初めてその声を聞いたのは冬の夕暮れ時、人のいない公園での事だった。
(歌……?) 仕事の休憩時間中にふらりと訪れたその場所で、かすかに聞こえた音に平和島静雄は足を止めた。この時間、この場所はよく池袋の自動喧嘩人形が現れるという噂があり――またそれは事実であり――、静雄以外の人間が居る事は非常に稀である。 一体何だろうと興味を引かれ、静雄は向かう先を変更した。 歌の主の邪魔にならないよう革靴が立てる音を最小限に抑え、咥えていた煙草の火も携帯灰皿に押しつけて消してしまう。そうして近づいていくと、徐々に歌声がはっきりと聞こえだした。歌にさして興味もない静雄だが、嘘偽りなく上手いと思わせる程のものが。 (すげ……) 基本はアルトだが高音から低音まで音域は広く、流れる水のように紡がれる音はのびのびとして、聞いている者の心を穏やかにさせた。 その音を途切れさせたくなくて静雄は物陰からそっと声の主の姿を盗み見る。 静雄は自分が周囲にどう見られているのかよく知っていた。金髪サングラスという見た目からして一般人はあまりお近づきになりたくないだろうし、そこにバーテン服が加わる事でこの街では赤信号並に危険を意味する記号になり得る。きっと歌の主も静雄を見つければ、歌を止めてこの公園から去ってしまうだろう。静雄はそれが嫌だった。 充分な距離をとって眺めやったその人影は静雄もよく利用するベンチに腰掛けていた。 茶色の暖かそうなコートの隙間から覗くのは来良学園の青いブレザー。顔を見る限りでは一年生だろうか。短い前髪から覗く額が幼さを強調していたが、まさか中学生がわざわざ高校の制服を着て公園にいるとも思えない。真面目そうな黒髪ときっちりネクタイまで締められた制服は清潔感が漂い、一目で好感を抱かせる。顔つきは特に派手という事もないが、こじんまりとした雰囲気と相俟って小動物的な愛らしさがあった。 でも、と静雄は心の中で呟く。 ベンチに座って歌う彼はその愛らしさの他に別の不思議な魅力を含んでいた。まるで木に実ったリンゴが地面へと落ちていくように、水が上から下へと流れるように、心が視線の先の少年へと引き寄せられる。 この歌をいつまでも聞いていたい。素直にそう思えた。けれど――― (あ、終わった) 歌声がぴたりと止み、少年がベンチから立ち上がる。傍らに置いていたブラックコーヒーの缶を持って専用のゴミ箱に入れると、彼はそのまま公園から出て行ってしまった。 静雄はその後を追う事もせずしばらく突っ立っていたが、上司であるトムとの待ち合わせ時間が迫っているのに気づいて渋々と公園を去る。少年が消えた方向とは別であるためきっと再会できる可能性はゼロだ。それを残念だと思いながら、けれども一方的な邂逅のおかげで普段より機嫌良く静雄は待ち合わせ場所に向かった。 明日もここに来ようと決めて。 しかしながらそう上手くは行かず、翌日、取立て相手がいやに長く渋った所為で休憩時間がずれ込んでしまい、静雄が公園に向かった時にはもう誰もいなかった。ひょっとしたら今日は最初から少年が来ていなかった可能性もあるが、静雄の到着した時間が昨日だと完全に歌が終わってしまっていた頃なので「もしもっと早くに来られていれば」と思わずにはいられない。 「あー……くそっ」 静雄の所定位置であり、昨日は少年が座っていたベンチに腰掛け、静雄は煙草を吹かし始める。 仕事では早く早くと急いてしまって、最後の相手の“飛距離”が物凄いものになっていた。それに付随する被害総額がどれだけになるか解っているために、煙と一緒に吐き出されるのは重い溜息だ。なおかつ被害総額は増えたくせに目的は達せられない。思わず「何やってんだ、俺」と呟いてしまった。 そうやって静雄が落ち込んでいると、静雄が入って来たのとは反対方向にある公園の入り口辺りから馬の嘶きのような音が聞こえてきた。聞いた事のある音だったため静雄がそちらに顔を向けると、ちょうど黄色いヘルメットと黒いライダースーツの人物が影のような艶のないバイクを駆って走り出したところだった。 「セルティ……?」 首無しだともっぱらの噂がある(そして実際に首がない)無口な友人を遠目に見送って静雄はその名を呟く。どうやら一瞬前まで誰かと話でもしていたらしい。 都市伝説として恐れと好奇の視線を向けられる彼女は一般人と言葉を交わす事など殆どないのだが、どこにでも例外はいるようだ。まあ彼女は静雄と違って突然(些細な理由でキレて)相手を傷つける事もなく、それどころか思慮深く話を聞いてくれるタイプであるため、そういう人間も現れるのだろう。 それを羨ましく、また少し妬ましく思いながら静雄の視界がふとセルティの話し相手だった人物を捉える。障害物となっていた木々の影から姿を見せて――あちらも帰宅しようとしているのか――公園を出ていくその後ろ姿は来良学園の青い制服。 「……ッ」 一瞬だけ見えた横顔は確かにあの少年のものだった。 まさか求めた相手がこんなにも近くにいたとは思っておらず、静雄は小さく息を呑む。そして無口の友人を間に挟んだ相手との繋がりに驚きながらも、また同時に“首無し”と普通に会話する少年が自分にも笑いかけてくれる様を夢想して胸が熱くなるのを感じていた。 ただの妄想だと頭では理解していても、やはり静雄は自分と同じ“化物”であるセルティが少年と知り合いになれるなら、「俺とだって……」と思わずにはいられなかったのである。 * * * 鍋をするから静雄も来ればいい。 首無しライダーこと友人のセルティからそんな内容のメールを受け取ったのは、静雄が昼間の回収を終えて昼食をとっている頃だった。 どうやらセルティと新羅の知り合いを呼んでワイワイやるらしい。セルティは物を食べられないので、彼女の恋人である新羅が雰囲気だけでも楽しんでもらいたいと思ったのだろう。 静雄がセルティと帝人を同時に見かけてから数日後。そうやって訪れた誘いに静雄はしばらく逡巡し、けれどもやがて参加するとメッセージを返した。 喧嘩人形である自分が行って他の人間を萎縮させてしまうのではないかと心配はあるものの、もしかしたらセルティの知り合いであるあの少年も来るのでは……と思ってしまったらもう、指が勝手に文字を打っていたのだ。 静雄は「送信しました」と液晶画面に表示されたポップアップを消して携帯電話を閉じ、煙草を咥えて火をつける。肺いっぱいに煙を吸い込むと、自覚していたよりも浮き足立っていた感情がだいぶ落ち着いたようだった。 (少しでも話せたらいいな) できればそれで笑ってくれれば。 まだ相手が来るかどうかも判らなかったが、静雄はあの声が自分に話しかけてくれるのを想像して僅かに口の端を持ち上げた。 同日、夜。 「こんばんは。僕、竜ヶ峰帝人って言います。平和島静雄さん……ですよね?」 静雄の願望は本人が思っていた以上に嬉しい方向で叶ってしまった。 公園で見かけた歌声の主は「りゅうがみね みかど」と言うらしい。岸谷宅に私服姿で訪れた帝人はどうやっても中学生にしか見えないのだが、その立ち居振る舞いはしっかりと高校生(またはそれ以上)のものだった。 帝人の背後には友人らしい少年と少女が一人ずつ。眼鏡をかけた黒髪の少女は帝人の様子を微笑ましそうに眺めているが、明るい茶髪にピアス姿の少年は帝人が話しかけた相手を見て目を剥いている。後者は静雄を知る者ならば当然の反応だろう。帝人と少女の方が異質なのだ。 静雄が「おう」と答え、ちらりと帝人の背後に視線をやれば、帝人は二人を一瞥して笑みを浮かべる。 「僕ら来良学園の一年なんです。こっちがクラスメイトの園原杏里さん。セルティさんともお知り合いです。それから彼が紀田正臣。僕の幼馴染なんですよ」 「そう、か。俺も来良学園……ってか元は『来神高校』ってんだけどな。そこの卒業生なんだ。あと」 「俺と新羅もな」 静雄の台詞を繋げたのは少し離れた所で缶ビールを傾けていた門田京平。 帝人は門田の台詞に目を輝かせ、静雄に向き直って笑みを浮かべた。 「わあ! じゃあ平和島さん達は僕達の先輩なんですね!」 うれしいです、とニコニコ笑う帝人に静雄はどう反応していいのか分からない。やはり首無しライダーと普通に会話し夕食にまで呼ばれるのだから少年も普通ではないのだろうか。 彼ら三人の様子を見ていると、帝人と杏里はセルティの友人として招かれ、正臣はそんな二人の付き添い的な存在であるらしい。だからこそ一般的な反応として静雄と帝人をハラハラしながら伺っているのだろう。まあ、首無しライダーがヘルメットを外しているのを目撃してもその瞬間だけ驚き、あとは結構普通に接しているところからすると、紀田少年も“それなり”ではあるのだろうが。 静雄は間を誤魔化すように新羅に渡されていた甘めの缶チューハイを一口飲み、『嬉しいのに困る』という奇妙な状況を味わう。 「……竜ヶ峰は俺が怖くないのか?」 「え?」 ぽつりと落とされた呟きは静雄が思った以上に大きかったようで、すぐ傍の少年にも随分はっきりと聞こえてしまった。帝人は「怖い、ですか?」と小首を傾げる。 「標識とか街灯とか折ったり自販機を持ち上げたりしてるのは凄いなぁって思いますけど。怖いよりもワクワクしますね」 「わくわく?」 鸚鵡返しに静雄が声を発すると帝人は「はい」と頷いた。すると彼の後ろから正臣でも杏里でもなく、黒い影がにゅっと出てくる。 『そうなんだ。帝人は私が首無しだと知った時も嬉しそうに笑った程でな』 「セルティ」 「セルティさん!」 黒い影もとい均整の取れた肢体を黒いライダースーツで包んだ人物は静雄にPDAを見せて、本来ならば頭部があるはずの空間に黒い煙を漂わせていた。 『確かにちょっと変わっているが、とてもいい子だよ』 「やあやあどうしたんだい。え? 帝人君の話? もう私ってばあんまりセルティが帝人君を構うから羨望嫉妬しちゃいそうなんだけどどう思う? 杏里ちゃんと紀田君もそうだよねー」 「へ、お、俺っすか!?」 「ふふ。そうですねぇ」 セルティある所に岸谷新羅あり。―――同じ室内なのだから当然と言えば当然だが、とにかく。静雄、帝人、セルティの集まりにこの家の主が飛び込んできた。 いきなり新羅に話を振られた正臣は大いに戸惑い、一方で杏里は新羅の奇行など慣れたものなのか笑顔で受け流している。 普段の自分の周りにはない騒がしさに静雄は目を白黒させた。「うるせぇ!」と怒りが湧かないのは、静雄自身がこの騒がしさを楽しんでいるからだ。 近づきたいと思った少年が傍で笑っていて、その彼や自分の友人達が帝人を中心に楽しげな表情を浮かべている。 なんかいいな、と静雄は思った。 帝人の魅力は歌声だけではないらしい。その空気や何者にも臆しない態度がこうやって人を集めるのだろう。 「さあて、僕の愛しのセルティを独り占めしている帝人君には罰ゲームをしてもらおうかな!」 「ちょ、僕に何させる気ですか!」 家主の独断と偏見により帝人が皆の正面に立たされた。少し離れた所で門田と共に来ていたワゴン組のメンバーも面白そうに様子を眺めている。 帝人の後ろで肩を掴んでいる新羅の表情は決して悪いものではなく、そのため静雄は元よりセルティでさえ何も言わずに見守っていた。と言うよりも、彼女は新羅がやろうとしている(帝人にやらせようとしている)罰ゲームの内容にある程度予想が付いているようだ。首の断面からふわふわと黒い煙を吐き出して、どことなく期待しているように静雄は感じられた。 「なんでもいいから一曲、皆の前で披露すること!」 「あ、新羅さんそれナイスっす」 「竜ヶ峰君の歌が聴けるのは久しぶりですね」 『帝人! 一曲と言わず何曲でも歌ってくれていいんだぞ!』 「えーなに? ミカぽんってばめちゃめちゃ歌上手いとか!?」 「だったら今テレビでやってる―――」 「やだなぁゆまっち! それまだカラオケに入ってないやつだよぅ!」 「お前ら落ち着け」 急激にテンションを上げ始めた狩沢と遊馬崎に、門田から保護者のごとくたしなめる声が入る。 だが帝人本人は遊馬崎の口から出たアニメのタイトルを聞いて「それだったら」と答えた。 「TVサイズでしたら歌えますけど」 「え! ホントにいいんすか!?」 「自分で決めるよりは……」 ちなみに耳コピですからね、と付け足してオタクコンビから了承を得た帝人はすっと息を吸った。 「――――――、」 「つっ、次これ! ミカぷー次はこれお願い!」 90秒に満たない歌が終わった瞬間、狩沢が掴みかからんばかりの勢いで帝人に文庫本を押しつけてきた。狩沢の暴挙に、しかし反論できる者はいない。他の者は皆、歌の余韻に声を出す事すら忘れてしまっている。 「……あいっかわらず、帝人の歌はスゲーな」 「はい」 来良の二人がほぅと息を吐き出して呟いた。その声でようやく他の者達もはっとなり調子を取り戻す。 「こら狩沢っ! 竜ヶ峰を困らせんな」 「帝人君、俺はこのアニメの主題歌を」 「遊馬崎! お前もだ!!」 門田がオタク二人をたしなめる一方で、新羅はパチパチと帝人に拍手を送った。 「いつもの事ながら凄いねえ。いっそ歌手にでもなってみればいいのに」 『この前テレビで見たが、バンドを組むというのも面白そうだな!』 新羅に続いてセルティもPDAを掲げる。それを読んだ帝人は「無理ですよ」と苦く笑ったが――― 「はいはーい! じゃあ俺はギターで!」 「え、ちょ、正臣!?」 「いいじゃねえか。お前の歌が上手いのは本当なんだし」 「はい!? そんな……平和島さんまでからかわないでくださいよ!」 半分冗談、ただし半分本気で静雄は言ったのだが、帝人にはその本気の部分が全く伝わらない。しかし周りを煽る事には幸か不幸か成功してしまい、特にセルティと正臣のテンションを一気に上げてしまう。 『じゃあ私は帝人達が組むバンドのファン1号だ!』 「セルティがそう言うなら僕は2号で頼むよ! ああっ、愛しのセルティとワン・ツーで決められるなんて!」 「なんか新羅さんはマジ新羅さんだけどいいか。んで、杏里はベースな!」 「へ!? わ、私ですか……?」 「そんな顔すんなって杏里ー。なんとかなるから!」 『楽器代くらいなら私から出資させてくれ』 「さすが池袋の都市伝説様! 話がわかるぅ!」 「ちょっと正臣!? ああもうセルティさんまで……!」 誰か彼らを止めてくれまいかと帝人は周囲を見渡した。けれども新羅はセルティ至上主義、杏里は「私が楽器なんて」と何やら考え込んでいる。そして遊馬崎と狩沢は「帝人君凄い!」と囃し立て、門田がそれを押さえにかかっている。渡草はその援護だ。そして帝人の視界がぐるりと一周して最後に捉えたのは、正臣達という火に油を注いだ静雄。だが彼らを抑えられるのもまた静雄だと帝人は判断し、最後の希望とばかりに名前を呼ぼうと口を開く。 「へいわじ―――」 「ドラムは?」 「それなら静雄がいるよ」 帝人の口が静雄の名を紡ぎきる前に正臣と新羅の会話がそれを遮った。 しかも新羅の発言は静雄本人に皆の注目を集める結果となり、九人分の視線の的となった静雄は「は?」と目を丸くする。 「新羅、お前何言って……」 「だって静雄、昔、弟君のプロモでちょこっとやってたじゃないか」 「あんなの出番もほとんど無ェし、形だけだろ」 随分昔、まだ弟の幽もとい羽島幽平がデビューして間もない頃の話である。諸事情で静雄は幽のプロモーションビデオを撮影する際にチラリと出演した経験があるのだ。その時の役は羽島幽平の後ろでドラムを叩くというもの。幽の影に隠れる位置であり、また映ったシーンもほんの一瞬であるため静雄は新羅にそう反論したのだが……。 「でもちゃんと練習してただろう?」 「う……」 平和島兄弟をよく知る新羅は鬼の首を取ったと言わんばかりにニコリと笑った。 「紀田君がギターで杏里ちゃんがベース、そして静雄がドラムで帝人君がボーカル。ほら! これでメンバーはばっちりだ!」 そう新羅が言い切った後、静雄は無言で周囲の反応を窺った。 一番乗り気だった正臣はバンドのメンバーにあの池袋最強が入ると言われて表情を凍りつかせていたが、新羅が何か耳打ちすると一気に表情を明るくさせる。そしてすぐ傍にいた杏里の手を取ると、 「俺達が演奏する! 帝人が歌う! そしたら俺達はやった分だけ帝人の歌が聞ける!!」 「ッ! 私やります!! 絶対にベースをものにしてみせますから!!」 「その意気だぜ杏里っ!」 どうやら話は完全に纏まったらしい。 それだけでは終わらず、続いて正臣のアーモンド型の目が静雄をひたと見据えた。そしてさっきまで緊張しっぱなしだったと言うのに今はニカッと効果音がつきそうな程に笑ってみせる。 「平和島さんっ! これからよろしくお願いします!!」 「正臣! 平和島さんにまで無茶振りしないでよ!」 帝人がすかさず親友の暴走を止めに入る。だが静雄の頭の中にはさっき正臣が言った台詞が何度も繰り返し流れていた。 『俺達が演奏する! 帝人が歌う! そしたら俺達はやった分だけ帝人の歌が聞ける!!』 「……なるほど」 「え? 平和島さん今、」 振り返った帝人に静雄はきっぱりと告げた。 「俺は別にいいけど」 「はい決まりー」 「……え?」 正臣がはしゃぎ、帝人が目を丸くする。 (あ、目ぇでけぇ) それをなんとなく「可愛いな」と思いながら静雄は少しだけアルコールが回った頭で頬を緩ませた。 「俺達が演奏すればお前が歌ってくれるんだろ? それにお前みたいな奴なら俺も怒らないで済みそうだし。お前がいいなら俺はお前と一緒にいたい」 名前も知らない多くの誰かに帝人の歌が聞かれるのは少し勿体無いとも思ったが、堂々と彼の歌を聴きその傍にいられるならば本望である。 どうして歌を聴くだけではなく傍にいたいと思ったのかまでは深く考えずに静雄はそう告げた。 これが『D・R』の始まり。 そして静雄が帝人への想いを自覚するまであと――― 帝人が静雄の想いに答えるまであと――― * * * * * * * * * * 時は遡り数年前、ある少年の話だ。 少年は趣味のネットサーフィンの最中に一つの動画を発見した。それは昨今全国的な人気俳優である羽島幽平がデビューしたての頃に作製された彼のプロモーションビデオだった。ビデオの中では幽平がバンドのボーカルに扮し、本物の歌手顔負けの美声で喉を震わせている。 だが少年の視線が釘付けになったのはそんな幽平ではなく、彼の背後―――。時折画面に映り込むドラマー役の青年だった。 (カッコいいなぁ……) 楽器越しにも分かる、すらりとした体躯やキレのある動き。そして何と言えばいいのだろうか……輝く生命力そのもののような、人を惹き付ける魅力が彼にはあった。羽島幽平が眼前に押し出されているためそれに気付く人間は極々少数だろうが、気付いてしまえば目を離す事などできない。そして気付いてしまった一人である少年は最早メインの俳優ではなくその背後にばかり意識が向かう。 (もし僕が歌って、この人が後ろで演奏してくれたら) 今は離れ離れとなった幼馴染や親を始めとする周囲の人間が己の歌唱力を褒めてくれた記憶を思い出し、少年は有りもしない幻想を夢想する。 「……なんてね」 小さく笑い、少年はパソコンの電源を落とした。 その感情がどういったものなのか、そしてドラムを叩いていた青年が一体どこの誰だったのか―――。 少年がそれらを知るのはまだまだ先の事である。
まだラブソングは歌えない
それはこれから二人で作っていくものだから。 「voice」(静帝バンドパロ)の馴れ初め話をリクエストしてくださったKake-rA様と匿名様に捧げます。 ありがとうございました! |