将来『神』と称すべき力を持った少女が現れ、その相手に対して自分がどう動けば良いのか。それを俺が自覚したのは物心が付くのとほぼ同時だったように記憶している。もしかすると生まれた時から解っていたのかも知れない。ただ、記憶に留まるのが物心の付く年頃以降になっただけで。・・・まあ、それはどうだっていいことだろう。
 とにかく、俺は最近周りに集まってきた奴が口にする三年という年月よりもずっと前から、いずれこうなるであろうことは自覚し、また予想していたというわけだ。

「この状況をあなたが予想していた・・・?」
「ああ。ま、誰がどこでどうなる、なんて細かなところまでは全然だったがな。大まかなシナリオは俺の存在意義通りだった。」
 幼い頃から思っていた通りの状況を前にして清々しい気持ちのまま『超能力者』に答える。絶句する『超能力者』。
 ああ、そりゃそうだろうよ。だってこの状況を生み出すことが目の前の人間の、仲間だと思っていた人間の存在理由だったなんて俄かに信じられるはずも無く、そして衝撃的過ぎる真実なのだから。
 じゃり、と身動ぎした『超能力者』の足元で地面が悲鳴を上げる。そんな相手の顔から視線を外し、俺は空を見上げた。
 頭上に広がるのは青・・・ではなく、薄ぼんやりと光る曇天。あれが本当に雲なのか、それとも別の何かなんて俺には判らない。だが判らずともいいのだ。肝心なのはこの空が現れる=世界が壊れ掛けているということ。
 視界の中に青白く光る巨人はいない。どこまでも薄暗く、生物の気配が感じられない世界が広がっているだけ。それでいい。本当の『世界の崩壊』に街を壊すべき存在なんて必要なかったのだ。『神』が望めば『破壊者』がいなくても世界の方から勝手に崩れていく。今もそう。徐々に徐々に、建物が砂になり、さらさらと静かに壊れ続けていた。つい先程まで横に建っていたビルも色の無い砂となり、アスファルトと『超能力者』の靴の裏で擦り合わされ、耳障りな悲鳴を上げているというわけだ。
「長門さんは、朝比奈さんは、このことに気付かなかったのですか・・・?」
 静かに崩れ行く世界を呆然と眺め、『超能力者』が独り言ちた。
「・・・さあな。それは二人に直接聞いてみろよ。」



* * *



 数ヶ月前―――。

 お前は俺のこと、親玉に教えたりしないんだな。
「わたしは何も知らない。だから『一般人』のあなたについて情報統合思念体に何かを報告する必要も無い。」
 珍しく部室で二人きりになって俺は小さく独り言ち、その呟きに『宇宙人』は本から顔を上げないまま小さく返した。ぺらり、とページが捲られる。俺も将棋の解説本に視線を落とした。
 『宇宙人』が俺のことを何も知らないはずないのにな。俺がどういう存在で、何をするためにここにいるのか。詳細までは判らずとも思うところはあるはずだ。それなのに彼女は俺のことを親玉に告げることもなく、危うい現状を維持し続けようとする。ひとたび俺が動き出せば容易く壊れてしまう現状を。
「・・・長門は今のままがずっと続けばいいと思ってたんじゃないのか?」
 俺も自分の立場を考えれば些かお喋りが過ぎるだろうか。しかし問わずにはいられない。この許容され続ける現状が不思議で堪らないのだ。
 問いかけると、今度は『宇宙人』も顔を上げ、ひたと俺を見た。
「現状維持は情報統合思念体の意志。わたしの思いはまた別物。」
「別物・・・?」
 『宇宙人』はこのままを望んではいない、と?まさかそんな。お前だってこのSOS団が楽しいんじゃないのか?
「楽しい。」
「だったら、」
「わたしにはもっと優先すべきものがある。」
 こちらの台詞を遮るように『宇宙人』は淡々と、しかしはっきりと言う。
 瞬きの後に視線が合ったその瞳は彼女の意志の強さを表すかの如く、水晶を思わせる硬質さを伴っていた。
「あなたの意志。それがわたしにとって何よりも・・・情報統合思念体よりも優先すべきもの。だからわたしは"何も知らない"。何も報告しない。ただ、あなたが思うままに動くのを待つだけ。」
「なが、と・・・」
 少しだが目を見開いた俺をその瞳に映し、『宇宙人』は小首を傾げる。
「『未来人』もそうではない?」

 その更に一月前―――。

「実を言うと、未来は一つなんかじゃありません。わたし自身も無数にある未来の内の一つからこの時代に来たに過ぎないんです。だからもしかすると今この瞬間、わたしがキョンくんとお話している所為で『わたし』がいる未来とは別の道が新しく出来上がっている可能性だってあるんですよ。」
「でも朝比奈さんは消えずにここにいるじゃないですか。それって矛盾してるんじゃ・・・」
 こちらの返答に大人バージョンの『未来人』は穏やかに、けれどどこかいたずらっ子を思わせる笑みを浮かべた。
「矛盾も何も、現にわたしは存在してる。それが真実よ。ただし言っておくけど、これは涼宮さんの力じゃない。もともと世界ってこういうものなの。いくつもある未来の内の一つから干渉を受けたおかげでまた別の未来が派生する、っていうね。未来からの干渉で別の未来が出来上がるのだから、その干渉した方の未来も、新しく出来上がる未来も同時に存在しているのは当然と言えば当然じゃない?」
「それは・・・そうかも知れませんけど。だとしたら、未来からの干渉も世界の可能性を増やすただの道具でしかないということですか?」
「その通り。」
 良く出来ました、と女性教師の風貌で『未来人』は口端を持ち上げる。ただ、その微笑は今まで俺が見てきた『未来人』とは少し違い、何と言えばいいのか・・・そう、どこか天使と称すべきいつもの清廉さを欠いていて、代わりにいかにも人間らしい欲を表面化させたようなものだった。
「朝比奈、さん・・・?」
 まさかこれがあなたの真実なんでしょうか。未来を一つに確定させるため過去へとやって来たはずなのに、今こうして俺の前で微笑んでいるあなたはその全く逆のことを成そうとしている。もしくは別の未来が生まれることを良しとしている。自身の生まれて存在する未来がただの道具であると認めて。それが世界の在り方だとして。しかし何故、今頃そんなことを?これまでのあなたは高校生のあなたの意志がそうであるように、自分が存在する特定の未来を確定させるために動いていたんじゃないんですか?
「―――それは、」
 大人姿の『未来人』は言葉を切ってうっそりと微笑む。そして心から幸せそうな顔で告げた。
「キョンくんよりも大切なものなんて、わたしには無いんだもの。」

 そして時間は戻り、『崩壊』の30分前―――。

「あたしね、最近よく世界なんて壊れてしまえって思ってるの。」
 自分だけの秘密を打ち明ける少女ように『神』は堪え切れていない笑顔を浮かべる。
 その、嬉しそうで、愛らしい声で紡がれた言葉に、俺は「嗚呼、」と心の中で悟った。ついに成し遂げられ、そして終わるのだ。俺の役目が、この世界の運命が。決してそうなるよう積極的に動いてきたわけでは無かったけれど(だって俺は存外にこの集まりを愛しく思えるようになっていたのだから)、それでも俺は変わらずずっと彼女の隣にいて、自分の役目を果たしてきた。それが事実であることに変わりはない。
 これから訪れるであろう世界の『運命』に俺が――役割に似合わず――少しばかり寂しく思っているなんて彼女が知るはずもなく、『神』は甘く濡れた双眸で視線を合わせてくる。
「もう分かってると思うけど、あたし、キョンが好き。何よりも。もちろんSOS団より。キョンだけが一番で、キョンだけを愛してる。誰にも盗られたくないの。」
 彼女の声はまるで懇願のようだった。『神』が懇願だなんて、そんなことあるはずもないのにな。彼女は望むだけ全てを享受出来る存在だ。そのことを意識していなくとも無意識の深い所では解っていたはず。そうでなければ行動は突飛でも精神は常識的な人間であると第三者に分析されている彼女が真に願いを叶えられるわけがない。多少なりともどこかで願いを叶える力を信じているからこそ、今まで何度も彼女の望む変化が目の前に現れていたのさ。
「ハルヒ・・・」
 名前を音にして呼ぶと、望めばその通りになる力の持ち主は瞳の色を『懇願』から『意志』に変えて自分自身の言葉に頷いた。
「そう、あたしはキョンを盗られたくないのよ。―――この世界にすら。」
 意志の篭った言葉と同時に俺は視界の端ですぐ傍のガラスにヒビが入るのを見た。そのことに気付いていないのか、はたまたどうでもいいと放置しているのか、『神』がこちらから視線を外すことはない。
「あたし、キョンが好き過ぎて世界すら憎くて堪らないの。キョンを"持ってる"『世界』が憎い。キョンをあたしだけの人にしてくれない世界が憎い。憎くて憎くて、だからこんな世界なんて壊れてしまえって思ってる。」
 彼女の背後で壁の一部が音も無く崩壊を始めた。コンクリート製の壁が徐々に砂となって消えていく様は、まるで映画のCGを見ているようだ。しかしそれはCGという紛い物などではなく、確かにここにある事実。『神』が望んだ結果だ。ただし、その望みはまだはっきりと示されているようでは無かったけれど。なにせ崩壊のスピードが遅い。もし彼女が心から崩壊を望み、そしてその現象を認めれば、もっと速度が上がることだろう。
 では、そうなるために足りないものとは何か。
 答えは彼女の双眸を見れば解る。これが俺の役目によるものなのか、それとも彼女が俺を好きでいてくれるからであるためかは不明だが、とにかく、どうやら『神』である彼女は俺に最後の判断を任せたいらしかった。
 そして、
「ねえ、いいでしょう?キョン。世界が、壊れてしまっても。」
 懇願であり、意志であり、そして期待であるその言葉に俺はゆっくりと頷いて見せる。その直後、崩壊のスピードが一気に速まったことを横目で確かめながら。



* * *



「どうしてあなたがこんなことを・・・世界を壊すなんてことを。」
「それが俺の存在意義だからさ。」
 ―――神に、この世界を拒絶させることが。
 どうしてそんなことをしなければならないのか、なんて知らないし、どうだっていい。だってそうだろ?「生き物はどうして生きているのか」という問いに正確な答えを返せる奴なんていないのさ。それと同じ。どうして俺が世界を崩壊に導かなければならないのか。その理由は「俺がそう言う存在だから」に他ならないんだよ。
「そんなの・・・っ!」
 淡々と告げるこちらとは正反対に、『超能力者』は顔を歪めて苦しそうに言葉を切る。何がそんなに苦しいんだ?この世界が壊れることだろうか。うん、まあ、全く悪いと思っていないわけじゃないさ。だってこの世界で生きていたのは俺と『神』だけじゃなく、お前や『宇宙人』や『未来人』やその他大勢も住んでいる(住んで"いた"?)のだから。それを勝手に―――
「違います!」
「ん?お前は自分を含めた世界の崩壊が辛いんじゃないのか?」
「それは勿論辛いですけど・・・。でもそれよりもまず、平気な顔でそう言うあなた自身のことが辛いんですよ。」
 俺のこと・・・?
 一体どういう意味だ、と首を傾げると、『超能力者』は眉根をきゅっと寄せた。
「だってそうじゃありませんか。自分の存在理由が崩壊の・・・大切だったものの消失だなんて、あまりにも辛すぎます。それを生まれてからずっと感じてきたのでしょう?その辛さを辛いと感じないほど心が麻痺するまで。そのことが僕にとって一番苦しいんです。」
「なんで、」
 『超能力者』の台詞が嘘じゃないことくらい、その表情と声音で判る。しかしどうして俺の――自覚は無いのだが――苦しみを自分のことかそれ以上に苦しく思うのだろうか、こいつは。
 自分が珍しく戸惑っていることに更に戸惑う。
 言葉を失った俺を見て、『超能力者』はやわらかな声で答えた。
「・・・なぜなら、僕があなたを特別な存在だと思っているからですよ。勿論、世界的にではなく僕個人として、ね。」
 優しい笑みが向けられる。その後ろに壊れ続ける世界を背負って。







私の役目は世界を崩壊させることです







方法は簡単。
神様の傍にいて、彼女を篭絡するだけでいい。
自分が望むと望まざるとにかかわらず。









バッドエンド風味です。
しかも皆キョンが好きすぎて狂ってますね(あわわ)
って言うか厳密には『敵』じゃない!?
す、すみません。
リクエストしてくださったM様のみお持ち帰りOKです。