花と冬木の殺人鬼1



 冬木教会での話し合いから帰宅した雁夜は、仮眠を取った後、大切な方の幼馴染から連絡を受けて再び間桐の屋敷を飛び出した。葵の娘である凛が小学校の友達(おそらくキャスター陣営に攫われた子供の一人)を探して夜の冬木市に来ているかもしれないというのだ。
 母親である葵はすぐさま車に乗って現在進行形で隣町から冬木に向かっている。雁夜は先行して凛を探し始めた。
 聖杯戦争の一時休戦は昼間の間に全陣営へと通達されたはずだが、キャスター達がそれを聞いて誘拐行為を止めるとは思えない。彼らに見つかれば、凛などすぐに――もしくはゆっくりと手酷く――殺されてしまうだろう。
 冬木市の全域にありったけの視蟲を放ち、凛を探す。彼女が既にキャスター達に捕らえられていた場合、視蟲はキャスターの手によってすぐに消されるか、もしくは視蟲が入り込めない結界か何かを敷かれて見つけられない可能性もあるのだが、それは考えないようにした。もしそうであったなら手遅れとしか言い様がないので。
 幸いにも雁夜の望みは叶い、町中を一人で駆ける幼い少女の姿を発見することができた。雁夜はすぐに凛の元へと駆けつけ―――


「凛ちゃん!」
「え、かりやおじさん……?」
 着物姿で駆けてくる白髪の男性の姿を見かけて遠坂凛は大きく目を見開いた。
 いつも遊んでくれる優しい青年と久々に会えたことを嬉しく思うが、今は状況が状況なだけに気まずい。きっと彼は葵から何かを聞いて凛を探しに来たに違いないのだから。
「凛ちゃん、危ないじゃないか。今の冬木に一人で来るなんて」
「でもコトネが!」
 冬木市が危険なのは知っている。今、この町では聖杯戦争という魔術師達の殺し合いが行われているのだと。
 しかし凛はそこで諦めるわけにはいかなかった。大事な友人であるコトネが行方不明になっている。きっと冬木の殺人鬼に攫われたのだ。ゆえに自分が助け出さなければいけない。
 必死に雁夜にそう説明すると、青年は凛の前で膝を折って夜気に冷えた少女の頬をそっと撫でた。
「わかった。じゃあコトネちゃんはおじさんが探してあげるから、凛ちゃんは葵さんと帰るんだ」
「おじさんが?」
「うん」
 雁夜は頷き、しかしその淡い笑顔を曇らせてこう続けた。
「でも覚悟しておいてね。コトネちゃんがいなくなった時期から考えて、その子が生きている可能性はあまり高くないよ」
「……ぁ」
 それはあえて凛が考えないようにしていたことだった。しかし雁夜に事実を突きつけられて凛は呼吸を止める。
 本来なら凛のような幼い少女に向けるには残酷すぎる言葉だ。しかし雁夜は凛が魔術師であることを認め、こうして必要なことは隠さずに告げてくれる。
 無論それだけでなく、雁夜は凛との約束を守って一生懸命コトネを探してくれるだろう。彼女が生きている可能性を信じて。だが盲目的に生きているとは言わない。甘いだけの幻想を提示して凛が後々大きな絶望に打ちのめされたりしないように。
「凛ちゃんはもう解ってるよね。冬木が今、どんな状況なのか。時お……お父さんから詳しく説明されてなくても、君は勘がいいからここの空気を感じるだけで大体気付いてるはずだ」
 コトネを探しにこの町へ来たが、それならば凛は友の■■を見つけるつもりでなくてはならなかった。
 自覚した瞬間、凛は己の背筋をぞわりと冷たく不快なものが走るのを感じた。これまで無意識のうちに考えないようにしていたことが脳裏をよぎる。
 だがその悪寒はコトネの危機に関するものだけではなかった。父親よりも魔術の高い素養を持った凛は我が身に降り懸かる危機に対して飛び抜けた感知能力を持っていたのだ。
 そして同じく、何かに気付いた雁夜が己が身を抱きしめる凛をそっと後ろに下がらせる。
 彼らの立ち位置からさほど離れていない路地裏から何者かの気配。雁夜がそれ≠ゥら遠ざけようとする動きで自身の悪寒の原因のもう半分を理解した凛が「おじさん……?」と不安に揺れた声で雁夜を呼ぶ。
「そこにいるのは誰だ」
「……へえ。髪が白いからお年寄りかと思ったんだけど、声は結構若い感じ?」
 路地裏から若い男の声が返ってきた。夜の街が似合う軽薄そうな声だ。もう何本か通りを挟んだ歓楽街ならば全く違和感のないものだったが、こんな路地裏の、しかも奥から粘着質な水音≠ェ聞こえてくる場所から発せられたそれに雁夜は警戒を強める。
「今んとこさぁ、旦那の趣向で子供ばっかり相手にしてたんだけど……オニイサンみたいな若白髪の人ってのもちょっと面白いかもだよね。ねえねえ、俺んちに来ない? そっちの女の子も一緒にさ」
 そう告げながら路地裏から一つの影が現れた。
 髪を明るい茶色に染めた若者だ。年は二十歳前後だろうか。
 この場に似合わぬ飄々とした雰囲気に気圧され、凛は更に一歩雁夜の後ろに隠れる。とてつもなく嫌な感じがした。
「君さ、今までその路地裏にいたみたいだけど、大丈夫だった?」
「え、なにー? 何か変なものでも逃げ込んでたの? ここ」
 雁夜の問いに茶髪の青年は平然とそう答えた。すると雁夜は短く「そうか」と告げ、

「じゃあ君がキャスターのマスターってわけだ」

 直後、数多の羽音と共に黒い大群が雁夜の背後から路地裏へと殺到した。そして聞こえてくるのは大量の水っぽい何かを租借する音と耳を塞ぎたくなるような悲鳴。
 凛は知らなかったが、路地裏に潜んでいたのはキャスターが操るヒトデのような化け物―――怪魔の群だった。そんなところから平然と現れることができるのはキャスター本人とそのマスターくらいなものだ。
 キャスター本人の姿は見えない。視蟲でそこまで確認した雁夜はまず怪魔の群を己の蟲で一掃し、化け物どもの断末魔の悲鳴が響く中で再度問いかける。
「俺は間桐雁夜。キャスターのマスターである君の名前を聞いても?」
「なにあれ! なにあれなにあれ! すごいねお兄さん!」
 茶髪の青年は背後を振り返って蟲に食われる怪魔の姿に興奮しているらしい。紅潮した頬のまま雁夜に向き直って彼は告げた。
「俺は雨生龍之介っていいまっす! お兄さんのアレ何!? すっごいカッケーじゃん!!」
「あはは。なんだか予想外の反応だなぁ」
 牛骨をも砕く翅刃虫の群を見て子供のようにはしゃぐ龍之介。そんな相手の反応に雁夜は思わず苦笑を浮かべる。
「ところで雨生くん、キャスターはどうしたんだい。一緒に行動していないのかな」
「青髭の旦那なら別行動中。あと俺のことは龍之介って呼んでくれよ! 俺も雁夜さんって呼ぶからさ」
「それは別に構わないけど」
 随分と斜め上方向にフレンドリーな子だ、と雁夜は小さく呟いた。
 その背後で凛はくいくいと雁夜の着物の裾を引っ張る。
「ね、ねえ、おじさん。その人、冬木の殺人鬼なんでしょ?」
「幼児連続誘拐犯でもあるね」
 さらりと言ってのける雁夜に凛は声を荒げた。
「じゃあ警察! それが駄目なら魔術協会に―――」
「の、前に。コトネちゃんを知ってるかどうか訊いておこうか」
 あくまで穏やかな口調で告げ、雁夜は凛から龍之介へと向き直る。
 二人の会話を訊いていた龍之介は「コトネチャン? どんな感じの子?」と首を傾げてみせた。普通、犯罪者なら自身の罪をしらばっくれるかこちらに襲いかかってくるかするものだと思うのだが、彼はそんな普通≠ノ当てはまらないらしい。
 雁夜が凛から聞いたコトネの特徴やいなくなった時期を告げると、龍之介はまるで昨日の夕飯を訊かれた時と同じように「ああ、その子なら」と答えた。
「まだ何もしてないよ。他の子と一緒に工房とは違うところに集めてるから、なんなら見に来る?」
「見に行くと言うより回収させてほしいんだけどね」
「それじゃあ俺が旦那に怒られちまう」
「子供集めが不要になればキャスターも怒ったりしないはずだよ」
「え、そんなことできんの?」
「たぶんね」
 だからコトネの所まで案内して欲しいと雁夜が言えば、龍之介は頭を縦に動かした。
「その代わりって言っちゃなんだけどさ、蟲のこととか雁夜さんのこともっと教えてよ。俺、雁夜さんのその見た目もちょーCOOLだと思うんだよね」
「いいよ。後で俺の屋敷に案内してあげる。俺も君と色々話をしてみたかったし」
「やっほぅ!」







花と冬木の殺人鬼2



 龍之介に案内されてコトネや他の子供達が集められている場所に行くまで雁夜は一度だけ『花』を嘔吐した。凛が見つかったことでその捜索に割いていた視蟲のほとんどを戻したのが祟ったらしい。また凛を怖がらせないためにバーサーカーを霊体化させたまま連れていたのも悪かったのだろう。
 嘔吐中に生じる隙をカバーするためにすかさずランスロットが実体化し、黒甲冑姿で雁夜の傍に侍る。だがその警戒は不要に終わった。
 花を吐き出す雁夜を見て、龍之介がまたもや嬉しそうに騒ぎだしたのだ。COOLという単語を連発し、なにやら物凄く雁夜を気に入った様子である。
「雁夜さんの身体ってどうなってんの!? うわぁ一回解剖してみたい!!」
「それは勘弁願いたいな」
 花を吐き終えた雁夜は他の魔術師とは違う視点で花吐き行為を好意的に見る龍之介に苦笑を浮かべる羽目となった。まさか魔力云々ではなく人体の不思議的な意味で興味を持たれるとは。
 ともあれ、そんなことが起こりつつも雁夜達はコトネが捕らえられている所まで辿り着き、無事に少女を助けることができた。キャスターの魔術によって暗示状態にあったが、それは雁夜が容易に解呪できる程度のものだったので問題ない。
 コトネ達を回収した後は合流した葵に凛と子供達を任せ、雁夜は龍之介を連れて間桐邸に戻った。


「俺はさ、リアルな死を見たいんだ」
 どうして殺人を犯すのかという雁夜の質問に龍之介はそう答えた。
 テレビの中のチンケな作り物ではない。純粋で、圧倒的で、きっと何よりも美しい『死』をこの目で見てみたい。感じたい。ゆえに自分は人を殺すのだと。
「死を感じたい、か……」
 応接間に龍之介を通して話を聞いていた雁夜はこの無邪気な殺人鬼の望みを声に出して呟く。どうやら龍之介の行為を止める為には警察に突き出すか、魔術師の制裁を加えるか、もしくはこの欲求を満たしてやる必要がありそうだ。
「じゃあさ、いっそ自分で死んでみる?」
「え?」
 雁夜の提案に龍之介は目を点にする。
「どういう死が君の求めているものなのか俺には解らないけど、少なくとも自分の死は他人の死よりも衝撃が強いんじゃないかな」
 普通の――と称するのはおかしいかもしれないが――殺人者なら、他人ではなく自分を殺せと言われれば反論一択だっただろう。しかしと言うかやはりと言うか、またも雨生龍之介は違った。彼は雁夜の言葉にしばらく唖然としていたが、やがて天恵を受けた信徒のように目を輝かせ、
「そっかぁ!! そうだよね! 俺、これまで色々殺してきてもこれは!≠チていうのに出会えなかったんだけど……そっかそっか。自分の中にあるんだったらそりゃわかんないよなあ!」
「お気に召したようで何より。で、どうする? 自殺って手もあるけど、お望みならギリギリ命が助かる程度の大怪我と静かに仮死状態になるっていう二つの選択肢を提供できるよ?」
「えっ、雁夜さんマジでそんなことできんの!?」
「一応ね。まぁ後遺症が出るかもしれないけど」
 蟲と雁夜が扱う水の魔術があれば、大怪我や仮死にさせ、そこから復活させることは不可能ではない。それにもし臓器等の回復ができなくなっても、最悪の場合、雁夜の蟲を龍之介の体中に入れて疑似的に生かすことができる。
 雁夜の説明に龍之介は始終「すごい!」やら「COOL!」と言って喜んでいた。だがはたと気付く。
「あのさ、雁夜さん」
「ん?」
「何で俺にこんな良くしてくれんの?」
 龍之介の疑問は尤もだった。
 見ず知らずの人間、しかも知り合いの少女を害していたかもしれない―― そしてその少女の友人を実際に殺害目的で誘拐した――龍之介にどうして雁夜がここまで願いを叶えるようなマネをするのか。
「それはね、」
 雁夜は淡い微笑を浮かべたままそんな龍之介の疑問に答えた。
「君に一つ、やって欲しいことがあるんだ」
「対価ってこと?」
「そう。君にしかできないことだからね」
 聞いてくれるかな? と雁夜は続ける。
「君が持ってる令呪を一つ使って、キャスターに命令をして欲しいんだ」
「俺が旦那に命令? ってか、俺、そんなことできんの?」
「できるよ。君の右手の甲に三画の痣があるだろう? それは自分のサーヴァント……君ならキャスターに、強制的に言うことを聞かせることができるものなんだ」
「へぇ。これってそんな効果があったんだ……」
 龍之介は己の手の甲をまじまじと見つめて呟く。
「でも旦那が嫌がるような命令は俺も嫌だな」
「死を体験するよりも?」
「五分五分って感じ?」
「そっか。……じゃあキャスターの意に添わない願いじゃなかったら良いんだね?」
「それならいいよ!」
 龍之介は頷く。
 キャスターが嫌がらない内容なら命じることも否やはない。
「雁夜さんは俺に一体どんな命令をさせたいの? ちゃんと俺に死を体験させてくれるって約束してくれれば、先に雁夜さんの願いを叶えてあげる」
「そう? じゃあお言葉に甘えて……」
 雁夜は龍之介に告げた。
「セイバーがジャンヌ・ダルクじゃないことを冷静に判断し、理解しろ。――― そう命じてくれるかな」
「それでいいの? っつかあの金髪の子ってジャンヌちゃんじゃないんだ?」
「違うよ。本人も、彼女を呼び出した方も、ついでに俺のサーヴァントも保証する。セイバーはキャスターが欲してるジャンヌ・ダルクじゃない」
「そうだったんだ……。でもなんでそれを? セイバーちゃんが旦那に追っかけ回されて嫌がってたり?」
「それもあるけど、セイバーがジャンヌじゃないって理解してくれれば、こちらとしても色々と都合が良くなりそうなんだ」
 まず雁夜の念頭には、サーヴァントを一体たりとも欠かないようにする、というのがある。聖杯戦争中断の原因である聖杯の異常が予想される中、下手に英霊の魂をその杯の中に入れるわけにはいかないからだ。
 しかしキャスターがこのまま魔術の秘匿を無視し、また多くの人間を殺害するというのなら、聖杯のことがあっても現世から退場していただかなくてはならなくなる。現状でもギリギリセーフどころか若干アウトなのだが、これ以上罪を重ねられては庇うものも庇えなくなる。
 そしてそもそも何故キャスターが贄と称して子供達を殺すのか―――。それはセイバーをジャンヌ・ダルクだと勘違いしていることが大きな要因ではないかと、雁夜はこれまでのキャスターの言動を見て思った。
 キャスターがこの現世で幼い子供達を殺すのは、これだけ自分が罪を犯しても裁きが下らないという事実によって神が何もできないことを示すため。セイバーが(キャスターから見れば)ジャンヌとしての記憶を思い出さない≠フは未だ神を信じてその操り人形になっているからであり、神の無力さを示せばセイバーがジャンヌに戻ってくれると思っているかのようだ。
 ならばセイバーがジャンヌではないと理解できたなら、キャスターはこの暴挙を止めるのではないだろうか。少なくともこのままよりは交渉の余地が生まれる。今のキャスターは記憶がないままのジャンヌが現れたと思って、おそらく平時以上に言動に対する枷が弾け飛んでいるだろうから。
(まぁキャスターが青髭で物語通りの人物なら、生前からだいぶ狂ってたってことになるけど)
 とりあえずセイバーのことを諦めさせ、その後の反応を見よう。そしてキャスターの態度如何によって次の対処を考えればいい。最終的な手段としては龍之介から強制的に令呪を奪うという方法もあるのだし。
 サーヴァントシステムを構築した間桐の知識と令呪を自由にやりとりできる聖堂教会の監督役。その二つが揃えば龍之介をマスターの座から引きずり落とし、キャスターを制御できる他のマスターに権限を譲渡させることも容易だろう。
 雁夜がそんなことを考えているとは露知らず、龍之介は提示された願いに「了解!」と返した。







花と冬木の殺人鬼3
※若干グロ。苦手な方はご注意を。



「ああ……ああ、確かに。彼女は我が麗しの乙女ではない」
 龍之介が令呪の一画を消費することによって雁夜からの依頼は達成された。
 もしもの時に備えて、キャスターを(龍之介の協力で)呼び出したのは冬木教会。そこで間桐雁夜、言峰璃正、言峰綺礼、遠坂時臣の立ち会いの元、雨生龍之介が令呪をもって命じたのである。
 結果は想定していた中でも最も面倒がなく好ましいもの―――キャスターが膝をつき、自分のしてきたことが無意味だったのだと悟った。
 最早いくら神を冒涜しても、元よりジャンヌではないセイバーがジャンヌとしての記憶を持つ(思い出す)など有り得ない。この世に現界し、キャスターが成してきた罪は全くの無駄だったのだと。
 意気消沈したキャスターの様子に龍之介は申し訳なさそうな顔をし、すぐさまその傍に駆け寄って慰め始める。
 長身の男が背中を丸めて落ち込んでいる姿はそれなりに同情を誘うものだったが、生憎この場にはそれで何かをしてやろうと思う人間はいない。雁夜が頭の片隅で、そのうちジャンヌを召喚できないか試してみようかなー、とジャンヌ・ダルクに縁のあるキャスター自身を見てふと思う程度だった。
 尚、キャスターの宝具である『螺湮城教本(プレラーティーズ・スペルブック)』は彼が脱力している隙に没収され、聖堂教会預かりとなった。化け物を召喚し戦わせるタイプであるキャスターは、この宝具が無ければアサシンにも劣る戦闘力しかない。これでキャスターの凶行はほぼ打ち止めとなるだろう。
 ともあれ、これでキャスターについてはひとまず終了である。細かい処遇は検討中だが、今後、キャスター陣営にはこれ以上の悪行を重ねないように教会の監視がつく予定だ。龍之介もその対象だが、まず雁夜が彼の願いを叶えるのが先だった。


「じゃあ今度は龍之介くんの願いを叶える番だね」
 一度龍之介を間桐邸に連れ帰った雁夜は刻印虫を全て退かせた蟲蔵でそう告げた。闇の中で蠢く存在を姿は見えずとも何となく感じるのか、龍之介はそわそわした様子で周囲を見渡していたが、その台詞で雁夜の方へと向き直り、無邪気な子供のように目を輝かせる。
 この殺人鬼の片割れを間桐邸に連れて行くと告げた時、時臣達からは危険だと散々反対された。だが最初からこうすることを前提として龍之介の協力を取り付けたのだから、今更止めるというのはルール違反だ。そう答えた雁夜に時臣達は、ならば自分達も同席しているここ(教会)で行えばいいと言ったのだが……。
(さすがに神様の見ている前でやることじゃないからな)
 これから自分が龍之介に対してやろうとしていることを思って雁夜は小さく苦笑する。
「龍之介くんはどっちがいい? 派手な方と静かな方、どちらも一度心臓が止まるくらいのレベルまでやらせてもらうよ」
「派手な方で! 血がどばーって出て、痛くて痛くてたまんねえ方!」
「OK。お望み通りに」
 告げて、雁夜は己の魔力で育てた蟲達を喚び出す。
 翅刃虫よりも二回りほど小さな蟲は強力な顎で敵を噛み砕き食い千切るのではなく、弾丸のように貫く≠アとに特化したフォルムを持っていた。
「あれ? 雁夜さんのサーヴァントは使わねえの?」
「バーサーカーじゃ龍之介くんが死を認識する前に殺してしまうよ」
「そっか」
 異常ながらも当人達にとっては何ら問題ない会話を交わす。
 雁夜が「それじゃあ行くよ」と告げると、龍之介は目を閉じることもなくその瞬間を待った。
 ブゥンともヒュンともつかない音。
 行け、と頭の中で念じるだけで雁夜の使役する蟲達は弾丸のように龍之介へと向かう。今時の若者らしい薄い身体に真っ直ぐ飛んでいった蟲は目で捉えられない速度を保ったまま龍之介の脇腹付近を貫通した。
「……ッ」
 まさに銃弾。
 龍之介は急速に赤く染まり始めた己の腹を見下ろして目を見開いている。
「衛宮さんみたいに銃を使ってもいいんだけど、日本じゃ手に入れにくいし。それにまぁ蟲なら弾切れも起こらないしね」
 雁夜がぽつりと呟く。しかしその声が龍之介に届くことはなかった。
 彼は傷口に手を当て、真っ赤に染まった己の手を見つめながら恍惚とした表情を浮かべていた。
「うっわーきれー。俺の中身ってこんなにも綺麗だったんだ」
 龍之介の内側から溢れ出る赤は早々に足を伝い、石の床に広がりつつある。このまま時間をおくだけで一人の人間は呆気なく死んでしまうだろう。
 しかし。
「もっと赤く染まってみようか」
 告げて、雁夜が第二撃を放つ。着弾の衝撃により龍之介はのけぞり、ふんばりが効かずにそのまま後ろへと倒れた。
「次は? まだ口が利けるならお望みの臓器を引きずり出してあげるってのも可能だけど」
 龍之介とキャスターが自らの工房で幼い子供達に対して行ったことを綺礼から聞き及んでいた雁夜はそう問いかける。ただし別に青年を責めているわけではない。
 この青年にとってあの惨劇は罰ではなくアートだった。そして己の血の美しさに見惚れる彼ならば、おそらく己が作品になることを厭うわけがない。
 現に雁夜の言葉を耳にした龍之介は痛みで無意識に身体を丸めながらも嬉しそうに見上げてくる。
 そして彼が指で自身の身体の一部を指差すと、雁夜は「いいよ」と肯定を返した。
「君の望み通りに」







花と冬木の殺人鬼4



 龍之介が目を覚ますと、そこは見知らぬ空間だった。
 ひと一人に与えられるには大きすぎる部屋と大きなベッド。白いシーツは清潔感に溢れ、龍之介の身体を優しく包んでいる。
「よっと」
 軽い掛け声を一つ。
 何度も何度も身体を穿たれ切り刻まれたのだが、そんな気配など微塵もなく身を起こすことができた。
「……すっげー体験した」
 ぽつりと呟いた直後、ニンマリと口の端が持ち上がる。
 自分が求めていた美は最も近いところにあった。作り物ではないリアルな死はこれ以上無く龍之介を満足させ、目を閉じてあの時の色を衝撃を痛みを熱を思い出すだけで身体が歓喜に震える。
「しかも怪我は完璧に治っちまってんだよな」
 パーツが欠けるどころか痕も何もない。血を大量に失ったはずなのだが、ベッドを降りて絨毯の上に足をつけても立ち眩み一つしなかった。
 これが間桐雁夜の魔術。
 詳しいことなど欠片も解らないが、龍之介は「すげー」という言葉を繰り返し、しきりに感心する。
 と、そんな最中にコンコンと軽いノックの音が響いた。他人の家とは知りつつも「どうぞー」と軽い調子で応えれば、扉の向こうから龍之介の感心の対象である雁夜本人が顔を出す。
「やぁ。もう元気そうだね」
「おかげさまで! 雁夜さん本当にありがとね!」
「どういたしまして」
 入室しながら雁夜は白と黒の双眸を笑みの形に細めた。
「ご満足いただけたかな」
「もうバッチリ!」
 龍之介はすたすたと雁夜に近付き、日焼けなどしたことがなさそうな真っ白な手を取って握りしめる。
「あんたのおかげで本物が見られた! 俺が求めてたのはこれだったんだよ! 今まで色々殺してきたけど、まさかこんなに近くにあったなんて」
「じゃあもう殺人をする必要はないんだ?」
「うーん、ま、そうかな。……うん、そうだね。少なくとも俺の最大の目的は達成できたわけだし。つっても、どうせ今後はあの神父さんかそのお仲間が俺と旦那と見張るんでしょ? だったら当然今までどおりには動けなくなるかな」
「そうだね。まぁ問題行動を起こさない限りは結構自由にさせてくれるだろうけど」
 少なくとも聖杯戦争が一時休戦中の今は各陣営のサーヴァントも消えておらず、ゆえに言峰綺礼(教会側)にはアサシンという監視の目が豊富にある。外に出た際に見張る人手が無いからと言って一カ所に監禁されることは無いだろう。
「じゃあさ、また雁夜さんに会いに来てもいい?」
「いいけど、また死を体験させてくれとかじゃないよな?」
「それは当分大丈夫」
 当分は大丈夫でも長期的にはどうか判らない物言いで龍之介はにこにこと笑う。
「ただ雁夜さんに会いたいだけだから。俺、雁夜さんのその見た目も結構好きなんだよね」
「……あっそう」
 色の抜けた白髪と白濁した左目、色白の――見方を変えれば死人のような――肌。どうやらそういった要素を殺人鬼殿は大層お気に召したらしい。
 雁夜は苦笑を浮かべ頭を縦に動かした。
「いつでもおいで。歓迎するよ」







2012.04.03 pixivにて初出