「ねぇかすかくん。しずくん、またケガしたの?」
「うん。今度は教卓を投げたんだって」
「きょーたく?」
「帝人君のクラスにもあるだろ? 黒板の前にある机だよ」
「おお!」
 大きな目を真ん丸にして小さな幼馴染は驚きの声を上げた。だがその声に他の者達と同じ恐怖などは含まれていない。
 平和島幽の三つ上の兄、静雄は怒りにより通常では持ち上がらないような重い物を持ち上げ、小石のように放り投げる事ができる。それを目にしたクラスメイトや近所の住人達は皆揃って静雄を恐れた。受け入れたのは家族だけ。
 しかし、ここに例外が一人。
 幽と静雄が生まれた頃から知っている少年、竜ヶ峰帝人だけは静雄の暴力を恐れる事なく平和島家の傍に居続けた。大人達が時折見せる偽善ではなく、純粋な好意から。
 静雄本人ほどではないにしろ、化け物の弟と周囲から遠巻きにされていた幽にとって帝人の存在はひどく得難いものだ。以前静雄の力を目の当たりにした時、帝人がキラキラした笑顔で「しずくんすごいね!」と笑いかけてくれた事を幽はきっと忘れないだろう。勿論その後、無理に怪力を出した所為でどこかの骨を折ったらしい静雄の様子に気付き、帝人の方が怪我をしたのではないかと思わせる痛そうな顔をした事もしっかりと記憶に残っている。帝人は人並み以上に優しい子なのだ。
「しずくんだいじょうぶかなぁ?」
「大丈夫だよ。今は小学校の頃と違ってなんだか怪我が治るのも早くなってきてるし。そもそも前ほど重傷じゃないみたい」
「じゅ、しょ……?」
「怪我してもあんまり痛くないって事だよ」
 実際には少し違うが、小学校に上がったばかりの帝人にはこれくらいの説明がちょうどいいだろう。「痛くない?」と小首を傾げる帝人に頷きを返せば、幼い顔がパァと明るくなった。
「じゃあまた、すぐあそべるようになるね!」
「うん。そうだね」
 感情(特に怒り)をすぐ露わにする兄とは正反対に、幽は年々表情が乏しくなっている。生まれた時から付き合いがある帝人はそんな幽の判りづらい笑みもきちんと認識しているらしく、「かすかくんもうれしそう」と喜びが共有できる事に幼い顔を破顔させた。



* * *



「………………夢?」
 ふわりと意識が浮上し、幽は目を開けた。
 どうやらソファに座ったまま寝てしまったらしい。深夜の上映会のつもりでレンタルしてきた映画もとっくに終了し、テレビには砂嵐が流れている。
 ずいぶん懐かしい夢を見た。何せあれは十年近く前の記憶なのだから。
 小さな幼馴染はあの後すぐ埼玉へと引っ越してしまい、以降、幽は帝人と一度も会う事がなかった。
 またあの後、兄の静雄はその怪力と人並み外れた頑丈な身体という特異性を更に強め、この街では喧嘩人形などと言う名前まで付く始末。そして幽は役を演じる事でしか感情を表現する事ができず、兄とはまた違った意味で『化け物』になっていた。おかげで俳優・羽島幽平のファンは多くとも、平和島幽と親しくしてくれる人間は少ない。
(けど……)
 テレビの明かりに照らされながら幽は己の肩に頭を預ける人物を見る。
 そこには記憶の中よりもずっと成長した少年の安らかな寝顔があった。高校進学を機に上京してきたのだと言う。
 池袋で成長した帝人と再会した時には呼吸が止まるかと思った。それくらい驚き、また嬉しかったのだ。別れて以降連絡も取れず、あれだけ特別で大切な幼馴染とはもう会えないと思っていたから。
 ちなみに再会のキッカケは上京した帝人が『池袋の自動喧嘩人形』の怪力を目の当たりにし、平和島静雄=しずくん、の図式に気付いた事だった。そこから静雄と再会、更に幽との再会に至った訳である。
 池袋中から恐れられている兄にひょいひょいと接近する辺り、成長しても帝人は帝人だったという事だろう。子供の頃とは違い、静雄が自分の怪力で怪我をする事もなくなったと知った時などは一片の躊躇もなく純粋に喜んでいた程だ。そして帝人は更に表情を失くした幽を見て、
「幽君も嬉しい? じゃあ僕はもっと嬉しいや」
 再会の喜びを幽からしっかり読みとってくれていた。あの頃から変わらぬ笑顔のままで。
 己の肩に頭を預けて眠る帝人の髪を梳き、幽は吐息を零す。一見してその顔に表情は全く浮かんでいなかったが、帝人ならこの幽を見て幸せそうに微笑んでいるのだと気付いただろう。
 幽は僅かに目を眇め、髪を梳くのを止めた手で帝人の頭を支えると、そのこめかみにそっと唇を寄せる。
「大好きだよ、帝人君」
 決して相手が起きない程度の大きさの声音で。だがもし聞こえていた場合、帝人なら絶対に気付いてしまうだろう愛しい気持ちを込めて幽はそう呟いた。






とうめいシュガー







160万ヒットを踏まれたハル様に捧げます。
「DRRRの幽帝の幸せな話」というリクでしたが……いかがでしょうか?
少しでもお気に召していれば幸いです。
この度は160万ヒット&素敵なリクエストをありがとうございましたv