「何がそんなに楽しいのですか?」 奇妙な物体が浮かぶガラスケースを鼻歌混じりに眺める人物へと、ザエルアポロは問いかけた。 こちらに背中を向けている"彼"が何をしているのか、それならば決して短くない間傍にいたザエルアポロも知っている。 しかしただ知っているだけで、ザエルアポロには"彼"が何処に楽しみを見出しているのかがさっぱりなのだ。 この奇妙でグロテスクな物体が"彼"の思惑通りに成長しようとしまいと、それに関心を抱けない。 だいたいどうしてこんな物を作ろうと思えるのか。 科学者の考えることは解らない、と内心だけで呟いて、ザエルアポロは軽く頭を振った。 するとちょうど作業が終わったのか、鼻歌がピタリと止み、 「君は面白くないみたいだね。」 "彼"が此方を振り返り、片方しかない目を眇めた。 その不思議な色に見つめられながらザエルアポロは苦笑を浮かべる。 「正直に言ってしまうと、貴方のように興味を持つことは出来ません。」 「じゃあどうして此処にいるのかな。」 すでに答えを知っているといった表情で"彼"は小首を傾げた。 そんな相手の様子にザエルアポロは一瞬言葉に詰まり、しかしやがて諦めの吐息を零す。 「それを貴方が問いますか。」 「答えたくない?俺は聞きたいんだけどねぇ・・・」 「僕が貴方に逆らえないと知ってそう仰るんですか。」 ザエルアポロがそう答えると、"彼"は「そうだね。」と笑った。 「・・・僕は貴方の傍にいたい。だから此処にいるんです。」 「うん。知ってる。」 "彼"は人が悪い。 その思いを口に出せば、小さな笑い声と共に顎を取られた。 「でも君はそんな俺が好きなんだよ。」 身長は此方の方があるため見下ろす形になるが、精神的には完全に相手の方が上だった。 この瞳に見つめられるといつも思う。 嗚呼この人には絶対に敵わない、と。 「本当に・・・どうしてこんなにも貴方を想ってしまっているのでしょう。」 「さぁ?でもサ、今はどうでもいいじゃない。とりあえずこっちはやることも終わったし、次は君を構わせてよ。」 「・・・はい。喜んで。」 * * * 「ど・・・し、て。」 「"どうして"?捨てるのに理由なんて要るの?」 場所はいつも二人がいた研究室。 棚には奇妙な生物が何体もホルマリン漬けにされ、実験台の上にもコポコポと気泡を上らせるガラスの筒が幾つも見受けられる。 しかし今はいつもと決定的に違うところがあった。 "彼"の此方に向ける表情は記憶にある物と同様で面白がっているにもかかわらず、同時に瞳がひどく冷めていたのだ。 「そうだねぇ・・・強いて言えば"飽きた"かな。うん、そう。だからサヨウナラ。」 「飽きた・・・?だから僕を捨てるのですか?」 「うん。君にはもう何の感情も抱けない。ごめんね?」 冷たい瞳のままで、おどけたように"彼"は言う。 「僕は・・・僕は貴方が好きです。誰よりも、何よりも。愛しているんです。貴方のためなら死ぬことすら厭わない!」 胸に手を当て、最後には叫ぶような形で想いを告げた。 本当に"彼"のためなら自分が死のうがどうなろうが構わない。 "彼"の傍にいられるのなら、愛してもらえるのなら、他に何も要らない。 ザエルアポロの中心は"彼"なのだから。 それなのに。 「あっそ。」 ザエルアポロとは対照的に淡々と"彼"は答えた。 「で、それが?君が俺のために死のうが何しようがカンケーないね。言ったでしょ?俺は君に、ザエルアポロ・グランツに、飽きたんだ。」 「・・・・・・・・・いやだ。」 「しつこいのは嫌いなんだけど。」 思わず零れた呟きを聞き咎められ、"彼"の声に少しだけ苛立ちが混じる。 いつの間にか下を向いていたザエルアポロは"無関心"から新たな感情を持ったその声にふと顔を上げた。 傍に置いてくれないのなら、好きでいてくれないのなら。 こんな僕を鬱陶しく思うのなら。 「ならばいっそ嫌ってください。世界一僕が嫌いだと、そう仰ってください。」 好きでいてくれないのなら、せめて他の強い感情が欲しい。 無関心なのが何よりも怖いのだ。 だから『嫌い』という感情を、その一番強いものを、この身に。 それがあれば、きっと生きていけるから。 ザエルアポロの懇願を聞いた"彼"はパチリと瞬きを一つ。 どうやらこの願いは"彼"の予想の範囲外だったらしい。 しかしその驚いた表情もすぐに消え、代わりに現れたのは酷く歪んだ笑い顔。 「だーめ。俺は君が嫌いじゃない。そして、もう好きでもない。どうでもいいんだよ。」 ―――そういうことだから、バイバイ。 にこりと邪気の無い笑みを浮かべ、"彼"が此方に背を向ける。 それを引き留める術を、ザエルアポロは知らない。 ただひたすらに遠ざかる姿を眺めるだけ。 「や、だ・・・。いや、だ・・・・・・。置いて、行かない、で。僕を嫌いだと、世界一嫌いだと、言って・・・」 呟きは部屋に霧散し、一滴の雫がザエルアポロの目から零れ落ちた。 「あ、れ・・・。ここは―――」 いつの間に眠ってしまっていたのだろう。 目を覚ましたザエルアポロは周囲を見回し、此処が研究室であることに気付いた。 しかしどうしてこんな所に。 壁に設置した棚や実験台には"作りかけ"が幾つも並んでいる。 あるものはホルマリン漬けに、またあるものは未だ稼働中の円筒状の培養槽の中に。 どれもザエルアポロが作ってきたものだ。 しかし今は何故か違和感を覚えた。 本当にこれらは自分の手によるものなのだろうか。 「・・・馬鹿な。僕以外に誰がするって言うんだよ、まったく。」 きっと寝ぼけているに違いない。 そう判断してザエルアポロは立ち上がった。 と、その時。 目元に引き攣りを感じて思わず手をやる。 するとそこには涙の乾いた跡が一筋、頬に描かれていた。 「な、んだ・・・?」 ドクリ、と失われたはずの中心が大きく脈打つ。 手足の先が急速に冷えていく感覚に、ザエルアポロは訳も解らず戸惑った。 これは『絶望』だ。 しかし何故。 どうして今、自分がこんなものを感じなくてはならない。 この部屋に一人、それはいつもと全く変わらないことだと言うのに。 ―――世界一嫌いだと、言ってください。 身に覚えの無いフレーズが脳裏を過ぎる。 しかしザエルアポロにはそれがどういう意味を持っていたのか、思い出すことが出来なかった。 |