衛宮プラスいち
衛宮切嗣からもう一人家族が増えたんだという話を聞いた瞬間、雁夜はごくごく普通にイリヤスフィールの弟か妹がアイリスフィールのお腹に宿ったのだと思った。しかし、 「名前は士郎と言ってね。年を聞くと遠坂凛と同い年だったよ」 どうやら新しい家族は切嗣達と血の繋がらない少年だということが判明した。 経緯はこうだ。 切嗣とアイリスフィールが先日、とある事故に遭遇した。聖杯戦争中はアインツベルンの本拠地になる城がある例の森の近くで、道路から崖下へと車が転落したのである。城の中の整理を兼ねてたまたま森にやって来ていた二人はその事故を見かけ、救助に向かった。 地面に叩きつけられた乗用車の中に家族だと思われる大人二人と子供一人の組み合わせが乗っていた。しかし前の座席に座っていた両親は即死。何とか息をしていたのは後部座席でシートベルトをつけていた少年ただ一人だけ。 切嗣達はその少年を車から出し、安全な所まで避難すると、躊躇することなくアイリスフィールの中に埋め込んだままだった物≠その少年を癒すために使用した。―――そう、アーサー王ことアルトリアが持つエクスカリバーの鞘である。 持ち主の傷を癒し、老化すら止めると言われる伝説の道具の一つ。実はアルトリアが聖杯にかける願いを「歴史のやり直し」とする以前、彼女の願いは失った鞘を取り戻すことだった。だがアルトリアと十分な会話をしない切嗣はそれを知らなかったし、また鞘を自分達が持っていることを教えていなかった。 だが、その話は今や過去形となっている。 少年―――切嗣の養子となったことで「衛宮」の姓を得た衛宮士郎が家族の一員となり、その経緯を衛宮邸に暮らす全員が共有することで、アルトリアは鞘の在処を知り、切嗣達はアルトリアの願いを知ったのである。 無論、その際にはちょっとした悶着が起こったものの、無垢な子供の命を助けることにアルトリアが反対するわけもなく。両親以外に養ってくれそうな者が見つからず孤児となった士郎少年は、その身に鞘を埋め込んだまま衛宮家の一員に迎えられたのだった。 大聖杯解体という大仕事がまだ片付いていない状況で身内を増やすというのは、あまり誉められたことではない。それは切嗣も十分理解している。 「でもね、目の前に助けられる命があるなら助けたいと思う。勿論、こうして差し出した手を途中で引っ込める真似なんてしないよ。最後まで責任を持って僕が守る。……僕の家族だからね」 両手で抱きしめられるだけの人間を守ると誓った男はそう締めくくって雁夜に微笑んだ。 「……と、言うわけで。来週から雁夜の家でごちそうになる際は士郎も一緒で構わないかな」 「おうおう勝手にしろ」 衛宮家の人間は料理ができない。壊滅的にできない。その現状を知った雁夜が第一回料理教室以降も何とか手を尽くしたものの、衛宮家の食生活はあまり改善されていなかった。そのため、いつの頃からか毎週のように衛宮家のメンバーが間桐邸の夕食に呼ばれるようになっていた。 今日こうして切嗣が菓子折りを持って士郎のことを伝えに来たのも次の夕食には一人分の追加が必要になるためだったのだ。 雁夜は分かりきった展開に苦笑を浮かべてそう返す。今更一人二人増えたところで何ら変わるものなどないし、むしろ賑やかになるのは悪いことではない。 「でも探検と称してうちの家を走り回るのはやめてくれよ。万が一蟲蔵とかそれ系のモンを見ちまったらトラウマになりかねない」 「十分言い聞かせておこう。まぁ今のところ士郎は男の子だけどイリヤよりは大人しいから、二人一緒にやんちゃをすると言うより士郎がイリヤの抑え役になってくれそうではあるけどね」 「そりゃいい。お宅の娘さんは好奇心が旺盛すぎる」 間桐邸への度重なる訪問で慣れきったイリヤスフィールは、最近、自由にこの屋敷を歩き回るようになった。当たり障りのない部屋ならば見ようが入ろうが構わないが、蟲蔵のような部屋を見てしまうと子供の成長にとてもよろしくない。魔術の秘匿云々よりも雁夜にとってはそちらの方が余程重要だ。 冗談半分どころか十割本気でそう告げながら、「ともあれ」と雁夜はまだ見ぬ衛宮家の新しい家族に歓迎の意を示した。 「そちらの都合がつくなら明日にでもどうぞ。桜ちゃんとランスと一緒に楽しみにしているから」 □■□ つい最近、新しい姓を得た少年はその姓を与えてくれた男性と彼の家族の有様を見て、幼心に強く思った。 (俺が料理しないと!) 義父も義母も三人の義姉達――うち黒髪と金髪の二名はどう表現すれば一番適切なのか幼い士郎には分からないので、一応「姉」としている――も壊滅敵に料理ができないのだ。 食事は基本的に外食か出来合いの物を購入するかデリバリーの三択。そこに時折、家庭的な料理を提供してくれる間桐さん家が第四の選択肢として入ってくる。 間桐さん家には少年こと衛宮士郎より一つ年下の少女がおり、彼女の家族は彼女に美味しい物を食べて貰うために家の主人自ら料理の勉強をしてその腕を振るうらしい。無論、手が足りない時にはあまり姿を見せない使用人の力を借りている。 同じ年頃の子供を養っているのにこの落差。だが大人達にも色々と事情があるようで、士郎は早々に彼らの料理の上達に期待しなくなった。と言うより、「俺がしっかりしなきゃ! そしてこの人達に報いるんだ!」という思いが強く沸き上がってきた。 幸いにも士郎は実の母親の料理の手伝いをすることがままあり、同世代の子供達よりも手慣れている。そこに命を救ってくれたどころか生活する場まで与えてくれた恩人達に報いたい≠ニいう思いが加わり、士郎のやる気に火をつけたのである。 元々才能もあったのか、おかげで士郎の料理の腕はめきめきと上がり、小学校の高学年に足がかかる頃には衛宮邸の家事全般を自ら進んで請け負うまでになった。尚、間桐さん家の主人こと間桐雁夜はそんな士郎を見て「万能主夫」と称した。士郎本人としてはまだまだ万能の二文字には程遠いと感じているが、いつかそう呼ばれても恥じないくらい自分の家族の役に立てるようになりたいと思っている。 「でも、だからってあまり雁夜おじさんに良いところアピールしないでくださいね。衛宮先輩がデキた人だって思えば思う程、おじさんが私に衛宮先輩をプッシュしてくる可能性が高まるんで。私、他の誰であっても構いませんが、おじさんからそれを言われるのだけは嫌なんです」 士郎の料理の腕が上達したため、かつてより開催頻度が減った間桐家での久々の食事の席で、雁夜が少し席を外した隙に間桐家の養女である桜がぼそりと告げた。 母親譲りの黒髪と父親譲りの青い目、きめ細かい白い肌の美しい少女だ。学年は違うが同じ学校に通っている士郎は彼女がかなりの数の男子生徒に好意を持たれていることを知っている。が、生憎彼女の目には昔からずっと一人の男性しか映っていない。 桜の好きな人を知っており、また彼女がその人物に向ける執着もすでに十分理解している士郎は「了解」と小さな声で返す。 士郎にはまだそこまで人を好きになった経験などないが、桜を応援する気持ちはちゃんと持っている。恋愛面に関して些か激しいきらいがあるが、友人として付き合う上での彼女はとても良い人物であったので。 士郎の返答に桜は満足そうに微笑み、次いで雁夜が戻ってくる気配を感じると更に笑みを深めた。花開くようなその変化に恋心の強さというものを改めて知りつつ、士郎は彼女への愛情が詰まっているというこの家の主人の料理に舌鼓を打つ作業を再開した。 花と新たな蟲使い 間桐桜の想い人が正式に家を継いで当主になったのは、彼女が中学に上がるのと同時だった。間桐家当主、間桐雁夜。彼こそ桜が幼少期からただ一人と決めていた人物である。 十分な実力を持ちながらも長らく次期当主≠ニいう責任の軽い立場だった雁夜がようやく当主になったのは、大聖杯の解体が目前に迫っていたからだ。 ケイネス・エルメロイ・アーチボルトを筆頭とする時計塔の大聖杯解体賛成派や御三家が知識を出し合い研究した結果、あとは本当に解体に着手するだけというところまで来ている。ただし実行に移すには反対派の魔術師を押さえつける必要があった。そのための一つの力(権力)を得る手段として、雁夜は間桐家の当主の座についた。おかげで大聖杯解体の準備は着々と進んでいる。 そんな雁夜はまだ三十代の前半であるにも拘わらず白く色が抜けた髪と白濁した左目を持っている。どちらも蟲を使役するための代償だが、花吐き病≠ニいう特異な病(性質)のおかげで、その代償は軽いものと言えた。本来ならば蟲の繁殖と使役のため、術者は己の身体の全てかほとんどを蟲に食わせなければならない。 桜はその間桐という蟲使いの家に養子としてやってきた娘であるが、蟲使いとしての性質まで引き継ぐ必要はないと言われている。少々どころではなく非常に精神的また肉体的に負担の大きなそれではなく、間桐の本来の性質――水属性の吸収と束縛――を学び、希有な性質を持って生まれたがゆえに魔術の庇護が必要な桜が己の力で自分を守れるようになればいいのだと。 それどころか桜が望めばきっと雁夜は彼女が魔術を学ばなくても一生を無事に過ごせるよう手配してくれただろう。全く血の繋がらない赤の他人―――繋がりと言えば、桜の母と雁夜が幼馴染というだけの関係ではあるものの、桜はそれ程までに雁夜から愛され大切にされていた。桜自身もそれを自覚している。そして大切にされているからこそ、この申し出は反対されるだろうと予想していた。 「おじさん、私にも蟲を植え付けて欲しいの」 桜の願いに雁夜が絶句した。 間桐の『蟲』がおぞましい姿をしていることは桜も十分承知している。身体全体を調整するのではなく、ただ単に使役するだけなら、蟲がうごめく『蟲蔵』に全身を浸す必要はない。間桐の蟲使いになるなら本来は桜が己の血肉と魔力で自分用の蟲を育てる必要があるのだが、雁夜が桜に好意的で全肯定しているがゆえに彼の魔力だけで育った蟲を代用することが可能だからだ。それでも統率用のたった一匹であっても異物が身体の中に居続けることに変わりはない。雁夜はそれを厭っているのだ。 (でもね、おじさん。私は) 言葉を失う雁夜に桜は微笑みかけた。 大事な話があるからと言って雁夜の自室を訪ねていた桜は、椅子に座ってこちらを見上げている想い人の手を取る。 「私は大好きな雁夜おじさんの全てを引き継ぎたいって思ってる」 (おじさんが関わっているなら蟲すら取り込みたいと考えるくらい大好きなの。愛おしいの) 大好きな雁夜の美しい花だけを食べて育った雁夜の蟲。雁夜の頭の中にも潜んでいる蟲。それと同じものを桜も手に入れたいと思う。簡単に言ってしまえば、桜は雁夜とお揃いになりたいのだ。……言い方は可愛らしくとも、実際にはそれなりにエグい行為なのだが。 桜は雁夜を愛している。ゆえにそう考える。 また雁夜も桜を愛している。ただしその感情は桜が雁夜に向けるものとは異なり、まだ家族に対する愛情の域を出ていない。ゆえに己が育てた醜い蟲を桜に植え付けることには大きな抵抗があるのだろう。だが愛おしいという感情に変わりはなく、雁夜は桜にとても甘い。 「……それは本気で? 蟲がどういうものかちゃんと理解した上での考えなのかな」 「うん。ちゃんと勉強してちゃんと考えて出した結果だよ。私はおじさんの全てを継ぎたい。間桐の娘になったからじゃなくて、おじさんのことが本当に大好きだから、そう決めた」 「桜ちゃんは…………ひどいなぁ」 今にも泣き出しそうな程にくしゃりと顔を歪めて雁夜は笑った。 「大好きな桜ちゃんにそう言われて俺が断れるわけないじゃないか」 雁夜は桜に甘い。さすがに蟲蔵で一週間過ごして桜の大事なところを穢すといった内容なら却下するだろうが、雁夜が選んだたった一匹だけを潜ませるならば、桜の強い要求と引き替えにできるのだろう。 「ありがとう。おじさん」 大好き、と付け足しながら桜は雁夜に抱きつく。中学生になり徐々に女性らしくなってきた身体を構うことなく雁夜に押しつけ、これから訪れる未来にうっとりと目を細めた。 数日後。蟲を入れる準備ができたため、桜は再び雁夜の部屋にいた。 蟲を統率するため脳に潜ませる蟲は口から侵入させる。大きさは親指の爪くらいだろうか。雁夜が見せてくれた蟲を見て、桜は淡々とそう目測をつけた。 「これを口に入れればいいの?」 「そうだよ。そうすれば蟲は勝手に脳まで到達する。蟲が動く感覚は気持ち悪いだろうけど、場所が定まれば違和感も消える。これは俺の経験測だけどね」 この度、桜が取り込むのは雁夜より株分けされた特別な蟲である。桜はその場面を見ていないが、この蟲は雁夜の中で別れ、そして外に出てきたものだ。ゆえに嫌悪感などない。雁夜から株分けされたものを己の中に取り込むことにどうして嫌悪など抱けようか。 ただ一つ残念なことがあるとすれば、まだ一度も他人の侵入を許したことがない口腔に最も愛している人ではなく先に蟲を入れてしまうことだろう。どうせなら一番最初は目の前の人が良かった……と、そう考えた直後、桜の中に名案が浮かぶ。 「あ、あのね。おじさん」 「どうしたの? やっぱりやめる?」 小首を傾げる雁夜に桜は首を横に振った。そうではない。蟲は入れる。ただし――― 「男の人とキスする前に蟲とするのかなって思っただけ」 「……やっぱりやめておこうよ、桜ちゃん」 雁夜の動きが一瞬止まるものの、彼はすぐに復活して先程より強く中止を勧める。しかしながら桜の希望はそれではない。 桜はにこりと微笑み、「だからね」と続けた。 「その蟲、おじさんから口移しでちょうだい。そうすれば私の初めてはおじさんに貰ってもらえるもの」 ひどく乾燥に弱いため雁夜の口の中に戻された小さな蟲を示し、桜はきっぱりと告げる。 桜の初めて≠フ一つを人より先に蟲によって奪われるのは雁夜もきっと望むことではないだろう。だからといってどこの誰とも知れない人間にそれを渡すこともまた雁夜は望まないはず。だったら雁夜本人が桜の初めてを貰えばいい。蟲を口移しでというのは口づける理由をもう一つプラスして雁夜が行動に出やすくするためだ。繰り返すが、なにせ目的の蟲は非常に乾燥に弱い。 今度こそ完全に固まった年の離れた想い人に桜はすらすらとそう説明する。 「ねえ、おじさん」 雁夜の着物を掴み、桜はそっと顔を近付けた。 そして。 ―――それから約半年という時間をかけ、蟲の影響により桜の髪と瞳は徐々に美しい紫へと染まっていった。 元の黒髪も雁夜は大層気に入っていたようだが、紫の髪も綺麗だと誉めてくれた。また父親譲りの青い瞳が色を変えたことを雁夜が無自覚のまま喜んでいたことを桜は知っている。 本当は雁夜とお揃いの白い髪や瞳も素敵だと思っていたのだが、雁夜の反応に桜はこの色も悪くないと思えたのだった。 2012.07.12 pixivにて初出 |