花と守護者



「アサシンが遠坂邸で撃破された……第四次聖杯戦争開始ってわけだ」
 使い魔である視蟲から得た視覚情報に、間桐雁夜はそう呟いた。
 冬の気配が強い晩秋の夜。間桐邸のリビングでソファに腰掛け、膝に幼い少女―――桜を乗せたいつもの格好で雁夜は小さく笑う。
 雁夜に寄りかかってほんのりと温もりを伝えてくる桜は、夜も更けていたためしっかりと目を閉じている。そんな養女を起こさないよう彼女の黒髪を優しく梳きながら雁夜は傍らに侍る己のサーヴァントへと語りかけた。
「お前にも見えたか? バーサーカー。どうやら時臣は随分派手な英霊を喚び出したらしい」
「はい。ですがあれは一体どういう仕組みでしょうか。アーチャーが放った刀剣類は両手の指の数を軽く越えています」
 サーヴァントとして召還された英霊には宝具がある。それは英霊の伝説により一つであったり複数であったりするわけだが、多くとも3、4個といったところだ。しかしこの度、雁夜の視蟲を通して見た光景はその常識を大きく裏切っていた。遠坂邸に侵入したアサシンに向かって放たれた武器の数は、バーサーカーことランスロットが言うとおり、二十近くあったのである。
 己がザーヴァントの疑問に対し、雁夜は「そうだなぁ」と考えを巡らせた。
 時臣がアーチャークラスのサーヴァントを喚び出したのはここ一週間以内だと思われる。よって雁夜はあの男のサーヴァントの真名を知らない。しかし聖杯戦争におけるサーヴァントシステム構築者の血筋である彼にはある程度の予想をつけることができた。
「少なくともあの剣の一本一本がアーチャーの本来の宝具ってわけではないんだろう。おそらくあのアーチャーの宝具は概念寄り……宝具レベルの刀剣類を引き出してくる元≠ェ金色のアーチャーの宝具なんだと思うよ」
「保管庫のようなものですか?」
「かもな。ま、お前にとっちゃそう驚異でもないだろう?」
 艶やかに微笑みながら雁夜はランスロットを見上げた。
 アーサー王伝説に名を連ねる『湖の騎士』には『騎士は徒手にて死せず(ナイト・オブ・オーナー)』がある。その手に持った武器(と認識できる物)を自身の宝具として扱えるようになる特殊能力だ。それがあるため、あのアーチャーのように武器を無限に出現させることができる相手などは、苦手どころかむしろ得手と言ってもいい。
 雁夜の問いかけに似せた確信の言葉にランスロットは頷く。問題ありません、と。
「アーチャーであろうと他の何者であろうと、貴方とサクラには傷一つ付けさせません」
「期待しているよ、俺のバーサーカー」
 桜の髪を梳いていた手をすっとランスロットへ伸ばし、白い繊手で雁夜はサーヴァントの頬を撫でる。
「俺から積極的に敵を潰すつもりはないけど、桜ちゃんの害になるような輩は絶対に許すな」
「Yes, my master.」
 雁夜の手を取り、二画だけの令呪が浮いた手の甲に唇を落として騎士は厳かにそう答えた。
「貴方が望むままに」



□■□



「ところで倒された方のアサシンだけど、マスターは言峰綺礼だったか。じゃああれはブラフだな」
「しかし現にアサシンは消滅したように見えましたが……」
 聖杯戦争を勝ち抜くためではなく己に降り懸かる火の粉を払うためだけに戦況を分析するマスターにランスロットはそう返した。
「分身でも使えるんじゃないか? 複数のアサシンを一回の聖杯戦争で喚び出すことはできないけど、最初から複数に分かれられる英霊がいるのかもしれない。そう考えると、言峰綺礼があんなにも分かりやすい形でアサシンを消費した理由も予想がつく」
「一体何の理由で」
「アサシンの特性を考えてみろ。あんなにも隠密行動に適したサーヴァントはいない」
「と言うことは、今後アサシンは死を装ったまま他のマスター達に気付かれぬよう情報収集をするというわけですか」
「プラス、必要ならマスターの暗殺までするんじゃないか。そもそも暗殺者(アサシン)なんだし」
 そう考えておけば対策なんていくらでも取りようがある、と雁夜は口元を歪ませる。
「時臣の奴が神父に命じて真っ先に俺の命を狙ってくるとは思えないが、万が一のこともあるからな。他のサーヴァントと同様に、アサシン相手でも警戒を怠るなよ、バーサーカー」
「承知しております」
 今回の聖杯戦争で――公にはされていないが――遠坂時臣と言峰綺礼は同盟関係にある。正確に言えば聖堂教会の意向により綺礼が時臣を勝たせるために協力している。よって綺礼は時臣の命令があれば情報収集も暗殺も何でもやるだろう。ただし遠坂時臣が雁夜の命を狙う可能性は低いと、時臣の人となりをそれなりに知っているランスロットは雁夜と同じように思う。
(しかし言峰綺礼という男がどう出るかはまた別の問題だ)
 綺礼が時臣の意に反することを仕出かす可能性は決してゼロではないのだから。
 ランスロットは愛おしそうに桜の髪を再び梳き始めたマスターを見つめ、それが当然の摂理であるように心の中でそっと誓いを立てた。
(貴方を害する何者からも私は貴方を守りきる)







花と守護者と暗殺者



 アサシンは非常に戸惑っていた。確かに己は聖杯戦争に招かれる英霊としては最弱と言っても過言ではないクラスである。しかし戦闘能力が低い代わりに隠密行動は他の英霊など全く及ばない境地にある。加えて此度は自分達の一人≠消費して死を装っていた。普通ならば事情を知らないマスター達は全くアサシンの存在を警戒したりはしないだろう。
 にも拘わらず。

「やぁようこそ、ハサンの名を持つ英霊殿。急ぎでなければお茶にでも付き合ってくれないか」

 その屋敷に侵入して敵対するマスターの様子を探ろうとしたところ、幾ばくもしないうちに敵サーヴァントに発見された。しかもそのまま生け捕りにされ、連れて来られたのは屋敷の中―――あろうことか客間だ。
 火が灯された大きな暖炉があり、ローテーブルをソファが囲んでいる。その暖炉に一番近い場所に腰掛けていた人物が連れて来られたアサシンを見ての第一声が先述のものである。
「うちのサーヴァントは無礼なことをしなかったかな? 君は一応知り合いの所の英霊だからなるべく丁重におもてなしするよう言ってあったんだけど」
 両手を後ろに捻り上げた状態で連行されてきたアサシンに対し、ソファに腰掛ける人物はいけしゃあしゃあと言ってのけた。年齢にそぐわぬ真っ白な髪の下で、正常な右目と濁った左目が微笑みを浮かべる。
 白髪の人物―――間桐邸に住まう次期当主にして此度の聖杯戦争でマスターの一人となっている間桐雁夜は己の様子を探りにきた侵入者に「どうぞ」と近くのソファを勧めた。否、座るよう強制したと表現した方が正しいだろう。アサシンの背後で両腕を捻り上げている男――バーサーカーとして現界したにも拘わらず狂気を取り除かれたサーヴァントだろう――に雁夜が一瞥をやれば、紫の髪をしたその男は捻り上げる力を強くして勧めたソファの方へ誘導したのだから。
 アサシンがソファに腰を下ろすと、雁夜は感情を悟らせない微笑を深めてみせた。
「神父の命令……いや、時臣が上にいるか? ともあれあいつらの命令で我が家に来たって認識で間違いないかな」
「……」
「沈黙、か。だったら勝手にそう思っておくさ」
 気分を害した様子もなく、ただ少しだけ「しょうがないなぁ」と言いたげに息を吐き出す雁夜。その斜め後ろではアサシンを座らせたのち移動したバーサーカーが睨みを利かせている。鋭い視線の理由は、警戒と、おそらくは己の主の質問に答えない侵入者への苛立ちだろう。この忠誠心、アサシンの知るどこぞの主従とは違ってまさしく主(マスター)と従(サーヴァント)のあるべき姿だと思う。
 そんな目の前の主従だったが、突如として雁夜の方が咳き込み始めた。激しい咳は嘔吐へと代わり、状況が飲み込めないアサシンは白い仮面の下で目を丸くする。
 そして―――
「かは……っ」
 背中を丸めた雁夜の口元から零れる極彩色。着物姿の雁夜の脚の上にふわりと落ちたのは沢山の色鮮やかな花だった。小さなその花々の甘い香りがアサシンの方にまで漂ってくる。
 一瞬、そのえも言われぬ香りに意識を奪われてしまったアサシンだったが、すぐに気を取り直してバーサーカー主従へと視線を戻す。そして言葉を失った。
(なんだあのサーヴァントは)
 苦しむ主の背を撫でて声をかけるバーサーカー。その手つきも声音も本当に相手を労るものだ。しかし愁いを帯びた端正な顔には歪んだ笑みが広がっている。いけないとは解っていても御馳走を前にした狗ならば、こんな顔をするのかもしれない。
「カリヤ」
 バーサーカーがそっとマスターの名を呼ぶ。焦がれるような声には心配と、懇願。何を、と目的とする言葉を口にせずともサーヴァントの望みが解っているのか、雁夜は吐き気が収まると己の膝上に落ちた花を一つ摘み上げてバーサーカーの口元へ持っていった。
「いいよ」
「ありがとうございます」
 そのまま、口を開いたバーサーカーが手ずから花を食べる。まるで滴り落ちる見えない蜜を追うように雁夜の指先を舐めて名残惜しげに離れていく様は、見ている者の顔の熱を上げてしまうほどの何かが含まれていた。
「……そんなモン食って美味いか?」
「ええ。雁夜の魔力は最高です。味も、それに人間には判りにくいでしょうが香りも」
 そうでしょう? とバーサーカーの視線が同じ英霊であるアサシンを向いた。
 何のことかと思ったが、アサシンの感じている花の甘い香りを指していると気付いて、その花の正体を理解する。雁夜が吐き出した花はただの花でなく、魔力により形作られた物なのだろう。道理で今にも喉を鳴らしてしまいそうなほど魅力的な香りを放っているわけだ。
「ふぅん」
 バーサーカーの言に雁夜は短くそう返し、次いでアサシンへと向き直る。
「話を中断してすまなかった。こればっかりは俺じゃどうにもならない症状なんでね」
 花を吐く行為を病と称して雁夜は口元を歪めた。
「で、本題に戻るわけだけど。君を此処に寄越した人物が時臣か神父だと仮定して、そいつに伝えてくれないかな。俺の様子が知りたいなら自分で来いって」
「カリヤ、貴方は侵入者をこのまま帰すおつもりで?」
「ああ」
 口を挟むバーサーカーに雁夜は事も無げに答える。美形のサーヴァントは不満そうな顔をしたが、それが主人の意志なら従うらしい。「わかりました」と目礼する。
 主従のやりとりに内心でほっとしながらもアサシンは首を傾げた。敵サーヴァントを屠るチャンスをどうして無駄にするのだろう、と。そしてついに口を開く。
「貴殿は聖杯を取る気が無いのか」
「聖杯?」
 おかしなことを聞いたとでも言いたげに雁夜は答えた。
「要らないよ。だから君を殺すつもりもない。聖杯はそっちで勝手に奪い合ってくれ」
「そう仰るならまずは貴殿が自らのサーヴァントを手放すか、自害させるべきかと」
 聖杯戦争に参加する気がないならさっさと白旗を揚げてしまえばいい。そう告げるアサシンに雁夜は「とんでもない!」と反論する。
「折角俺の魔力を食ってくれる存在が現れたんだ。なるべく長く現界してもらわなきゃ困る。だから俺は最後から二番目に消えるサーヴァントのマスターになるつもりだよ。それに聖杯にマスターとして選ばれた者は自分のサーヴァントを失っても命を狙われる可能性が高い。何せもしマスターを失ったサーヴァントが現れたりしたら、その新しいマスターになる第一候補になってしまうからね。どうせマスターとしてでもマスター候補としてでも命を狙われるなら、サーヴァントという強力な自衛手段を持っている方が良いだろう?」
 すらすらと述べられた理由にアサシンはすぐに反論を思いつくことができなかった。アサシンの沈黙に満足したのか、雁夜は腿の上に花を散らして甘い香りを漂わせたまま、その香りと同じくらい蠱惑的に微笑む。
「じゃあ質問にも答え終わったということで、そろそろお帰り願おうか。出口は判る? 判らないならバーサーカーに案内させるけど」
「……」
 言葉は発さず、アサシンは首を横に振った。そのまま立ち上がるのと同時に雁夜からは「そう」と穏やかな声がもたらされる。
「伝言の件、よろしく頼むよ」
 その声を背後に聞きながらアサシンは姿を消した。霊体化してもなお、雁夜が花を吐き出してバーサーカーがマスターの手ずから魔力の花を食す一連の光景を思い出し、ぞくりと肌を泡立たせながら。
(あんなものが美しいなどと……そんなこと、思うはずもない。思うはずが―――)





(……―――嗚呼、あの美しい花はどんな味がするのだろう)







2012.02.18 pixivにて初出

考えてみると、花吐き雁おじだとリアルに俺のバーサーカーは最強なんだ状態でした。英霊として元々かなり強い+花吐きおじなので魔力多+狂戦士クラスでの召喚により能力底上げ=なにこれチート。そして後半はうっかりアサシン→雁夜。