※死ネタです。






 いつもの放課後、いつもの部室。しかしその中で一番最初に違和感を覚えたのは団長の涼宮ハルヒだった。ただし彼女は無意識のうちに違和感を感じ取っていただけで、その原因が何なのかさっぱり見当がつかず、むしろ自分が違和感を感じ取ったことすら明確には理解していなかった。
 ただ彼女は人より特殊な現象を起こせる性質だったため、無意識の違和感はその日のうちに別の人間が観測できる現象へと姿を変える。―――つまり、彼女を神とする超能力者集団のみが感知・破壊できる閉鎖空間へと。



□■□



「昨日、久々に閉鎖空間が発生しましてね」
 団長たるハルヒがまた何かを思いついたらしく、女子三人が姿を消した部室にて。古泉一樹は長机を挟んだ正面に座る男子生徒へと大仰な身振りでそう言ってのけた。
「まあそれは構わないんですよ。いえ、涼宮さんが不満や怒りを抱えているというのは、『機関』の人間としてだけではなくSOS団の副団長としても決して好ましい事態ではありませんけどね。ただ、神人を狩って閉鎖空間を収束させるのが我々の仕事ですから。……ですが昨日の閉鎖空間は少し妙でして」
「妙?」
「ええ」
 短いながらも返答があったことに嬉しそうな笑みを浮かべ、古泉はゆっくりと頷く。
「以前あなたをお連れした閉鎖空間では神人が街を壊し、暴れ回っていたと思います。閉鎖空間ではそれが普通なんです。涼宮さんの怒りや不満を表しているわけですから。しかし昨日のは違った」
「なんだ。神人がコサックダンスでも踊ってやがったのか?」
「いえいえ、そんな珍妙なことがあれば、僕は仕事を終えてすぐあなたに電話でもしたでしょうね」
 くすり、と笑う。
「妙と言うのは、神人が全く破壊活動を行わなかったことなんです。ぼうっと突っ立っているだけで何もしない。拳一つ振るうことすらね。我々が攻撃を加えてもそれは変わりませんでした」
「ならいいじゃないか。お前らも仕事がやりやすくで万々歳だろう」
「そこは否定しませんが……しかし涼宮さんが無意識に何かを感じ取っているのではないか、不安を覚えているのではないか、と『機関』では考えています」
「……それで? お前らは俺に何を望んでるんだ?」
 これまでのパターンからか、それとも古泉の表情から笑顔のマスクを通り越して本心を読みとったのか。正面に座る少年は諦めと面倒事に対する忌避感とほんの僅かに顔を覗かせる団長への思いやりをミックスさせた表情で、溜息混じりにそう告げた。
 察しが良くて助かります、と古泉は笑う。
 少し前までなら、この少年は決して自分に何かを求められていると思おうとはしなかった。自分には何もできない、たった一つの切り札を除いて涼宮ハルヒに対する影響力など無い、だから傍観者のままでいる、と。しかし今はそこから少し変わってきている。古泉が告げる次の言葉を予測し、嫌そうに「本当にお前は俺にそれを求めるのか」と視線で問いかけてくるのだ。勿論、古泉はその問いかけに関してYesと答えるが。
 『機関』の人間として相手のこのような変化を好ましいと思う。ただ古泉一樹という個人としては―――
(張り合いがない……と言うべきなのか。いや、なんだろう、このモヤモヤした感じは)
 内心首を傾げる。しかしその違和感を気のせいだとして、古泉は「我々も調べてみますが、涼宮さんのフォローお願いしますね」と如才無い笑みを浮かべた。
 自身が気のせいだとして捨てた違和感が、涼宮ハルヒの感じているものと全く同じものであるとは思いもせず。



□■□



「なあ、なんでなんだよ」
 自室のベッドに背を預ける格好で床に座り込み、少年は両手で己の顔を覆って呟く。
「なんで俺なんだ俺が何をしたって言うんだ。別に悪いことなんて何もしてなかっただろ、俺はただお前を好きになっただけじゃないかそれともそれがもう既に悪いことだったって言うのか」
 決して部屋の外には漏れないように低く小さな声で。
 顔を覆う両手の指の隙間からはゆらゆらと揺れる双眸が覗いていた。しかしその目はどこも見ておらず、いないはずの話し相手でも映しているかのよう。
「俺の中にいるのはお前なんだぞあいつじゃないんだ。なのになんでお前にそんなこと言われなくちゃいけないんだよお前を想うことすら許されないってわけなのか、なあ」
 ぎゅっと膝を曲げ、少年は手を外すことなくそこに顔を伏せる。呟き続ける声は更に籠もった音となり、まるで吐き出すのではなく己の中で循環し増幅させるかのような状態になっていた。
「察しが良くて助かります? そんなのお前の考えてることなら嫌でも解るくらいお前のことしか考えてないからに決まっているだろう。ああ嫌だ、本当に嫌なんだよ。なんでお前が俺に求めてるのがそれなんだ。好きになってくれなんて言わねえから、好きでいることくらい許せよ許してくれよなんでそれすら許してもらえないんだそれならいっそ、俺は」
 ガチャ!
「キョンくーん。ご飯だよー」
「ああ、わかった。すぐ行く」
 妹がノックもなしに扉を開けた瞬間には、少年の表情も雰囲気も何もかもが元通りに戻っていた。まるで先刻までの呟きが嘘であったかのように。
 しかし妹が再び扉の向こうに姿を消すと―――
「ああ、わかってるさ」
 そう独りごちた少年の双眸は虚ろに閉じた扉を映し出していた。



□■□



 閉鎖空間の発生が続いている。
 先日、神の鍵たる少年に「お願い」した古泉は、その効果が全く現れていないことに少しばかり苛立ちを感じていた。昨日学校が終わった後、同じ『機関』に所属する女性から色々言われたことも影響しているに違いない。
 もう一度言ってみるかと思い、古泉は正面に視線を向ける。
 いつぞやの時と同じように、長机を挟んだそこに座っているのは平凡な容姿の少年。古泉の長考により動きの止まった盤上を何とは無しに眺めている。自分達以外の部活メンバーは外出中で、戻ってくるまではまだ大分時間がかかるだろう。
 ふう、と息を吐いた後、古泉は机の下で足を組み直した。
「退屈ですか?」
「んー?」
 相手は盤上から顔を上げず、返事もこちらの声を聞いているのかいないのか微妙なところ。
 そう言えば最近全く目が合わなくなったな、と生返事を聞きながら古泉は思う。以前ならば面倒そうな表情をしながらでも、相手の双眸はしっかりと古泉を見据えていた。にも拘わらず、この状態は何だ? ひょっとして異常事態ではないのだろうか―――
「あ、の……」
 古泉の顔色が徐々に悪くなり始めた、その時。
「なあ、古泉よ」
「は、い」
 静かな、本当に静かな声が鼓膜を打ち、掠れ気味の返事をしてしまう。
「この前話してくれた閉鎖空間の件。あれ、やっぱまだ変化無しなのか」
「え、ええ。日に一回の割合で発生し、神人は全く暴れないまま我々に消されています。それで……あの、あなたの方は……」
「俺?」
 やはり視線は盤上から上げないまま、口の端だけをゆるりと持ち上げて少年が答えた。
「俺がハルヒの不安を探って解決して、あわよくばそのまま更なる“安定”のために先へ進めってやつか?」
「その通りです」
 解っている割には全く進捗が見られませんね、と続けるのは容易かったが、古泉もそこまで人間性を破綻させてはいない。しかしひょっとしたら、その思いが声に混じっていたのかもしれない。いつもなら大事なSOS団のメンバーである少年に対してこんなにも思いやりのない言葉を吐き出すなどあり得ないことだったが、連続する原因不明の閉鎖空間と『機関』からのちょっとした嫌味―――それが合わさって、古泉も疲れていた可能性がある。
「まったく、お前ってやつは……」
 その証拠に、返された呟きははっきりと古泉の内心を見抜くように呆れを混じらせていた。
 ガタ、と控えめな音を立てて少年が椅子から立ち上がる。
 団長用の机の向こう、窓の所に背を預けて少年は再び古泉に向き直った。しかし風と共に入り込む光の加減で彼の表情を窺うことはできない。それが何故か妙に不安を感じさせて、古泉は思わず腰を浮かせる。近づいて顔をちゃんと見ればこの不安も解消されるはずだと理由を付け加えながら。
 ゆっくりと近づく古泉など気にも留めないとばかりに、少年は窓の外を眺めながら口を開いた。
「そんなに俺とハルヒをくっつけたいか」
「……そりゃ勿論。涼宮さんが安定し、閉鎖空間の発生が抑えられますから。それにあなただって満更ではないのでしょう?」
「満更じゃない、ねえ……」
 クツクツと喉の奥で笑いを殺しながら少年は古泉を見た。
「―――ッ」
 瞬間、古泉の動きが止まる。
 開け放たれた窓を挟んで対峙する位置に立っていた古泉は久しぶりに見た相手の双眸にとんでもない寒気を覚えた。これが、あの彼なのか。こんな、虚ろな目をしたのが―――……。
「どうした、古泉?」
「い、え……」
 言葉が出ない。仕草も表情も古泉の記憶と寸分も違わないのに、その目だけが異質。暗く澱み、底が見えない。何を感じ何を考えているのか全く読めないのだ。
「そうか?」
 古泉が絞り出した返答を「なんでもない」との意味で取った少年は薄く笑って、
「お前も酷い奴だな」
 と言った。
「僕、が……?」
 酷いと言うなら目の前に立っている相手の方だろう。
 今なら解る。涼宮ハルヒが(無意識に)抱えていた不安は彼が原因だったのだ。いつから始まっていたのか古泉には判らないが、おそらくまだここまで少年の歪みが進んでいなかった頃からハルヒは彼の異常に気付いていた。だからあの奇妙な閉鎖空間が発生していたのだ。
 何故自分は気付けなかったのか。涼宮ハルヒは無意識とは言え気付いていたのに。
 己に対する責めと他人に対する嫉妬が同時に沸き上がってきて、古泉ははてと首を傾げた。『機関』の人間として前者はともかく、後者の感情はおかしいだろう、と。
 その一瞬の空白が致命的な隙となる。
 あっと思った時には、古泉の眼前に少年の濁った双眸。吐息を感じるほどの距離で、古泉は己の首筋に温かい何かが触れているのを感じた。
「ちょっと待……」
「俺が好きなのは―――」
 きゅう、と濁った双眸が細められる。
 嬉しそうに、悲しそうに、けれど全く解らない感情を滲ませて。
「お前、だったのに」
 首筋に触れる手に力が籠もり、同時に窓から入り込んだ風がサアッと古泉達の頬を撫でた。









(俺もすぐに行くから、と。真っ暗に視界が染まる中、声が聞こえた気がした)







リクエストしてくださった鋏子様に捧げます。
鋏子様、ありがとうございました!