料理教室・大人組編
【副題】
 養女の友人一家の食生活改善計画。
 (衛宮家にはまともなメシを作れる人がいません)




 アイリスフィールやイリヤスフィール、それに時折切嗣にも誘われて、雁夜は衛宮家を訪ねることがままあった。その度に衛宮家ではデリバリーの品々が並び、台所から取り出す物と言えば飲み物くらい。
 そのことについて雁夜も初めは特に気にしていなかった。だが回を重ね、また桜やランスロットを同伴するうちにはたと気付いたのである。
「……ひょっとしてこの家って皆さんあまり料理してない?」
 慣れたものだとペットボトルのオレンジジュース(桜とイリヤスフィール用)を台所の冷蔵庫から取り出してきた雁夜は、この武家屋敷内で最も広い畳張りの部屋に戻ると同時にそう疑問を口にした。
 わいわいがやがやと騒いでいたメンバーの半数以上―――切嗣、アイリスフィール、舞弥、アルトリアの動きがぴたりと止まる。彼らの反応といい、使っている気配が無いという意味での台所のピカピカ具合といい、どうやら雁夜の予想は的中したらしい。むしろ家で料理を作る機会など限りなくゼロに近いのかもしれない。
 固まったメンバーの傍らでは桜とイリヤスフィールがあやとりをしていた。微笑ましいその姿に表情筋が緩みそうになったが、雁夜は大事な養い子と同じ年頃の少女が置かれた食事環境≠慮って表情を引き締める。
「もうちょっと何とかしましょうか。大人はさておき、ここには育ち盛りの女の子もいるんだし」
 生まれる前から様々な調整を受けてイリヤスフィールの身体が年齢通りに成長しないことは切嗣から聞き及んでいる。しかしそれとこれとは別だ。雁夜とてプロ……否、主婦と比べてすら随分見劣りする腕前だが、それでも桜に食べさせる程度の料理の腕前は持っている。むしろ雁夜が手料理を振る舞うと桜が非常に喜んでくれるので、そのために練習を積み重ねたと言ってもいい。
「それはそうなんだけど……僕、まともな料理って作ったことないんだよね」
「私も」
「私もマダムや切嗣と同じく」
「申し訳ない。食べる専門です」
 衛宮家の大人達は揃って料理不可の答えを出した。だがそこで諦めてしまってはイリヤスフィールのためにならない。
 雁夜はにこりと双眸を細め、
「大丈夫。練習すればきっと作れるようになるよ。俺だってそうだったし」
 だから早速だけど明日から俺ん家で料理講習会決定ね、と笑顔なのに笑っていない顔で宣言した。



* * *



 戦場出身者が二人、生まれながらのお姫様が一人、元王様が一人。確かにまともな料理を作る環境にはいなかったよなーと思う雁夜の目の前にはなんとも焦げ臭い地獄ができあがっていた。
 おかしい。ここはついさっきまで清潔に保たれたキッチンだったはずなのに。
 そう胸中で呟いても眼前に広がる光景は変わらない。否、端の方から元アサシンの皆様――現在は身体能力が異様に素晴らしい人間として間桐邸で雇われている一部の方々――が早速片付けを開始している。だがこの惨状が元通りになるにはかなり彼らに頑張ってもらわなければならないだろう。
「初めてのオムライスだから卵が上手く巻けないのは予想してたんだ。ご飯は水の量さえ間違わなければ炊飯器が勝手にやってくれるし、鶏肉を切るのも……まぁ頑張ってもらったけど」
 子供が好きそうで、なおかつそんなに難しくないもの。ということで雁夜は切嗣達にオムライスの作り方を教えていた。
 鶏肉を包丁ではなくナイフで刻もうとする舞弥を諫め、その横で鶏に対して何かトラウマがあるのか目を逸らして触れようとしない切嗣を鼓舞し、スーパーでごくごく普通に売っている形態の鶏もも肉に「これは何かしら」と首を傾げるアイリスフィールに説明を施し、「これで一気に切ってしまえば良いのでは?」とかの聖剣を持ち出すアルトリアを(物理的にランスロットが)抑え。とりあえず具材を切るところまでは問題なかった。多少形が不揃いなのには目を瞑ったが。
 調味料も必要な物は全て作業台の上に出し、不要な物を追加したり必要な物を抜いたりしないよう説明していた。なにぶん雁夜も料理本に書かれた中身を暗唱しているわけではないため、分量はかなりアバウトだ。しかし炒め方や卵の巻き方はまず雁夜が実践して見せたため、それほど恐ろしいことにはならないだろうと思っていたし、実際に雁夜が見守る前で四人がそれなりの分量の調味料を使っていた。
 ……ここで安心してしまったのがマズかったのだろう。
 大人達が料理をしているということで興味を持った桜とイリヤスフィール、それにたまたま遊びに来ていた凛の三人も何かを作りたいと言い出したのである。可愛い子供達の願いに雁夜は頬を緩ませながら、とりあえず彼女達を構い始めた。そんなに長い時間ではない。彼女達でも簡単にできそうなおやつの類が載った本を自分の部屋から持ってきてしばらく一緒に見ていた程度である。しかしその空白が致命傷だった。
 三人の少女、それに加えてランスロットと共に本を覗き込んでいた雁夜は、コンロの当たりから漂ってきた焦げ臭さに眉をひそめる。そして振り返った先には―――

「うわ……」

 ただ一言そう漏らし、冒頭に至る。
 キッチンの異常事態に気付いた使用人(元アサシン)がテキパキと片付ける中、雁夜は四つの皿に乗った黒く焦げた物体を見やる。一応、ケチャップライス(チキンライス)を作り、卵を巻こうとはしたらしい。しかし黒くなった物体は所々にケチャップの赤が映え、また卵の黄色が妙に汚れてぼろぼろとご飯にくっついている。
(なんだこれ。焼死体?)
 卵の部分は脂肪と言ったところか。
「えーっと。どうして四人とも同じタイミングで同じような物ができあがったのかな?」
 ちなみに間桐邸のキッチンのコンロは一般家庭と同じものであり、四つも一度に鍋をかけることはできない。しかし目の前には四つの黒いもの。湯気の立ち具合からして同じタイミングでできあがったと考えて良いだろう。
 そして使用人達が片付けている物の中に雁夜は大きめの中華鍋を見つけていた。コンロの下の戸棚に仕舞っていた物だが、どうしてそれが洗い物の中に入っているのか。
 嫌な予感をひしひしと覚えつつ、順に四人の顔を眺める。そしてその中の一人―――アルトリアが何の迷いも憂いもない顔で言ってのける。
「四人分を一気に作るため、大きな鍋を使いました。恥ずかしながら結果はこの様ですが、精進して次こそは」
「いや、うん。その心意気は素晴らしいけど、オムライスに中華鍋はちょっと止めておこうか」
 どうしてあそこまで無惨な焦げ方をしたのかは分からないが、同じ物が四つできあがった理由は判明した。ちなみにチャーハンでもチキンライスでも、炒める系の物は大量に作ると失敗しやすい。本来は一つの鍋で一人分作るのが最も望ましい。
「でも四人分くらいならここまで焦げてる物ができあがるはずもないんだけど……」
 一般家庭の奥様が家族全員分の料理を一気に作るのは常識的だ。オムライスの場合、卵を巻く過程は一人分ずつ行うだろうが、ケチャップライスを作るところまでは大きめのフライパンで一気にやってしまうことが多いだろう。勿論、このような悲惨な失敗などなく。
 それがどうしてこうなったと小さく呟いた雁夜の声を聞き取ったのは、またもや元々英霊であるため常人よりも優れた聴覚を持つアルトリア。彼女の後方で残りの三人は何がいけなかったのか首を傾げているようなのだが、
「あの、キリツグが途中で『火力が足りない』と言い、魔術で炎を」
「ああもう、うっかり優雅男じゃないんだからさあ!!」
 雁夜は嘆きを叫びつつうずくまる。
 アルトリアのおかげで黒こげの原因も分かったが、ちっとも嬉しくない。と言うか、料理に魔術を使おうとする辺りが雁夜の嫌なポイントを突いてきて何も言えなくなる。
 アルトリアや彼女の後ろにいた三人がうずくまった雁夜に何事かと視線を向けた。若干期待の眼差しが入っているのは、ひょっとして花を吐きたくてうずくまっていると思われているからなのだろうか。
(ランスロットが現界しっぱなしだし、さっき本を取りに行ったとき部屋で吐いてきたからまだそのタイミングじゃないけどな)
 これで期待の眼差しを向けてくるのが桜であれば話は別だ。魔術回路を励起させてわざと花を吐くことだってしてみせる。しかしながら現実は違うので、雁夜がそんなサービスをすることはない。
(とりあえず桜ちゃん達には料理の時は魔術を使わないんだって教えておこう。一番最初に)
 そう誓いを立てつつ、雁夜はもうしばらくうずくまって現実逃避をすることにした。







料理教室・お子様編



 大人組がオムライスの作成に失敗した翌々日。今度はその様子に興味を抱いた子供達が料理を作ることになった。
 とは言っても今まで鍋も包丁も触ったことなどない少女達である。ただし雁夜と一緒に暮らしてきた桜は「混ぜるだけ」程度の食べ物ならば作れる。具体的に言うと、牛乳と混ぜるとろとろしたアレとか。
 そんなわけで、ただ混ぜるだけの作業よりもワンランク上の、けれども火も包丁も使わない安全なおやつとして雁夜が彼女達のために選んだ最初の一品とは―――
「カップケーキを作ろう」
 しかも電子レンジでできるタイプの。
 材料の細かな計量も必要ない。牛乳と卵を加えて混ぜ、できたタネ≠おなじみの紙製カップに注いで電子レンジにかける代物である。これならば安全だし、変な失敗もない。また電子レンジのターンテーブルの上で徐々に膨らむ様は、それなりに少女達の好奇心ややりがいといったものを刺激してくれるだろう。
 更に雁夜はただチンするだけでは味気ないということで、トッピングに様々な物を用意した。
 ホイップクリームは当たり前。小ぶりの苺、チョコチップ、カラフルなチョコスプレー、ドライフルーツ、薄切りアーモンドやピスタチオ、チョコペン、シロップ漬けのフルーツ、その他諸々。前の日に桜と出かけて片っ端から購入してきた飾り付け用の品々が作業台の上に並ぶ。
 加えて先程、桜より「小さなお花が欲しいな。食べられるやつ」と言われてしまったので、雁夜は喜んで魔術回路を励起させていたりする。おかげで購入してきた飾りの隣に白やピンクの小さな花々も転がっていた。なお、飾りに適さない大振りな花はおやつを作る前に少女達のお腹の中だ。
 ともあれ、カップケーキ作りである。
 一切魔術を使わず、混ぜて注いでチン。電子レンジの中で膨らむケーキに「おお!」と興奮する三人の姿に、雁夜の顔がデレデレになったのは言うまでもないことだろう。幸せそうな雁夜の横でランスロットもにこやかに少女達を見守る―――のではなく、残念と言うかこちらも当然と言うか、ランスロットの双眸は幸せそうな主だけを見つめて幸せそうにしていた。
 ケーキが膨らみきった後は粗熱を取り、続いて冷蔵庫に入れて冷やしたのち、お待ちかねのデコレーションタイムである。
 うちのイリヤがケーキを作るだって!?と大興奮した某父親の援助と要請により、ケーキは一人あたり四個。衛宮家の人数を頭の中で何度か数え直した雁夜が半眼になったのはさておき、少女達はきゃっきゃと楽しそうにケーキを飾り立てていった。
 ちなみに某魔術師殺しもとい親馬鹿の陰謀によりケーキを食べ損ねるであろう人物のため、雁夜も同時進行で少女達と同じ物を作っている。聖剣を抜いた時から成長が止まっていることもあって見た目は細身の少女なのだが、実は彼女がその体躯に似合わず物凄く食べるタイプだと知ったのは勿論聖杯戦争が終了してからだ。
 そんな彼女のために二個、隣で物欲しそうにしていたランスロットに一個、そして自分用に一個。雁夜の花を美味だと言ってはばからない彼らの分にはホイップクリームを絞った上に花を乗せた。自分用については特に凝るつもりもなく、ただしだからと言ってアルトリアやランスロットと同じ飾り付けでは花の味が解らない雁夜にとって面白くも何ともない。
「…………」
 ふと目に入ったのはスライスアーモンドとチョコペン。おもむろにそれを手に取り、チョコペンから絞り出したチョコレートを糊の代わりにしてスライスアーモンドを五枚、放射状に並べる。
「カリヤは本当にサクラが大好きですね」
「うるさい」
 ほぼ無意識で行ったそれは、真っ白な桜の花を作り上げていた。
 ランスロットの苦笑に雁夜はぶっきらぼうな声で返す。
 雁夜が守った大事な少女。「大好きな女性の娘」から「大事な少女」になったのはいつ頃だっただろう。最初からだったのかもしれないし、一緒に住むようになってからかもしれない。
 どちらにせよ、無意識の行動に表れるほど桜は雁夜にとって特別な少女なのだった。
 妬けますねと呟くランスロットを軽くあしらった後、雁夜はそろそろデコレーションも終盤に差し掛かってきた少女たちの様子を見やった。
「お嬢様方、そっちはどうかな?」
「雁夜おじさん見て見て! 上手にできたの!」
「私だって凛に負けてないよ! ほら、お花いっぱいできれいでしょう?」
 凛とイリヤスフィールが張り合うように作業台の上を示す。
 葵がいる影響でこういった作業には馴染みがあるのか、凛が作ったそれは絞り出したホイップクリームの上に形のいい苺を乗せたシンプルなものだったが、粉砂糖をかけていたりと芸が細かく、見た目も美しい。
 片やイリヤスフィールは初めての挑戦に苦戦した痕跡が見受けられる。しかし雁夜が吐き出した花をこれでもかとトッピングしたカップケーキは魔術に関わる彼女の家族全員にとって好ましいものだろう。なお、満面の笑みでカップケーキを指差すイリヤスフィールの口の端に小さな花びらがくっついていることを追記しておく。つまみ食いも愛嬌のうちだ。
「二人とも上手だね。これならおうちの人も喜んでくれるぞ!」
「やったぁ!!」
「お父様も喜んでくれるかな」
「あー……あはは。うん、きっとね」
「よし!」
「……あの、おじさん」
 元気のいい二人の影からひょっこりと桜が顔を出す。雁夜がそれに気付かぬはずもなく、すかさず「桜ちゃんはどう?」と微笑んだ。
「がんばったよ」
 そう言って桜が差し出したカップケーキにはチョコペンで人の顔が描かれていた。小学二年生に上がったばかりの少女が描いた単純な絵である。しかしツインテールだったり、ストレートの白い髪だったり、左右の目の色が違っていたり、ウェーブのかかった長い髪を持っていたりと、それぞれによく特徴を捉えていた。
「こっちは凛ちゃんにあげて、こっちはイリヤちゃん。これはランスで、そしてこれがおじさんに!」
「俺にくれるの?」
「うん!」
 雁夜らしき人物を描いたカップケーキを差し出してにこりと微笑む桜。雁夜はもらったケーキの代わりにスライスアーモンドで桜を作った分をあげようと決めながら、しかしまずはこちらだろうとぎゅっと桜を抱きしめた。
 そして傍にやって来ていたランスロットを見上げ、
「ランスどうしよう、桜ちゃんマジ天使!」
「貴方が幸せそうで何よりです、カリヤ」
 苦笑を浮かべながらランスロットが答える。なお、湖の騎士がその湖面のような双眸に捉えた少女は雁夜に抱きしめられて実に嬉しそうな顔をしているのだが、ランスロットと目が合うと小さくウインクをしてみせた。
 ……どうやらこの小さな少女はなかなかの計画犯だったらしい。
(ま、知っていましたけどね)







2012.07.07 pixivにて初出