「此処に来るまで誰にも会わなかったのだが、貴方の配慮なのかな。……霊王」
その空間に辿り着いて開口一番、藍染惣右介は正面に座する人物に向かってそう告げた。 だが藍染に『霊王』と呼ばれた人物は何も答えない。 現世のある地域で信仰されている宗教の預言者が絵画に描かる場合がそうであるように、霊王の顔は漆黒の仮面で隠され、そこから伸びる白い布によって表情どころか髪の色でさえ判らなくしている。 ただし無言のままの主の代わりとでも言うように、藍染の問いに答える人物が一人。 「お前相手じゃ王属特務の面々も役者不足の無駄死にだからな」 僅かに苦笑を滲ませながらそう答えたのは霊王の手前に控えていた白い死覇装の男。 しかしこちらもまた白くのっぺりとした仮面でその容貌を隠していた。 声は確かに笑っていたが、相手がどんな表情で告げたのか、藍染には全く想像がつかない。 ただ白い仮面に薄く開けられた暗い眼孔の奥から視線だけを感じる。 「君は?」 とりあえず軽い口調と声だけで相手の年代を(自分より若いだろうと)予測し、藍染は白い男にお前は何者かと問いかける。 すると男は「これは失礼」と左手を胸に当て、――藍染も相手の立ち位置的に大体予想はついていたが――さらりと己が役職を名乗った。 「王属特務・隊長の任を霊王から拝命いたしております」 「……随分若い人物がトップだったんだね」 「見た目は関係ぇねーさ。必要なのは実力と、霊王に対する忠誠だけ。そうだろ?」 軽い口調だが、その言葉には主人に対する陶酔にも似た何かが含まれていた。 「さぁて、己の立場もきちんと名乗ったことだし、そろそろ始めるか」 「始める? 一体何をだい?」 「そりゃモチロン、俺の王を害しにきた不届き者の処刑タイムを、さ」 まるでこれから散歩にでも行くような気軽さで男はそう言ってスラリと腰から剣を抜く。 「おや……?」 男が構えた斬魄刀に藍染は僅かに目を見開いた。 それはどこまでも白く――だが朽木ルキアのそれのように美しく透き通るようなものではなく――全てを塗り潰して消し去る色をしている。 藍染も初めて見る色だ。 しかしその形状には見覚えがあった。 「それは、黒崎一護の」 天鎖斬月に瓜二つ。 柄の端から垂れた同色の鎖がシャランと鳴る。 「よく見てるな」 感心したように白い男は笑った。 そして気味が悪いほど真っ白な手を己の仮面へと伸ばし、藍染の目の前で外してみせる。 「!!」 瞬間、藍染は息を呑んだ。 仮面の奥に隠れていたのは藍染に挑み既に負けた者の―――死神代行・黒崎一護の顔だったのだから。 しかし嘲笑を含むその顔は一護よりも歪み、凶悪さと凶暴さを増している。 「君は……黒崎一護、なのか?」 そう問いながらも藍染は目の前の白い男がイコール一護ではないと確信していた。 確かに配色以外は全く同じ容姿であるが、その身から感じる性質は正反対に位置するものだったからだ。 金色の瞳が愉しげに細められ、口の中に青い舌が覗く。 「残念。別人だよ」 そう告げた瞬間、男の姿が霞んだ。 咄嗟に藍染が鞘から己の斬魄刀を抜き放つ。 キンッと金属の打ち合う音は藍染の顔のすぐ傍で響いた。 「……ッ!」 その斬撃は、重い。 藍染は奥歯を噛みしめ、渾身の力で相手を振り払う。 振り払われた男は、しかし舞うようにひらりと後退して、霊王の前に降り立った。 白い男の背後にいる霊王がその場から一歩も動こうとしていない事実に、藍染はようやく気付く。 これまで多くの死神を退けてきた藍染を前にしても全く怯える気配を見せないのは、それだけ己を守護する者に信頼を置いているからか。 気に入らないな、と藍染は思った。 確かに己と相対する白い男は強い。 だが顔を隠して悠然とこちらを見据えている霊王の態度は、崩玉を取り込みここまで変化を遂げた藍染をまるで道端に転がる石か何かだとでも思っているようなのだ。 これまで敵対する者達に大した感情も抱けなかった藍染は、ここで初めて相手を憎いと感じた。 その感情が殺気に混ざったのか――― 「おいテメェ、俺の王に何ガン飛ばしてやがる」 白い男の白い切っ先が藍染の喉元にあてがわれていた。 「……っ」 藍染のこめかみから汗が流れる。 いつの間に近付かれた? それが判らず、全身が寒気に襲われた。 「自分より弱ェヤツを叩きのめしていい気になってる犬風情が。どうせなら面白おかしく踊って俺の王を楽しませてから殺されろよ」 まるでサーカスで動物にショーをさせる団員が鞭をしならせるように、男はチャキと微かな音を立てて藍染の皮膚に切っ先を食い込ませる。 「それすら出来ねぇなら今ここで死んじまえ。芸の出来ないバカはいらねぇ」 じわじわと刃を進めながら男が嗤った。 このままでは自分が殺されてしまうと解っているのに、藍染は身動きできない。 これが殺気に当てられているためだと、初めて実感する。 押し潰すような圧力はなく、ただひたすらに「お前は死ぬのだから動いても無駄だ」と身体が逃げることすら制止してしまうのだ。 しかし、白い切っ先が太い血管を突き破る前に、 「シロ、やめろ」 声が聞こえた。 小さく聞き逃してしまいそうな声音だったのだが、刃の進入はぴたりと止まり、白い男は一つ溜息を吐いてから剣を下げる。 同時に殺気も霧散し、藍染はようやく呼吸が再開できたような気になった。 声がした方に目を向けると、そこにはやはり一歩も動いていない霊王の姿。 彼に『シロ』と呼ばれた王属特務の隊長はそんな藍染の様子を既に無いもののようにして王の前で膝を折る。 「王よ、いいのか? こいつはお前を殺そうとしたんだぞ」 藍染はまだ霊王に指先一つ触れてはいなかったし、刃を向けたことも無かったが、白い男の言い分もあながち間違ってはいない。 それを霊王自身も理解しているだろうに、玉座の彼は首を横に振って「いいんだ」と答える。 霊王は玉座から腰を上げ、藍染へと近付いた。 彼を守護するべき役目を負った男はにわかに顔をしかめるが、霊王の歩みは止まらない。 一歩進むたびにシャラシャラともカチャカチャとも表現できる金属音が微かに聞こえた。 何かと思って藍染が音の発生源を探ると、霊王の腰に漆黒の刀が一振り。 王という立場を考えれば、実用品ではなく装飾品の類だろう。 その割には、柄に鎖が付いただけという派手さに欠ける物だが――― (……柄に、鎖?) 頭の片隅に引っかかりを感じるも、その答えが出る前に藍染の眼前に黒い仮面の王が立つ。 そして、 「がぁっ!?」 世界がブレて、横倒しになる。 その瞬間、藍染は己の身に何が起きたのか全く解らなかった。 頭部に痛み。そのダメージの所為で視界は霞んでしまっている。 どうやら目の前の男から一撃喰らったらしい。 その答えを出しながら、藍染は同時に信じられない気持ちでいっぱいだった。 白い男の攻撃もかなりのものだったが、霊王のはそれ以上だったのだから。 腰の斬魄刀を抜きもせず、霊王は黒い仮面の奥から藍染を見下ろした。 「アンタが何様のつもりでいるのか知らないが、一応死神のトップの前なんだぜ? 平伏しろよ。……いや、あぁそうか。そういやアンタは神か何かになりたいんだっけ?」 じゃあ頭を下げることもしねぇよな、と。 藍染が尸魂界から姿を消す際、双極の丘で死神達に告げた台詞をからかって、霊王は笑う。 しかしなぜ霊王がそんなことを知っているのだろう。 徐々に戻り始めた視界に映る人影を眺め、藍染は首を傾げた。 そしてもう一度、その意識に霊王の斬魄刀の存在が上る。 まるで白い男のそれと対のような漆黒は――― 「なぁ俺の王よ、どうせそいつは芸の出来ない犬以下だ。お前に言葉をかけてもらう資格すら無ェんだぜ。さっさと殺しちまえよ」 藍染の思考を遮るように白い男が唸った。 だが霊王は「シロは乱暴だなぁ」と穏やかに笑う。 「俺は人殺し推奨派じゃないんでね。山本のジイさんならスパッといっちまうんだろうけど。あ、ジイさんなら火でぶわっと、か」 なんてなー、と。 まるで年若い少年のように霊王は軽くおどけてみせた。 「…………、あ。まさ、か」 地に伏したまま藍染は死神達の王を見上げ、目を見開く。 双極の丘でのことを詳細に知っており、腰には漆黒の斬魄刀、そして年若い喋り方。 この条件に合致する人物を藍染は一人だけ知っている。 だが、そんなまさか。 「気付くの遅ぇよ、藍染」 藍染の表情を見て霊王は仮面の奥で笑った。 そして勢いよく漆黒の仮面と純白の布が取り払われる。 白と黒の下に隠されていたのは、眩しいほどのオレンジ色と――― 「黒崎、一護」 「俺を倒したと思ったか? 残念だったな、藍染。俺はホラ、この通り」 両手を広げ、霊王―――黒崎一護は、傍らに同じ顔の白い男を従えて悠然と笑みを浮かべて見せた。 俺は最初からお前の手の届かない遙か高みにいたんだよ、と。
表裏主従
「霊王一護か黒幕一護の設定で、白と黒が仲良しな話」をリクエストしてくださった匿名様に捧げます。 ありがとうございました! |