その少女は粟楠幹彌の妹と言うよりも娘と言った方が相応な年齢だった。
 昨年の四月、池袋にある来良学園への入学を機に埼玉の片田舎から上京してきた少女もこの一年ですっかり都会での生活に慣れ、幼馴染やクラスが一緒という友人と楽しげに街を闊歩している。童顔の気があるため中学生に間違われる事もしばしばだが、その姿は間違いなくごくごく普通の女子高生だった。
 そして幹彌の本当の娘である粟楠茜は今年で十歳を迎える。まさに年齢だけを見るならば、その少女は少々歳が離れた茜の姉というポジションがピッタリだった。
 現に粟楠の本邸のリビングにいる幹彌の目の前では―――
「帝人お姉ちゃん! 次は七並べしようよ! ね、おじいちゃんもするでしょ?」
「ああ、勿論だとも」
「いいよー。じゃあ私がカード切るね」
 茜の提案に彼女の祖父である――つまり幹彌の父である――道元がいかにも好々爺という顔で頷き、次いで件の少女・竜ヶ峰帝人がにこにこと微笑みながらカードを切り始める。祖父と少女に挟まれた茜はとても楽しそうで、それを眺める幹彌もつられて優しい気分になれそうだった。
 しかし。
(なあ、茜。その女はお前の遠縁の親戚じゃないんだよ)
 帝人の存在を説明する際に茜に告げられた“設定”を思い出しながら、幹彌はひっそりと顔をしかめる。
 幼い茜にはまだ幹彌や道元が極道であることを教えていないのだが、父親である幹彌が見たところ、彼女はそういった反社会的な存在を嫌う正義感溢れた性格に育ってくれているらしい。今後は成長するに従って良い事も悪い事も目にし、ある意味で柔軟になっていくだろう。しかし今は眩しいくらいに真っ直ぐな少女だった。
 そんな茜がもし帝人の真実を知ったら……。
(今お前の横で笑ってる女はお前のじいちゃんと愛人の間に生まれた“叔母”なんだぞ)
 真実を知れば、きっと潔癖な茜は酷く傷つくだろう。
 そうして慕っている少女を見る目は困惑に染まるか、はたまた嫌悪にまで到達するか。
 また祖父へ向ける感情も変わってしまうだろう。祖母というたった一人の女性を決めておきながら、他の人間と交わるなど。
 茜が帝人を嫌う姿を想像して幹彌は胸がすっとするような、しかしその一方で酷く不愉快な感情を覚えた。
 理由は解っている。茜に真実を明かすシミュレーションなどもう何度も繰り返したからだ。帝人の存在を知った瞬間から、何度も何度も。
(愛娘が現実を知って悲しむのを見たくない親心。……一児の父としてはそう思いたいところだが、生憎俺はそうデキた親じゃないらしい)
 こんな気分になるのは何よりもまず、幹彌自身が帝人に対して複雑な感情を抱いているからだった。
 幹彌にとって帝人は腹違いの妹に当たる。妾の子というのが、まるで幹彌が両親に愛され生まれてきた事を否定するかのような存在に思えたのだ。粟楠幹彌は所詮極道の道元が跡継のため義務的に作った子供でしかなく、本当に望まれて生まれてきたのは道元が“『愛』した『人』”との間にできた帝人ではないのか、と。
 考えすぎだとは思う。しかし無意識にそう考える自分がいるのも事実なのだ。
 自分が帝人をそういう存在として捉えているから、自分が抱く帝人への嫌悪感を娘の茜も抱くのではないかと夢想する。無理矢理に理由を付けて己の娘が自分とシンクロする事を望む。帝人を嫌悪する自分が娘に嫌悪されないように。
 そんな自分の思考回路を理解できているがゆえに、幹彌は帝人へ単純な憎悪や嫌悪を向ける事ができずにいるのである。
 これでもし帝人が立場だけではなく中身的にも好ましくない存在であったならば、幹彌もここまで複雑な感情を抱くことはなかったかもしれない。ただ単純に気に食わないと嫌っていればいいのだ。
 しかし、
「幹彌さん、どうかされました? 顔色が少し良くないみたいですけど……」
「大丈夫だ。気にしなくて結構」
 茜がお手洗いのため席を外したタイミングで帝人がこっそりと幹彌を伺った。思考の海に沈み若干の自己嫌悪に陥っていた幹彌へ彼女は心配そうな顔を向けてくる。
 そんな腹違いの妹に幹彌が素っ気なく返しても、彼女は気分を害した様子もなく、「無茶はしないでくださいね」と微笑んで広げられたカードの方へ視線を戻した。
 帝人が最低な性格の持ち主ならば幹彌がこうも苦悩する事は無かったのに。
 けれど、帝人はとても良い子だった。
 己の立場をしっかりと理解し、出しゃばらず、他人を気遣い。時折、花が綻ぶようにふわりと微笑む。茜が一瞬で懐いたのも解るくらいに帝人は愛らしい少女だった。
「帝人お姉ちゃん、おじいちゃん、お待たせー。続きしよ!」
 リビングに戻ってきた茜が帝人に抱きつきながらにこにこと笑う。帝人の視線は最早幹彌には向いておらず、彼の娘である茜に全て注がれていた。
 幹彌の胸の奥で黒いものが、ずくり、と痛みを伴って蠢く。思わず眉間に皺を寄せても誰一人それには気付かない。
(近付くな。もうそれ以上、近付かないでくれ)
 そう思う対象が茜に愛されている帝人だったのか、はたまた帝人に躊躇いなく抱きつく茜だったのか。実際、竜ヶ峰帝人の人となりを知ってしまった今の幹彌にはそれすらも危うくなってきていた。






嫌悪は育ち、
情愛は未分化のまま。