花吐きの蟲使い
第四次聖杯戦争の一年前。大人雁夜と刻印虫。



「っ、うぐ……ぇ」
 胸が詰まり、何かが食道をせり上がってくる感覚。そうして身体が求めるまま吐き出せば、床に色鮮やかな花がふわりと落ちた。
 間桐雁夜は己の口から零れ落ちたそれを見て諦めにも似た笑みを浮かべる。

 花吐き病。正式名称は魔力性嘔吐中枢花被性疾患。

 文字通り『花』――正確には花の形をした魔力の結晶――を吐き出す奇病である。
 魔術回路で生成された魔力が術者の器に収まりきらず体外へと溢れ出る際、花の姿を取って口から零れ落ちるというこの病は、しかしその性質ゆえに発症者は非常に珍しい。
 何故なら花を吐くには魔力が術者の器を越える&K要があるからだ。そして大抵の魔術師は己の器を満たし溢れさせるほどの魔力を生成できない。
 ともあれ魔術師の中でごく稀に発症するその奇病に雁夜は生まれた時から罹っていた。
 ただし雁夜の器が一般的な魔術師と比較して小さいという訳ではない。
 むしろ逆で、雁夜の魔術回路は異常なほど発達していたのである。
 かつてどんな願いでも叶える願望機『聖杯』を作り出した始まりの御三家の一つ間桐家は、他の二家とは対照的に魔術回路が代を重ねる毎に弱くなり、衰退の一途を辿っていた。だがそんな中で突然変異と言われてもおかしくないくらい上等な魔術回路を持って誕生したのが間桐家の次男、雁夜だ。
 しかも後から判ったことなのだが、何の因果か雁夜の母は花吐き病のキャリア(因子は持っているが発症していない者)だった。雁夜は胎児の時に母から感染し、そして誕生と共に発症して今に至っている。
「う、ぁ……また来た」
 呟いた直後、再び口から花が落ちる。
 今度は鈴蘭の白く小さな花がいくつもいくつも床に転がった。
 雁夜は正常な右目とほとんど見えない――明暗くらいしか判らない――濁った左目でその花を追いかけ、己の髪と同じく真っ白なそれを一つだけ指で摘みあげる。
 そのまま手のひらに花を乗せて、一言。
「ほら、お食べ」
 告げた瞬間、巨大なトンボに似た蟲が羽音を立てながら雁夜の指先に降り立った。この蟲こそが間桐家の次期当主たる雁夜が使役する刻印虫。
 種類は芋虫型から翅の生えたものまで様々で、しかしどれも幼い頃から雁夜が己の魔力を与えて育てた蟲達である。基本的には体外で産卵・孵化させ、雁夜の『花』を与えて育てている。ただしその蟲達を使役するため雁夜の脳内には同種の小さな蟲を住まわせていた。この副作用により、雁夜の黒かった髪はいつしか真っ白に色が抜け、左目で物を見ることができなくなってしまっていた。
(ま、身体の中で蟲を飼って自分の肉を喰われるよりマシか)
 雁夜のような突然変異でもなければ、間桐の魔術は己の肉で蟲を育てる。それには激痛を伴い、上手く行けば雁夜の戸籍上の父親のように擬似的な不老不死さえ得られるが、下手をすれば蟲を飼うどころか増殖した蟲に喰い殺されてしまうらしい。
 そのことを思えば、花という形で魔力を嘔吐して苦しむことくらい我慢せねばならないのだろう。
「ギチ、ギギギ……」
「おーそうかそうか。美味いか」
 翅と顎を震わせて手のひらの花を食らう蟲に雁夜は苦笑を浮かべる。
 『花』は純粋な魔力の結晶だ。したがって魔術師や使い魔、果ては聖杯戦争――六十年周期で開催され来年が四回目となる――に召喚される英霊にとって非常に美味なものなのだとか。
 雁夜自身は己の魔力なので花を食べても味など感じない。だが雁夜以外の存在にとって雁夜が吐き出す『花』は喉から手が出るほど欲するものだった。
 と言っても、現在、雁夜が吐き出す花のほとんどは彼が育てている蟲達の栄養源になっているのだが。
「あとは他の奴らのとこに持って行けよ。独り占めなんかしたらお前が共食いの対象になっちまうからな」
「ギギ、ジ」
 極上の餌を与えてくれる主人に蟲は頷くような音を立て、床に転がったままの花を長い足で回収して姿を消した。








花吐きの幼姫
ショタ時臣とショタ雁夜の出会い。



 盟約を結んでいる間桐家の次期当主候補が数えで七歳になる年の初春、遠坂時臣は父に連れられてその本家を訪れた。
 七歳まで子供は神様の物という古い日本のしきたりが関係している―――のかどうかは不明だが、ともあれ間桐にとって数え年で七つになるというのは大事な時期らしい。ゆえに時臣の遠坂家も祝いの言葉を告げるために、今日ここを訪れた。
 なお、あくまでも数えで℃オ歳なので、本人の実年齢はまだ五歳らしいのだが。時臣の記憶違いでなければ生まれたのが三月下旬なので、あと二ヶ月すれば六歳になったはずである。
(……ま、どうでもいいことか)
 さして興味のない時臣は黙って父の後に続く。
 間桐の属性が水である所為か、敷地内はどこか暗く湿っていた。炎の属性を持つ時臣からすればあまり好きになれそうにない場所だと思う。
 遠坂の魔術師たるもの常に優雅たれという家訓によりそんな悪感情を表に出すことはないが、時臣は内心、この間桐家に早くも辟易としていた。
 しかも間桐家は敷地だけでなくそこに住まう住人達もなんだか陰気で好きになれない。
 次期当主候補である雁夜という少年にはまだ会ったことがないのだが、その兄の鶴野は時臣と同じくらいの年なのにすでになんだか卑屈っぽく、また父親である臓硯には底知れない暗さと恐ろしさを感じる。
 母親がどんな女性なのかは知らないが、そんな兄と父を持つ雁夜もあまり期待できそうになかった。きっと時臣が遠坂の家を継いだ後、間桐家の当主となっているであろう雁夜とは表面上だけでの付き合いになるだろう。
 分厚い仮面の下で時臣がそう考えていた時―――。
「……、……。……! …………」
(ん?)
 何かが聞こえたような気がして時臣は間桐邸の暗い森を見渡した。
 足を止めた息子に父親が「どうした?」と問いかける。
「いえ、何でも」
 ありません、と答えようとしたところで、再び何かが聞こえる。
 時臣はほんの一瞬だけ逡巡したが、父を仰ぎ見て口を開いた。
「申し訳ありません、父様。すこし気になる音が聞こえたので様子を見てきます」
「……、わかった。ただし臓硯殿との時間には間に合わせるように」
 いつも我侭など言わない息子が珍しく願ったことだからか、父親はあっさりと許可を出す。
 時臣はスラックスのポケットから懐中時計を取り出して時間を確認し、「ありがとうございます」と言ってから声がした方へ足を向けた。

 そして、辿り着いた先で目にした光景に時臣は一瞬で心を奪われた。

 木々の合間を抜けた先には小さな人工池があり、そこだけ空を覆うような背の高い木も払われている。陽の光が射し込むその場所には白い何かがうずくまってケホケホと咳をしていた。
 幼い子供だと推測されるその人物は白い着物を纏っており、驚いたことに髪も真っ白、肌もまた日光など知らないかのような白だ。時臣がガサガサと下草や落ち葉を踏んで音を立てたためにこちらの存在に気付いて向けられた容貌は、その幼さゆえに男か女かの区別もつけにくい。
 が、時臣が目を瞠ったのはその容姿だけによるものではなかった。
 時臣を視界に入れたその幼子がケホッとまた咳をする。すると彼(または彼女)の淡いピンクに染まった口唇の合間からぽろりと真っ赤な薔薇の花が零れ落ちた。
 子供は己が花を吐き出した瞬間を他人に見られたことで動揺したようだが、咳は収まらず苦しげに背を丸める。コホコホと、時折もっと激しく嘔吐するような音を立てるたびに、子供の周りにはぽろぽろはらはらと色とりどりの花が零れては転がる。
 薔薇に菫に桔梗に桜。百合にガーベラ、しゃくなげ、牡丹、スイートピー、芙蓉。その他、時臣が知らない花も。
「……」
 まるでその花々に惹かれる虫のように、気付けば時臣は子供の前に立っていた。
 相手と視線を合わせるため膝を折り、苦しげに咳く背をゆっくりと撫でる。
「だいじょうぶ、か?」
 口がカラカラに乾いていた。優雅などとは程遠い。
 しかししょうがないのだと時臣は思う。
 人間というものは真に美しいものを見た時、心も呼吸も奪われて常の自分を無くしてしまうものなのだから。
「……っ、やめ、ろ。さわんな」
 子供が呻き、背を捩る。
 見た目にそぐわぬ随分と乱暴な物言いだが、力が入らないのか本気で避ける気がないのか、子供の動きは小さい。
 なので背中を撫でるという行為を続行しながら時臣は穏やかな声で尋ねた。
「どうして?」
「っ、だって……きもちわるい、だろ」
 ―――口から花を吐くなんて。
 その言葉を聞き、色の違う双眸――左目だけが濁っている――に見つめられ、時臣は嗚呼と歓喜に震えた。
 気持ち悪いはずがない。むしろ苦しげに眉を寄せ、目尻を赤く染め、そして愛らしい口唇の合間から鮮やかな花を零す姿は、これまで時臣が目にしてきたどんなものよりも美しかった。
 再び子供が噎せて零した花を、時臣はそれが地面に転がる前に両手で受け止める。
 そして何をする気かと驚く子供の視線を余所に、手の中の真っ赤な薔薇の花弁にそっと唇を落とした。
「なっ……!?」
「ああ、これは君の魔力でできているのか」
 花に触れた唇を舌で舐めるだけでも感じる甘味は極上。どうやらこの花は魔力の結晶であるらしい。
 魔術師たる時臣にとってそれは本能的に欲する味でもあり、気付けば赤い花弁の一枚が口の中にあった。
 上質な魔力が舌の上に広がり、食道を通って胃へと落ちる。そうして花として吐き出された魔力が時臣の魔力と溶け合う感覚に、ほぅと吐息を零した。
「そう言えば聞いたことがあるな。魔術師がかかる奇病の一つに『花吐き病』というのがあると。君はそれの感染者なのかい?」
「っ、そうだけど。なんで、きみわるがらないんだ」
「愚問だね。君のどこが気味悪いのさ?」
 白い髪も肌も汚れなく美しい。片方だけ濁った瞳はどこか神秘的で、極めつけに口から落とすのは色とりどりの美しい花だ。
 これのどこが醜いと、気味が悪いと言うのだろう。
「美しいよ。君はとても美しい。こんなに素敵なものとここで出会えるとは思っていなかった」
「はあ? おまえ、なにいって……っぐ」
 カハッと吐き出す息と共にまた花が零れ落ちた。
 嘔吐の苦しみで目尻に溜まった涙もきっと花と同じ極上の甘露なのだろう。想像するだけで時臣の頬が緩みそうになる。
「おまえ、へんだ」
「変ではない。これはきっと誰もが思うことだよ。それと私はお前≠ナはなく遠坂時臣という名前があるんだ。是非時臣≠ニ呼んでくれないか」
「とき、おみ?」
「ああ。そうだ」
「……あは……ときおみ、か。時臣はへんなやつだ」
 色とりどりの花に囲まれて白い子供はへにゃりと眉尻を下げる。
 不格好なその笑みに時臣は右手を差し出しながら家訓に恥じない微笑を返した。
「変ではないさ。君はとても美しい。……ねえ、君の名前を訊いても?」

 そうして手を差し出した子供の名前が間桐雁夜であると知るのは、この数秒後のことである。








花吐きの花
大人時臣→大人雁夜。ヤンデレ時臣の片思い。



 遠坂邸の地下室には美しくも奇妙なオブジェがいくつも存在していた。
 まるで菓子職人が果物をシロップでコーティングするかのように透明度の高い宝石で一つずつ花を包んだ物が専用の棚に所狭しと並んでいるのだ。
 花の種類は様々で、薔薇に菫に桔梗に桜。百合にガーベラ、しゃくなげ、牡丹、スイートピー、芙蓉などなど。子供の頃のある出会いがきっかけで多少花に詳しくなった遠坂家の当主・遠坂時臣ですら知らない花も沢山ある。
 だがどれにも共通している事項がいくつかあった。
 一つ、この花のオブジェは時臣の妻や子供ですら容易く目にすることが許されていない。ましてや触れることなど以ての外。
 二つ、オブジェはゆっくりと惜しむように、しかし確実に減少していた。時には花弁一枚ずつ。時には丸々一個。
 三つ、花は限りなく本物に見えるが、生花ではない。
 何故ならば―――

「ああ、雁夜。君はいつになったらまた私に『花』を与えてくれるんだろうね」
 地下室でぽつりと呟いたのは遠坂時臣その人。
 指先で花のオブジェの一つに触れると、花を覆っていた水晶が本来の六角形に戻る。
 外気に晒された真っ赤な薔薇を手のひらに乗せて時臣はうっそりと微笑んだ。
「そんなに葵と結ばれなかったのが……私に盗られてしまったのが悔しかったのかい」
 ここにはいない人物へ、その人物が吐き出した花≠通して語りかける。
 そう。地下室に飾られている花のオブジェは全て花吐き病の発症者たる間桐雁夜から出た物だった。
 幼少期から雁夜と付き合いのあった時臣は事あるごとに彼が吐き出した花をもらい、こうして己の魔術で固めて保存し続けてきたのである。
 だが花の譲渡も時臣が結婚したことで終わりを告げた。
 現在の時臣の妻・葵は雁夜の初恋の相手であり、成人した後も忘れられぬ女性だったのである。それを横から掻っ攫う形となった時臣に雁夜は以降、あまり良い顔をしなくなってしまった。
(でもね、雁夜)
 薔薇の花弁を指先で撫でながら時臣は心の中で名前を呼ぶ。
(私が君から葵を奪った訳じゃない)
 良き夫でも良き父でもない。一人の男の顔をして遠坂時臣は微笑む。
「私は君が葵に奪われる≠フをどうしても避けたかったんだ」



「だって雁夜は私の美しい『花』なんだから」







2011.12.20 pixivにて初出

pixivで素敵設定を拝見し、居ても立ってもいられず書いてしまいました。……あ、でもすみません。記憶だけを頼りに書いていたらご本人様の設定とだいぶ違うところが(あわわ)
実は読んだことすらない『花吐き乙女』の花吐き病をFate風にアレンジというかむしろ好き勝手に変更しております。そしてFate自体もアニメのZero知識しかありません。すみません。本当にすみません。それでもOKよ!と仰ってくださる心優しき方、お付き合いの程よろしくお願いします。