正臣がチャットに来なくなった。
高校を退学し住んでいた部屋も引き払った正臣との繋がりは『甘楽』こと折原臨也が主催するチャットルームだけだったために、帝人は「最近、バキュラさんを見かけませんねぇ」と発言しながら言いようのない不安にかられる。正臣とは共通の知人である臨也に内緒モードで相談してみても「判らない」と帰ってくるばかりで、不安は更に大きくなった。 帝人が信じきった青年の回答―――情報屋であり、帝人には教えていないが紀田正臣の雇い主でもある臨也の返答は事実である。ある日突然雇っている少年からの定期連絡が途絶え、臨也も不審に思っていた。仕事の傍らその件も調べているのだが、未だ有力な情報は掴めていない。最後の目撃情報が池袋周辺であった事以外は。 ともあれ、親友との繋がりを完全に絶たれた帝人は、もう届かないと知っているにも拘わらず消去できずにいるメールアドレスを携帯電話の画面に映し出し、文字を打つ程の力は込めずに指の腹でキーを撫でる。 「どこで何やってんだよ、ばか……」 来良学園でも仲良し三人組として有名だった帝人、杏里、正臣。しかし正臣が去って、残された二人の関係はひどく歪な物になってしまった。加えて互いに秘密を抱えているという事をなんとなく感じ取っているがゆえに、そのギクシャクとした空気は余計強くなる。 ここに正臣がいれば抱え込んだ物を三人で一斉に吐き出し合い、楽になれるはずなのだが……。彼が帰ってくるまで待とうという暗黙の了解でギリギリの均衡を保つ以外、残された帝人と杏里にできる事は無かった。 けれど、その杏里もまた姿を消した。 ある日、帝人がいつも通り登校すると、杏里の中学からの友人である張間美香が妙にそわそわした雰囲気で駆け寄ってきた。 「ねぇ竜ヶ峰君。杏里ちゃんから何か話聞いてない?」 「え? 園原さんがどうかしたの……?」 席には杏里の姿が見えず、鞄も見当たらなければどうやら机の中も空っぽらしい。 美香曰く、昨日からケータイに電話をかけても出ないという事だった。 「どっかにケータイを起きっぱなしだったとかならいいんだけど……変な事件に巻き込まれてたらどうしよう」 美香は友人知人にこっそり盗聴器を仕掛ける事で様々な情報を得ている。園原杏里がただの少女ではなく、その身に妖刀・罪歌を宿している事もその一つ。なので杏里が多少の事件に巻き込まれたからと言って絶体絶命のピンチに陥るとは考えられなかったのだが……。そんな美香でも今は嫌な予感を感じ取ってしまって、大事な恋人から指摘を受けるほど不安が顔に表れていた。 帝人は目の前の少女が盗聴器を仕掛けて情報収集に勤しんでいるとは知らないままでも、本気で杏里を心配している事が判り、その不安が伝播したように眉を顰める。 正臣が消えて、杏里も消えた。 これで明日あたりにでもひょっこり杏里が現れれば笑って済ませるのだろうが、今はそんな気が全くしない。 「……警察に。あ、まずは先生に言おうか。それで警察に連絡してもらおう」 「そうだね。うん、そうしよう」 不安を押し殺して帝人は提案する。美香もそれに頷き、近くにいた矢霧誠二を伴って三人は職員室へと向かった。 帝人達からの連絡で教師はまず園原杏里のアパートを訪れた。友人代表として帝人、美香、誠二もそれに付き添う。 だが管理人に頼んで開けてもらった部屋は「ちょっと出かけてきます」くらいの状態で放置されたまま、数日間ここの主が帰宅していない事を物語っていた。 すぐさま警察に連絡が行き、一人の少女の捜索が開始される。 そして、その直後。 今度は張間美香が姿を消した。 杏里が消えた時のように、帝人が登校すると美香ではなく彼女の恋人の誠二が険しい表情でやってきた。 「美香がいなくなった」 「なっ……!?」 杏里の行方は依然として知れず、その状況で今度は美香まで。 正臣との連絡が途切れた頃から感じていた嫌な予感が、帝人の中で更に大きさを増す。 帝人は杏里が消えた時からダラーズを使って自分なりの捜査を続けていたのだが、そちらにもまだ目ぼしい情報は引っかかってこない。最後の目撃情報は――奇しくも折原臨也が紀田正臣の行方を探った時と同じく――池袋周辺であった。だが池袋に住む杏里が池袋にいるのは当然の事で、しかも特に少女には危ない場所(夜の歓楽街など)ではなかったため、帝人はそれが有力な情報だとは思えなかった。 そうして同じ学校から二人の少女が相次いで消えた事で、世間は徐々に騒ぎ始める。 (あれ? そう言えばセルティさんから何の連絡も来ないな……) 杏里とセルティの仲が良い事を知っている帝人は、ふとそんな疑問に思い至った。 園原杏里が行方不明になった時、また続けて張間美香も行方不明になった時、実名は出されなかったが立派なニュースになったのは事実だ。だと言うのに、セルティは沈黙を保っている。 (いや、……って言うか、最近街中でセルティさんのバイクを見かけない) あの無音で走り、時折馬の嘶きのようなエンジン音を響かせる漆黒のバイク。その姿を見ていない事に気付き、帝人はぞっとした。 (そ、そうだ。折原さんなら何か知ってるかも) 最近は現実世界に翻弄されすぎて顔を出せていなかったチャットルームの管理人、そして新宿を本拠地とする情報屋の青年を思い出して、帝人は早速PCに向かう。 だがチャットルームに入室し、臨也=甘楽を待つ間にログを眺めていると、ここ最近、罪歌もセットンも、そして甘楽までもが全く現れていない事が判明した。 「な、に……?」 思わず声が出る。 正臣が消えた。杏里が消えた。美香が消えてセルティも消えて、臨也までもが消えたと言うのか。 自分の周りから親しい人達が姿を消していく。そんな馬鹿なと思いつつも、一人取り残される恐怖に帝人は気が狂いそうだった。 「だれか……だれかに、」 あいたい。 うわ言のように呟き、帝人はふらふらとアパートを出る。 自身は平凡だが知り合いだけは妙に多いため、きっと誰かに会えるはずだ。特にいつもワゴン車で移動しているあの四人とか。狩沢と遊馬崎ならアニメイトかまんだらけか、はたまたK-BOOKSか。とにかく本屋で待ち伏せていれば出会えるはず。 そう思って足を運んだ帝人は、けれども知り合いを誰一人として見つける事ができなかった。 太陽が沈み人工の明かりが存在を主張し始める頃になり、帝人はまだまだ途切れる事のない人の流れを見つめながら絶望に打ちひしがれる。 今日はたまたま出会えなかっただけかもしれない。 頭の中ではそう繰り返してみるが、一度現れた不安は消えるどころか膨れ上がるばかり。 そう言えば今日は学校で青葉の姿も見かけなかった。学年が違うためそういう事も有り得たが、今の帝人には物事をプラスに考えるだけの余裕がなかった。 (あ、だめだ。こわれる) 冷静であり冷静でない脳の一部がそう告げる。 限界だった。 目を開けているはずなのに何も見えない。耳を塞いでいないはずなのに何も聞こえない。手足は石のように硬く、喉だけが今にも叫び出しそうに震えている。 (もう……) カチリと何かのスイッチが入る―――帝人がそう思った瞬間。 「竜ヶ峰?」 (え?) 名前を呼ばれた。 低いその声がするりと耳に入り、視界が回復する。手足は熱と柔らかさを取り戻し、悲鳴が腹の底に引っ込んだ。 正面で心配そうな視線を向けてくる人影を認識し、帝人はその人物の名前を口にする。 「へいわじま、さん……」 立っていたのは金髪サングラスのバーテン服。この街で最強の名を冠する自動喧嘩人形こと平和島静雄。 直接顔を見て言葉を交わしたのはゴールデンウィーク中に岸谷宅で開催された鍋パーティーの時だけだったが、向こうは帝人の事を覚えていてくれたらしい。 完全に知り合いを失った帝人にとって、静雄の存在は天から差し伸べられた救いの手のように感じられた。 「おい、どうした? なんか凄く顔色が悪いぞ」 「へいわじまさん、ぼく……あの、みんなが」 「……、とにかくこんな所に突っ立っててもしょうがねぇな。うちに来い。話、聞いてやる」 「あの、おしごとは」 「気にすんな。まずはお前の事だろ」 決して逆らえない、けれども痛みはない力で静雄はずんずんと帝人の腕を引っ張っていく。触れた場所から伝わる温かさに、一度壊れかけた少年は泣きたくなるほど歓喜した。 □■□ 雇い主である臨也の所へ結果を報告しに行った帰り、ふと親友の優しい笑みが脳裏に浮かんで、紀田正臣はその足で池袋へとやってきた。本人と会うつもりはない。合わせる顔もない。だが元気そうな姿を一目見られれば、たぶんもうちょっと頑張れるんじゃないかと思ったのだ。 しかし近道でもある人気のない路地を歩いていると黒くて大きなものが視界を遮った。 そしてその黒いものは正臣に向かって低い声を吐き出す。 「なあ。お前、竜ヶ峰の親友なんだってな?」 答える暇はなかった。 声を出すための気道は片手で塞がれて、それが万力のような力で締め付けてくる。衝撃で見開かれた正臣の目に映るのは白と黒と、それから金色。 圧倒的な力を振るうその男が誰なのか。答えを出す前に正臣の意識は闇に落ちた。最後に聞こえたのはゴキンッと何かが勢いよく折れる音。 □■□ 『あらあらあら! 静雄だわ! すぐそこに静雄がいる!! 愛してる愛してる愛してる愛してる愛してるやっぱり愛してるわ静雄!!』 買い物の最中、己が寄生しまた寄生されている妖刀の声が興奮に染まったのを聞いて園原杏里は罪歌が促すままその方向を見た。 確かにいる。目立っている。人混みの中でも頭一つ飛び出た身長と太陽の光を弾いて金色に輝く髪はひどく目を引いた。 杏里の視界が平和島静雄を捉えた事で罪歌の勢いは更に増し、額縁の向こうに追いやっているとしても頭痛すら覚える。しかも罪歌はあの男に愛を叫んでいるが、生憎杏里が大事にしたいのは彼じゃない。彼とは正反対とも言える少年とその親友だ。 はあ、と溜息を一つ。それから杏里は静雄を斬りたくて斬りたくてたまらないらしい相方の声をあっさりと無視し、当初の目的通り買い物を続けた。静雄の姿が視界から消えた事で罪歌は不満を訴えてきたが、それも無視だ。 しかし、罪歌は杏里の気を引くためにとんでもない事を言い出した。 『あら。静雄から帝人じゃない方の杏里の大事な子の匂いがするわ』 (え……?) 『私が人を愛する時にも香ってくる匂いよ。赤い赤い血潮の匂い。静雄ってばどうしたのかしら?』 全身の血が下がったような気分だった。 なんだそれはふざけるな、と叫び出しそうだ。けれども杏里が知る限り妖刀・罪歌は嘘を吐かない。「愛してる」という言葉同様、彼女の声はいつも本当なのである。そして杏里は紀田正臣が失踪するキッカケになった一件の最中、静雄が正臣を殺すと口にしたのを耳にしている。 『あら杏里。追いかけるのね? 静雄を追いかけるのね?』 気付けば杏里の足は人混みの向こうの静雄へと向けられていた。黒かったはずの瞳がぼんやりと赤く染まる。 唇は一度も震えなかったが、もしかしたら胸中で「ころしてやる」くらいは呟いたかもしれない。 ―――まさか自分が標的にされていたとも知らず。 □■□ 「ああー、なるほど。だから杏里ちゃんも紀田君も貴方に殺されたんだ」 頬に冷や汗を伝わせて、首に傷を持つ少女はひきつった笑みを浮かべた。 後ろには壁、正面には愛に狂った男。 最悪な組み合わせだと思う。 ここまで少女―――張間美香を追いつめたのは池袋で最強の名を冠する男だ。敵うはずがないと本能が訴えかけてくる。しかし美香は言葉を止めなかった。 「欲しい人がいるんですね? 私も死にかけたって整形したって愛したい人がいるから、その気持ちはちょっとだけ解ります。貴方には欲しい人の周りにいる“いらないもの”を物理的に排除するだけの力があった。だから紀田君も杏里ちゃんも殺した。……でも私はどうして?」 美香は『彼』のクラスメイトだが先の二人ほど親しい訳ではない。しかも美香が見ているのはただ一人、矢霧誠二だけだ。つまり目の前の男にとっては排除の対象外であるはず。 「一番のゴミを捨てるために必要な手順なんだよ」 「私の命をたかが手順ときましたか。でもそれで納得しました。貴方にとって“一番のゴミ”と、私が死んで喜ぶ人が誰なのか考えれば、自ずと答えは見えてきます」 「そうかよ。だが解ったところでお前は俺に殺される」 「ええまあ、そうですね。でも一言……貴方に言っても仕方ありませんが、最後に一言宣言させてもらいます」 死への恐怖に心臓はバクバクと激しく収縮を繰り返している。それでも美香はなるべく平静を保って、それどころか優越感すら漂わせて言った。 「私が死んだって私の愛は変わらないし、無くならない」 □■□ 矢霧波江は幸せだった。 あの小娘が死んだ。消えた。“約束通り”顔面をぐちゃぐちゃにして。これで大事な弟は自分のものだ。もうあの顔はない。これからはずっと波江の愛だけが弟を満たし続けるのだ。 そんな歪んだ幸せに包まれながら波江は約束を果たしてくれた男に笑みを向ける。 「ありがとう。次は私の番ね。何でも言ってちょうだい」 「……折原臨也を殺す」 「いいわ。手伝ってあげる」 だってこの男は誠二を自分にくれたのだから。雇い主の命くらい安いものだ。 そうして約束は果たされる。 新宿の情報屋は姿を消し、彼が保管していた妖精の首もどこかへと消えた。 □■□ 何者よりも愛しているから裏切れる。岸谷新羅とはそういう男だった。 愛しい人には常に真摯な態度で、なんて馬鹿らしい。愛しい人に愛してもらうためならどんな非道でも裏切りでもやりきってみせる。これこそが新羅の愛し方だった。 そんな新羅が抱える一番の懸念事項は愛しい妖精の首が彼女に戻ってしまわないかどうか。もし首無しの彼女が首を取り戻して、その中に溜め込まれていた記憶が彼女に何らかの影響を与えたら……もっと言ってしまえば、記憶が戻った事によって彼女が新羅から離れてしまったら。 考えるのも恐ろしい。 彼女は新羅にとっての神だ。唯一の女性にして、人生の全てを賭けて愛すると誓った存在。その彼女が離れていくというのは、愛する人への裏切りさえ恐れない新羅の恐怖だった。 だから――― 「オーケー。これで君との契約は成立だ。まさか君がそこまでやるなんて正直に言って驚天動地だけど、愛ゆえにそこまでやってしまうってのは重々理解できる。……幸せになれればいいねぇ」 それじゃあ、と新羅は笑って小学校以来の友人に手を振った。別れの……おそらくは永遠の別れの挨拶として。 新羅は行く。愛しい女性の首を対価に、この男との契約を果たすため。 契約内容には含まれていない事だが、愛しい女性に彼女の首を自分が手に入れたなどと教えるつもりはなく、この秘密は新羅が墓まで持っていくつもりだった。 首を隠したまま新羅が向かうのは首無し妖精の故郷。新羅は愛しい女性と共にこの街を離れる。人ではない彼女は新羅の友人の怪力を持ってしても殺す事は容易でなく、ならば“あの子”が住むこの街から遠く離れた所へ行ってもらおうと友人は考えたらしい。新羅としても愛しい彼女と共にいられるならば、なおかつ彼女の首を譲り受けられるならば、友人が提示した条件を飲む事に抵抗はなかった。 そして非日常の権化でもあった首無しの妖精とその恋人である闇医者は、妖精の耳に知人の失踪の知らせが伝わるよりも早く日本を発った。 □■□ (さあ、あと少し。そしてここからが本番だ) 帝人の腕を引っ張りながら金髪の男はサングラスに隠された双眸を歪めてニヤリと笑う。 自らを取り巻く状況と、獲物の心。そのどちらもが完全に静雄の思い通りになった。あと一押しできっと獲物はこの手に落ちる。それが愉しみで愉しみで仕方ない。 欲しいものを手に入れるため、静雄はひたすら邪魔者の排除に腐心してきた。そうできるほど、静雄の心は今自分が腕を引いている存在に囚われていたのである。 家に着いたら何も知らないフリで話を聞いて、それからもう大丈夫だと抱きしめてあげよう。俺がいるからと。俺は消えたりしないからと。 周りの人達を次々と失って壊れかけた少年はきっと静雄を受け入れる。そうしたら静雄の心の全てを少年が満たしているように、少年の全てを静雄で満たして完了だ。 自分は、自分達はきっと幸せになれる。これだけ頑張ったのだから幸せになれない方がおかしいだろう。 眼前に広がるのは夢のような情景だけだ。 静雄はこれからの生活に胸を高鳴らせながら夜の街を突き進む。真実を知らない少年は触れ合った場所から伝わる熱に安堵して、ただその男の歩みに従うのみだった。
たった一人を選ばせる方法
(ほら、幸せが大口を開けて待っている) 「静帝で、ヤンデレ静雄様による帝人君包囲網」をリクエストしてくださった匿名様に捧げます。 ありがとうございました! |