「昔、非日常は三日もすれば飽きちゃうって言われた事があるんだけどね。確かにこの科学の街も僕にとっては今やつまらない『日常』だ。君らの担任のように見た目にそぐわない熱血教師ならまた違ったんだろうけど、生憎僕は彼女のようにはなれなかったし、そもそも教師って職に就いてるのは研究者という本業のオマケみたいなものだったから」
「……だからって自分の学校の生徒を誘拐するなんて教師の話、聞いた事ねえよ」
「そう。じゃあ僕がその初めての人間って訳だ。勉強になったね、上条君」
 人工の明かりに照らされたやけに白っぽい部屋。その磨かれた床の上に転がされたまま、上条当麻は後ろ手に縛られた両腕をもぞもぞと動かしながら相手を見上げた。
 パソコンが置かれた机、それと同じデザインの椅子。おそらく流体力学的に人体への負担を最小限にしたとかいう物なのだろう。そこに一人の青年が腰掛け、上条を見下ろしていた。
 170に届くかどうかという身長と無邪気ささえ伺える童顔の影響で、高校一年生である上条と同い年と言っても通じるだろう容姿。しかし彼は立派に成人しており、しかもこの街―――東京都の西半分を再開発して作られた学園都市において、被験体となる学生とは正反対の存在。学生を育てる教師であり、また学生を実験対象と見なす研究者であった。
 本人の言葉を信じるなら教師というのはオマケで、彼がこの街にいるのは研究のためなのだろう。だが上条にとってはいつも自分達に笑顔を向けてくれた教育者の一人であり、更には己のクラスの副担任だった。
「竜ヶ峰、先生……」
「あれ? そんな所に転がされてもまだ先生なんて呼んでくれるの? 上条君も大概お人好しだねえ」
 だから皆に好かれてるのかな? と呟き、竜ヶ峰は白衣のポケットに両手を突っ込む。
「でもごめんね。今の僕は教師じゃなくて研究者。しかも学園都市の暗部……。上条君はきっと今まで触れた事なんて無いんだろうね。そんな場所で生きてる人間を『先生』だなんて呼んじゃいけないよ」
「なんのために俺なんかを。 暗部がどうとか全然解ってねえけど、普通、学園都市の研究者なら俺みたいな無能力者レベル0より学園都市で7人しかいねぇ超能力者レベル5を研究対象にしたいんじゃねーの」
「それを君が言う?」
 竜ヶ峰は呆れたように笑った。
「この街、230万人分の7人という確率で存在する超能力者レベル5と比べて君は一体どうなのさ。無能力者レベル0という判定を受けておきながら、超能力者レベル5の能力さえ無効化してしまえる力……。まさに230万分の1の人間、それが上条当麻だ。希少価値で言うなら上条君の方がダントツなんだよ」
「……じゃあ先生はこれから俺を使って実験するって言うのか」
「僕が? ううん。僕の専門はそっち系じゃないからね」
「は?」
 予想に反して首を横に振った副担任の態度に上条は疑問符を浮かべる。
「そもそもここは僕がもらってる研究施設じゃないんだ。他の人のもの。そして上条君を研究したいって僕に捕縛を依頼したのがここの持ち主ってわけ」
 そう言い、竜ヶ峰は机の上に無造作に置かれていたヘッドセットを手に取ると、そのマイク部分を口元に近付けてキーボードを操作した。
「数多君、時間取らせて悪かったね。もう済んだからこっち来てよ」
「何を……」
「君を研究しようって人をここに呼んだんだ。名前は木原数多。知ってる? 彼があの学園都市第一位、一方通行の能力を開花させた人なんだよ」
「ッ!」
 かつて戦った事のある白い少年の姿を脳裏に描き出し、上条の肩がぴくりと動く。あの凶暴なまでの力を開花させた人間とは一体どんな野郎かと全身が緊張に強ばった。
「……? ああ、絶対能力進化計画を指示した訳ではないから、そんなに緊張しなくてもいいよ」
 上条の緊張を感じ取り、竜ヶ峰は軽く告げる。
「君が一方通行と知り合うきっかけになったあの大量虐殺実験は数多君の後任の研究者が何人か集まってやってたやつ。数多君の担当は本当に一方通行を超能力者レベル5認定させたところまでだから」
「じゃあ……」
 そんな酷い事にはならないのか? いやでも誘拐させる時点で相当……。と上条が頭を悩ませる中、誰かの近付いて来る足音が耳に届く。その足音が扉の向こう側で止まり、カードキーを通す音が聞こえた。
「でも」
 扉が開く直前、竜ヶ峰が小さく苦笑する。

「僕に言わせれば、あの実験をしていた人達より数多君の方がよっぽど凶悪だね」

「おいおいおい。テメー、人を呼んどいて開口一番それかよ」
「やあ、数多君。お早いお着きで」
 上条に普段から向けていたのと同じ笑みで竜ヶ峰が迎えた存在―――。その男は今の竜ヶ峰と同じく白衣を纏っているが、脱色した髪と顔面の左半分を覆う刺青により研究者には到底見えなかった。
 獲物を前にして残虐性を剥き出しにした肉食獣のような表情で男、木原数多の視線が床の上の上条に向けられる。
「へえ、本当に無傷で持って来やがったみてーだな」
「それがウチのお仕事だからねえ」
 穏やかな空気を纏ったまま竜ヶ峰は答えた。
「君の猟犬部隊じゃ傷物にしちゃいそうだし。その辺、僕の小鮫達なら融通も利く」
「だーかぁら、テメーに依頼したんだろうーがよぉ」
「そうだね。で、品物の状態に関しては合格を頂けるのかな」
「今から確かめる」
 そう言った木原の口元はニィと吊り上がり、顔の刺青と相まって更に凶悪さを増していた。白衣に包まれた長い腕が上条に伸ばされる。
「ここで服ぅ引ん剥いても構わねーんだろ?」
「なっ!?」
「別にいいよ。むしろそのままヤっちゃっても僕としては問題ないと言っておこうかな。最初に躾けておいた方が扱いやすいらしいし」
「ちょ、どういう事だよ先生!!」
「どうもこうも言葉のままだけど」
「はいはーい。教師と生徒ごっこはその辺でいいだろ。んじゃちょっくらチェックするぜー」
 木原が上条と竜ヶ峰のやり取りを遮り、床の上の身体を仰向けに転がす。身体の下敷きになった上条の両腕はすぐさま痛みを訴えてきた。だが歪められた上条の顔など見ても全く気にする事なく、竜ヶ峰は木原の両手が上条の衣服にかかる様を笑って眺める。
「ッ、やめっ……!」
 本能的な恐怖を感じ取り身を硬くする上条だが、その程度の抵抗では木原を止める事などできない。
 怯える上条当麻、嘲弄する木原数多。そんな二人を眺めながら竜ヶ峰帝人はこれから始まるショーに目を輝かせる子供のような表情を浮かべる。
「ねぇ上条君。君は数多君の実験を受けていつまで正気でいられるかな?」
 他人の手が直接肌に触れるのを感じながら上条当麻はそんな竜ヶ峰の声を聞いた。
「君の壊れる様もまた僕にとっては非日常。しっかり楽しませてね」






月は蝕まれ、海は闇に沈み







白衣着て年齢不詳(どう見ても十代)なのに木原さんと同年代っぽい帝人様が書きたかっただけなんです。
なのでヤマもオチもイミも無いよ!