「おー。今日も飛んでるなぁ」
 そう言って見上げた空には赤い自動販売機。え? 青空じゃないのかって? そりゃまぁ青空でもあるけど、ここ池袋と言えばやっぱ自販機とかポストとか人間とかだろう。何せこの街には、原理はなんかよー分からんが、とんでもない怪力を発揮する人間がいるんだからな。その名も平和島静雄。「平和」だとか「静」だとか入ってるくせに、それとは全く正反対の生活を送っている奴だ。
「あ、向こうに静雄さんがいるみたい」
「今日は自販機かよ」
「取立てのお仕事中でしょうか……?」
 会話を交わすのは俺の前方を歩いていた青いブレザーの少年少女―――来良学園の生徒達。
 最後の子の台詞を借りるが、平和島静雄は現在テレクラ料金の取立てをやってるらしい。さっき空を飛んだ自販機も悪質な客に対する脅しか何かだったんだろう。
 ちなみに彼らが通う来良学園ってのは元「来神高校」って名前の高校で、平和島静雄もそこの生徒だった。
 なんで俺が知ってるかって? そりゃあ俺もそこの生徒だったからさ。
 今の来良学園は校舎も綺麗かつそれなりの偏差値の学校で、前方を行く彼らにはぴったりだと思う。偏差値が高めな割に校風は自由って話だから、真面目そうな女の子二人(内、片方は眼鏡っ子。もう片方はかなりの童顔)と軽そうな雰囲気の茶髪少年が一緒にいたりするんだろうな。でも俺が通っていた時代は今ほど偏差値も高くなかったし、通っている生徒の柄も……まあ、なんて言うか。察してくれ。しかも俺なんかはあの平和島静雄と同期だったってんだから、もうたまったもんじゃない。
 あの頃の問題児として真っ先に上がったのは平和島だ。しかし実はもう一人いて、そいつの名を折原臨也と言う。「臨む」に「也」で「いざや」と読むだなんて有り得ないと思うのだが、奴の性格こそ有り得ないものだったと俺は今でも思うね。キレやすく人外な怪力の持ち主である平和島と、性格が歪みに歪みまくって一回転どころか三回転半捻りくらいしているであろう折原。この二人は顔を合わせるとすぐに喧嘩と言う名の戦争をおっぱじめやがったのだ。おかげで学校はいつもぼろぼろ。運動部所属だった俺は奴等がグラウンドで喧嘩を始める度に部活を中止せざるを得なかった。しかも終わったら終わったですぐ再開って訳にもいかない。なんてったって運動場が穴だらけだったり、サッカーゴールの位置が変わっていたり、はたまた机や椅子だけでなく――どこから持ってきたのか――ガードレールやら標識やらが散乱しているのを元に戻す必要があったからな。あとナイフ。とにかくナイフ。折原もちゃんと回収していけよ畜生。危ねぇっつの。
 嗚呼、今思い出しても恐ろしさ半分、忌々しさ半分だ。
 あいつらの喧嘩は他人がどうこうできるレベルを超えてたからなー。ほんとマジでどうしようもなかった。どうしようもなかった。大事な事なので二回言う。一般人にあいつらをどうこうするのは無理だ。力だけなら折原も普通だから大丈夫って訳にもいかないし。あいつはあいつで頭を使ってくるから、下手をするとすぐ“キレてすぐ忘れる平和島”よりも厄介なんだ。
 高校を卒業してからも主な戦場を来神の敷地内から池袋駅周辺に変更しただけで、奴等が喧嘩する事に変わりはなかった。折原が……確か新宿だっけ? そっちに引越しするまでは毎日のように戦争戦争。止められるのは露西亜寿司のサイモンっていう屈強そうな男だけだ。普通に会社勤めで営業マンやってる俺はそんなあいつらを横目に、自分が被害を被らないようそそくさとその場を後にするしかない。
 ただ折原が池袋を去って以降、平和島がキレて街灯をぶん回したりガードレールを引っぺがしたりする頻度は下がり、俺が一月あたりにビクつく回数も少なくなっている。平和島がキレるのは相変わらずだけど、先述したように折原がいなければその回数は激減するし、加えて折原は逃げて移動するが、現在平和島のターゲットとなるテレクラ料金滞納者はあんまり逃走しない。腰を抜かしちまうからな。という事は、遠くで自販機が舞っても俺がいる辺りにまで被害が及ぶ可能性はゼロってワケ。折原がターゲットの場合はあいつの逃走方向に気を使わなきゃいけないからなぁ……。平和島静雄を見かけたらすぐ逃げろ。そして折原臨也を池袋で見かけた場合もすぐその場を離れろ。平和島が追っかけてくるから。この街では常識である。
 とか何とか思いつつ、道路の脇にぼけっと突っ立っていると、俺と同じく足を止めて自販機が打ち上げられた方向を眺めていた来良学園の生徒達の声が再び耳に入ってきた。そして俺は彼らの会話を聞いて我が耳を疑う破目になる。
「言っとくけどな、帝人。間違ってもあっちに行こうとすんなよ?」
「ええー」
 いやお嬢さん。何故そこで残念そうな声を出すんですか。貴女もしかして自殺志願者ですか。
 そこの茶髪君が言うとおり、あっちに行っちゃいけませんって。隣の眼鏡少女も少しおろおろしてますよ。貴女のような小さくて可憐な女の子が何ゆえ怪力魔人の元へ行きたそうな顔をしているのか、お兄さんにはさっぱり解りません。名前(みかどちゃん、だよな?)だけでなく、この子は性格も他人と違って少々珍しい部類だったりするのだろうか。
「静雄さんはいい人だよ?」
「そりゃお前が話してくれた分にはな……。でもキレてないとき限定だろ? 今行ったら平和島無双に巻き込まれて『星になった人その1』とかになっちまうぞ」
「そんな事ないと思うんだけどな」
「何を根拠に言ってるんですか帝人サン! ってか俺が最初にあれだけ『近付くな』って言ったのに名前呼びしちゃうくらい近付いちゃったしねこの子は! おとーさんは心配で心配で夜も眠れません!!」
「紀田君は竜ヶ峰さんのお父さんなんですか?」
「ノォン杏里! そこでボケちゃ駄目だから!」
「まぁ紀田君が昔から僕の兄代わりだったってのは事実だけどね。お父さんは無いよ。お父さんは」
「止せよ、照れるだろ?」
「今のどこにそんな照れる要素があったのか、僕にはさっぱり解らないよ紀田君」
 和気藹々(と言っていいのか? あの紀田とか言う少年は「帝人が冷たい」と言って項垂れてしまっている)とした雰囲気で、学生諸君は止めていた歩みを再開する。どうやら紀田少年の言葉に従って童顔少女・帝人ちゃんが平和島に近付こうとする事態は起こらないみたいだ。
 見も知らぬ少女だけど一応後輩でもある彼女が平和島に近付かないと知って、俺は内心ほっと安堵の息を吐いた。あんな子じゃ平和島が軽く腕を振るっただけでも致命傷だろうからな。
「さて……」
 それじゃあ俺も早く会社に戻るとするか。


 というのが一週間前の話。
 そして俺はサンシャイン60通りにて「あっ」と小さく声を出した。前を歩く童顔の来良生徒は『帝人ちゃん』だ。顔は可愛らしい部類に入るけど、特に人目を引くって程でもない。けれど職業柄、俺は人の顔と名前を覚えるのは得意だったし、加えてあの平和島静雄に興味を持っているらしい意外さに、彼女の事はしっかり覚えていたのである。
 今日は紀田君と杏里ちゃん(だったはず)の二人は一緒にいない模様。時間も前回よりは遅めだし、ひょっとしたら真面目な学生さんらしく委員会でもあったのかもしれない。もしくはベタだけど担任から仕事を任されたとか。
 今日はちょっと嫌な客に当たった所為か、ああいう真面目そうな子を見ると心がほんわかする。でも俺みたいな年齢の男が女子高生をじろじろ見る訳にもいかず(お巡りさんを呼ばれちまう!)さっと視線を外して先を急ごうと―――
「みっかどくーん!!」
 爽やかかつ弾みまくった男の声を耳に入れ、俺の足はその場でぴたりと硬直した。そして視界の端では俺以外にもギクリと身体の動きを止めたり、反対に猛スピードでこの場を離れようとする人間がいたり。……嗚呼、みんな分かってるんだな。そうだとも。この声、そして帝人ちゃんを捉えていたはずの視線の先に現れた黒いコートは、この街において金髪サングラスのバーテン服と同じくらい危険を知らせる物なんだ。
 情報屋なんていう胡散臭い仕事についているらしい男、折原臨也。
 新宿にいるはずなのに、なんでこんな池袋のど真ん中にいやがんだよ。って言うかマズくね? これひょっとして平和島静雄が来ちゃったりするんじゃないか……?
 ……。目の前のか弱そうな女の子より自分の身を心配してすみません。ホント駄目なんです。学生時代に刻まれた戦争野郎共への恐怖心がね。うん。俺、男の子なのに。でも無理。
 それに比べて帝人ちゃんは……なにあれすごい。未だ嘗て折原臨也をあんな風に素っ気無くあしらう女性は見た事が無いよ。
 俺が知っている折原臨也に対する女性の反応は主に三つだ。折原の本性を知らずに見た目だけで判断して目をハートにしている者。折原の本性を知って嫌悪やら悔しさやらを抱いている者(何があったのか想像もしたくない)。そして折原の本性を知って尚、あいつを神か何かのように崇め讃える者。だと言うのに、帝人ちゃんはそれらどのパターンにも当て嵌まらない。
「何ですか折原さん。こんな所で油売ってると静雄さんがそりゃもうひっっっくい声で殺気をぶつけに来ちゃいますよ」
「油を売るなんてとんでもない! 俺はシズちゃんっていう危険を覚悟してでも帝人君に会いに来たんだから!! って言うか帝人君の可愛らしいお口からシズちゃんの名前が出るだけでも腹立たしいね。やっぱあいつは滅びればいい」
「その滅びればいいって台詞、きっと折原さんと係わった沢山の人が思ってますよ。某掲示板風に言うと『折原氏ね』ですね。ああもう引っ付かないでください鬱陶しい」
「帝人君ってばもう! そんなにツンデレしてくれなくてもいいんだよ?」
「ツンデレじゃありませんデレは皆無ですツン100%です」
 俺さっき自分で俺くらいの年齢の男が帝人ちゃんくらいの女の子をじろじろ見るのはヤバイって思ったよな? なのになんだよあの男は。見るどころか纏わりついてるんですけど。折原ってばロリコンなの? 高校時代に上は人妻、下は中学生まで幅広く遊んでいた(という噂)の男だけど、今の年齢で帝人ちゃんはヤバイだろ。しかも帝人ちゃんは少しも嬉しそうじゃないしね! おいおい折原サーン。それ下手すると犯罪だから。……あ。折原の存在自体、すでに犯罪みたいなモンか。
「離れてください。僕これから用事があるんです!」
「えーなにそれ。俺とお話する以外に帝人君が優先すべき事ってあるの?」
「あるから言ってるんです、よっ!」
 最後の一音で折原の腕による包囲網を突破せんとした帝人ちゃんだけど、結果は失敗。そりゃあね。あの平和島静雄と殺り合えるくらいだから、折原も一般人レベルじゃないのは確かだ。力は普通でも技術とか。
 それに対して帝人ちゃんはたぶん平均よりも小さくてか弱い。勝てる訳がないよなー。
 けれど俺のようなごくごく一般人(しかも高校時代のトラウマ持ち)が彼女を助けられるかと問われれば、情けない事に答えはノーだ。うう、言葉にすると本格的に情けなくなってきた。つーか早くここから離れないとマジでヤバイんじゃないかな。池袋に折原の姿、それ即ち池袋の自動喧嘩人形の登場および戦争勃発の前触れなんだから。

「いーざーやーくーん」

 とか思ってたらマジで来ちゃったーーー!!
 帝人ちゃんの言葉じゃないけどひっっっくい声! 地を這うような、とはこの事だ。
 それくらいじわじわ来る殺気に満ち溢れた声が通りに木霊する。折原の登場で固まっていた残りの奴等も一斉に逃げ出した。俺も釣られて足を動かす。けど完全に避難する気にもなれなくて(何やってんの俺! 逃げようぜ!!)、俺はそっと近くの物陰に隠れた。
 果たして、現れたのは池袋の自動喧嘩人形こと平和島静雄。
 サングラスを胸ポケットに仕舞い、青筋を立てながら折原を睨みつけている。こ、怖ぇ……!
 つーかなんでこんなに登場早いんだよ! 近くにいたの? この近くに最初からいちゃったんですかこの人! いや、確かに折原の魔の手から帝人ちゃんを助け出せるのは平和島くらいだろうけどさ、それでも俺を始めとする一般人にだって心の準備というものがだなぁ……!
「あっ静雄さん!! すみません待ち合わせに遅れてしまって!!」
 慌てながらも可憐な声と共に少女が真っ黒男から離れる。あ、平和島の登場で折原の包囲網が緩んでた訳ね。良かった良かった。そして向かった先には金髪バーテン服……って、ええ!? え、ちょ、マジ!? これから戦争勃発って時に何やってんのあの子! わざわざ物理的な意味で一番危険な人間の隣に立っちゃいますか! そして平和島も何その子の肩に手ぇ置いてんの! 帝人ちゃんの台詞といい、その自然な男女の立ち位置といい。え、マジで? マジなの? 平和島が近くにいたのは偶然じゃなくて、帝人ちゃんと待ち合わせしてたから!?
「担任に仕事頼まれてたんだろ? 連絡くれたから別にいい。……つーかよぉ。問題は、そいつだ」
 帝人ちゃんの肩に左手を置いたまま平和島が折原を睨みつける。ハラハラしながら平和島の左手、と言うか帝人ちゃんの肩を見やるが、彼女の表情から察するに別段痛みは感じていないらしい。平和島の奴、折原を前にして完全に我を忘れてるって訳ではないみたいだ。
「いざやくーん? 手前は一体何しにここへ来やがった。さっさと巣穴に帰りやがれ」
「そっちこそ何してんだよシズちゃん。早く帝人君から離れてくれない? 君の怪力で彼女の大切な身体に傷でもついたらどうしてくれるのさ」
「静雄さんはそんな事しません! ……静雄さんの手で傷物にされるなら、それはそれでアリですけど」
 なにボソッと付け足しちゃってんのこの子はーー!
 一番近くで聞いていた池袋最強も「お前なぁ!」って怒ってるみたいな声を出しているが、サングラスに遮られていない目はそりゃもう嬉しそうに緩んでるぞオイ。
 えーなんだよ。折原ってば完全完璧一分の隙も無く馬に蹴られる方なワケ?
 帝人ちゃんの台詞に頬を引き攣らせている様は男前も台無しって感じだなぁ。
 それにしてもあの戦争野郎共二人に挟まれてる帝人ちゃんって一体何者? ちょっと童顔なだけのごくごく普通の女の子じゃないの? はっ!? まさか折原と平和島の二人も所属していると言う噂がある池袋最大のカラーギャング『ダラーズ』のリーダーとか!! それで二人ともダラーズの謎のリーダー・帝人ちゃんの素顔に惚れ込んでしまった! とか。……あはは。んなワケないよねー。
「帝人君!! いい子だから俺の所においで!! シズちゃんの所為で傷物になるなんて以ての外だよ!」
「いやです。これから僕達デートなんですから」
「そーいう訳だ。手前はさっさと消えちまえノミ蟲」
 俺が物陰に隠れてくだらない妄想をしていると、いつの間にやら項垂れる黒髪のイケメンと、頬を紅潮させて「ふんっ」と言い切った感で満たされている少女と、優越感に塗れまくった金髪のイケメンがいた。
 ちょっと折原が可哀想に思えてきたよ。だからって平和島に普段の折原と同じような台詞が吐ける訳でもないけどさ。
 まぁなんて言うか、学生時代から続く恐怖の対象の情けない面と色惚けした面をそれぞれ見る事ができた今日は、俺が今後抱くであろう奴等へのイメージをかなり大きく変えてしまったのだろう。基本的な生活態度も自販機が飛んだら気を引き締める事も黒いコートを見かけたらその場を離れる事も、何も変わらないだろうけどね。
「だから俺はもう逃げる」
 小さく呟き、俺は隠れていた物陰からこそこそと、そして素早く移動を開始する。
 チラリと横目で確認すれば、折原がナイフを手に持って駆け出す姿が。
 ついに戦争開始の大音量が鳴り響くのを背中で聞きながら俺はその場を後にした。ただの勘だけど、帝人ちゃんはあの二人の戦場に巻き込まれても笑って生還できるような気がするよ。






ある日の夕方、池袋にて。







リクエストしてくださった紗鳳寺のえる様に捧げます。
紗鳳寺様、ありがとうございました!