「どうせアイツは本気じゃねえんだろ」
言われなくても解っていた。あの人が僕なんかの事を恋愛感情で見る訳がないって。今こうしてお付き合いなるものをしているのも、別にあの人が僕を好きになったからじゃない。……いや、あの人は人間全てを愛していると言うから、その中の一人である僕も愛される対象に入っているのだろうけど。そんなのは恋人じゃないよね。 告白は僕からだった。あの人の姿は見えているのに手が届かなくて、そんな距離感がたまらなく嫌で。だから言葉にして伝えて、そしたらあの人は「面白い観察対象を見つけた」って言わんばかりに笑みを浮かべた。まあ実際にはそんな台詞なんて吐かずに、「ありがとう。これからもよろしくね」って答えてもらったんだけどさ。とても薄っぺらい言葉だった。 唯一なんて作らない人だからそんな答えは予想していたのに、その上でもし本当に付き合ってもらえたなら……って思って言葉にしたのに。実際にあの人のきれいなきれいな顔を見ていると、胸が苦しくて仕方なった。あの人は確かに僕を恋人として扱ってくれたけど、それは行動だけで心は欠片も伴わない。結局、僕は永遠にあの人の背中を眺め続けるだけで、実際にその手を掴む事なんかできる訳なかったんだ。 きっとこうして僕が胸を痛めている様すら、あの人にとっては楽しい観察対象となり果てるのだろう。赤い目を爛々と輝かせて口元に冷笑を浮かべて、「かわいいなぁ」くらい言っているのかもしれない。 たとえ僕と向かい合って会話しているのが、あの人の……臨也さんの天敵である平和島静雄さんであっても。 「……わかってますよ」 静雄さんの質問からしばらく経って、ようやく僕はそう答えた。静雄さんも僕の答えはとっくに予想していたのだろう。驚いた様子はなく、少しばかり不機嫌そうに顔を顰めている。 「じゃあなんでノミ蟲なんかと」 「好きなんです。それでも好きなんですよ、あの人が。臨也さんが」 こんなに……くるしい、のに。胸が痛くてたまらないのに。 ああ、視界が滲んできた。情けないなぁ。静雄さんも鬱陶しいんじゃないかな。ただでさえ大嫌いな臨也さんの名前が出てるのに、それに加えて高校生の男がボロボロ泣いてるんだから。折角、静雄さんが善意で忠告してくれてるのにね。あんな男とは別れてしまえって。うん。確かに臨也さんと付き合っても絶対に幸せになんかなれない。 そろそろ殴られるかな。パソコンは触りたいから、腕と目だけは無事であって欲しいんだけど。どうだろう。それとも噂に反して優しい静雄さんなら、僕みたいなひょろひょろした人間なんて殴る気すら起こらないのかな。 「竜ヶ峰……」 やっぱり静雄さんは優しい。そんなに悲しそうな、痛そうな声を出して僕の名前を呼んでくれるなんて。本当に心配してくれているんだろう。知人の知人でしかない僕にすら、この人は心を痛めてくれる。心配してくれる。こういう人を好きになれたら幸せなんだろうな。 ま、「貴方を好きになれば良かった」なんて言っても、静雄さんが困るだけなんだろうけど。 こっそり胸中で自嘲して、なるべく感情が顔に出ないよう気を引き締める。毅然と笑っていたい。安心してもらう……は無理かな。だから僕がこのまま臨也さんと付き合い続けて本当にぼろぼろになってしまった時、静雄さんには「だから言っただろ?」って怒るか呆れるかして……いや、むしろ馬鹿にするレベルで笑ってもらえたらいい。 優しい人がこれ以上僕の事で心を痛めませんように。 そう祈って僕は笑みを浮かべた。 「りゅっ」 「ご心配いただきありがとうございます。でも大丈夫です。僕だって全部解った上でこんな事をしているんですから。もし“臨也さんと付き合ってる僕”がお気に召さないなら、僕は今後貴方の前には現れません。……完全にっていうのは無理かもしれないですけど、なるべく、そうします」 だから大丈夫。こういう人を好きになれたらなって思える人がいるだけで、なんだか少し気持ちが軽くなった。 って思ってたのに。 「え……っ?」 最後にもう一度だけお礼を言ってさよならしようとしたら、ぐいっと強い力で腕を引かれた。眼前に迫る黒と白のバーテン服。背中に回った腕の感触に抱きしめられている事を知った。 「し……ずお、さ」 「そんな顔すんなよ。離せなくなるだろ」 それは、どういう……。 「ノミ蟲の事が好きだって言いながらそんな顔するな。それだったら俺を好きになれよ。俺ならお前を悲しませたりしない。そんな顔、させない。絶対」 痛いくらいの力で抱きしめられる。硬い胸板に顔を押しつけられているから静雄さんの表情を見る事はできないけど、心臓が物凄い早さで脈打っているのは判ってしまった。 え、え? これってどういう事? そんなまさか、冗談だよね? からかってるんでしょ? だってそんな、静雄さんが僕のこと……。 「好き、なんですか?」 「ッ!!」 ビクリと大きく身体が震えた。 「だったら何だってんだよ。そうだよ、俺はお前が好きだ。ノミ蟲と歩いてんのを見るだけで胸くそ悪くなって、最初は単にノミ蟲が憎いからそうなってるんだと思った。でも違うんだ。お前がノミ蟲に笑いかけてんのがムカつく。俺に笑いかけてくれたらすっげぇ嬉しい。気付いたらノミ蟲を捻り殺す事じゃなくて、お前の隣に立って笑ったお前を見てる自分を想像するようになってた」 抱きしめる力を緩めて、静雄さんが僕の顔を覗き込む。サングラス越しに向けられた視線は『自動喧嘩人形』の名から想像できないほど頼りなく揺れていた。 「……なあ、お前は非日常が好きなんだろ? どうせノミ蟲に興味を持ったキッカケだってそれなんだろ? だったら俺の事にも興味を持ってくれよ。そして俺を好きになってくれ。頼む」 ああ、まさか。まさか僕なんかがこの街で最強の男に縋り付かれるだなんて。ここが無人の公園で良かったのかもしれない。こんな『最強』の姿、他人には見せられないからね。 「竜ヶ峰、ノミ蟲と別れろ。もうこれ以上そんな顔で笑うお前を見たくない」 サングラスを外した瞳は凄く綺麗で、臨也さんが持つ毒々しさなんて欠片も含んじゃいない。臨也さんが形だけ綺麗な人なら、静雄さんは形も中身も綺麗な人。 だから、かな。その綺麗な顔が近付いてきても僕は一切の抵抗をしなかった。 唇に触れる他人の熱。こんなに優しいキス、初めてだった。 □■□ 竜ヶ峰がノミ蟲と別れた。 まだ少し未練は残ってるみたいだが、それは仕方がないと思う。とにかく、ノミ蟲と別れた竜ヶ峰はいつも笑ってくれていて、その顔がどうやら無理に作ったものではなさそうなので、俺は一安心だ。あとはもっともっと笑ってもらえるように俺が頑張るだけ。あいつが笑うと俺も幸せになるから。 本人から聞いたところによると、ノミ蟲は竜ヶ峰に別れを告げられた時、あっさりとそれを受け入れたらしい。未練も何も感じさせずに。予想はしていました、と竜ヶ峰は笑って語っていたが、その顔からは悲しみが見て取れた。でも竜ヶ峰の悲しそうな笑顔はこれが最後だ。俺が最後にしてみせる。 「静雄さん?」 斜め下から声をかけられてハッとする。いくら竜ヶ峰の事を考えていたからって横を歩く本人を蔑ろにしちゃいけないよな。 しばらく俺が黙り込んでいた所為で不思議に思ったらしい竜ヶ峰が大きな瞳でこちらを見上げていた。形のいい頭に思わず手を伸ばしてわしゃわしゃと黒髪をかき混ぜれば、子犬みたいに首を竦ませて「わっ」と楽しそうな声を上げた。 そんな竜ヶ峰の反応に癒されながら「なんでもねえよ」と答えるため口を開く。だが言葉が音になる前に、俺はこの世で最も嫌いな――そして竜ヶ峰の件で更に憎しみを抱くようになった――クソ蟲の気配を感じ取って舌打ちした。 「しず、」 「竜ヶ峰、ちょっと待ってろ。蟲退治してくる」 「え」 まだ傷の癒えていない竜ヶ峰に臨也の野郎を近付けるなんて論外だ。あいつが吐く言葉でどんだけ竜ヶ峰に傷が付くのか……想像もしたくない。本当はノミ蟲が何をほざいたって気にしないくらい竜ヶ峰が俺を好きになってくれればいいんだが、それは高望みしすぎってもんだろ? 今はまだ竜ヶ峰が傷つかないように俺が全力でこいつを守る。それが全てだ。 そう思って竜ヶ峰をここに残していこうとしたのだが、くいとシャツを引っ張られて俺は動きを止めた。 「竜ヶ峰……?」 「静雄さんが行くなら僕も行きます」 「でも」 竜ヶ峰は首を横に振る。 「僕の心は静雄さんの物だって証明したいんです。静雄さんと僕自身に対して」 だからわざと臨也に会いに行くっていうのか。 「僕だってちゃんと静雄さんのこと見てるんですよ。静雄さんはまだ僕が臨也さんに対して未練があるって思ってますよね。確かにまだちょっとあります。でもそんなのが気にならないくらい僕は優しい貴方を好きになった。その証明がしたいんです」 はっきりと目を見て竜ヶ峰はそう言った。今のままじゃ貴方も僕も次の一歩を踏み出せないでしょう? と笑って。 どうやら俺の中の葛藤はすでに竜ヶ峰にはバレバレだったらしい。 俺は竜ヶ峰を傷つけない事、笑ってもらう事を第一にして優しく優しく真綿で包み込むように接してきた。だから抱きしめて軽いキスをするくらいしかまだ経験していない。でも男だから当然、もっと先に進む事だって望んじまうのは当然だろう? ただ無理矢理とか、竜ヶ峰が状況に流されてとか、そういうのは駄目だと思った。だから我慢してたんだけどさ。 「大丈夫なのか」 「僕を見縊らないでください。誰かを胸に抱えたまま他の人とお付き合いができる程、僕は小器用でも不誠実でもないですよ」 幼顔に薄く笑みを刷いて竜ヶ峰は俺の手を取った。さあ行きましょう、と。 その歩みに合わせて俺の足も動き出す。「どっちですか」なんて訊かれて「あっちだ」と素直に答えながら、俺はたぶん人生で初めて怒りに支配されないまま臨也のいるであろう場所へ向かった。 ノミ蟲を見つけて、危ないから竜ヶ峰を下がらせて、そしていつも通りに戦争が始まる。 竜ヶ峰と一緒に現れた俺を臨也は妙に嫌そうな顔で眺めて舌打ちし、なにやら普段よりも勢いを増したナイフが何本も投擲された。ただ、他人を弄ぶのが大好きなノミ蟲の事だからきっと竜ヶ峰に嫌がらせの言葉を投げつけると思っていたのだが、その予想は外れてあいつは殆ど何も言わなかった。あの赤い目が竜ヶ峰を見据えて言ったのは一言だけだ。 「なにそれ」 と。 ニヤニヤした笑みを消し去って無表情で告げたその言葉に俺は少しばかり驚いたが……今はこいつを葬る方が先だ。竜ヶ峰のキスを、そして直接は聞いていないがたぶんセックスも、全ての初めてを奪ったのはこの男だから。 醜い嫉妬? そりゃそうさ。俺は竜ヶ峰が好きだ。だから竜ヶ峰に触れるものは、実は空気だって憎い。それがあの男なら尚更だ。 「いざやくんよぉ。池袋には来るなって何度も何度も何度も言ってるよなあ?」 「うるさい黙れ死ね化物。俺がどこにいようが俺の勝手だろ」 いつもの饒舌は鳴りをひそめ、ノミ蟲は素早くそれだけ返した。少ない言葉の代わりに大量のナイフが飛んでくる。 鋭いナイフは俺の皮膚を浅く切りつけ、白と黒の布地に僅かな赤い染みを広げた。 「はっ! これくらいで俺が殺せるとでも思ってんのか? ああ゛? いざやくんよぉ!!」 「……殺す」 再び閃くナイフ。 そうして妙に口数が少ない臨也と殺り合っていると、突如、ガタンッと上の方から音が降って来た。 「?」 疑問に思って上を向く間も無く、少し離れた所から竜ヶ峰の叫び声が聞こえる。 「逃げてください!!」 その声で反射的に身体が動く。臨也の野郎も思わずと言った風情でバックステップを踏んでいた。俺と臨也が同時に距離を取った直後、それまで俺達がいた所に巨大な何かが降って来る。それは大きな音と地響きを伴い落下の衝撃を周囲に伝えた。 「な、ん……っ」 息を呑む。 目の前に落ちてきたのは赤い鉄骨。一本で何百キロという重さを誇るそれが何本も積み重なって視界を遮っていた。隙間から見えた臨也の顔は驚きに見開かれ、どうやらこれはこいつの意図したものではないと悟る。つか、長年殺り合ってきた所為で知っているけども知りたくなかった事なのだが、いつものノミ蟲なら自分が仕掛けた事であろうと偶然の産物であろうと、某か事象が起こる前に気付いてそれを利用するもんじゃないのか? にも拘わらず、臨也は鉄骨が降って来る事に気付いていなかった。 ふと見上げれば、傍らのビルの屋上付近にゴツいロープがぶら下がっている。他にも建物に固定する方式の小型クレーンだとか、作業員がこちらを見下ろしていたりだとか、あそこで工事をしていたのは俺でもすぐに解った。 今の折原臨也にはそれらを観察する余裕がない……? 妙に少ない口数だとか、全くニヤつかない顔だとか、違和感の原因を思い出して俺はまさかと胸中で呟く。 そして、その予想は次の一瞬で決定的になった。 「静雄さんっ!!」 離れた所に避難させていた竜ヶ峰が血相を変えて駆け寄ってくる。俺の所に、俺だけを見つめて。すぐ近くにはこの前まで恋人だった臨也の野郎がいるのに、竜ヶ峰の目にはそんなもの欠片も映っちゃいなかった。 「りゅうがみね……」 愛しい恋人の名前を呼びながら、ふと視界の端に映った臨也の表情に気付く。 それは情けなく眉を下げ、今にも泣き出しそうな子供の顔だった。 嗚呼、そうか。手前……。 「静雄さん! 大丈夫ですか!? 怪我は!?」 「大丈夫だ。お前の声のおかげでちゃんと避けられたから」 「本当に?」 「ああ、本当だ」 「よかった……」 傍らにぺたりと座り込み、竜ヶ峰は半ば縋るように俺を抱きしめた。触れ合った所から伝わる鼓動は危機一髪を体験した俺よりも激しく脈打ち、ちょっと申し訳ないくらいに思ってしまう。 「静雄さんが怪我しなくて本当に良かった」 肩口に頭を預けて竜ヶ峰はほっと息を吐く。俺は小さな背中に腕を回しながら重なり合った鉄骨の向こうに視線を向けた。 『残念だったな折原臨也。竜ヶ峰は俺が幸せにする』 声は出さず、口を動かすだけでそう告げる。 手前はそこで指でも咥えて見ていればいい。たとえ臨也が竜ヶ峰を本気で好きだったとしても、俺に竜ヶ峰を盗られた事でそれをようやく自覚したとしても、渡す気なんてこれっぽっちもないからな。こいつはもう俺のものだ。 竜ヶ峰の温かさを更に強く抱きしめ、俺はこれ以上ないくらい幸せを感じながら笑った。 言葉を紡いで、 腕を伸ばして。
強く抱きしめた者が勝つ。 リクエストしてくださった亜積史恵様に捧げます。 亜積様、ありがとうございました! リクで頂いた「臨也は強がりを言いながら身を引く感じで」の部分が……なんか、違うっ!? 折原さん強がってない。完全涙目。マジごめんなさい。 |