※高校二年:帝人、高校一年:臨也・静雄で、静雄→帝人様←臨也。臨也と帝人は同じ中学出身です。






「臨也。君、何してるの?」
 ナイフを構えて不敵な笑みを浮かべていた折原臨也は、その声を聞いた瞬間、ビクリと肩を震わせた。静雄に向けられていたナイフの切っ先が僅かにブレて、赤い目はゆっくりと声の方へと向けられる。
 そんな相手の態度を初めて見た静雄は訝りながら同じ方向に視線を動かした。
 すると、静雄達がいる高校のグラウンドの端に見慣れぬ人物が一人。染めた事など無いだろう黒髪に大きな黒い瞳、静雄と同じ青のブレザーを身に纏うその少年は、今年入学したばかりの静雄達よりも幼く見えた。制服がなければ、否、制服を纏っている今でも中学生と間違えてしまいそうなほどに。
 同じ学年だと思うが、どこのクラスの奴だろうか。
 自分達の喧嘩に怯える様子もなく歩み寄ってくる少年の姿に静雄は首を傾げる。
 少年が近付いたのは静雄というより臨也の方向であり、静雄は少し離れた所でそれを見守っていた。全く関係のない人間を自分の力で傷つけたくはなかったし、臨也の様子もおかしかったからだ。
「臨也、何をしてたの?」
 少年が再度問いかける。
 威圧感も何もない、単なる疑問を吐き出しただけのような声だった。しかし問われた方の臨也はナイフを仕舞うと、どこかぎこちない態度で少年と向かい合う。
「いや……これと言って貴方に報告するようなものじゃ」
「それは臨也が決める事じゃないだろう?」
 同年代であるはずなのに臨也から“貴方”という呼称を使われた少年は、相手の言をすっぱりと切って捨てた。臨也が「……っ」と息を呑む。
 実に、奇妙な光景だった。
 状況が読めず怒り狂う事すら忘れて静雄はじっと少年を見つめる。すると臨也の発言を待っていたらしい少年が視線に気付き、軽く会釈を返してきた。静雄も彼に倣うと、続いてその少年は臨也の元を離れてこちらに近付いてくるではないか。
「はじめまして、平和島静雄君。僕は竜ヶ峰帝人と言います。怪我の方は大丈夫?」
「あ、ああ。別にこれくらいは……」
「そっか。よかった」
 ふわり、と陽だまりのように帝人が微笑む。
 その笑みを真正面から受け止めて静雄は顔の熱が若干上昇したように感じた。
 竜ヶ峰などという仰々しい名前は聞いた事がなかったが、相手は静雄の事を知っているようだ。にも拘わらずこのように笑いかけてくれる人間などゼロに等しい。顔の熱が上がったのはその所為だという事にし、静雄はチラリと視線を逸らして臨也を一瞥する。
 その視線を追って帝人が「あー」と声を発した。
「ごめんね、君を怒らせた事に関してはあとできちんと言っておくよ」
「お前が……?」
 この(はっきり言うと)ひ弱そうな少年が折原臨也に何を言えるというのだろう。教師は早々に放置を決め込み、驚異的な怪力を持つ静雄ですら半ば遊ばれているようなものなのに。
 だが帝人の最初の一言で臨也の様子がおかしくなったのも事実だった。
 狼狽えている臨也を見て「いい気味だ」と思いながらも、同時にひどく気持ち悪い。今も無言で立ち尽くし、じっと帝人に視線を送っている。ただ、帝人が静雄に近付いた事で、臨也の表情には苛立ちが滲み出ていたが。
 どうやら帝人が静雄と会話するのが相当気に入らないらしい。しかし同時に臨也は帝人の意思を尊重するつもりのようで、口出しは一切してこない。
(一体何なんだ……?)
 経験した事のない状況に内心で首を傾げる。
「ん? どうかした、静雄君?」
「いや、何でもねえ」
「そう? ……って、静雄君! 腕、血が出てるじゃないか!」
「へ?」
 急に帝人が目を瞠って静雄の腕を取った。それを静雄は呆気にとられたまま眺める。
「うわー」
 独りごちる帝人の視線の先、静雄の左腕がぱっくりと裂けていた。そういや臨也の野郎に切られた記憶が……と静雄が怒りを再発させる間もなく、帝人は怪我をしているのとは逆の腕を取り歩き出す。
「え、あ、竜ヶ峰っ!?」
「保健室行かなきゃ! それからひょっとすると病院……救急車呼ばないと!!」
「いやいや、そんな必要ねえから。これくらい直に治るし……」
 心配してもらえるのは嬉しいが、本当に大丈夫なのだ。
 それよりも早く手を離してほしい。掴まれた部分が火傷しそうなくらい熱くてしょうがないのだ。けれど静雄から無理矢理外させる気も起こらず、相手のなすがままになってしまっている。それに待ったをかけたのは―――
「帝人君ッ!!」
「くん、じゃないだろ臨也。せんぱい、だってば」
「え、“先輩”?」
 思わず静雄の足が止まる。
 臨也が耐えきれずと言った風に名前を呼んだ後、帝人はすぐさま訂正を入れた。『君』ではなく『先輩』であると。
「竜ヶ峰帝人、先輩?」
 帝人を見つめ、静雄は問う。
 臨也の呼びかけに反応してそちらに視線を送っていた帝人は静雄の問いかけにあっさりと頷いた。
「うん。そうだけど? あ、ちなみに二年ね」
 それがどうかしたのかと、静雄や臨也よりずっと幼く見える少年は告げる。
 ずっと同い年だと思って接していた静雄は元来の性格からマズいと思うも、当の本人は全く気にした様子が無い。くるりと大きく丸い瞳でこちらを見上げてくるだけだ。
 その事にほっとしつつ――何故かこの少年に嫌われる要素はとことん排除したいと思ってしまったのだ――、落ち着きを取り戻した頭は帝人と臨也の奇妙な関係へと思考を割き始める。
 静雄の問いに答えた後、帝人は再び臨也の元へ歩み寄っていた。臨也も臨也で静雄との物理的距離が縮まる(つまり危険度が増す)というのに、構わず帝人の傍へと駆けていく。
「帝人、先輩……」
 やや慣れない雰囲気だったが、臨也が口にした呼称はきちんと訂正されていた。帝人の切り返しの早さから察するに、臨也はちょくちょく帝人を『君』付けで呼んでいるのだろう。
 ともあれ、腕を伸ばせば触れ合える程度まで近付いて、臨也はその秀麗な顔の眉間に皺を刻んだ。よく彼が静雄に向ける苛立ちの表情かと思いきや、若干違うように見える。
「そう拗ねないでよ、臨也」
「拗ねてなんかないんだけど。っていうかさぁ、帝人君が保健室に行く必要なんて無いだろ?」
 むすっとした顔で臨也は告げた。ちなみに帝人の呼称がまた元に戻っている。が、今度は帝人自身も訂正する気がないらしい。そのまま会話を続けた。
「平和島君の怪我は臨也の所為なんだろう? じゃあせめて保健室に連れて行くぐらい僕がやらなくちゃ」
 わかるだろ? と呆れたように帝人はそう言って肩を竦めた。
 少年の言葉に静雄はふと苛立ちを覚え――“臨也が”怪我をさせたから帝人が対応するとはどういう事だ?――、逆に臨也は「あっ」と声を発したかと思うと急に機嫌を上昇させる。
「中学の時はずっとそうだっただろ? それとも臨也はたった一年、僕と離れていただけで忘れちゃったのかな。……まあ、僕の言いつけを破って色々仕出かしてるところを見ると、本当に忘れてしまったようだけど」
 残念だな、と付け足された一言は、ひどく温度のない声だった。
 その声の変化に静雄は目を瞠る。だが同時にその声は臨也にも影響を及ぼしたようで――臨也に向けられた言葉なのだから当然といえば当然なのだが――、
「ほんっっっとにゴメン! 反省してる!! だから許して帝人先輩!!」
 パンッと目の前で手を合わせ、「この通り!」と頭を下げる臨也。『先輩』と呼んでいる辺り、本気で帝人の不興を買いたくないらしい。
 帝人はそんな臨也を見て再び溜息を吐いた。
「本当に反省してる?」
「してるしてる! その証拠に帝人先輩がシズちゃんを保健室に連れて行っても文句言わないし、我慢した分あとで構って欲しいなんて事も言わないから!」
「いや、構うくらいならお安い御用だけど……」
「え! マジ!?」
「……臨也、苦しい」
「帝人先輩ラブ!」
 自分より小柄な体躯をぎゅっと抱きしめる臨也。そんな仇敵の姿を目にし、静雄は苛立ちが沸点近くまで到達しているのに気付いた。
 あの二人の関係は中学の先輩後輩であるらしい事以外いまいちよく判らないが、とにかく、帝人が臨也に触れられているというのは実に気に食わないのである。それに帝人は静雄を保健室へ連れて行こうとしていたのではないか。臨也に邪魔されそれが中断してしまった事も静雄の怒りを激しくさせた。(いくら帝人と静雄の保健室行きを臨也が我慢すると言ってもだ。)
 だが帝人は余程相手の感情を読むのが上手いのか、静雄の様子に気付くと早々に臨也を引き剥がして戻ってきた。
「りゅうがみね、」
 先輩? それとも、さん?
 後ろに何を付けるべきか逡巡した間に、帝人が再び静雄の手を取って歩き出す。
「あは、ごめんねー静雄くん。さあ、保健室保健室」
 手を引かれるままに静雄も足を動かした。
 やっぱり触れ合った部分が熱い。
「帝人先輩!」
 臨也が再び帝人を呼ぶも、今度は帝人も足を止めない。臨也が帝人の足を止めるために呼んだからではないからだ。
 帝人は視線だけを声の主に向けて、
「臨也は教室に戻るように。いいね? あとは平和島君の手当が済んでからだよ」
「……りょーかい」
 やはり不満そうではあったが、臨也は答える。
 その返答に帝人はにこりと笑みを浮かべた。
「僕の臨也はいい子だなあ」
「そりゃ帝人先輩の俺だから」
「そうだね」
 頷き、帝人は臨也から視線を外した。それを黙って見ていた静雄は―――
「なあ、先輩」
「ん?」
「俺も、あんたの言う事を聞けば、あんたのものになれるのか?」
 ぱちり、と帝人が瞬きをする。「え?」と少年がワンテンポ遅れて聞き返してようやく、静雄は自分が何を言ったのか気付いて慌てて手で口を塞いだ。しかしそんなもので今の発言が取り消されるはずもなく、静雄は混乱した頭で何も言う事ができない。
 静雄の発言を聞いた臨也が「シズちゃん!?」と声を荒げたのだが、帝人の視線は静雄に向いたままだ。
 驚きに見開かれた瞳はじっと静雄を見つめ、何度か瞬きを繰り返す。それは十秒もなかっただろうが、静雄にとって何分にも何時間にも感じられた。
「りゅ、」
「いいよ」
「へ?」
「帝人君!?」
「臨也うるさい。あと先輩、だから。……平和島君、でも本当にそれでいいの? 僕、こういうのもなんだけど、自分のものには厳しいよ?」
「構わね……いや、構いません」
「そっか」
 にこり、と今までで一番の笑みを浮かべて帝人は言った。
「じゃあこれからもよろしくね、平和島静雄君」
「よろしく、お願いします。竜ヶ峰先輩」






彼に出逢った月曜日







リクエストしてくださった稜火様に捧げます。
稜火様、ありがとうございました!