倉庫街1(間桐邸にて)



「ん? これは征服王からの招待と受け取るべきなのかな」
 前回と同様に視蟲を通して第四次聖杯戦争の第二戦―――海浜公園の西側にある倉庫街で行われている戦いを覗き見ていた雁夜は、セイバーとランサーの決闘に乱入してきたライダーの言を受けてニヤリと口元を歪ませた。
 サーヴァントのみを戦わせて姿を見せないマスターは臆病者、またサーヴァントの方は腰抜けでないならば聖杯に招かれた英霊として姿を見せろ、と自身の真名を明かして征服王イスカンダルは闇に叫ぶ。
 こんな世迷い言に応じて姿を見せる必要などどこにもない。余程プライドの高い者ならば別だろうが、聖杯を求めるマスターとして戦いに参加するなら、この場はイスカンダルを嘲笑って静観しているのが一番の手だろう。
 しかし。
「折角聖杯戦争が始まったのにお前が戦わないってのもなぁ。どうせなら戦って俺の魔力をおもいっきり消費してもらうってのも良いと思わないか」
 傍らに控えるランスロットに向かって雁夜は小首を傾げてみせる。その動作につられて、先程まで嘔吐していた花の一つがなんとか引っかかっていた襟元から絨毯の上へふわりと落ちた。
 元々聖杯などそっちのけでこの花を吐き出す前に魔力を消費するよう、英霊・ランスロットはバーサーカーとして召還された。しかし現状は――花の嘔吐回数は確かに減ったのだが――ランスロットが現界している程度ではまだまだ充分とは言えないレベルである。
 蟲達に与える分の花が必要量確保できている以上、花の嘔吐回数は極限まで少なくしたいというのが雁夜の望みだ。ならば舞台が用意されているのだから、更なる魔力消費として戦いに興じてみるのも一つの手かもしれない。
「ですがカリヤ、戦いには参加しないおつもりでは?」
 半日前に間桐邸を訪れたアサシンへはそんなことを言っていたはず。向かってくる敵には容赦しないが、基本的にこちらから仕掛けることはないとランスロットは思っていたのだが……。
「誰もこちらから一切仕掛けないとは言ってないんだなーこれが。聖杯を取らない程度≠ノ動き回るなら、約束を違えることにもならないだろう」
「そう来ますか」
「俺は最初からこの一つの目的のために動いてるんだけど?」
「確かに。ならば早速……」
 自分一人だけで倉庫街へと向かおうとするランスロットだったが、その背に待ったがかけられる。追加の命令だろうか。それとも激励の一つでも賜われるのだろうか。
 振り返り、加えて片膝まできちんと床につけてランスロットは騎士の礼を取った。
「何でしょうか、カリヤ」
「俺も連れて行け。どうやらマスターが姿を見せないっていうのも臆病者に数えられるようだし」
「なっ!? しかしカリヤの身に万が一のことでもあれば―――」
「大丈夫だって」
 雁夜に傷の一つでもつけば、騎士たるランスロットは決して己を許せないだろう。生前仕えた王とは違い、今の主はランスロットにとってそういう対象だ。他者が雁夜を傷つけるなど決してあってはならない。許せない。認めない。
(カリヤを傷つけてもいいのは……)

「万が一なんて有り得ない。何者からもお前が守ってくれるだろ?」

 ランスロットが頭の中で己の思いを明確な形にする前に雁夜がにこりと微笑んだ。重ねるように「な?」と言われれば、ほとんど無意識で首が縦に動いている。
「―――はい。カリヤを必ずお守りします」
「期待してる。それじゃあ行こうか」
「御意に」







倉庫街2(花と魔術師殺し)



 倉庫街の海側、コンテナが積み上げられた山の隙間から衛宮切嗣はセイバーとランサーの戦いを見つめていた。とは言ってもライダーの乱入によりその戦いは一時的に中断されている。
 彼らの戦いを最も良く監視できるであろうデリッククレーンの鉄骨の上には一番最初に敗退したはずのアサシンの姿があった。それゆえにこの膠着状態の中でランサーのマスターらしき人間を発見しても切嗣が今すぐ射殺するというわけにはいかない。
「……」
 もどかしさを覚えつつもアサシン、そしてセイバー・ランサー・ライダーの動向を見張っていると、ライダーが大声で安い挑発をし始めた。曰く、セイバーとランサーの戦いを見ておきながらこの場に姿を現さない英霊は腰抜けで、姿を見せないマスターは臆病者なのだそうだ。
 こんな馬鹿らしい挑発にどこの誰が乗るというのか。切嗣は呆れ半分に溜息を零す。
 しかしライダーの呵々大笑が収まると同時、倉庫街にまばゆい黄金の光が現れた。この場でこんな出現の仕方をするのは聖杯により呼び出されたサーヴァントしかない。
 果たして、高いポールの上に現れたのは黄金の甲冑を纏った赤い瞳の英霊・アーチャー。ライダーの挑発に乗ってしまうくらい高いプライドの持ち主であるらしく、遠坂邸にてアサシンを一瞬かつ圧倒的な力で屠った黄金のアーチャーは己が真の王であると称し、同じく王を名乗るセイバーやライダーに殊更怒りの視線を向けている。
 聖杯戦争二戦目にして四体もの英霊が一堂に会すのは異例中の異例だ。これからどんな混戦が待っているのか、唯一の負傷者――つまりバトルロイヤル状況下では真っ先に標的にされ易い――セイバーのマスターである切嗣の脳裏には嫌な予感がよぎり、舌打ちはしないまでも眉間にはくっきりと皺が寄る。
 そんな時。
「……ッ!?」
 切嗣は息を呑んだ。自分がスコープ越しに見張っている四体の英霊よりこちら側でもう一つの気配が増えたのだ。この魔力の強さは一介の人間のものではない。つまりこの場には四体どころか五体――アサシンを含めると六体――の英霊が集合したことになる。
 気配が発生してすぐ、切嗣以外の者達も揃って黒いもやが蟠っているその場に視線を送った。警戒と緊張の視線の中、もやが晴れ―――

「ありゃ。時臣のサーヴァントの方が先に到着してたんだな」

 それは黒と白だった。
 幾分もやが晴れて現れたのは、黒い甲冑の騎士と真っ白な人間。人間の方が戦場にそぐわぬ穏やかな声を出す。白い髪と白い肌、深緑の着物の上に濃い紫の羽織を引っかけた出で立ちのその人間を、切嗣は事前の調査で既に把握していた。
「間桐、雁夜……」
 ぽつりと口に出したのは始まりの御三家の一つ、間桐家の次期当主とされている人間の名前。あの男が患っている奇病についても切嗣は調査済みである。そして彼の傍らに侍る黒甲冑のサーヴァントは消去法でバーサーカーとしか考えられない。
 とうとう狂化による能力アップとその使役に耐えられるだけの膨大な魔力がセットで現れてしまった。
 ただでさえ最も不利な立場にいるのが自分達の陣営だと言うのに、ここで更に増えた強敵の存在に切嗣は歯噛みする。これはもうアサシンに切嗣の存在がバレるのを承知の上でランサーのマスターや雁夜の頭を己の銃で撃ち抜くしかないのだろうか。
 スコープに雁夜の姿を捉えながら切嗣は思考を巡らせた。その間にも雁夜は複数の視線を受けながら全く臆した様子もなく口を開く。
「征服王イスカンダル。アンタの誘いに応じて来てみたんだが、そっちのアーチャーの方が早かったみたいだな。それでもまだ遅れたことにはならないか?」
 語りかけられたライダーはその台詞に一瞬だけ目を丸くし、そうして思い切り大声で笑った。
「おうおう、充分だ! なんとも面白いマスターよのぅ。して白髪の貴殿は名を何という?」
「俺は間桐雁夜。ご覧の通りバーサーカーのマスターだ。アンタの軍門に下るわけにはいかないが、よければウチのサーヴァントの相手もしてやってくれないか」
 雁夜がにこりと微笑めば、黒い甲冑のサーヴァントが一歩前に出る。途端、セイバーとランサーの二人が警戒心を更に引き上げてそれぞれの得物を構えた。相手は狂化により理性を失った力だけの化け物だ。ライダーのように会話をしている暇もなく襲いかかってくるはず、と。
 しかし微笑みを浮かべていた雁夜が急に顔をしかめ、そうかと思えばゲホゲホと咳き込み始めた。苦しそうな主の様子に狂化属性を付与されているはずの黒いサーヴァントがセイバー達を無視して振り返る。
「ッ、……俺を心配してるなら、さっさと魔力を使っ……う、ぁ」
 台詞を邪魔するように雁夜の口から零れ落ちたそれ≠ノ、事前知識を持っていた切嗣も彼以外の何も知らなかった者達も皆一様に目を見開いた。
 夜の闇の中、外灯に照らされて間桐雁夜が吐き出したのは鮮やかな花。種類も色も様々な花がぽろぽろと吐き出され、地面に広がっていく。その光景は何とも言えない引力を持ち、目を離すことができない。
 誰も何も発することができず、ただ己が息を呑む音を自覚するばかり。特にサーヴァント達やホムンクルスであるアイリスフィールなどはその花から放たれる魔力の気配を甘い匂いとして強く感じ取っており、花の正体を知らぬままでも本能的な欲求が腹の中で渦を巻く。あれが欲しい、あれはきっと美味なものだ、と。
 人間の魔術師としてその甘い匂いを感じ取れる距離にはいない切嗣だったが、それでも雁夜が花を吐き出す姿には一瞬だけ呼吸が止まっていた。
「……いいな」
『切嗣?』
 ぽつりと無意識に零れた言葉に反応して切嗣とは別の場所で目を光らせている舞弥がインカムの向こう側から怪訝そうな声を出す。
『どうかしましたか』
「いや、なんでもない」
『ならばいいのですが。それで切嗣、間桐のマスターに関してはいかが致しましょう』
「まずは様子を見よう。ライダーかアーチャーと戦い始めてくれるならその隙にアイリ達を退かせる。ランサーを相手に選んだなら加勢してあの厄介な槍を折ってしまいたいな」
『セイバーが狙われた場合は』
「バトルロイヤル形式だとその可能性が一番高いんだが……」
 雁夜の言葉や態度を思い出して切嗣は続けた。
「あちらはどうやら遊びに来ているらしい。憎らしいほど余裕だな。ともあれ、それなら負傷しているセイバーを真っ向から狙うこともないだろう」
『了解しました。ですが厄介ですね。バーサーカーのマスターが花吐きとは』
「ああ」
 間桐雁夜の花吐き病について事前に伝えていた舞弥からのその言葉に切嗣は頷く。
「だが花吐き病患者は魔術師としてかなり手元に置いておきたい存在ではあるな」
『それはバーサーカーのマスターと同盟でも組むという意味でしょうか』
 魔力を生み出す人間を手元に置く、つまりその者と何らかの手段で交流を持つ意味と捉えたらしい舞弥が問いかけた。切嗣は「同盟、か」と小さな声で呟いた後、声を出さずに口の端を持ち上げた。
(そうじゃない。手元に置きたい≠だよ、舞弥)
 切嗣は夢想する。
 もし間桐雁夜が自分のすぐ傍にいたならば。セイバーは魔力を大量消費するサーヴァントではないが、それでも魔力が潤沢に供給されるに越したことはないだろう。切嗣も魔術師としての分野でセイバーへの魔力供給と自分自身が扱う魔術の両方に思う存分魔力が割ける方が良いに決まっている。しかしそれよりも何よりも―――
(ただ欲しいんだ。あのどうしようもなく惹かれる生き物が)
 切嗣の愛する妻とはまた違う白い髪。黒曜石の右目と白濁した左目。白い肌と薄い唇。
 カラーリングを除く容姿は決して飛び抜けたものではない。一つ一つのパーツは整っていようとも、街の雑踏に紛れてしまえば判らなくなるような顔だ。アイリスフィールの方が何倍も美しく、人目を引くだろう。しかし苦しげに魔力の結晶を吐き出す姿には、切嗣の妻にも部下の舞弥にも無い『目を奪われる何か』があった。
『切嗣』
 言葉を返さない切嗣の名を舞弥が呼ぶ。それに「何でもない」と返して切嗣は再び意識と視線を戦場へ向けた。
「とりあえず動向を見守ろう。アサシンがいる限り、僕達は安易に動くわけにもいかないからね」







倉庫街3(花と黄金の弓兵)



「失礼。実は俺、花吐き病を患っていてね。バーサーカーが戦い始めてくれればこうして場の空気を白けさせることも無くなると思うんだが……」
 ぽろぽろと色鮮やかな花を吐き終えた後、間桐雁夜は申し訳なさそうにそう言ってのけた。アイリスフィールは彼が言う「花吐き病」なるものを全く知らないのだが、それがこうして甘い香りの魔力の花を吐く現象を指すならば、決して恥じることではないと思う。
(だってすごく綺麗だったんだもの)
 まさしく『嘔吐』しているのだから、当人としてみれば決して良いものではないのだろう。苦しみに涙を浮かべ、胸を押さえてうずくまる程のものだ。しかし第三者から見た雁夜の姿は甘い香りと相まって得も言われぬ魅力的なものに映った。
 そう感じているのはアイリスフィールだけではないようだ。現にセイバーもランサーもライダーもアーチャーも、誰一人として無防備だった雁夜に攻撃を仕掛けなかった。言葉すら発さず雁夜が花を吐く姿を見つめていたのである。雁夜本人はそれを場が白けた≠ニ思っているようだったが、そんなことはない。
「……で、どうする? ここは五人一気にバトルロイヤル? それとも一対一で戦うか?」
 嘔吐のため目尻に浮かんでいた涙をさっと拭い、ケロリとした顔で雁夜は尋ねてくる。片方が白濁した双眸でぐるりとマスターやサーヴァント達を見渡し、「さあ、どうする?」と笑顔で問うてくる姿には余裕しか感じられない。だがそんな姿を嫌味に感じないのは邪気を含まない微笑と先程見せた花吐き行為の余韻がある所為か。
「そこな雑種。貴様、面白い病を患ってるとのことだが、花に見えるそれは本物か?」
 雁夜の視線を受けて一番最初に口を開いたのは傲慢な黄金の王、アーチャーだった。
 しかしその声はセイバー達に向けられたものより随分刺々しさを潜めている。
「いや、これは俺が抱えきれなかった俺自身の魔力の結晶だよ」
「魔力の結晶……。だからそんなにも甘い匂いがするのだな」
「俺自身は判らないし、人間の魔術師にもあまり匂いまでは判らないみたいだが、どうやらそうらしい。俺のバーサーカーもこの花の匂いは甘いと言うしな」
「ほう」
 たった二文字の返答だったが、共にアーチャーが浮かべた表情はその心情をつまびらかにしている。他者を「雑種」と称するとおりゴミでも見るような目で周囲を睥睨していた黄金の王は、雁夜に対し他とは異なる視線を向けていた。
 まだ興味を持った£度かもしれないが、それは明らかな違いである。この場でアーチャーが初めて見せた好意の類だ。しかし、
「貴様、雁夜と言ったな。その花を我に譲れ」
 傲慢な部分は相変わらずなのか、アーチャーは花を譲られることが当然であるかのようにそう続けた。言われた雁夜は花の一つを指で摘んで「これを?」と首を傾げる。
「魔力ならお前のマスターが与えてくれるだろう? お前、遠坂時臣のサーヴァントだろ。何故わざわざ敵である俺から貰おうとする」
「ふん、時臣が我に充分な魔力を貢ぐのは当然のこと。それに我は魔力が欲しくて貴様の花を欲しているわけではない。ただ我が興味を抱いた、ゆえに貴様はそれを献上する。これは当然の摂理であろう」
「なんつーか本当に王様な奴だなぁ」
 アーチャーの言い分に雁夜は苦笑を浮かべる。そしてそのまま、笑みを保持して、

「却下」

 ぐしゃりと片手で花を握り潰した。
「なんだと?」
「だから、却下。お前は時臣(俺の敵)のサーヴァントだ。何の対価も無しに欲するものを与えるわけにはいかない」
「貴様、我が命じておるのだぞ!?」
「お前が一体どこの何様だろうと俺の知ったこっちゃないね。それともアーチャー、お前の真名は俺が思わず従ってしまうくらい立派なものなのか?」
 だったら言ってみせろ、と言外に雁夜は告げる。その傍らにはしっかりと黒甲冑のサーヴァントが侍り、油断なく主を守り続けている。
「真名を明かして俺を平伏させるつもりが無いなら……そうだな、俺のバーサーカーと戦って勝ったら考えようか」
「……その言葉、しかと聞いたぞ」
 アーチャーの唇が好戦的につり上がる。
 そしてアーチャーVSバーサーカーが始まった。







2012.02.26 pixivにて初出