アインツベルンの森5



「雁夜……。貴方、言峰綺礼と知り合いだったの?」
「一応、あいつは俺の幼馴染の弟子だったから。顔見知り程度ではあるかな」
 舞弥に治癒魔術を施しながら雁夜はそう答えた。
「そう言えば間桐も遠坂も冬木に住んでいるんだったわね」
「幼馴染って関係は本当に不本意でしょうがないんだけど」
 雁夜はもう一人の大事な幼馴染と結ばれた男の顔を思い出して苦々しく口元を歪める。
 言峰綺礼が去った後、雁夜はすぐに舞弥の治療に当たった。それをアイリスフィールが横で眺めている。
 アイリスフィールも相当な魔術の使い手だが、今は負傷しており無理はさせられない。彼女には自身の怪我の治療を優先してもらって、より重傷の舞弥に関しては雁夜が担当しているのだ。
 雁夜は深紅の双眸が己に向けられているのを一瞥して苦笑を浮かべる。
「心配しなくても衛宮さんをあちらに売るつもりはないよ。俺的に神父はそうでもないんだが、あいつの師匠は大嫌いなんだ」
「でも言峰綺礼は令呪が現れたことで遠坂時臣と師弟の縁を切ったんじゃ……」
「まさか」
 雁夜は鼻で笑う。
「今回、遠坂と聖堂教会はグルだ。初戦でアサシンがあそこまであっさりやられたのが良い例。しかもあの戦いの後で衛宮さんは敗退したはずのアサシンの姿を見てる。それに俺の屋敷にも一匹来たよ。神父とアサシンは今もなお遠坂時臣の諜報活動を担ってるんだろう。……まあ、今回の強襲に関しては神父の意志が大きく反映されていたみたいだけど」
「切嗣に会いに来たってやつね」
「そう。でもあいつはきっと、衛宮さんに会えば失望する。あいつは虚無だけど衛宮さんは虚無じゃないだろう? 折角自分と同じ人間を見つけたと思ったのに、蓋を開けれてみれば正反対だ」
 切嗣の望みに共感しているアイリスフィールが力強く頷いた。己の夫はあんな男と同じではないと。
「だから衛宮さんがどうしたいのか、それを聞いてから動くよ。会いたくないって言うなら俺は何もしない。会うって言うならその段取りをしよう。勿論、神父を退けるために協力してくれって言われたら、その通りにするよ。俺としては約束を果たしてくれるなら何でもいい」
 傍らで無言のまま佇むバーサーカーを見上げ、雁夜はそっと口元に弧を刻む。
 最後から二番目まで生き残ったとしてもこの湖の騎士といられるのは精々あと二週間足らず。聖杯戦争が終われば、雁夜の騎士は英霊の座へと還ってしまう。早くから召喚して共に時間を過ごして情が移ったのか、そのことが少し寂しく感じられた。無論、寂しさ云々を差し引いても魔力を吸い上げてくれる存在が消えるというのは花吐き病を煩っている雁夜からすれば困ったことであるが。
「……さて、久宇さんの治療はこんなもんかな。アイリさんは? ちゃんとできた?」
「ええ。問題無いわ」
 アイリスフィールがそう頷いた直後、木々の合間を縫って白銀の鎧と青いドレスの少女が現れた。
「アイリスフィール! ご無事ですか!?」
「セイバー、来てくれたのね。私は大丈夫よ。舞弥さんが怪我をしてしまったんだけど、それは雁夜が治してくれたわ」
「申し訳ありません。キャスターに惑わされず、もう少し早く駆けつけていられれば……」
 大丈夫だと言われても仮のマスターの服装が汚れていることで色々と察したらしいセイバーは、そう言って視線を伏せる。そんな少女に対し、アイリスフォールは美しく笑ってみせた。
「貴女が気に病むことじゃないわ。全員無事だったんだし。……それで、切嗣は」
「ああ、それなら―――」
 セイバーの代わりに雁夜が口を開く。が、言葉を音にする前に静かなバイブ音が雁夜の懐から聞こえだした。メールだ。
「はいはいっと。……衛宮さんから。城はボロボロだけど本人は無事だって。それからランサーのマスターはランサーが連れていったみたいだ。というわけで、セイバーの左腕の傷はまだ治らないよ」
「構いません。ランサーとは正々堂々と勝負して勝ちを取りに行きます」
「それじゃあ一度城に帰りましょう。舞弥さんをいつまでもこんな所で寝かしておくわけにはいかないし」
 アイリスフィールのその言葉にセイバーも雁夜も頷く。雁夜が「バーサーカー」と名を呼べば、それだけで察したランスロットがそっと気を失っている舞弥を抱き上げた。
 セイバーは理性を失っていないように見える黒甲冑の狂戦士の姿に驚愕したようだが、彼女がその鎧の中身について何かを察することは無かった。


 城に戻った雁夜達はその惨状に唖然とした。
 至る所に破壊の跡が見られる城の内部に、このまま拠点にし続けるのは無理だと判断する。夜が明けるまでくらいなら滞在できるだろうが、早く次の拠点に移った方がいい、と。
 そんなわけでセイバー陣営は前もって切嗣が用意していた新しい拠点に移ることになった。雁夜もその移動に誘われたのだが―――
「……悪い。なんか緊急で戻って来いって」
 非常に珍しいことに、疎遠のはずの兄から連絡が入り、雁夜は一度間桐邸に戻ることとなった。







棄権要請



 日付を跨ぐ直前に間桐邸へと戻った雁夜を迎えたのは、連絡を寄越した兄の鶴野だった。
「一体どうしたんだよ」
「……あいつがお前に話があるって」
「爺が?」
 あいつ、という呼称だけで誰のことなのか察する。
 臓硯が今更雁夜に何の用だろう。その疑問が顔に現れたらしく、兄は「知るか」と言ってさっさと自室に引きこもってしまう。
「……」
 兄の背が完全に見えなくなるまで雁夜はその場に立っていたが、やがて踵を返すと、戸籍上の父親の元へと向かった。
(どうせ今の時間帯じゃ桜ちゃんは寝ているだろうし)
 楽しい時間がないのなら、この場に留まっていても仕方ない。さっさと嫌な用事を済ませてしまおう。
 臓硯の話とやらを無視することもできたが、わざわざ鶴野を通して雁夜を呼び戻す程の用件である(なお、臓硯自身からの呼び出しではきっと雁夜は応えない)。この場は大人しく顔を出した方が無難だと判断し、雁夜は眉間に皺が寄りそうになりつつも歩みを止めなかった。
 臓硯の部屋に辿り着くと、形だけのノックはするが返答を聞かずに「入るぞ」と言って入室する。とうの昔に間桐邸の蟲はほぼ全て雁夜の支配下に落ちたが、臓硯が周囲の様子を知ることができるくらいの使い魔は残しているので、わざわざ扉の前で誰何する必要は無いのだ。
 雁夜は視線を窓際のソファセットに向ける。一人掛けの椅子が向かい合うように設置され、その間にローテーブルが置かれていた。臓硯の矮躯は奥の方のソファにあり、雁夜の姿を認めると自身の前の席を杖で指して「まぁ座れ」としわがれた声で告げる。
「一体何の用だ? こっちは聖杯戦争真っ最中で暇じゃないんだが」
 資産家なだけあって座り心地抜群のソファに腰掛け、雁夜は開口一番、嫌味混じりに問いかけた。これくらいの棘ならば臓硯にとってダメージなど皆無だろう。挨拶代わりである。
 しかし雁夜の予想に反し、臓硯は深く考え込むように口を噤んだ。
 様子のおかしい臓硯に雁夜は眉根を寄せる。
 今の台詞の一体どこに黙り込むような要素があっただろうか。聖杯戦争に参加することは別に臓硯にとって不利ではないはず。
 雁夜が(その気はないが)聖杯を取るなら間桐家にとって別に不都合があるわけでもなく、また負けて最悪死亡したとしても臓硯にはまだ蟲が残っており、加えて希有な属性を持つ桜という存在がある。無論、後者の場合は間桐家から『花』という存在が失われてしまうわけだが。
 雁夜は腕を組み、色違いの瞳で戸籍上の父を見据える。
「こんな時間に呼びつけたんだ。さっさと何の用が言ってくれないか」
「……此度の聖杯戦争じゃが」
「ああ」
 やっと口を開いた臓硯に雁夜は軽く相槌を打って先を促す。
 臓硯の落ち窪んだ瞳がチラリとこちらを一瞥し、再び伏せられた。
「雁夜よ。おぬし、聖杯を取るつもりか」
「取れなくはない、と思ってる。しかし臓硯、それがどうした。お前に何か関係があるのか」
 まさか譲ってくれとは言うまいな、と苦笑を混ぜて付け加えると、臓硯はそれに答える代わりに再び雁夜の名を呼んだ。
 そして、
「此度の聖杯戦争、おぬしは棄権せよ」
「……は?」
 聖杯を欲しているはずの爺が言うとは思えない言葉に雁夜は思わず声を上げる。
 だが臓硯は冗談を言っているつもりはないらしく、更に言葉を重ねた。
「聖杯を取るな。むしろ近付くな。間桐から『花』とその魔術回路を失うわけにはいかん」
「それはどういう意味だ。その言い方だと俺が負けて殺されるっていうよりは、聖杯を取った時に何か良くないことが起こるように聞こえるぞ」
 棄権しろというだけなら理解できる。雁夜が聖杯戦争で負けて死亡し、今後一切間桐家に花がもたらされなくなるのを臓硯が忌避していると考えればいいのだから。
 しかしわざわざ「取るな」、更に「近付くな」という言い方は何だ。これではまるで戦争の勝敗ではなく、その賞品―――聖杯自体に致命的な異常があるようではないか。
「……その通りじゃ」
「なに」
 ぼそりと告げられた臓硯の返答に雁夜は眉を跳ね上げた。
「儂はな、おぬしが聖杯を取るつもり無しと思ってこれまで口出しせなんだ。しかし昨夜といい今夜といい……雁夜、おぬしは積極的に戦闘に参加しておる。聖杯を本気で欲しているようにしか見えんのだ。しかしそうであっては困る」
「……」
 雁夜は今も昔も聖杯を取るつもりはなかったが、確かに戦争開始からこちら、外部の者から見れば雁夜は聖杯を取りに行っているようにしか見えない。しかも圧倒的な戦闘力を誇るバーサーカーと魔力の枯渇を心配しなくていい体質のマスターという組み合わせだ。これでは「取るつもりはない」という方が嘘に聞こえる。
 雁夜が無言で先を促すと、臓硯は小さく息を吐き出して口を開く。
「まずは前回の……第三次聖杯戦争で何が起こったかを説明せねばなるまい」

 そう言って臓硯から語られた事実により、雁夜は聖杯の現状を知った。







停戦命令



 『この世すべての悪(アンリマユ)』
 第三次聖杯戦争でサーヴァントとして現界したその存在により、本来無色の魔力をたたえているはずの聖杯は黒く穢れてしまった。ゆえにこの第四次聖杯戦争では降霊した聖杯がどんな効果をもたらすか分かったものではない。
 臓硯の話だけでなく、屋敷に所蔵されていた書物、そして遠坂の家にも連絡を取ってアンリマユが召喚されていたという裏付けを得た。なお、この事態を御三家のうちで誰よりも知っていたのはアンリマユを召喚したアインツベルンであるはずなのだが、長であるアハト翁が沈黙を保ち、また切嗣やアイリスフィールが本気で聖杯を取ろうとしている――つまり何も知らされていない――様子を見て、彼らには連絡を控えさせてもらった。
 それが、雁夜が臓硯に呼び出されてから夜が明けるまでの出来事。
 そして一夜明け、雁夜は一睡もしないまま今度は冬木教会へと赴いていた。
 信徒席にいるのは雁夜の他に、遠坂時臣、言峰綺礼、言峰璃正。雁夜が教会に辿り着いた時にはもうその全員が揃っていた。
「聖杯が穢れているとなると、このまま聖杯戦争を続けるのは危険だ」
「確かに。願いが純粋な形で叶えられるとは言いにくい」
「でしたらここはひとまず中断という形を取り、更に詳しい調査を進めるべきではないでしょうか」
 璃正、時臣、綺礼の順に発言する。雁夜が無言でそれを聞いていると、時臣がこちらに視線を向けて「君はどう思う」と問いかけてきた。
 無論、反対する理由はない。
 元々聖杯を欲してマスターになったわけではなく、あえて願いを挙げるとすれば、魔力が花となって溢れ出す頻度を下げること。―――つまり既に叶っているものだ。むしろ中断という形でサーヴァントが現世に留まる期間が長くなるなら、それは忌避どころか雁夜の望むところである。
「俺もそれでいいと思う。ただ注意すべきはアインツベルンの反応だ。アンリマユのことを黙っていたアハト翁はもとより、セイバーのマスターも別の意味で何かしてくるかもしれない。あっちの願いはどうやらかなり切羽詰まったものみたいだからな」
 雁夜の望みは特になく、時臣の望みは根源に至ること。根源に至るのは何も時臣の代でなくとも良いという考えを本人が持っている。ライダーのマスターとランサーのマスターは聖杯に託す程の願いなど無くただ己が栄誉のためで、キャスターのマスターは偶然サーヴァントを呼び出したのみ。綺礼もまた願いは見つけられていない。
 しかしセイバーのマスター、衛宮切嗣はどうしても自分が叶えたい願いを持っている。彼らと共に時を過ごした雁夜にはそんな予感があった。
「つまり中断ならまだしも完全な中止にでもなった時には……ということか」
「そう」
 時臣の言葉に顔をしかめながら頷いて雁夜は続ける。
「とりあえず、中止はしないかも、みたいな雰囲気で説明しておくのが無難だろうな。あと問題なのがもう一組」
「キャスター陣営ですね」
 綺礼が雁夜の言葉を繋いだ。
「キャスターことジル・ド・レェはセイバーをジャンヌ・ダルクと勘違いして追い回しているようですが。それとマスターは快楽殺人者であり、こちらの言うことをまともに聞き入れるとは思えません」
「狂っちゃってるサーヴァントは英霊の座にお帰り願うしかないのかな……。こんな状態で聖杯に英霊の魂を捧げるのは控えたいんだけど。それにマスターの方もちょっと会ってみないと判断したくない」
「まさか雁夜、キャスターのマスターに会うつもりかい?」
「可能なら会話もしてみようかと。判断はそれからするさ」
「危険だ」
「バーサーカーを傍につけておく」
 時臣の心配をあっさりと切り捨てる雁夜。さてこいつは何に対して心配しているのやら、と胸中で独りごちる。幼馴染か、同業者か、はたまた花か。
 ともあれここ最近幼い子供を中心に攫っているキャスター陣営だが、それでも大事な子供に手を出されていない雁夜はまだ寛容な態度を取ることができた。
 雁夜は時臣から視線を外すと、次いで璃正に問いかける。
「では監督役、貴方に最終決定を下していただきたい。ひとまず聖杯戦争は中断だと参加者に通達する方向で?」
「それしかあるまい」
 頷き、璃正は監督役として宣言した。
「聖杯戦争は一時中断する。すぐに知らせを出そう」







2012.04.20 pixivにて初出

鶴野お兄ちゃんが相変わらずツンで心が折れそうです。雁おじの。