英霊の選択1(花と青髭)
イリヤスフィール救出後、聖杯戦争の関係者達は本格的に聖杯の解体に取り組み始めた。本拠地を冬木に構えている者達は元より、イギリスからやってきたケイネスとウェイバーも雁夜が屋敷の一角を整えて貸し出すことで引き続き極東の地に留まっている。 ちょっとした因縁がある時計塔の教師と生徒だが、聖杯戦争が終わったことや己のサーヴァントとの関係改善等によりケイネスの当たりが若干やわらかくなり、同じ屋敷内に住むと決まって身構えていたウェイバーは拍子抜けする羽目になった。 そもそも私はあのような実力不足の者の行動にいつまでも目くじらを立てる人間ではない、というのがケイネスの言であるが、それを聞いた雁夜やディルムッドは苦笑を浮かべるにとどめた。 ちなみに雁夜が切嗣と共にアインツベルンの城へ乗り込んだことでケイネスの治療に何日間か間が空いたが、帰国後すぐに再開したため、今のケイネスは杖を突きながら己の二本の足で歩けるまでになっている。 更に、不自由なケイネスをディルムッドだけでなくソラウもまた介助することで、彼ら婚約者達の関係にも変化が現れていた。これまでソラウを想うばかりで好きだという感情を表に出してこなかったケイネスがソラウに弱味を見せるようになり、ソラウもそんな相手の脆い部分を直視して自分達の婚約が親に決められただけのものではないことに気付き始めたようなのだ。 とは言っても、部外者が彼らの関係を深く探るわけにもいかず、雁夜はなんとなくそういう空気を感じて、ディルムッドに微笑みかける程度であるのだが。そうやってケイネスに想いが向くことで、元々対魔力スキルを持つソラウはディルムッドの魅了の呪いを徐々に防ぎ始め、ディルムッドもまた心安らかに主とその婚約者の傍らに侍ることができるようだった。 さて、そんなこんなで心強い協力者の周囲が整ったわけであるが、時計塔の二組、始まりの御三家、聖堂教会が知識と知恵を寄せ集めてもそう簡単に穢れた聖杯を解体できるものではない。地脈から魔力を吸い上げて英霊の召還と聖杯の降霊に備える大聖杯には今回分だけでなくそれ以前にも使われなかった魔力が渦巻いており、下手に刺激するとどうなるか判ったものではないからだ。 「まずは溜まりすぎた魔力をどこかに捨てられれば良いのだが」 爆発物の周囲から火薬を取り除くように、大聖杯が暴発≠オたとしてもその被害が大きくならないよう、溜まった魔力を早い段階で取り除ければ以降の処理がしやすくなる。 冬木教会に集まり、皆で対応を検討しあう中、遠坂時臣がそう呟いた。 この冬木の地のセカンドオーナーを務める遠坂家の当主は、これまでに大聖杯が吸い上げてその裡に溜めているであろう魔力量を推算してこめかみを押さえた。汚染されたものを容易く外へ放出できるはずもなく、またアンリマユの意志が介在しないよう人間の魔術師が消費したとしても到底使いきれる量ではない。英霊を召喚できる程なのだから、その量は推して知るべしというものである。 解体そのものに関しては大聖杯の中に眠る冬の聖女―――ユスティーツァの作製元であるアインツベルンが知識を持っているため、何とかなりそうだというのが現在の見解だ。だがその前に立ちはだかる膨大な魔力の処理方法が魔術師達の目下の悩みだった。 ……だったのだが、雁夜はふと視界の端にその身柄が聖堂教会預かりになっている雨生龍之介とジル・ド・レェを見つけて、ある考えが浮かんだ。 「普通の魔術師じゃ使い切れない量なんだよな。だったらもう一体くらい英霊召喚することも可能なんじゃないか。それどころかサーヴァント全員分の受肉も不可能じゃないだろう。何体か受肉させればそれなりに魔力も消費されるんじゃないか」 明言はしていないが、英霊召喚の対象として考えているのはジルが求めた乙女、ジャンヌ・ダルクである。 雁夜の発言に魔力の消費方法で行き詰っていた他の者達が名案だと更に考察を始めた。全て使い切ることはできずとも、ある程度まで減らすことは可能だろう。それに全く新たな願いを叶えるのではなく、元々聖杯によって召喚された英霊に対してならば、魔力も安全に引き出しやすいと考えられる。 そうして色々と机上での検証を行った後、正式に雁夜が示した方向で進めることが決定した。 「じゃあ召喚と受肉に関しては間桐の方で手筈を整える。受肉した後の戸籍とかそういった書類関係は―――」 「そちらは聖堂教会で受け持とう」 雁夜の発言を引き継いで言峰璃正が告げる。 大量の魔力を必要とする召喚自体は既に聖杯の魔力でなされているため、たとえ受肉せずともマスターの魔力がそれなりにあれば、英霊は現世に留まり続けることができる。ゆえに基本的には受肉の方向で進めるが、最も重要なのはサーヴァント本人の意思だ。マスターの従者としてその魔力により現界し続けたいと思うなら今のままでいれば良い。また現在のマスターに頼らず、本物の肉を得て世界に存在したいと思うなら受肉すれば良い。勿論、受肉した状態でマスターに仕え続けるのも一つの方法である。 雁夜はそう説明した上で、後日また教会に集まった際に受肉したいかどうか申し出てくれるよう各サーヴァント達に訴えた。 この結論が出たところで本日の話し合いは終了となり、皆が教会から去って行った。 しかし雁夜はその場に残り、奥に引っ込もうとしていたジルを呼び止める。 「ジル・ド・レェ男爵。少しいいかな」 「おや、何でしょう」 セイバー≠ェジャンヌではないと理解した後の彼はそれまでと打って変わって非常に大人しく日々を過ごしている。最初は悲嘆に暮れていたが、龍之介が傍にいることで嘆きは幾分緩和されたらしい。まだまだ完全とは言い難いが、ショック療法的なもので狂う前の状態に少し戻ってきているのかもしれない。 ゆえにこのまま受肉するか霊体化するか、他のサーヴァント同様選ばせれば良いのだが――― 「さっきの話だけどさ」 「ああ、受肉の件ですか? 私ならどちらでも構いませんが……」 「それもあるけど、もう一個の方」 雁夜の答えにジルはきょとりと小首を傾げた。 「英霊を更に召喚する……と仰ってましたね」 「そう、そっち。実は一人、召喚したい英霊がいるんだ。でも俺はその人物に由来する聖遺物を持ってなくてね」 「その言い方ですと私が聖遺物を持っていると言うことでしょうか」 「お察しの通り。あんたには彼女≠召喚する手助けをしてもらいたい」 頷き、雁夜は続けた。 「この時代にジャンヌ・ダルクを召喚する。マスターはジル・ド・レェ。聖遺物はあんた自身だ」 「なっ……」 ジルがこれ以上ないくらいに大きく目を瞠る。 その驚愕の表情は意味を理解するにつれてじわじわと歓喜に染まり、やがて震えるような声が零れ落ちた。 「そ、それは。本当なのですか。……そんなことが可能なのですか」 「実を言うと確率はそんなに高くない。でも過去に八体目の英霊が召喚されたってのは記録に残ってるし、今回はそれを意図的に起こすよう準備するから。加えて俺がいる間桐は聖杯戦争での英霊召喚法を構築した家だからな」 「あああ、ああ……! まさか、ジャンヌと再び出会える可能性がまだ残っていたなんて……!」 はらはらと涙を流すジルの姿に雁夜は淡い笑みを浮かべながら、ひとまず説明を続ける。 「一応、今のままでも召喚はできると思う。でも召喚後にあんたとジャンヌの両方を安定させることも考えると、受肉した方が良いかなってのが俺の見解。それで構わないかな?」 「ええ! ええ! 勿論ですとも!」 そもそも受肉しようがしまいがどちらでも構わないのだから、受肉した方がジャンヌを安定させられると聞けばそちらを選ぶに決まっている。ジルが大きく頷くのを確認し、雁夜は「じゃあよろしく」と言葉を返した。 ――― 霊体のままでいることを望んだ一部を除き、ジルを含む英霊達が受肉を果たしたのはそれから一ヶ月後。それから更に一ヶ月後、雁夜とジルはジャンヌ・ダルクの召喚および受肉に成功した。 英霊の選択2(花と円卓の騎士) 季節は変わり、春になった。 希望したサーヴァント達の受肉が全て完了し、聖堂教会の働きで戸籍等書類上の問題も全て解決している。強力な力を持ったまま英霊が受肉したことになるのだが、無論、彼らがマスター・サーヴァント間の縛りを失っても自由すぎる行動に出ないよう対策は取ってある。大抵は問題ないのだが、一応の保険と言う意味で自己強制証文(セルフギアス・スクロール)を書いてもらっているのだ。 また大聖杯の解体には溜まりすぎた魔力の消費以外にも様々な準備が必要であり、かなり長期間になると判明したため、時計塔の二人は一旦イギリスに帰国している。研究はあちらで続け、何かあれば来日するという形だ。 彼らのサーヴァントであったディルムッドとイスカンダルはそれぞれ受肉を希望し、マスター達の手の甲からは令呪が消えた。しかしディルムッドは相変わらずケイネスを己の主人とし、その傍らで仕え続けている。またイスカンダルはディルムッドのように元マスターの傍で侍ることはなかったが、世界を旅しながらも自分が帰ってくる場所≠ヘウェイバーの元であると決めているようだった。 衛宮切嗣とその家族は冬木市某所の武家屋敷を自分達の家とし、間桐邸と同じく必要時には関係者に開放すると宣言していた。聖杯解体に備えて必要な知識を得るため時折里帰り≠しているようではあるが、イリヤスフィール奪取時に色々と大きく動いたおかげで、切嗣やアイリスフィールに逆らう者達は最早アインツベルンの城にはいない。 彼のサーヴァントであったアルトリアもまた受肉し、今度はアイリスフィール(とイリヤスフィール)を己の主人として仕えている。立場は違うが同じくセイバー陣営として切嗣と共に戦ってきた久宇舞弥もまた事実上の衛宮家の一員として生活しており、衛宮家は女性比率の多い家庭としてご近所様から認識されていた。とは言っても、そのご近所様が一般人≠ニ言うには少々アレなご職業の方のようなので、それほど気にすることでもないのだが。 一方、切嗣と同じく魔術師であっても、こちらは正統派、遠坂時臣とそのサーヴァント・ギルガメッシュはと言えば、こちらもまた受肉を果たしていた。聖杯戦争が行われないならば過去の英雄の姿を借りた使い魔など不要だとする時臣に、魔力の献上が無くそもそもあまりマスターに興味関心が抱けなかったギルガメッシュのペアである。離れるならばそれで構わないと言わんばかりにあっさりと主従契約を断ち切った。 時臣は戦争前と同じ生活に。ギルガメッシュはしばらくふらふらと好き勝手に生きるつもりであるようだが、彼のカリスマ性や黄金律Aといった適正は何か大事業を起こしそうでもある。 なお、現時点でのギルガメッシュの本拠地は冬木教会になっている。花を吐く雁夜の性質に色々と興味を引かれるようであるが、間桐邸にはランスロットがいる。どうやら馬が合わないらしい二人であるため、ギルガメッシュがもう一人興味深いと思っている綺礼の方へと移った結果だった。とは言っても、月の半分くらいは雁夜の顔を見に来るのだが。 そんな風に英雄王を預かっている言峰綺礼およびそのサーヴァントだったハサンの方だが、こちらもまた受肉済みである。 今回召還された「百の貌のハサン」は、生前、多重人格者であったため、受肉によりハサンも一人の人間に―――……なるかと思いきや、人格の数だけ分裂できる宝具の影響なのか、あまりにも資質が異なる人格は複数の肉体を得る結果になった。似た性質のものは一つの身体に収まったようだが、男性が目立つ中で女性や子供の姿も見受けられた。 そんなハサン達はそれぞれ個別の人間として日常生活に溶け込んでいる。ある者は冬木を出て、またある者は教会に残り、実は間桐邸の使用人として雁夜が数人雇っていたりもする。ハサンの中でリーダー格でもあった女性は教会残留組だ。 そして最後の英霊。雁夜のサーヴァントであるランスロットは七体の英霊の中で唯一受肉を拒否していた。理由は簡単。受肉せず現界し続ければ、その分だけ雁夜の魔力を消費することができるからである。 最初から聖杯戦争に勝ち抜くためではなくマスターの余剰魔力を消費するために召喚されたランスロットは、彼自身もまた聖杯にかける願いなど持っていなかった。加えてマスターである雁夜との仲も良好で、むしろランスロットとしては雁夜に執着めいた感情まで持ち合わせている。となれば、雁夜に最も都合の良い形で存在することこそがランスロットの願いとも言えた。 ゆえにバーサーカー陣営のみ戦争中止前と変わらぬ関係を保っている……かと思いきや、実はそうでもない。小さいが、一つだけこの主従には変化があった。 「ランスロット」 雁夜が己の従者を呼ぶ。口調はこれまで通りだが、呼称はクラス名から真名になっていた。 「はい、何でしょうかカリヤ」 名を呼べばすぐにランスロットが姿を現す。 彼が実体化するだけで、また一歩踏み出すだけでも、雁夜の魔力は消費されていく。この感覚は聖杯戦争で敗者となると同時に失われるはずのものだった。しかし実際には戦争が中止され、サーヴァント同士が殺し合う必要性もなくなったため、マスター存命中は余程のことがない限り現界し続けることができるようになった。残り約二週間程度の関係だと思っていたものが、今や雁夜が死ぬまで共にあるものとなったのだ。 「だから俺がお前を真名で呼んで愛着が湧いちまっても構わないってことだよな」 「カリヤ?」 正面で片膝を折り、ランスロットはいきなりの台詞に小首を傾げる。だが魔力供給用に繋げられたパスからおぼろげに感情も伝わってくるため、すぐに己のマスターの意図を察知した。そして整った顔立ちに微笑を浮かべ、 「ええ、そうですよ。貴方の生が私の生。貴方の死が私の死だ」 だからもっと愛してくださいと言わんばかりにランスロットは雁夜の右手の甲に唇を落とす。 受肉せず主従関係も打ち切っていないため、雁夜の手の甲には未だ一画欠けた令呪が宿っている。サーヴァントの召喚も令呪に宿った分の魔力も既に聖杯から抽出された魔力であるため、大聖杯を解体しても(魔力供給を続ける限り)サーヴァントが消えることや令呪が無くなることはない。ゆえに雁夜が絶対命令権を行使しない限り、ランスロットにとってその令呪は己とマスターを繋ぐ絶対の絆と同じ意味を持っていた。 「カリヤ……我が愛しのマスター。生も死も貴方と共に」 「そうだな、ランスロット」 雁夜がサーヴァントをクラス名で呼ぶのを止めたは聖杯戦争の停戦と各英霊の受肉によりクラス別に召喚されるサーヴァント≠ナはなくなったから(つまりクラス名に重要性がなくなった)、というのも理由の一つではあるだろう。ランスロット以外の英霊に対してはそれが主な理由であるはずだ。しかしランスロットのことに限定すれば、最も大きな理由は真名を呼ぶことで愛着が湧いてしまっても己に仕える英霊がもう短い期間で離れるような存在ではないからだ。 その証拠とでも言うように、雁夜がランスロットに向ける微笑は戦争中よりも幾分柔らかい。桜に向ける程ではないにしろ、それに次ぐくらいには愛情のこもったものになっている。 雁夜の右手を捧げ持ちながらランスロットはマスターが浮かべるその微笑を幸福の中で受け止めていた。 2012.06.24 pixivにて初出 サーヴァント問題は間桐が本気出せば何とでもなると思ってます(笑) ご都合主義万歳! |