや娘である帝人もマイナス要素を含む詳細は教える訳がないし、加えて戦争コンビの戦争が最も頻発していた時期は過去のものである。最近はとある女子高生を巡ってまた頻度が増していたのだが、それが大きな噂になるほどの時間はまだ経っていなかった。よって夫婦が知らないのも無理はないのである。 彼らに解っているのは、なにやらかなりの美形が自分達の娘を取り合っている事。しかしながらその美青年達は少々他とは違うようである事(主に服装的な意味で)。そして取り合われている娘がそれほど嫌な顔をしていない=二人のうち片方か両方が帝人の好みであるらしいという事。この三点である。そこに感想を付け加えるとすれば、「人が少なくなってうちの子がすぐに見つかったわね。楽ちんだわ」ぐらいであろうか。幼馴染の紀田正臣が聞いたらムンクの叫びも真っ青なくらい絶叫するだろう。 ともあれ、通りの入り口付近に突っ立ったまま夫婦は戦争勃発寸前の戦争コンビと我が娘を眺めやる。元々ここに来たのは上京した娘の様子をこっそり窺うためであった。よって早々に声をかけるつもりはない。 そのため止める者が本格的にいない平和島静雄と折原臨也の睨み合いは爆弾がジリジリと爆発を待つように次の段階へと進もうとしていた。 「臨也君よぉ……手前一体誰の許可を得て竜ヶ峰に触れてんだ? ああ゛?」 「そんなのシズちゃんだって一緒だろ? 帝人君に痛い思いをさせる前に離してくれないかな。それとも何、俺の目の前で帝人君の腕だけでも自分の物にしようっていう猟奇的発想でも持ってんの?」 やだこわーい、とわざとらしいネカマ口調で告げる臨也に、静雄の眉間でピキッと音がした。その音が竜ヶ峰夫妻に届く事は流石になかったが、臨也のネカマ口調程度ならばしっかりと二人の耳に入っている。そのため、臨也と帝人がネット上でネカマとネナベである事実を知らない夫妻は、 「私、息子がオカマさんなのはちょっと……」 ごくごく普通にひとみが退いた。偏見を持つつもりはないが、ソッチ系の男性が息子になった場合、その彼と上手く付き合う自信がないひとみである。隣で首を縦に振った竜也も同じく。 ともあれ、まさか戦争コンビの二人もすぐ近くに愛しの少女の両親が揃っていると思うはずもなく、とうとう爆弾が爆発した。 「手前が離せば万事解決なんだよクソノミ蟲がぁぁぁあああ!!!」 キレた平和島静雄は池袋の住人達が予想したとおり帝人の腕を引き千切る―――はずもなく、左腕を少女の細腰にしっかり巻き付けると、その勢いに押されて帝人の手を離しバックステップを踏んだ臨也を追撃した。 ドゴオッ! と人の手が打ちつけられたとは思えない音と共にアスファルトが飛び散る。人間ならば青あざどころか確実に骨折レベルの打撃をギリギリで躱した臨也は、ピシピシと飛んでくるアスファルトの欠片を手で払いつつ舌打ちした。 「ちょっとシズちゃん! 帝人君の顔に傷でもついたらどうすんのさ! 帝人君は女の子なんだから!!」 「んなヘマするか!」 叫び返しつつ、しかしながら静雄は腕の中の帝人に「大丈夫だったか?」と窺った。 「あ、はい。静雄さんが上手に庇ってくださったから大丈夫ですよ」 どうやら静雄は体の向きを調節して、なるべく抱えている帝人に破片が当たらないよう工夫していたらしい。しかしそれでも安心しきる程ではない。臨也に言われてほぼ反射的に言い返したものの、帝人の返答を聞いてやっと安堵する。 「……帝人ちゃんを危険に晒してるから減点1。でもちゃんと庇えたようだから加点1ね」 「母さん……まさか息子候補の品定めかい?」 「そりゃ帝人ちゃんだって年頃の女の子ですもの。母親としてはしっかり見極めないとね」 帝人に恋人はまだ早い、と正直なところそう思っている竜也は妻の反応に声を詰まらせる。だが普段は夫を立てる良き妻である彼女が時折恐妻(むしろ女帝)化するのを経験上知っている竜也はそのまま口を噤んだ。 ちなみに竜ヶ峰夫人の加点減点は、 「黒い方が容姿プラス1、言動マイナス1、なんだか動きが一般人離れしてて帝人ちゃん好みだからプラス1、合計1。バーテンさんが容姿プラス1、庇い方でプラマイ0、こっちも帝人ちゃん好みの怪力さんだからプラス1、合計2か……。五十歩百歩ね」 互いにいがみ合っている戦争コンビ本人達が聞いたら激怒しそうな評価である。「こいつと同レベルとはどういう事だ!」と。 夫妻(主に妻)がそんな評価を下している間にも戦争状態は刻々と変化していく。 静雄は未だ片腕で帝人を抱き抱えたまま――下手に手放すと臨也に奪われるので――、傍の道路標識を捩じ切って振りかぶっていた。それを臨也がひょいひょいと躱す。 どちらもある意味でこれが『普通』であるのだが、一方、運動神経が良い訳でもなく激しい動きに翻弄される帝人は、がっくんがっくん揺れる静雄に必死の思いでしがみついていた。白いシャツや黒のベストに皺が寄るのも気にしていられずぎゅうっと布地を握りしめる帝人の様子に、静雄は容易く心臓を跳ねさせ、また臨也は普段の五割増で苛立ちを露わにする。 そうして苛立ちの所為で僅かに判断を狂わせた臨也が一瞬の隙を作ってしまった。動きの止まった臨也に、静雄は迷わず割れたアスファルトの破片(と言っても大人の手のひらくらいある)を投げつけた。 ただし隙を作ってしまった臨也でも、これくらいならなんとか避けられる。それを狂わせたのが、 「当たれぇぇえええ!!」 「な、ちょっと帝人君!? そんなのヒド……アガッ!」 折原臨也、撃沈。主に精神的な理由で。 「だって臨也さん、そろそろ倒れてくれないと今夜も僕の家に押し掛けてくるでしょう? 僕も女の子なんですから、深夜に異性が訪ねてくるっての止めてほしいんですよね」 「……おい、ちょっと待て竜ヶ峰! なんだそりゃ!!」 帝人の衝撃発言に静雄が目を剥くが、両親もまた目を剥いた。どうしよう、娘がリアルに貞操の危機かもしれない。 「あ、変な事にはなってないから大丈夫ですよ静雄さん。基本的には日本刀持ってる女友達が一緒に泊まってくれますから」 「いやその日本刀もどうかと……」 静雄の台詞と、それでも力が抜けた両肩は竜ヶ峰夫妻も同じく。 「時々正臣……あ、幼馴染がバール持って家の前で見張ってくれたりもしますけど」 「お前の幼馴染は一体何者だ」 「正臣君グッジョブ」 「こらこら、母さん」 こっそりサムズアップする妻を夫がたしなめた。 「あーでもこれならやっぱり、帝人ちゃんのお婿さんは正臣君かしら」 「うーん、でもあの子、小学生の頃から女遊び激しくなかったか?」 「でも本命には一生懸命かもしれないわよ? 帝人ちゃんの言ってる事が本当なら」 「そうかなぁ……」 こうやって軽口が叩けるのは妻の雰囲気もウキウキと軽めだからだ。なので竜也も軽い否定までなら口にする。 しかしながらその軽口も長くは続かなかった。 戦争が終了した跡地から聞こえてきた会話に二人の口がぴたりと閉じる。 「りゅ、竜ヶ峰。あのよっ」 「はい?」 「俺がお前を守ってやるって言ったら、どうする?」 「え……」 「俺が一生お前を守ってやる。ノミ蟲からも、他の奴からも。……なあ、ダメか?」 「え、え? ええっ!?」 「ダメ、か……?」 先程まで若干人外の領域に足を踏み入れたバトルをしていたとは思えない気弱な発言に帝人がぐっと詰まる。 そんな娘の様子を両親は固唾を飲んで見守っていた。 見守られているなどと思ってもみない帝人は未だ静雄に抱き抱えられたままという格好で、首から上へと徐々に皮膚の色を赤く染めていき、 「……だ、だめじゃ、ないです」 その瞬間、帝人だけならず静雄までもボフンッと耳まで真っ赤に染まった。 竜ヶ峰夫婦はそれを遠目に眺め、 「息子は金髪のバーテンさんな訳ねおk了解した」 「ちょ、母さん! 帝人ちゃんの変な部分が伝染ってる! ネット用語が伝染ってるから!!」 「それはさて置き」 「さて置くの!?」 「帝人ちゃんを一生守ってくれるって言うんだから任せてみてもいいんじゃない? 帝人ちゃんの本命さんもあっちだったみたいだし」 うふふーと笑うひとみに竜也は諦めを含んだ吐息を零し、 「……そうだね」 幸せそうに微笑む娘を見て、静かにそう返した。
子持ち女神の含み笑い
「挨拶に来てくれるのが楽しみだわー」 「母さん、その笑顔すっごく恐い」 リクエストしてくださった紗鳳寺のえる様に捧げます。 紗鳳寺様、ありがとうございました! |