花と時計塔の魔術教師1



 キャスターの一件が片づいた後、聖杯戦争の一時休戦に関して改めて説明が行われることとなった。聖杯の異常が疑われてから48時間足らずのことである。
 七組の陣営全てが冬木教会の聖堂に集められ、祭壇の前に立った言峰璃正が聖杯の異常を疑うようになった経緯の説明と今後その解明がなされるまで陣営間の一切の闘争を禁じる旨を告げる。
 雁夜、時臣、綺礼―――つまりバーサーカー陣営、アーチャー陣営、アサシン陣営は異論無し。キャスター陣営も同じく。ウェイバー・ベルベットとライダーは驚きはしたものの仕方がないと納得した。どうやら大きな願いを持っているらしい切嗣達セイバー陣営は微妙な表情をしていたが、まだ一時°x戦ということで反論はしなかった。そしてアインツベルンの別宅に攻め行って重傷を負ったケイネス・エルメロイ・アーチボルト達ランサー陣営は……。
「主よ。そのお体の回復、今しばらくお待ちください。必ずやこのランサーめが聖杯を獲得し、主の脚も魔術回路も元通りに」
 一時休戦には納得するものの、どうやら色々と切羽詰まっているらしい。
 ランサーが美しい顔を悲痛に歪めてケイネスに告げるのを聞いた雁夜は、神童と名高い時計塔の教師が切嗣に負わされた致命傷によって聖杯獲得を本格的に望むようになっていることを知った。それまではおそらく戦争に参加して勝ち抜くことで己の実力を誇示しようというのが目的だったようなのだが。
 なお補足すると、ランサーが主と呼ぶのは車椅子に乗ったケイネスなのだが、ランサーを従える令呪を持つのはその横に佇む女性――ソラウと呼ばれていたのでケイネスの婚約者たるソラウ・ヌァザレ・ソフィアリだろう――である。女性を惑わすことで有名なランサーを熱の籠もった瞳で見つめるソラウ、ケイネスに真摯な瞳を向け続けるランサー、ソラウの視線の先を辿って忌々しげに顔を歪めるケイネスという様子から、初見の雁夜ですら彼らの見事な三角関係は容易に想像することができた。
 ともあれ、全ての陣営で一時休戦が締結された。これより聖杯の調査が完了するまで聖杯戦争に関する一切の闘争が禁じられる。海外から冬木にやって来た組もあるが、彼らは調査終了までこの地に留まるようだ。帰国することは聖堂教会も認めているのだが、いつ調査が終了して戦争再開になるか判らないからというのが冬木逗留の理由である。
 一通りの説明が終われば解散となり、それぞれの陣営が教会を後にする。ケイネスもソラウに車椅子を押されて扉の方へと向かうが、
「ロード・エルメロイ」
 その背に雁夜が声をかけた。
 ケイネスは車椅子に乗ったまま振り返り、己に声をかけたのが白髪で着物姿の男だと知ると僅かに青い目を見開く。
「マキリのマスターが私に何の用かね」
 警戒を含んだ声でそう告げた。
 その彼の眉間に皺が寄るのは致し方無いことだろうと雁夜は内心で苦笑する。何故ならケイネスにとって雁夜は切嗣側の人間だからだ。自身が大怪我を負ったあの時、雁夜は正しくアインツベルンと協力関係にあった。
 ただしアインツベルンの森において、対キャスター戦で雁夜と共に戦ったランサーはそんな主人の様子に心苦しいものがあるようだ。実際に口を出すことはないが物言いたげな表情でケイネスを眺めている。
「貴方に俺から一つ提案があるんだが、聞いてくれるか」
「提案?」
 ソラウによって車椅子が反転され、ケイネスの青い目が正面から雁夜を捉えた。
 訝られているのは声からも視線からも読みとれたが、あえてそれを無視して雁夜は告げる。
「ロード・エルメロイの治療をこの間桐雁夜に任せて欲しい。見たところ下半身不随と魔術回路の断裂が起こっているようだが、俺なら貴方を治せるかもしれないんだ」
「……なに?」
「それは本当ですか!? バーサーカーのマスター!!」
 ケイネスとランサーが正反対の反応を見せた。対照的な二人に雁夜は淡い笑みを浮かべ、「根拠と理由はある」と続ける。
「まず治療が可能かどうかについて。今の間桐は蟲使いだが、元々マキリの家は水属性で俺もそうだ。そしてロード・エルメロイ、貴方も確か水の属性を持っていたはず。それから風も、だっけ? なら俺と貴方の相性は良いはずだ。異なる属性よりも治癒魔術は効果を発揮しやすい」
「確かに水属性同士なら……。しかし同じ属性だからといって魔術回路まで治せるものなのか」
 その辺の魔術師程度では技術も魔力も足りない。そう問うケイネスに雁夜は肯定を返す。
「確かにその疑問はあるだろう。だが生憎と言うかなんと言うか……俺は魔力が有り余っていてね」
「! そう言えば花を吐いていたな」
「覚えていてくれたか。そう。俺は花吐き病を煩っていて花を吐くほど魔力を持て余している。つまり治療につぎ込める魔力が潤沢にあるってわけ」
「だが魔力だけでどうにかなるものでもあるまい。表面上の怪我の治療だけならまだしも、神経系やそれどころか魔術回路となれば相当の技術と知識が必要だぞ」
「そちらも心配無用だ。間桐の家は疑似魔術回路を作るのが得意でね。貴方にうちのエグい方法を試すつもりは微塵もないが、その知識の応用で元々あった回路を修復することは不可能じゃない」
「……なるほど」
 ケイネスは頷き、しかしまだ納得していないと返した。
「治療可能という根拠については理解できた。しかし何故そこまでするのかね? 私は君と敵対関係にあるはずだが」
 共にマスターであるのだから、同盟を結んでいるならまだしも自分達は利害の一致も何もない敵同士。ゆえに雁夜が治療を申し出る理由が解らないとケイネスは告げる。
 それは雁夜が『聖杯を求める普通のマスター』だったなら当然のことだっただろう。だが生憎、雁夜の目的は聖杯の獲得や己の示威行為ではない。
 雁夜は疑いの目を向けてくるケイネスに対してひょいと肩を竦めた。
「御三家だった所為でマスターには選ばれたが、俺は聖杯を必要としていない。俺はただこの機会に魔力を大量消費して少しでも楽になりたいと思って戦争に参加してるだけだ。だから別に戦いじゃなくても余分な魔力を消費できるなら何だっていいんだよ。それこそ貴方の治療でも。むしろ休戦となればバーサーカーがあまり魔力を持っていってくれないから、その間、代わりに貴方の身体を治させてくれないかとすら言ってしまいそうなんだけどね。……呆れてくれて構わないよ。でもそれくらい花を吐くのには飽き飽きしてるんだ」
「聖杯が要らない? ならばアインツベルンとの同盟は」
「ああ、それか。同盟の件はセイバーのマスターが俺を『最後から二番目』にするって約束してくれたから乗っただけ。聖杯は要らないが、なるべく長くバーサーカーを現世に留めておきたかったんでね」
「……ふん。つまりアインツベルンでなくともその約束をするなら誰でも良かったというわけか」
「俺にも好き嫌いがあるから誰でもってわけじゃないが……」
 雁夜はこちらを伺っている遠坂時臣を一瞥した後、ケイネスに視線を戻す。
「ロード・エルメロイ、貴方からの提案なら受け入れたかもしれないな」
 時臣と雁夜の確執――と言うよりも雁夜が一方的に時臣を嫌っている理由――を知らないケイネスは雁夜の視線の意味を理解できなかったようだが、それでも御三家・間桐のマスターであり、花吐き病を発症している大きな魔力の持ち主からの返答には納得のいくものがあったらしい。眉間の皺を緩めてケイネスは「そうか」と頷く。
「さて、それじゃあ納得してもらえたと思うけど、返答は? 貴方は俺の提案を受け入れてくれるだろうか」
 雁夜からの問いかけにケイネスは当然ながら即答しない。理由が解ってもやはりさっきの今まで敵だった人間からの提案を易々と受け入れるわけにはいかないのだろう。
 しかし彼の傍らに侍るランサーは対キャスター戦で共に戦ったことから雁夜を疑う気持ちはないらしく、騎士らしい騎士として愚直なまでに主が間桐のマスターの提案を受け入れることを望んでいる。また彼がそんな様子であるからして、魅了の呪いに抗う気のないらしいソラウもまた受け入れ派だった。
 従者と婚約者がこの様子で、慎重なのはケイネスだけ。そんなランサー陣営を見ていると、治療の申し出をしている雁夜の方が何だかケイネスに同情したくなってくる。
「……心配なら治療の際にランサーを同席させたらどうかな。場所も間桐の陣地じゃなくそちらの工房かどこかでいい。それなら貴方が無防備になることもないだろうし」
 思わずぽつりとそう呟けば、ケイネスも納得した――と言うか、諦めがついた?――らしい。「では、頼む」と短く答え、ランサーが「主……!」と嬉しそうに呼ぶのを忌々しげに見返した。
 ランサーとしてはマスターに回復の可能性が見えたこととその傍に自分が侍るのを許されたことの両方が嬉しかったのだろう。ケイネス自身はそんなランサーの気持ちや思考回路が理解できず、好意どころか不信感を煽る結果になっているようだが。
 どうにも面倒くさい関係のランサー陣営だが、とにもかくにも雁夜の魔力消費先は確定した。
 横目で見やった時臣の顔があまり優雅なものではなく、碧眼に淀みが見えたものの、花を与えるわけではないので今はさほど気に留めておく必要もないだろう。花を与えることになれば、以前弟子に対してさえ強い口調で非難した時臣は全くの他人にどんな対応をとることやら……。
 こっちも大概面倒だと胸中で呟きつつ、雁夜はことの成り行きを見守っていたマスター達の視線を気にした風もなく、ケイネスに微笑みかけた。
「じゃあ早速、治療を開始したいんだが、俺はどこにお邪魔させてもらえばいい?」







花と時計塔の魔術教師2



 ランサー陣営は宿泊先だった冬木ハイアットホテルが衛宮切嗣によって爆破されたため、廃工場を仮初めの逗留地としていた。だが聖杯戦争休戦に伴い、女性であるソラウのことも慮って冬木ハイアットホテルに次ぐ別の高級ホテルに部屋を用意した。
 最上階のスイートルーム、その一室に間桐のマスターを招き、ケイネスに治療が施される。一週間も続ければ当初の不信感も大分薄れ、ケイネスは雁夜と世間話を交わせるまでになっていた。傍らにはランサーも待機しており、雁夜がおかしな行動を取った場合にはすぐに反応できる状態だが、実はそれも三日目あたりからただのポーズとなり果てている。
 自身の変化にケイネスはこっそり驚いていたのだが、それよりも更に驚愕したのは治療の進度である。
 一日目は身体の損傷具合の確認で、治療らしい治療は行われなかった。しかし二日目、水属性の魔力を流し込みながらの治療は施術時間が一時間にも満たなかったにも拘わらず、終わればケイネスの下肢に僅かながらも感覚が戻っていた。それまで触れられていても判らなかったはずなのに、熱さや触覚がぼんやりと感じ取れるようになったのだ。
 三日目になると効果は更に顕著になり、足の指がピクリと動くようになった。ズタズタにされた神経が確実に繋がり始めている証拠である。
 以降も雁夜が治療する度にケイネスの身体は回復し、一週間も経った頃には椅子に座ったまま足を動かすことができるようになっていた。まだ車椅子から立ち上がって歩くといったことはできないが、たった一週間でこの成果である。ケイネスが治療を終えた雁夜を引き留め、ルームサービスを頼んでお茶に誘ったとしても歓迎こそすれ誰も文句は言わなかった。
「極東の国にしては、このホテルが出す茶はそれなりなのでね。一杯飲んで行くといい」
「本場の人間にそう言ってもらえるなら本当に美味いんだろうな……。じゃあお言葉に甘えて」
 そう答えて、雁夜がティーカップに手を伸ばす。和装にマイセンという組み合わせは違和感しか覚えないと予想していたのが、意外に実物はそうでもないとケイネスは思った。
 紅茶を口に含んだ雁夜は白黒二色の双眸をかすかに見開く。「さすが本場がそれなり≠チて評価する味だなぁ」と小さく呟く雁夜にケイネスは知らず知らずのうちに満足げな笑みを浮かべていた。
 何に煩わされることもなく飲食をする雁夜を眺めるうちにケイネスはふと思った。白髪と左目以外は普通の青年に見える雁夜だが、彼はケイネスに惜しげもなく魔力を注げる程の稀な魔術師―――花吐き病の発症者である。だがこうして治療を行う中でケイネスは雁夜が花を吐くところを見たことがなかった。花吐きの様子を目にしたのは、最初で最後、あの倉庫街でのみだ。
「……病気の方はどうだ。多少は楽になっているかね」
「おかげさまで」
 雁夜はカップをソーサーに置き、にこにこと機嫌良さそうに答える。
「それなりに魔力を消費させてもらってるからね。バーサーカーが戦っている時ほどではないけど、それでもこれが有ると無いとでは大違いだ。感謝する、ロード・エルメロイ」
「ケイネスだ」
「え?」
 不可解な返答に雁夜が小首を傾げる。だが雁夜の呼称を聞いたケイネスは思わず口から零れ落ちた要望を今更取り消すつもりもなかった。
「時計塔の魔術師ではないのだから、そちらの名で呼ぶ必要はない。だがMr.アーチボルトでは他人行儀すぎるだろう。それに私の国ではお前のような相手をファーストネームで呼ぶのが一般的だ」
「だったら俺のことも雁夜って呼んでくれ。改めてよろしく、ケイネス」
「ああ。こちらこそ、よろしく。雁夜」
 ファーストネームで相手を呼ぶのは面映いが、それでも心がほんのりと暖かくなる。雁夜がランサーに対して「ランサーも俺のこと名前で呼んでくれていいからなー」と言っているのは些か気に食わなかったが。
(してランサーよ、雁夜に「では俺のことは……」と言ったように聞こえたのだが、貴様はその後に何と続けるつもりだった)
 己のサーヴァントが雁夜に返した反応についてパス経由で問いかければ、返答は気まずそうな沈黙だった。倉庫街で宝具を解放したため既にバレているかもしれないが、それでも英霊が自ら正体を明かしてどうする。
 ケイネスは舌打ちしそうになるのを堪えて――ちなみにケイネス自身は己が敵マスター≠ノファーストネーム呼びを許したことなどさっさと棚に上げている――雁夜の前であるためにランサーを一瞥するだけにとどめた。
「ランサー? どうかしたか?」
「いえ。我が主のご友人に対し呼び捨てはできませんので、カリヤ殿と呼ばせていただきたく」
「忠臣だねぇ」
 そう言いながら雁夜はくすくすと笑う。彼の台詞にケイネスはすぐさま「何が忠臣なものか」と悪態をつきかけたが―――
「……ってことはさ、ランサーはケイネスの良いところをいっぱい知ってるんだろうな」
 ぽつりと続けた雁夜の呟きに遮られる。
 しかも雁夜のその問いかけとも言えぬ問いかけにランサーは笑顔で答えようとして、しかしはたと何事かに気付く。
 白と黒の双眸は穏やかにランサーを見据えていた。圧迫感も何も感じさせずに。だがランサーは己の口を突いて出る回答が何もないことに顔を白くし、パクパクと金魚のように口を開閉している。
 そんなランサーを見て雁夜は「今ここで答えてくれなくていいよ」と告げる。そうしてカップの中に僅かに残っていた紅茶を飲み干し、雁夜は立ち上がった。
「この話は次の機会にしよう、ランサー。それじゃあケイネス、また明日」
「ああ」
 ランサーの忠義など欠片も信じていないケイネスは平然と答え、雁夜の背中を見送る。
 だが彼のサーヴァントの方は最後まで一音たりとも発することができなかった。







花と時計塔の魔術教師3



「昨日は意地悪なことを言って悪かった。許してくれるかな」
「いえ、許すも何も……」
 ケイネスに治療を施した後、雁夜は主人の傍に侍るサーヴァントにそっと小さな声で告げた。何故声が小さくなるのかと言うと、珍しくベッドの上のケイネスが眠っているからだ。
 雁夜の小さな声に負けず劣らずランサーもまた囁くように答える。しかしその声の小ささは主への配慮と言うより、後ろめたさや後悔に類するもののように響いた。
 自ら発した言葉の弱々しさに気付き、ランサーは更に言葉を詰まらせ身を小さくする。
 そんなランサーの様子を見て雁夜は苦笑を浮かべた。
「少し訊いてもいいかな。答えられる範囲でいいから」
「それは……構いませんが」
 昨日、主人の良いところと訊かれて即答できなかったランサーは、それでも騎士らしく是と答えようとして、しかし実際には情けない程に弱い口調と控えめな台詞になってしまう。それがまた雁夜の苦笑を誘ったようで、白髪の男は色の違う双眸を僅かに細めた。
「今は中断してるけど、ランサーは聖杯に何を望む? 教会に集められる前はケイネスの治癒を願ってたみたいだけど、最初はどんな願いでこの地に呼ばれたのかな」
 聖杯に何を望むか。それはケイネスに召喚された時にも答えたものだ。
 ゆえにランサーは淀みなく雁夜にその回答を告げることができる。
「俺は聖杯に何も望まない。ただ俺は――仮初めの肉体なれど――今生の主に騎士として最後まで尽くしたいと思い、現界した」
「そういや英霊になる前は主人を裏切ったんだっけか」
「やはり俺の正体には気付いておいででしたか」
「あの槍を見ればね」
 癒えない傷を与える黄薔薇、魔を祓う赤薔薇。その二槍を操り、また女性を惑わす泣き黒子という要素が揃えば、ランサーがどういう名の英霊か気付く者は気付く。
 ただし中断しているとは言え、今はまだ戦争中。雁夜はランサーの真名を呼ぶつもりは無いらしく、またも「ランサー」とクラス名で呼びかけた。
「ともあれ君の願いは聖杯で何かを叶えるんじゃなくて、聖杯によって呼ばれることで叶う類のものってわけだ」
「そうですね。まぁ強いて言えば、我が主に聖杯を捧げることこそが我が願いと言えなくもないですが」
「聖杯を捧げることで忠誠を示す?」
「いかにも。それもだいぶ怪しくはなっていますが」
「汚染されてるっぽいからねぇ」
 ランサーと同じく『聖杯に願うこと』を持たない雁夜は気楽な調子で告げる。主従揃ってわざわざ聖杯に叶えてもらうような願いを持たないバーサーカー陣営にとって、聖杯が使い物になるか否かはランサー達よりも更にどうでも良いことなのかもしれない。これならランサー達を含む他陣営と無駄な争いも望まないはずだ。
 そう考えて幾許かの安堵すら覚えていたランサーに、雁夜が小さな――しかしはっきりとした――声で冷や水をかけた。

「結局さ、ランサーは自分の騎士道が貫けるなら誰が主でも良かったんだな」

「……え」
「だってそうだろう? ランサーは聖杯に何かを望むために現界したんじゃなくて、その前段階―――誰か≠フ従者になることこそが願い。別に強い魔術師が良いとか、どっかの騎士王みたいな無謬の王様が良いとか、そういったことは全く口にしなかった。つまりランサーは別にケイネスじゃなくても、自分を喚び出してくれるなら誰でも良かったんだ。違う?」
「そ、そんなことは」
 主人が誰でも良いなどと、それはあまりにも騎士らしくない考えだ。しかしそうは思うものの、ランサーは自身を省みて強く反論することができない。
 その間にも雁夜は更に言葉を紡ぐ。
「違うなら、どうしてケイネスに仕えてるんだ? 最初に令呪が宿って君を喚び出したのは確かに彼だったけど、君の令呪は今、ケイネスじゃなくて彼の婚約者さんが持ってる。そもそも魔力供給だって彼女からだったらしいじゃないか。つまり今は名実共に君はケイネス・エルメロイ・アーチボルトの従者じゃなくてソラウ・ヌァザレ・ソフィアリの従者ってことになる。でも君はケイネスを主と呼ぶ。その理由は? ケイネスを自分の主人と認めて慕うだけの理由を君はすぐに思いつく? こう言っちゃなんだけど、ケイネスは君にすごく厳しいよね。彼は騎士道を重んじる王でも騎士でもなく魔術師だ。そしてランサーには甘くてケイネスには素っ気ない婚約者を持つ、ね。きっと行き過ぎた叱責も多く受けただろう。それでもランサー……君はケイネスを主人だって言ってる。そこまで君がケイネスを主人だとする理由は一体何だろう。俺の見てないところでケイネスに優しくしてもらったことがあるとか? そんな風には全く感じられないんだけど」
「……ぁ、おれ……は」
 昨日と同じくランサーは自分が主人とする男の、その主人と慕うべき理由を何も言葉にすることができなかった。「俺は……。我が主は……」と無意味に呟くランサーを雁夜はしばらく黙って見つめていたが、やがて小さな溜息をついてランサーの出口のない思考回路を絶ち切る。
「まずは認めるところから始めなよ、ランサー。君はただ自分を召喚した人物だからケイネスを主人としている。その主人が存命中なのに他の人間を主人とするのは騎士らしくないから、頑なに彼を慕い続けてる。理由はそれだけだ」
「ち、ちがっ」
「違わない。君はケイネスがどういう人間かなんてどうでもいいんだ。主人だから主人と慕う」
 強い口調でそう言い切って雁夜はランサーにとどめを刺した。
「騎士様が聞いて呆れる。だからケイネスにも信頼してもらえないんだよ」
「……ッ」
 ランサーはがくりと膝をついた。
 突きつけられた事実はあまりにも重い。騎士らしくあろうとするが故に自分は本質を見失っていた。その人物を敬愛し、誠心誠意仕えるのではない。今のランサーは自分だけが満足するためにケイネスという魔術師を利用しようとしているに過ぎない。これではケイネスが欠片も信頼してくれないのは当然だ。何せランサーの主≠ヘケイネスでなくとも良いということなのだから。誰でも良いポジションに収まった人間がそのポジションに誰かがいることを望むだけのランサーを信じてくれるわけがない。
「俺もケイネス本人じゃないから、彼がどこまで君の考えを知って何を思ってるかなんて分からない。でもこっちのことをほとんど何も知らない英霊≠ェこんなにも忠誠を尽くそうとしてくるなんて、頭のいいケイネスなら信じる前に疑ってかかるはずだよ」
 思い当たる節はあるだろう? と問われ、ランサーは頷くことしかできなかった。
「俺は……俺は、どうしたら」
 今度こそ騎士の道を貫きたい。しかしそれをするための主は―――。
(いや、そもそも騎士道を貫くための主≠ニいう考え方が間違っているのか)
 歯噛みするランサー。
 本当にどうすれば良いのか分からなかった。もうこのまま盲目的にケイネスを主と慕い続けることはできない。自分がどうしてケイネスを主人としていたのか、それをまざまざと眼前に突きつけられた状態では、己の中にある騎士の心が許してくれない。
 顔を伏せ、ランサーは迷路に迷い込んだかのように途方に暮れる。
 しかしそんなランサーに雁夜が声をかけた。
「そこまで悩む必要はないんじゃないかな」
「なに、を」
 顔を上げたランサーに雁夜は微笑む。
「これから知ればいいだろ。ケイネスが自分の主人に足り得る人物かどうか。それで十分な人間なら問題なし。改めてケイネスを主人だと慕えばいい。(……もしそうでないなら、残念だけど諦めてもらうしかないかな。主人変更なんてこの騎士くんが認めるわけもないし)」
 後半は声が小さすぎて何を言ったか分からなかったのだが、ランサーは雁夜の言葉にはっと目を瞠った。確かにそうだ。ケイネスの良いところを知らないなら、これから知ればいい。
「雁夜殿、ありがとうございます。おかげで目が覚めました」
「ん。じゃあまずちゃんとケイネス・エルメロイ・アーチボルトって人を知って、その上で忠誠を誓い聖杯を捧げるために命を尽くすに値する人だと思ったら、それをきちんと本人に告げないとね。でないとケイネスは君を信頼しないはずだよ。俺だってケイネスと同じ立場なら君を信頼できない」
 雁夜の言葉にランサーはしっかりと頷く。重ねて礼を言えば、雁夜からは「がんばれ」との言葉が返ってきた。
「今度こそ騎士の道を全うできると良いねぇ」



□■□



 雁夜とランサーが長い会話を交わした後。ソラウに呼ばれてランサーが部屋を出てすぐ、残された二人の魔術師のうち目を開けている一方がにんまりと口の端を持ち上げた。
「……と言うわけだから、あとよろしく」
「何がと言うわけ≠セ」
 パチリと両瞼を押し上げてケイネスは雁夜を見た。青い双眸は全く眠気を感じさせない。――― それもそのはず。ケイネスが目を覚ましたのはついさっきではなく、ランサーと雁夜が会話を初めてすぐのことだったのだから。
「それにしても、いつから気付いていた? 私が起きていたことに」
 ケイネスがそう問えば、雁夜は小さな含み笑いを零して、
「俺が眠らせたんだから、起きるタイミングだってこっちで把握できるよ」
「つまり最初から私にランサーとの会話を聞かせるつもりだった、と。眠気も治療の影響ではなくお前が意図してのことだったか」
「正解」
 音が出ない形だけの拍手をし、雁夜は続ける。
「いやー。ちょっとそちらの不仲は見てられなかったから」
「この国には『敵に塩を送る』という諺があるそうだが?」
「敵だけど今は敵じゃないし、それにそっちのサーヴァントの言葉を借りるなら俺はあんたの友人なんだろ?」
「……ふん」
 飄々と答える雁夜にケイネスはそっぽを向いて鼻を鳴らす。照れてなどいないし、白人らしい白い肌が赤味を帯びることもない。断じてない。もし赤く見えるなら幻覚だ。
 心の中でそう唱えることによって頬の熱を無視しつつ、ケイネスは雁夜と己の関係ではなく、ランサーとのそれに思考を切り替えた。
 ケイネスが聞いていない≠アとを前提でランサーが語った言葉は、これまで彼が主に言い続けてきたことと何ら変わらない。良くも悪くもあの槍使いは本心を語っていたのだろう。主に捧げる忠義は本物だが、その対象が誰であるかなどランサーには関係なかったのだ。
 元より許嫁の件で信頼には値しない男だと思っていたが、それ以外にも雁夜が代弁してくれた通り、中身のない忠義を捧げられてもケイネスがランサーを自らの臣下として信じることなどできるわけがない。ゆえに、ひたすら「聖杯は要らない」と言うランサーの言葉も信じられなかった。
 今はまだ多少信じていなくもないが、ランサーが雁夜に嘘を語った可能性もまだ否定できない。それに現時点でランサーの忠義が空っぽであることに変わりはなく、これからのランサーがどう行動し何を知るか、きちんと見定めていく必要がある。
「言うだけ言ってあとは丸投げか、雁夜」
「お膳立てはやってあげたんだから、それくらいはケイネスがしないと。……ランサーとの付き合いも二週間程度じゃ収まらなくなりそうだし」
 暗に聖杯戦争の中断が長期になる――調査結果の如何によっては永久停戦になる――ことを示唆し、雁夜は肩を竦めた。
「加えて、教会の調査結果によっては聖杯をどうするか――― それこそ破壊することも考慮しておかなきゃならない。その時に必要になるのは魔術の知識だ。その点、神童と名高いロード・エルメロイの協力があれば心強い。となれば、あんたの心労の種を少しでも取り除いておくに越したことはないだろう?」
「……まさか最初からそのために私の治療を申し出たのか?」
 眉間の皺を寄せてケイネスが問う。自ら問いかけておきながら、ケイネスの胸がチクリと痛んだ。
 どうやらサーヴァントに言われるまでもなく、自分は間桐雁夜を親しい間柄の人間と認識していたらしい。それがこちらからだけの感情だとしたら、胸が痛むのも当然だ。
 しかしながらケイネスの不安を余所に雁夜はあっさりと否定してみせた。
「いや、それは本当に魔力消費のためだから。ランサーとのことは友人としてってやつがメインかな。聖杯云々のことはオマケでしかないよ」
「本当だろうな?」
「嘘言ってどうする。ぶっちゃけるとさ、ケイネスの治療に使ってる魔力は相当なモンなんだぞ。この俺が∴齠一時間くらいしかできない程度には」
 いくら花吐きとは言え、もしもの時の助力を得るための対価としては些か以上に釣り合わない。
 笑ってそう答える雁夜にケイネスはようやく安堵を覚えた。
「疑ってすまなかった」
「いやいや。解ってもらえたならそれでいいから。あんまり気にすんなって」
 答えて、ベッド脇の椅子に腰掛けていた雁夜が立ち上がる。
「ランサーはいないけど、俺はそろそろ帰るよ。今日はうちの愛娘と夕食を一緒に作るって約束してるんだ」
「……ああ、確か桜とか言ったか。本当に可愛がっているのだな」
 途端に顔の表情筋を緩ませた雁夜にケイネスは呆れ半分で呟いた。だがそんなケイネスの声など何のそので、雁夜はにこやかに答える。
「うん、そう。ほんっっっとうに可愛い子だから! 何なら今度会わせてあげようか? ただしランサーは同行不可で」
「そうだな。機会があればよろしく頼む」
 血の繋がらない娘を溺愛している雁夜が言った「ランサーは同行不可」の意味を正しく理解したケイネスは苦笑を浮かべて頷く。男親ならあの魔性の黒子に愛しい少女を近付けたくなどないだろう。たとえその少女が魔術の耐性を持っているとしても。
 ケイネスの返答に雁夜は満足そうな笑みを浮かべて部屋を去る。
 花吐き病を患っている男の姿が見えなくなった後、ケイネスはふと窓ガラスに映る己の顔を見やった。青い双眸はうっすらと映り込む己の表情を確認し、
「こんな顔をしたのはいつぶりだろうな」
 穏やかにそう独りごちた。







2012.04.29 pixivにて初出

水銀先生のターン! 先生はおじさんと仲良くなればいいよってか初の友達が雁おじでいいじゃない。そんな訳で、ケイネス先生と雁おじのお友達大作戦+先生とランサーの不仲を何とかしようよ、な話。バサ雁とか切雁が完全ログアウトしてます。若干時雁がログインしてるだけ。ほぼ先生と雁おじとランサーだよ! あ。先生って小説だと全身麻痺→某人形師さんのおかげで両腕のみ復活らしいんですが、アニメだとその辺全く語られなくて(たぶん)、なんだか最初から下半身のみ麻痺みたいな感じだったので、それ風にさせて頂きました。違和感覚えちゃったらすみません。スルーしたってください。