花吐きのマスター
バサカと雁夜。(※真名バレと黒甲冑キャストオフ注意)



 サーヴァントとは聖杯戦争で勝ち抜き、マスターに聖杯を捧げるために召喚される英霊である。しかし狂化属性を付与されバーサーカーのクラスとして現界した『彼』は、マスターの名を知るよりも先にこう告げられた。

「聖杯はいらない。お前の役目は俺の魔力を消費すること。以上だ」

 ちなみにその最初の一言は『彼』が狂化属性により意思疎通が不可能な状態だったため、その場で理解することはできなかった。マスターである男もすぐさまそれに気付いたらしく、『彼』が通常の思考を取り戻した時にはマスターの右手の甲にある令呪の一つが既に消費された状態だった。どうやら令呪を用いてステータスを維持したまま理性を取り戻させたらしい。
 その後、『彼』のマスターは大事なことなので先述の台詞をもう一度繰り返し、次にようやく己の名を名乗ったのである。

「俺は間桐雁夜。今回の聖杯戦争でお前のマスターを務めさせてもらう。よろしくな」



* * *



「バーサーカー。花を食わなくても魔力なら足りているだろう?」
 マスターが嘔吐した花を思わずと言った風に口へと運んだところで、その花の主から苦笑と共に注意を受けた。バーサーカーと呼ばれた青年―――否、聖杯戦争のため現界したサーヴァントこと『湖の騎士』ランスロットは花を拾うために跪いた格好のままマスターを見上げる。
 ソファにゆったりと腰掛けてこちらを見下ろすのは白い人物だった。
 まだ三十路前だと言うのに髪も肌も白く、左目は白濁してその機能を失っている。決して小柄ではないのだが濃い緑の着物に包まれた肢体は細く、ランスロットが握れば容易く折れてしましそうな印象を受けた。
 と、そんな不穏な思考を敏感に感じ取ったのか、白髪の青年・間桐雁夜の膝に乗せられていた少女が黒い瞳でじっとこちらを睨み付けてきた。彼女は遠坂という家から間桐へと養子にやって来た子供とのことだったが、養父となる雁夜への懐きようは本物の親子かそれ以上である。雁夜の方も現在進行形でほぼ無意識に幼い少女の真っ直ぐな黒髪を細く白い指で丁寧に梳いて慈しんでいた。
「……魔力は足りています。しかしカリヤが生み出す花は我々サーヴァントにとって至上の甘味。叶うならばご慈悲を賜りたく」
 召喚された当初、狂うことを望んで召喚されたというのにその狂化を取り除かれてしまった所為でランスロットは雁夜を詰った。だがその狂いたいという思いがただの逃げであると雁夜に指摘され、ランスロットには反論することができなかった。以降、狂うことを止めた狂戦士は本来の礼節を重んじ穏やかな気性の騎士として第二の主君である雁夜に仕えている。
 そうして正気を取り戻した湖の騎士を待っていたのは潤沢な魔力供給だった。雁夜は特殊な体質で人間としては魔力をほぼ無尽蔵に生成できる。したがって理性はあるがバーサーカーのクラスとして呼び出されたが故に大量の魔力を消費するランスロットですら彼の負担にならなかったのだ。
 今もまたパスを通じてランスロットが実体化するのに必要な魔力は十分に供給されている。だがそれと花を食すこととはまた別だった。
 花吐き病という病を患っている雁夜は己の器に納めきれなかった魔力を花として吐き出す。つまりその花は魔力の結晶。魔術師やランスロットのようなサーヴァントにとってはこの上も無く美味な物である。特に雁夜は属性が水である所為か、その花弁を口に含めば果汁を溶かした湧水を飲み下すようで、『至上』という表現がピッタリだった。
 ただの魔力供給として花を口にするなど勿体無い。これこそ最高の嗜好品だとランスロットは思う。
「ま、別にいいけど。でもそっちで腹を膨らませてパスから魔力を受け取らないってことにはなってくれるなよ? お前を選んだのは俺の魔力が器いっぱいになる前に減らしてもらうためなんだから」
「心得ております」
 胸に手を当てて跪いたまま一礼し、ランスロットはクチナシの白い花弁を食む。途端、口内に広がる魔力を感じ、ランスロットはこの陶酔を少しでも長引かせるかのようにそっと目を閉じた。
 己が呼び出されたのはマスターである雁夜の魔力を消費し、彼が嘔吐で苦しむ回数を少しでも減らすため。そしてランスロット自身もそれに否やはない。花を嘔吐する雁夜は美しいのだが、彼が苦しむのを騎士としての精神が是としなかったのだ。
 しかしやはり雁夜の花は美味だった。抗いようも無いくらいに。よって実はランスロットがもっとこの花をもらえるように実体化する時間を減らそうかと考えているのは、雁夜も与り知らぬところであったりする。
(ですがカリヤの傍にいるのはそれでそれで心が落ち着く……。やはり今日も霊体化するのは止めておきましょう)
 静かに花を食みながら、狂戦士はもう何度目かになる結論を出す。
 マスターの手によってその濃い紫の髪が優しく梳かれ始めた感触に、花とはまた違う陶酔を覚えながら。







チェリーブロッサム2
桜→雁夜。



 うちの家に犬が来た。
 とは、養父である雁夜がサーヴァントを召喚した次の日に間桐桜が小学校のクラスメイトに対して語った言である。

 そんな犬もとい忠犬―――否、令呪によって狂化を取り除いたにも拘わらず未だ若干狂犬の気配を感じるサーヴァント・『湖の騎士』ランスロットと桜は冬木の街中を歩いていた。
 聖杯戦争中ならば危なくてそんなことを雁夜が許すはずもないのだが、幸いなことに件の戦いが始まるのはまだまだ先のことである。
 本来、戦争の参加者達は時期が差し迫ってきてからサーヴァントを召喚することが多い。それは敵の魔術師に己のサーヴァントの情報を探られないようにするためや、そもそも参加資格たる令呪がギリギリまで現れないという理由があったりするのだが、始まりの御三家である『間桐』の次期当主・雁夜にはかなり前から令呪が現れていたので後者の理由は当てはまらない。
 そして前者に関しては、そもそも雁夜自身が聖杯に望むような願いを持っていなかった。つまり勝つ気が無かったので、他の魔術師に己のサーヴァントを調査されようが何しようがどうでも良かったのである。
 令呪が現れたばかりの頃、それでも一応、雁夜は聖杯戦争についてどうしようか考えていたらしい。いつものソファに腰掛けて膝の上に桜を乗せたまま己の右手の甲を矯めつ眇めつしては、「どうしよっか?」と首を捻っていた。しかしある時、鉤爪が三つ合わさったような赤い紋様を桜も一緒になって眺めていると、雁夜はひらめいたとばかりにこう呟いた。
「よし。とりあえず魔力食いそうな奴を現界させて少しでも俺を楽にしてもらおう」
 嘔吐的な意味で。
 ―――と言う訳で、雁夜は聖杯戦争を勝ち抜く云々をまるっきり無視した上で、早々にバーサーカーを召喚したのだった。
 おかげで戦うために召喚されるはずのサーヴァントは暇を持て余し、すっかり間桐家のペット兼執事状態である。
 次期当主の雁夜が――実際は既に当主としての仕事をこなしているため多忙で――手が放せない時などは、彼の代わりとしてランスロットが桜と共に買い物へ出掛けたりもする。今日もまた雁夜がどこぞへ視察に行かねばならない日と桜が遠足に着ていく洋服を選ぶ日が重なってしまい、泣く泣く桜に「いってきます」と告げる雁夜を見送ったのだった。
「……おじさんといっしょがよかったなぁ」
「カリヤも非常に残念がっていました」
 桜が呟けば、その隣を歩くランスロットが抑揚の無い声でそう返す。
「ですが今日の仕事はどうしてもカリヤの力が必要らしく、代理では無理とのことです」
「知ってるもん。だからわたしだってガマンしてるんだからね」
「そうですか。サクラは偉いですね。カリヤは若干泣きそうでしたが」
「うん。わたしが『だいじょうぶだよ。いってらっしゃい』って言ったら泣きそうになってた」
「付け加えるとそれを聞いた後のカリヤは『これが親離れってやつなのかなぁ』と言いながら目を押さえていましたよ」
「え、そうなの!?」
「……嬉しそうですね、サクラ」
 隣を見上げれば、彫りの深い整った顔立ちが桜を見下ろしながらやや呆れ顔を浮かべていた。しかし、これが嬉しくない訳がない。雁夜のその反応は桜と離れたくないが故のものなのだから。
「さくらとおじさんは『そーしそーあい』だね!」
「相思相愛、ですか。難しい言葉を良くご存知で」
「遠坂の凛ちゃんが前に教えてくれたの」
「ふむ」
 桜の返答にランスロットはパチリと瞬きしながら頷いた。何か考え事をし始めたようで、腕を『考える人』のように組んでいる。
「バーサーカー? どうかした?」
 何か変なことでも言ったかと尋ねれば、彼は首を横に振りながらじっと桜を見つめた。
「いえ。ただ、サクラはもう完全に間桐の娘なのですね」
「え?」
「サクラは先程『遠坂の凛ちゃん』とおっしゃいました。しかも淀みなく。『姉』だった人を」
「うん。だって間桐のお家の子供になってからだいぶたったし」
「そうですか。しかし未だに貴女はカリヤを『おじさん』と呼ぶ。それは何故ですか?」
「……つまり『お父さん』って呼ばないのはどうしてかってきいてる?」
 確認用に問いを問いで返せば、ランスロットは頭を縦に動かして肯定してみせる。
「サクラが『お父さん』と呼んで差し上げれば、カリヤはとても喜ぶと思うのですが」
「うーん」
 それは解る。桜も十分理解していた。笑顔で「お父さん」や「お父様」と呼んであげれば、雁夜はとろけるように笑ってくれるだろう。それ程までに桜は雁夜に愛されているし、桜はそれを知っている。
 しかしながら雁夜が本当に大好きな桜にとって、それは避けて通らねばならない道だった。
「あのね、バーサーカー。わたしはおじさんといっしょにいたいの」
「はい」
 いきなり何故こんなことを言い出すのか、ランスロットはよく解っていないだろう。それでも彼は頷く。彼から見ても桜の雁夜に対する執着は明らかであるはずなので。
「でも『娘』はいつかだれかとけっこんして、『お父さん』とはさよならしちゃうでしょ?」
「……まぁその可能性もありますね」
「だからわたしの最終目標はおじさんの『娘』じゃない」
「だからカリヤを父と呼ばないのですか」
「そう」
 雁夜を「おじさん」と呼んでしまうのは半分が癖なのだが、もう半分の理由がそれだった。今は書類上間桐雁夜の娘である桜だが、それだけでは満足できない。あの綺麗な人とずっと∴齒盾ノいることこそが桜の望みである。
「では、サクラの目標は何なのです?」
「ききたい?」
「差し支えなければ」
 そう答えるランスロットに桜は笑みを浮かべた。それはもう、桜を溺愛している雁夜が見れば白い肌を紅潮させてカメラで連写しそうな程の可愛らしい笑顔を。

「おじさんの『およめさん』になること! そしたらおじさんをちゃんと名前で呼ぶの!」

 ―――お嫁さんなら一生一緒にいられるでしょう?







2012.01.16 pixivにて初出

この娘、まだ6歳なんだぜ。