都内某所。
夏も終わりに近づいたある日、とある会議室に目出井組系粟楠会の幹部が集まり、定例報告が行われていた。 各自が報告を終え、問題がなければこのまま解散、聞きたい事や意見などがあれば申し出るタイミングになり、 「この資料にある件なんだが―――」 専務(若頭)である粟楠幹彌が、もう少し詳細を知りたいと言って手元の資料を指した。しかし作成者たる幹部の一人はそれ以上の情報を集めていなかったらしく、後日追加で報告させてほしいと答える。幹彌は少し不満そうな顔をし、けれど自分がいきなり言ったのも原因だと理解していたため、「そうか」と諦めの気配を見せた。その時。 「その件でしたら私の方でもある程度調べておりますが」 この場で代わりに報告させていただいてもよろしいでしょうか、と発言したのは鋭い目つきの男―――四木だった。 幹彌は四木の申し出に頷き、彼の報告に耳を傾ける。 (へえ……) その様を同じ幹部として会議に出席していた赤林は色眼鏡越しに眺め、スラスラと詳細を語る四木に胸中で感嘆の声を上げた。 都合よく、本来ならば四木の管轄からはやや離れている事について発言しているのもそうだが、何よりその内容が十二分に質の良いものだったのが純粋に凄いと思ってしまう。他の幹部も同様らしく、僅かに赤林と似た雰囲気を纏っていた。 四木は元々有能な男だったが、それが最近とみに顕著になっている気がする。思えば以前ちらりと見かけた際にも他幹部からのちょっとした質問にすらすらと答えていた。 さて余程有能な部下を手に入れでもしたか、それとも情報提供者がこれまで以上に気を回してくれるようになったのか、気を回すような新しい情報提供者と繋がりを持ったのか。 あとで少し訊いてみるか、と赤林は胸中で呟いた。 * * * 「今回は随分と良質な情報を持ってましたねぇ。臨也ですかい?」 幹部会が終わり、タイミング良く四木と二人きりになった赤林は、早速本日また一段と周囲からの評価を上げた男に声をかける。 自分も会議室を出ようとしたところで呼び止められた四木は特に気を害した様子もなく、うっすらと笑みすら浮かべてみせた。 「臨也? いえいえ、あいつは明日機組とも繋がっていたようですから……まあ腹立たしい事に奴も狡猾でしてね、疑いはあるものの尻尾を掴ませません。本来は埋めてやりたいところをぐっと我慢して、今回は切り捨てるに留めましたよ」 「と言うことは……」 「新しい情報屋を得ましてね。ああ、正確には情報屋ではなく情報通なサポート役なんでしょうが。どちらでも良いと相手も言っている事ですし」 新宿の情報屋・折原臨也の名を出したところで顔をしかめ、しかし続く言葉では嬉しそうに、そしてどこか子供が宝物を自慢するように語る四木。 そんな相手の様子に赤林は「おや?」と内心首を傾げる。やり手の四木がこんなにも己の内面を見せるとは……。これは余程の事に違いない。しかもその新しいサポート役とやらの名前を出さないところからすると、大層なお気に入りなのだろう。 赤林には今ここでそのお気に入りの彼または彼女の詳細を聞き出すつもりも無い。また訊いても答えてくれるかどうか五分五分だ。よって四木とそのままもう二言三言交わし、その場はお開きとなった。 * * * 翌日、所用で四木が管理する会社を訪れた赤林は受付の前で案内を受けている少女の姿を視界に入れた。 ここが『裏』のない普通の企業なら、学生がインターンシップや総合学習等での会社訪問としてあり得た光景かもしれない。だが生憎、四木が管理しているのは粟楠会のダミー会社である。ゆえに少女の存在はひどくこの場にそぐわないものだ。 そして実はそれよりも赤林が目を見開く原因となったのは――― (あの子供……) 赤林はその少女の姿に見覚えがあった。高校生には見えない幼顔、長く伸びた黒髪と少し短く切られた前髪から覗く形のいい額、そして目にも鮮やかな来良学園の制服。赤林も直接言葉を交わした事は無いが、部下の報告書で見たとおり、彼女はカラーギャング『ダラーズ』の創始者・竜ヶ峰帝人だ。 帝人が何故こんな所にいるのか。赤林は首を傾げる。 たとえばダラーズが『邪ン邪カ邪ン』のような粟楠会に属するグループだったなら、ただ単に四木への報告に訪れただけだと考えるだろう。しかしダラーズはどこにも属さない組織だ。粟楠会の中にも赤林のようにメンバー登録をしている者はいるだろうが、だからと言って“創始者”の帝人がここに現れる理由はない。 そう考えているうちにも受付から上の方に話が通ったらしく、少女を迎えに新たな人影が奥から姿を見せる。その人物に、赤林は更に驚かされる羽目になった。 (四木の旦那自らお出迎えたぁ一体どういう事なのかねえ) しかも迎えにきた四木は赤林が見た事のないような優しい笑みを浮かべている。まさか四木ともあろう人間が女子高生相手に堂々と援助交際か……? 嫌な想像が脳裏をよぎり、赤林は顔をしかめた。帝人は赤林が世話をしている少女・園原杏里のクラスメイトで親友的ポジションにいる人物でもあるため、その思いはひとしおだ。 自然と、止まっていた足の動きが再開され、二人が奥へと引っ込む前に“普段通り”を意識して赤林は声をかける。 「ああ四木さん、ちょうど良かった」 ここが粟楠の内部ではない事を考慮して「旦那」と呼ぶのは控えた。 振り返った四木は先刻の笑みが幻であったかのように鋭い目を向けてくる。 「赤林さん? どうかされましたか」 四木は少女を赤林の視線から隠すようにさりげなく立ち位置を変えてそう答えた。その際、帝人が怯えたり後ろめたそうだったり恥ずかしがったりする様子が全く見られなかったため、赤林の中では幾らか四木の援助交際説が弱まって、ほっと一息つく。しかし、だとすれば竜ヶ峰帝人がこのような場所にいる理由は何だ。 他人の機微に聡い四木はそんな赤林の疑問まで感じ取ったらしく――赤林としてはいつも通り飄々とした態度を保っていたはずなのだが――、背後に庇う少女をチラリと一瞥した後、しょうがないと言った風情で、 「昨日のお話の補足といきましょうか」 そう言い、赤林を奥へ招いた。 * * * ローテーブルを中心に据えて三方を囲むように設置されたソファ。四木の向かい側に腰を下ろした赤林は、正面の二人に若干顔をひきつらせた。―――そう、“二人”なのだ。他にも座る所はあると言うのに、大きなソファの中央に四木と帝人がセットで腰を下ろしている。しかも四木はともかく少女ですら恥ずかしがる事なく、ごくごく自然な様子で。 「……昨日の話の補足って言ってましたけど……まさか」 寄り添っていると形容してもおかしくないその距離感についてはともかく、少女の堂々とした態度と四木の先刻の言葉から赤林はそう口火を切った。 問いかけに四木が頷く。 「ええ。彼女は竜ヶ峰帝人君。貴方ならもうご存じかもしれませんがね」 赤林が粟楠会内部でダラーズ担当である事を考慮して四木が薄く笑う。 「まぁそうだねぇ。一応、と言う所なんですけどねぇ」 赤林の答えに帝人の表情がほんの僅かに動いた。どうやら四木や赤林が“一般人”でない事は承知しているらしい。その上で今まで関わった事がないはずの赤林に自分の存在が知られていると目の前で明かされ、その理由にまで思い至ったのだろう。聡い娘だ。 そしてその聡い娘が大人数を抱えるダラーズの創始者である事を踏まえ、赤林は次に四木が告げる言葉を予想する。 (この子が―――) 「彼女が私の新しい情報提供者ですよ」 “見る”のではなく“愛でる”ように四木は少女を視界に映した。 「臨也は複数の情報屋……情報の売買を本職ではなく小遣い稼ぎにしている者達を独自のネットワークで繋いで商品を作り上げる。彼女も同じ要領で、ただし自分が管理するもっとずっと大きなネットワークから情報の破片を集め、吟味し、結合して私達に提示してくれています。その上等さはそろそろ皆さんの目にも映ってきているとは思いますけどね」 まるきり自慢だ。 しかも四木の贔屓目ではなく事実だから性質が悪い。 「あのっ、四木さん……!?」 ここで初めて帝人が声を上げた。白い頬をうっすらと赤く染め、大きな双眸で四木を睨みつける。いや、帝人本人は睨んでいるつもりだろうが、周りから見れば“見上げている”だろう。ともあれ、第三者の前でこうもあからさまに自慢の種とされた事が恥ずかしかったようだ。 こんな所は完全に年相応の少女である。しかし帝人は自身が創造した組織を使って情報を集め、粟楠会つまりは暴力団に売っている。また今年の七月かそれよりも前から元ブルースクウェアと思われる者達を率いてダラーズ内部の物理的な粛正活動をスタートさせていた始末。 「……完全に“こちら側”なんだねぇ」 「え……?」 赤林の呟きに帝人がぱちりと瞬いた。 その様子すら本当に普通の女の子で、赤林はできる事なら自分達とは違って『表』にいてほしい眼鏡の少女と帝人との関係を考えながら苦笑する。 すると、赤林の表情を見た帝人は――― 「いけませんか」 ほんの一瞬で顔から表情を全て削ぎ落とし、ひたと色眼鏡に隠れた双眸を射抜いた。その視線は深い闇を内包し、「赤鬼」と呼ばれる赤林ですら背筋に嫌な感覚が走る程。これはただ単に『裏』に立つだけの人間がする目ではない。完全に“堕ちて”きている者の目だ。 「こりゃあ……」 赤林が何かを言おうとする。 しかしそれを四木の声が遮った。 「赤林さん、帝人君」 「……すみません。粟楠会幹部の方にとんだご無礼を」 闇が蠢く双眸をさっと瞼の裏に隠して帝人はソファに座ったままであるものの深く頭を下げる。四木の態度から予想したのかそれとも既に知っていたのか、赤林の事を粟楠会の幹部だと言い切って。 「帝人君、しばらく隣の部屋にいてもらっても構わないですか?」 「はい。わかりました」 これ以上帝人が幹部である赤林に無礼な態度をとらないように。一般的に見れば四木の台詞の意味はそれだっただろう。しかし赤林は違うと頭の中で即座に否定した。四木が帝人に移動を命じたのは、これ以上赤林の前に帝人を晒しておきたく無かったからだ。 「本当に“お気に入り”なんですねえ」 帝人が部屋を出ていった後、赤林は四木に言った。 言われた四木は少女が出ていった扉から赤林に視線を向け、 「ええ。とてもいい子ですから」 「四木の、旦那……」 (この男は) なんて嬉しそうに笑うのだろう。 「あの子は元々『表』の人間だ。今ならまだそっちに戻してあげられるんですけどねえ」 「戻してやる気はありません」 赤林の微かな願いをばっさりと切って捨て、四木は口元に弧を描いたまま目を伏せた。 「このまま堕ちてくればいいんです。私の所まで」 その瞼の裏に映っているのは何か。誰の、姿だろうか。―――そんなのは言うまでも無い事だ。 再び開かれた四木の双眸には恍惚とした光が宿っていた。 「実を言うと、近い将来、彼女には私の右腕になってもらおうかと思っていましてね。若すぎると言われるかもしれませんが、他の誰かに取り込まれた後では遅いんですよ。それに実力なら充分ある」 「なっ……!?」 四木の「予定」に驚愕を隠す事すら忘れて息を呑む赤林。その様子に四木はにこりと笑ってみせる。 「さて。帝人君を待たせている身ですので、そろそろ赤林さんの用件をお聞きしましょうか。一体私に何のご用で?」 * * * 「お待たせしました」 赤林との話を終えた後、四木はすぐに隣室へと向かった。扉を開けながら告げる四木に、帝人が柔らかな微笑みを浮かべて座っていたソファから腰を上げる。 「お疲れさまです、四木さん」 「すみませんね。急な事だったもので」 「いえ、四木さんもお仕事ですし。それに赤林さん程の方を蔑ろにするのは色々問題もあるでしょう。むしろ先程は本当に申し訳ありませんでした。つい……」 赤林に(と言うよりも“粟楠会の幹部”に)不適切な態度を取ってしまったと、帝人は改めて謝罪する。未だ正式な部下ではないが、帝人を手元に置いている四木にとって彼女の不始末は四木の不始末と取られる可能性が非常に高いのだ。 しかし、 「そう気にせずとも結構ですよ。貴女の心情を考えれば、赤林さんも少し言い過ぎでしたから」 四木は諫めるどころか、帝人の“四木の配下としての”態度に嬉しそうな笑みを浮かべ、少女の長い髪をさらりと梳いた。わざと首筋をかすめるようにすれば、さっと少女の頬が朱に染まる。 「あ、あのっ、四木さん……?」 「今日は突然の来客で帝人君との仕事の話が遅くなってしまいましたからね。これから用を終えて帰るとなると、街には良くない連中が屯っていますよ」 「え? あ、はい。そうです、ね」 「ですから」 仕事では絶対に出さないような“男の声”。経験上この声を聞いた後の展開を知る帝人は頬どころか首筋まで赤く染めあげる。 そして――― 「今日は私の自宅の方に、一緒に帰りましょう」 ね? と、四木は少女の耳に囁きを落とした。
少女の死因は墜落死
(ようこそ、と両腕を広げて男が笑う。それはそれは嬉しそうに) リクエストしてくださったしもべ妖精様に捧げます。 しもべ妖精様、ありがとうございました! |