永久停戦
どうやらランサー陣営の主従関係は以前よりも随分マシなものになったらしい。 聖杯戦争監督役の言峰璃正から召集を受けて冬木教会に集まったマスターとサーヴァント達を眺めながら雁夜はそっと口元を綻ばせた。 片付けるべき問題――主にケイネスの婚約者殿のことである――は山積しているが、それでも不審と押しつけしかなかった関係にようやく芽生えた絆は決して無意味ではないはずだ。 (例えばまぁ、あれなら自害を命じたりしないだろうし……なんてな) 冗談混じりにそんなことを考えつつ、そうして雁夜は璃正が聖杯戦争参加者一同に聖杯の異常の判明とそれに伴う戦争の完全停止命令を宣言するのを聞いた。 雁夜は元より、言峰綺礼も遠坂時臣も調べる側だったので驚愕するわけもなく。特に時臣は魔術師であり冬木市のセカンドオーナーという立場から璃正の補足説明を行う程である。 監視の名目で教会住まいが決定したらしいキャスター陣営―――雨生龍之介とジル・ド・レェは、住む場所が場所なだけに聖杯戦争中止にも薄々気付いていたようだが、そもそも聖杯などどうでも良いと思っている節があるので、気楽な様子で礼拝堂の壁に背を預けている。 ランサー陣営―――車椅子生活続行中だが徐々に歩けるようになってきているケイネス・エルメロイ・アーチボルトは治療中に交わした雁夜との会話から戦争中止の予想はしていたらしく、「やっぱりな」と言った風の表情を浮かべた。その横でディルムット・オディナが「聖杯を捧げることができず、申し訳ございません」と頭を下げる。そんな従者に対し、「構うな。貴様の責ではない」と言えるケイネスの様子は雁夜に随分成長したものだと思わせた。 戦争参加者の中で最も身長差の大きなライダー陣営―――ウェイバー・ベルベットは拍子抜けしたような、それでいてほっとしているような表情で璃正や時臣の言葉を反芻している。征服王ことイスカンダルは聖杯を得られないこと以外にも英雄達と矛を交えられないことを残念がっているようだった。しかし残念に思いながらも聖杯が汚れているなら仕方ないと納得している。 そして――― 雁夜が最も危惧していたセイバー陣営。 騎士王、アーサー・ペンドラゴンもといアルトリア・ペンドラゴンは失意に両目を大きく見開き、「私の夢は……国の未来は……」と呟いている。今ここで初めて知ったのだが、どうやら彼女は滅んだ己の国を救いたかったらしい。 アイリスフィール・フォン・アインツベルンを挟んだアルトリアの反対側には衛宮切嗣が佇んでいる。 真っ黒な瞳はギラギラと熱を孕んで監督役の璃正を睨みつけていた。その心中を言葉にするなら「ふざけるな」といったところか。ただし彼が睨みつけているのは何も璃正ただ一人だけではなく、聖杯の異常を察していながらそれを説明しなかったユーブスタクハイト・フォン・アインツベルンも含まれているのだろう。 ただしそんな状態であっても切嗣がどう動くのか、雁夜は警戒を解いていない。 他の陣営は託す願いがなかったり、自分の代で必ず叶えなければならないという程でもなかったりと、実は聖杯の機能を性急に欲しているわけではない。だがセイバー陣営だけはそれらと異なり、切嗣もアルトリアもそれぞれどうしても叶えたい願いというものを持っている。そして願いを聖杯に告げればどうなってしまうのかというのを漠然としか理解していない今、たとえ汚れていても願いを叶える機能自体は働いているのだからと切嗣が暴挙に出る可能性はゼロではないからだ。 そして現在、この場には全てのマスターが集まっている。かつサーヴァントは違うが、マスターはたった一発の銃弾で死んでしまえる生身の人間≠セ。それこそ爆弾の一つでも爆発させれば一気に片を付けられる可能性は十分にあった。無論、それは切嗣を除くマスター全員が教会は不可侵領域だとして武装しておらず気を抜いていた場合に限るが。 そうやって警戒する雁夜だったが、幸いにも――と言うべきなのか不明だが――切嗣は引き金を引くよりもボタンを押すよりもまず、自分の意志を示すために言葉を発した。 「納得できないね」 教会に集まっていたメンバーの視線が一斉に切嗣へと向けられる。それに臆することなく魔術師殺しは言葉を続けた。 「聖杯が穢れているのは理解した。けれどどうして戦争を中止し、聖杯を解体するなんて話にまで飛躍するんだい? それならまず本当に聖杯を元に戻すことができないのか手を尽くすべきだろう」 璃正の説明の中には、聖杯の穢れは容易に取り除くことができず、ゆえに解体するしか方法がないというのがあった。しかし切嗣としては、本当に解体するしかないのか、もっと手を尽くせば穢れを取り除く方法が見つかるのではないか、そもそも願いを叶える機能はあるのだから上手く使えば思い通りに叶えられるのではないか、などと諦めきれないのであろう。 切嗣の問いに璃正が答えようと口を開く。しかし雁夜がそれを遮って自ら答えた。 「残念ながら解体以外の案はないんだよ、衛宮さん」 「雁夜……」 間桐雁夜に叶えたい願いがないことを知っている切嗣は聖杯解体に賛成している雁夜を蔑むような視線を向ける。それを苦笑で受け流し、雁夜は続けた。 「聖堂教会だけじゃない。魔術側として遠坂、それに一応間桐も調査に参加して出した結果なんだ。聖杯を元に戻すことはできない。それでもまだ願いを叶えたいって言うなら……そうだね、衛宮さんの願いがどんな風に叶えらるのか今ここで説明してあげようか」 雁夜はにこりと笑い、切嗣が是非を答える前に説明を始める。 先日、切嗣の願いを知った際にふと思いついた例え話だ。それをより具体的に。争いを失くしたい、人々を救いたいという願いがどういう結末に至るのか。最後に残るのはおそらく切嗣がその両腕で抱きしめられるだけの人数になるだろう、と。 「きっと聖杯は願いを叶えるだろう。衛宮さんとアイリさんと貴方の娘さん、三人だけの世界って形でね」 そう話を締めくくれば、切嗣の瞼がゆっくりと落ちた。 どうしてそんな予測ができるのかと問われれば、この世すべての悪(アンリマユ)とはそういうものだからだと答えるしかない。アンリマユが入ることによって聖杯とはそういうものになってしまった。 「世界は救えないよ。今までも、これからも。俺達はせいぜい自分の手が届く範囲の世界≠守るくらいしかできないんだ」 己の手が届く範囲だけの幸せを考える男は、世界全てを救いたいと願った男に最後通牒を突きつける。衛宮切嗣は反論しない。――― それが切嗣の出した答えだった。 第四次聖杯戦争中止。そしてこの日、聖杯―――円蔵山の龍洞に眠る大聖杯の解体が決定した。 ハイブリッド・スノーホワイト1 ※イリヤ救出準備中。 戦争の停止と聖杯の解体に同意した衛宮切嗣から、その日の夜、雁夜は同盟者として最後に一つだけ協力して欲しいと乞われた。 「イリヤを……娘を取り戻したいんだ」 切嗣の娘、イリヤスフィール・フォン・アインツベルン。次の聖杯戦争における器の守り手として母親の胎内にいる時から調整を受けてきた少女。その彼女が戦争に巻き込まれないためという名目で真冬の大地に囚われたままなのである。 「アイリにもう一度あの子を抱かせてあげたい。本当ならこの戦争で僕の妻は死ぬはずだったからね。でもそうならなかった。だから僕は願うよ。イリヤを取り戻したい。そしてアイリと会わせてあげたい」 「衛宮さん」 同じ年頃の少女を預かる身として、雁夜にもその気持ちが解らないわけではなかった。 アンリマユのことを知りながら聖杯を降霊させようとしていたアインツベルンの長、ユーブスタクハイト・フォン・アインツベルンは間桐と遠坂の二家と異なり聖杯の解体に反対するだろう。となると、アイリスフィールより完成度の高い器の守り手であるイリヤスフィールをそう易々と手放すとも思えない。 「頼む、雁夜。僕を手伝って欲しい」 魔術師を殺すプロフェッショナルであるが、絶対に失えない人質を持ち、またアインツベルンに九年間いたからこそその城の堅牢さを知っている切嗣はプライドも何も全て溝に捨て去って雁夜に頭を下げる。 始まりの御三家が聖杯戦争でもないのに戦いを仕掛けるには相応の覚悟を持って行わなくてはならない。そして切嗣は雁夜の協力に対する代価を持たない。 けれど。 「いいよ」 「っ! 本当かい……?」」 頭を上げて目を見開く切嗣に雁夜は頷いてみせた。 「でも僕は君に何も」 「そんなことはないさ。ちょうどいい対価がある」 それは一体何か、と切嗣の目が語る。雁夜は「解らないかな?」と肩を竦めて傍らにランスロットを実体化させた。 「アインツベルンの本拠地に乗り込むんだから、そりゃ戦闘にもなるんじゃないか。そしてちょうどサーヴァントが現界しっぱなし。俺のバーサーカーって他人に化けるのも得意だから、娘さんを助け出すにもかなり役立つと思うよ」 霊体化不可かつ派手な攻撃が多いセイバーとはまた違う使い方ができるバーサーカー。それを示し、雁夜は切嗣に右手を差し出した。 「当初の契約通りだ。さあ、アハト翁に戦争を仕掛けようじゃないか」 □■□ 「と言う訳でしばらく家を空けるから、桜ちゃんとか兄貴とかうちの使用人のこととかよろしく」 久々に雁夜自ら遠坂邸に足を運んでくれたと喜んでいたら、この台詞。 一応そうなる理由は雁夜本人からたった今説明されたが、それでも遠坂時臣は一瞬だけ優雅という家訓を捨てて目を点にしそうになった。……実際には何とか凌いだが。 「魔術師殺しと共にアインツベルンへ乗り込むだって?」 「おう。んで、衛宮切嗣の一人娘を救出してくる」 「それは……君にどんな益がある。いや、まだ無益で済むならマシだ。君が家を空けている間、もし君の大切なものがアハト翁の手の者に―――」 「そうならないよう、お前んとこに来たんじゃねえか」 確かに言うとおりだが、本来の雁夜なら他人より自分の身内を優先するはずではないのか。 そう思うからこそ、時臣は雁夜にこんな行動を取らせる魔術師殺しに憎しみめいた感情を覚える。そもそも衛宮切嗣の生き方は時臣にとって非常に好ましくないものだった。そこへ更に雁夜の件だ。彼がマスターでなければ、また聖杯が既に解体されて英霊が消えても問題無くなっていれば、今すぐにでも自分の炎の餌食にしてやりたい。 「時臣、そうカッカすんなって」 だが時臣の苛立ちは雁夜のその声によって幾分鎮められることとなった。 理由の一つは、顔に出していなかったはずの苛立ちを雁夜に指摘されたから。そしてもう一つは、言葉と共に差し出されたもの=B 「雁夜、これは」 「俺だってタダで俺の大事なモンを守ってくれなんて言わない。魔術師・遠坂時臣に依頼する。俺の花≠代価として、俺の大切な者達を守って欲しい」 雁夜が懐から取り出したもの。それは久しく時臣が手にしていなかった花≠セった。 生花にそっくりの、しかし生花とは異なり魔力を持つ者に極上の甘さをもたらす魔力の結晶。それをいくつもいくつも、惜しげもなく差し出して雁夜は時臣に乞うた。 「足りないならいくらでも用意する。今ここでと言われればいくらでも吐いてやる。だから時臣、俺が不在の間、何があっても桜ちゃん達を守ってくれ」 時臣は受け取った花と雁夜の真剣な顔を見比べて自分がどんな表情をすればいいのか解らなくなった。 雁夜の手ずから花を与えられるのはとても嬉しい。魔術師としての実力を信用され、幼馴染として頼られているのがたまらなく誇らしい。けれど雁夜にここまでさせる衛宮切嗣やその娘の存在はどうしても腹立たしく、また時臣の実の娘である桜にさえ雁夜に大切に思われている人間として妬ましさを感じずにはいられない。 「どうして君はここまでするんだ。衛宮切嗣もその娘も君にとっては赤の他人ではないのかね。君はサーヴァントを使って魔力消費をするつもりだなんて説明してくれたが、今ここで花を吐くと言うならそれは矛盾したものになる。わざわざ魔力回路を励起させてまで花を吐くなんて君が最も嫌っていることの一つだろう?」 時臣がそう指摘すれば、雁夜は苦虫を噛んだように押し黙り、しかしすぐに溜めていた息を吐き出して苦笑を浮かべた。 「細かいとこ突っついてくるなぁ。そんなに気になるか?」 「雁夜のことだからね。他はそうでもない」 言外に雁夜だけは特別だという思いを込めてみたのだが、故意なのかそうではないのか、結局「そう?」と軽く流される。 「まぁ……あとはそうだな。それこそ衛宮さんが一人で特攻して失敗して自分が死ぬか、それとも娘さんを失うかして生きる気力みたいなものが無くなって自棄になったとするだろ。そうしたらまだ聖杯も解体してないのに、盃に英霊の魂を注ぐなんていう面倒なことが起きちまう。それこそ本末転倒だ」 「ならば君でなくても他の魔術師を派遣したって構わないだろう。何故わざわざ君が行く必要がある」 それこそアサシンでも使えばいい。いくら雁夜が相談を受けたからと言って、またバーサーカーの能力が役に立ちそうだからと言って、雁夜でなくてはならない理由などないはずだ。 問いを重ねる時臣に雁夜は「あー」と声を出しながらガシガシと真っ白に色が抜けた頭を掻く。幼い頃から雁夜を見てきた時臣にはそれが照れている仕草だと判った。 「雁夜」 「だって桜ちゃんや凛ちゃんと同じ年頃だって言うから。……そんな子が家族と離れてひとりぼっちなんて可哀想じゃないか」 「君は……」 おそらくそれこそが雁夜の本音であり、衛宮切嗣に協力する一番の理由なのだろう。 いつもは対価を要求し、ごくごく身近な相手以外には徹底的に公平を期する――つまり誰に対しても執着や関心を強く持っていない――ように振る舞う雁夜だが、根本はこれ≠ネのだ。 かつて時臣が「欲しい」と言うだけで無邪気に花を分け与えてくれた幼い白髪の子供の姿が脳裏によみがえる。 嬉しいような、切ないような。それでいて、ついこの間まで知り合いですらなかった他人にその優しさが振り撒かれるのが気に入らないような。なんとも複雑な想いで時臣は口元を手で覆い隠した。表情を隠すのは笑っているのか怒っているのか、自分でも判断できなかったためだ。 「雁夜」 「なんだよ」 ぶっきらぼうに応える幼馴染へ時臣は告げる。 「知っているかい。そういう君みたいな人間をお人好しと言うんだよ」 時臣の台詞に雁夜は一瞬、虚を突かれたように右の目を丸くした。それから小さく肩を竦め、 「ばーか。俺なんて利己主義の偽善者で十分だ」 久々に時臣の前で柔らかくはにかんで見せた。 ハイブリッド・スノーホワイト2 ※イリヤ救出成功! 「どうしてこうなった」 「あら。イリヤは私と同じホムンクルスよ? だから人間の魔術師より雁夜の花の匂いにとても惹かれてしまうんじゃないかしら」 頭を傾げる雁夜を眺めながらアイリスフィールが楽しそうに微笑む。そんな情景が繰り広げられているのは極寒の森の奥にある城ではなく、聖杯戦争のために切嗣が用意していた武家屋敷の一室だった。 魔術師殺しに御三家の次期当主、加えて英霊が二体。この戦力に(歴史は長いと言っても)高が一介の魔術師如きが太刀打ちできるわけもなく。切嗣は無事に愛娘を取り戻した。 数週間ぶりに両親と再会したイリヤスフィールは迎えに来るのが遅いと怒りつつも喜びは隠しきれないようで、切嗣の選択が決して間違っていなかったのだとその存在で示してくれた。己が娘を愛するように娘も己を愛してくれていると知っていた切嗣はイリヤスフィールの反応に驚きではなく幸せを覚え―――しかし、彼女が自分を迎えに来たもう一人≠ノここまで懐くとは予想外だった。 それはもう一人≠アと雁夜も同意見らしく、アイリスフィールの言葉を聞きながらもどこか納得できないように首を傾げている。その背中には年齢にそぐわぬ幼い身体を持つイリヤスフィールがぴったりと張り付いていた。 「イリヤ、こっちにおいで。僕のこともぎゅっとしてくれないかい」 魔術師殺しではなく一人の親の顔をして切嗣は両腕を広げる。イリヤスフィールは一瞬、父親の方へと向かいかけたが、 「ごほっ……」 イリヤスフィールが離れようとしたことで気を抜いたのか、それともただそういうタイミングだったのか、雁夜が花を吐き出した。途端、イリヤスフィールの視線が雁夜の口元と花に釘付けになる。 人間の魔術師とは違いホムンクルスである彼女は母親と同じかそれ以上に雁夜の花が放つ芳香を強く感じ取ることができるらしい。ゆえに半ば本能めいたものでイリヤスフィールが雁夜の目の前にかがみ込む。 「カリヤ。イリヤにそのお花くれる?」 「あー……うん。いいよ。好きなだけどうぞ」 「やったぁ!!」 歓声を上げ、花を口に含んでは「あまーい!」と頬を緩ませる姿は実に無邪気で可愛らしい。しかし父親としてはちょっとばかり納得いかない。いや、あの花の魅力は切嗣も十分に承知しているし、それどころか幼いイリヤスフィールとは違い、花を吐く雁夜自身の姿にも思うところがあったりするのだが。 ふと雁夜を見やると、片方だけの視線とかち合った。口の動きだけで「わるい」と謝罪され、切嗣は小さく首を横に振る。 そして謝罪の代わりに己の近くまで転がってきた一輪の花を食む。目の前にはお人好しの男と美しい己の妻と愛らしい娘が笑い合う姿。舌の上に広がる極上の甘味に酔いしれつつ、切嗣は己が手に入れた幸せを噛みしめた。 2012.06.03 pixivにて初出 |