「そう言えば、道元さんの後を継ぐのはほぼ幹彌さんで確定していますけど、幹彌さんの次に誰が組を率いていくのかという噂はご存じですか?」
 事務所で仕事の合間に一息ついていると、四木がそんな話を振ってきた。彼が噂などという不確定なものを話題にしたのが珍しく、帝人は小首を傾げる。
「さあ……。僕はまだ聞いた事がないですね」
 それに幹彌の次の代まで自分が現役でいるとも思えないから興味もないと答えると、四木は小さく肩を震わせて笑った。
 本当に今日の四木は珍しい。優秀な部下の滅多にない様子に帝人が目を見開いていると、四木は「いえね、とても面白い噂だったもので」と笑いを堪えきれないといった風にそれを教えてくれた。
「幹彌さんの次こそ、貴方ではないかという話です」
「……え?」
「ですから、幹彌さんが組を継いだとして、その次に継ぐのが貴方だと」
「いやいやいや、それは有り得ないでしょ!?」
 思わず立ち上がった際にガタンッと椅子が後ろに倒れて音を出す。それを慌てて直しつつ、帝人は首を大きく横に振った。
 何せ自分は道元の血を非公式に継いでいるけれども、その事実を何も知らない他の構成員達に教えるつもりはないし、もし教えてもそれで帝人が認められる訳ではない。むしろ四木が自分の下につく前と同じく、嫡子である幹彌と比べられて愛人の子だと蔑まれるかもしれないのだ。
 今はこうしてそれなりの地位を実力で築いているが、それでも帝人は自分が将来的にこの組のトップになれるとは欠片も思っていなかった。
 しかし四木は口元に苦笑を刻んで言う。
「一応、粟楠会は世襲制ではありません。ですが幹彌さんが若頭になった時点で大体の者は今後も世襲でトップは変わっていくのだろうと思いました。そして次の組長候補である幹彌さんには一人娘がいらっしゃいます」
 ふんふんと話を聞いていた帝人はその最後の一言に「ん?」と首を捻る。
 なんだか嫌な予感がして四木を見返すと、彼は気味が悪いくらいにニコリと笑って爆弾を投下した。
「将来的に茜お嬢と貴方が結婚し、貴方が婿養子として粟楠を継ぐのではないかというもっぱらの噂ですよ」
「ちょ、何それ何なんですかその噂! 僕、幹彌さんに殺されちゃいますよ!!」
「しかしながら、貴方が優秀であるのもお嬢が貴方に懐いているのも事実ですから」
 にこにこと笑いながら四木は言い、そして、

 ―――ダンッ!!

「ッ!?」
 その笑顔のまま机の端を力一杯殴りつけた。
 いきなりの事に驚いて帝人は息を呑む。その視線の先で四木が苛立ちを隠そうともせず吐き捨てた。
「本当に気に入らない。笑えるほど気に入りませんね」
「四木さ……」
「茜お嬢と貴方が? そんなの認めませんよ」
 いつしか笑顔は消え失せ、鋭い双眸が帝人を睨みつけている。ギラギラと獲物を狙うような目をした四木は椅子から立ち上がると、帝人のすぐ傍まで歩み寄った。
 すっと伸ばされた大きな手が帝人の顔に添えられて四木と視線を合わせようと力を込める。その動きに従い帝人が顔を上向かせると、四木の眉間に皺が寄せられた。
 苦しげな表情をした男はしばらくじっと帝人を見つめ、やがてぽつりと先程の激情とは正反対の小さな声を零す。

「……お前は“俺”のものだ」

「ッ!」
「私が見つけて私が選んで私が支えて私がここまで導いた。それを今更誰かにやるつもりなんて、これっぽっちも持ち合わせちゃいないんですよ」
「四木さん……」
 名前を呼びながら帝人は己の顔に添えられた大きな手に自分の左手を重ねる。その顔は年上であるはずの相手に対してまるで「しょうがないな」と子供を見守る親のようであり、また大きすぎる想いを向けられる事に喜びを覚える傲慢な恋人のようでもあった。
「大丈夫ですよ」
 くすくすと笑い声を漏らしながら帝人は告げる。
「書類上は赤の他人ですから結婚は可能です。でも茜ちゃんは父親や祖父の仕事を知らない所為もあってヤクザなんて大嫌いな真っ直ぐすぎる程の子ですから、いわゆる“極道の女”にはならないでしょう。それに何よりあの子と僕の年齢差を考えてくださいよ。僕も散々童顔とは言われてますけど、それでも僕らじゃ見た目からして既に犯罪にしかなりません。だから茜ちゃんが僕の隣に来る事はない。“この世界”においてなら、僕は一生四木さんとご一緒する予定です」
「……そう、ですか」
 最後の一言は少しばかり邪推させるものを含んでいたが、四木は一応この上司の回答に満足する事にした。それはひょっとすると、帝人の近くにまだ将来を共にするような異性――茜を含む――の気配が無かったからかもしれない。
 落ち着きを取り戻した四木の手から帝人の左手が剥がれる。それを合図に四木も一歩下がり、帝人の頬から手を離した。
「申し訳ありません。つい取り乱してしまいました」
「いえ、僕も珍しい姿が見られて楽しかったですし」
「……言いますね」
「そうでなきゃ四木さんには選ばれなかったでしょうから」
 ケロリとした表情で言い、帝人は再び机の上にあるパソコンのキーを叩き出した。仕事を再開した上司の姿を見て四木も己の席に戻る。
「…………私に迫られて顔を真っ赤にした昔の貴方が少しばかり懐かしくなりました」
「あははっ、お望みとあらば戻って差し上げましょうか?」
 冗談混じりに声を上げて笑い、帝人はディスプレイからちらりと四木に視線を寄越す。その視線を受けながら四木は首を横に振った。
「いいえ。あれから経てきた年月も我々の大事な時間であり成長ですから。思い出は思い出として懐かしむだけに留めておきましょう」
 『粟楠会の竜ヶ峰帝人』をここまで育て上げてきた男はそう言って苦笑し、「さて、お仕事ですね」と視線を机の上に落とす。男の上司もまた軽く肩を竦めて思考を仕事へと切り替えた。
 彼らが再び親しい者として視線を交わすのは数時間後―――仕事の山を片付けてからになるだろう。






限定世界の永遠で、







茜ちゃんに帝人君を取られるんじゃないかと少し情緒不安定になっていた四木さん……の、つもり。