かつて帝人は四木にこう問いかけた事がある。
「四木さんが僕に良くしてくれるのは、僕が粟楠の血を引いているからですか?」 違うだろうな、と思いつつも、他にどう問えばいいのか解らず、結局はそんな台詞になってしまった。 帝人は埼玉生まれ。その姓は竜ヶ峰である。母親はシングルマザーであり、女手一つで帝人を東京の大学にまでやってくれた。だが母が父について帝人に語った事はなく、また帝人も無理に聞こうとはしなかったため、彼は父親を知らずにずっと過ごしてきた。 ――― 過ごして“きた”。そう、過去形である。 高校進学に合わせて上京し、池袋の来神高校に通い始めた帝人はゆっくりとだがアンダーグラウンドな方面に関わるようになっていった。その原因はひょっとしたら人一倍強い己の好奇心だったかもしれないし、はたまた自ら進んでアングラに足を突っ込み始めていた折原臨也の行動の余波を受けた事かもしれない。その辺りは本人にも分からないが、ともあれ帝人は池袋に縄張りを持つ粟楠会と関わりを持つようになった。 そして大学生になったある日、帝人はその人に出会ったのだ。 粟楠会の現組長にして、己の父親を名乗る粟楠道元に。 帝人は道元の愛人の子供だったのである。彼の嫡子である粟楠幹彌やその一人娘の茜らと比べれば、幹彌よりも茜との方が年齢は近い。しかしながら事実は事実であり、DNA鑑定までした結果、帝人は道元の子供であり、幹彌の腹違いの弟であり、茜の叔父というポジションが確定されてしまったのだった。 尚、祖父も父も善良な一般市民で裏家業も不倫も無関係だと思っている幼い茜にだけはその事実が知らされていない。ただしどうやら成長した息子の姿に喜びを覚えたらしい道元が粟楠の本宅に帝人を招く機会が多々あり、そのたびに顔を合わせてしまうので、茜には帝人が父方の親戚の子供だという事にしていた。 出生を知った帝人は一部の幹部や組員にのみ道元の息子であると明かされた状態で組の人間として本格的に働くようになった。だが本妻の子である幹彌や彼の派閥のメンバー、また若造のくせに血の繋がりだけで道元に近い位置(つまり組のトップ付近)にいるのは気に入らないと言う者から蔑みや妬みの目を向けられるのは当然の成り行きだっただろう。帝人も立場ばかりが高く大した功績も持っていない己が周囲に受け入れられるのは難しいに違いないと思っていたので、ショックは受けずにいたが。しかし仕事がやりにくかったのは事実である。 そんな中、帝人に接触してきたのが当時すでに幹部として名を上げていた四木だった。しかも四木は帝人に近付いただけではない。己の知識を分け与え、最後には帝人を配下にするのではなく、帝人の下に自ら収まったのである。 この四木の行動により帝人の自由度は一気に上がった。 四木が認める程の人間ならば、と。それまで帝人を否定していた者達が次々と協力的な姿勢を見せるようになったのである。そのおかげで帝人は数々の功績を挙げ、気付けば粟楠のNo.3とまで呼ばれるようになっていた。 今の自分があるのは四木のおかげだ。しかし最初、彼はどうして帝人に手を貸してくれたのだろうか。 帝人の問いかけを聞いた四木は自らその下についた少年のような青年の青みを帯びた瞳を見返す。先程スーツの上着を脱がせてハンガーに掛けたので、次は青年のネクタイを解こうと指をかけたところだった。 出会った当時まだ学生だった帝人にスーツの着方や選び方を教えたのも四木である。その影響で――と言ってもいいのか分からないが――仕事を終えた後、まるで従者のように着替えの世話までするのが習慣になっていた。 「もし血筋が関係するなら私は貴方ではなく幹彌さんの下についたでしょうね。彼は会長と本妻の子で、竜ヶ峰帝人は愛人の子ですから。対外的にも幹彌さん……専務にこの組を継いでもらった方が風評も悪くならずに済みそうですし」 「つまり血筋は元より、将来の出世すらあまり関係ないって事ですか?」 「そうなりますね」 シュルリとネクタイを解き、こちらも上着と同じく丁寧な手つきでハンガーに掛けながら四木は苦笑した。 「おそらく組を継ぐのは専務でしょう。貴方は最高まで上り詰めてもNo.2で終わります。となると、貴方の下についている私もこれ以上の地位は望みにくくなる。まあ余程目を見張るような結果でも出せればまた違ってくるでしょうが。あとは専務と貴方の年齢差を考慮すれば、ひょっとすればひょっとするかもしれませんがね」 「年齢差の件は置いておくとしても。それを解っていてどうして僕なんかを? あ、勿論今の僕があるのは四木さんのおかげですから有り難い事に変わりは無いんですけど、でもそれで四木さんにどんなメリットがあったのか……僕には見当もつきません」 「なに、私が貴方の下につくと決めたのは実に単純な理由からですよ」 上着を脱がせ、ネクタイを解き。これでもう終わりであるはずなのだが、四木は帝人から離れず、それどころか右手で帝人の頬を掬い上げるように持つとごくごく薄い微笑を浮かべて、 「貴方の存在に惚れ込んだ。ただそれだけです」 「…………え」 二秒ほど何を言われたのか解らなかった。だが次いで四木の視線が逸れ――正確には顔の位置がズレて――、額に湿った感触が降ってきたのに気付いて帝人はボッと火が着いたように顔を赤く染めあげる。 「な、ななななん!?」 「おや。気付いてなかったんですか? 一人の男として私が……いえ、“俺が”お前をこういう目でも見ていたって事に」 左手も頬に添えて四木の視線は再び帝人の双眸を捉える。 ニヤリと口の端を持ち上げたその表情は帝人の下につく従者ではなく、完全に相手を喰らおうとする肉食獣のそれだ。 鋭い視線に見つめられてゴクリと唾を飲み込んだ帝人に、四木は笑みの度合いを深めた。 「まあ俺達の世界に触れておきながらある意味で濁る事を知らない瞳には人間として尊敬と多少の嘲弄を覚えもしたが……。やっぱり最大の理由は粟楠幹彌より竜ヶ峰帝人の方が色々と“魅力的”だったからさ」 「……ッ!」 そんな事を言われながら顔を近付けてくるものだから、帝人は一瞬にして身体を硬直させた。瞬きすら忘れた青みを帯びた双眸に笑う四木の姿が映り込む。 「そう怯えるな。今ここで取って喰いやしねえよ。今はまだ、な」 「い、今はって……」 「いずれは俺がお前にしてやった対価を貰い受けるつもりって事だ。……嫌か?」 決して否定など許さないであろう人の悪い笑みを浮かべて四木は問いかけた。帝人は下手な事を言わないよう反射的に口を噤み、 (……あ、れ?) しかしながら己の口から「嫌」という単語が最初から出そうになかった事に気付いて、内心で首を傾げる。 そもそも四木にこうして触れられているのも決して不快ではない。否、むしろ気分は高揚しており―――。 「そんな顔されると一瞬前の発言を否定して今ここで喰いたくなるな」 「ッ! ! !?!?!?」 最早帝人の声は日本語どころかまともな音にもならなかった。かろうじて首をブンブンと横に振る事で四木の自制を願うのみ。 「ああ、 口調を普段の丁寧なものに戻し、四木は帝人から一歩距離を取った。苦笑を浮かべながら真っ赤になった帝人を宥めるように「大丈夫ですから」と言う。 「ですが知りたい事は知れたでしょう? 好奇心は猫を殺す、という諺が当て嵌まってしまうかもしれませんがね」 それは『四木が帝人についた理由』を問わなければ、四木が帝人にこういう態度を見せる時期が延びたか、永遠に来なかったはずだという事だろうか。 しかしながら問いかけてしまったものは、そして答えられてしまったものは仕方がない。 口をパクパクと無意味に開閉す帝人に四木は元々鋭い視線を僅かに緩め、何事も無かったかのようにいつも通りの言葉を告げた。 「ではまた明日、同じ時間にお迎えにあがりますね」 来なくていい。来ないでください。 普通ならそう答える場面で帝人はようやく声を出せるようになり、 「……………………じゃあ、 「! ええ、失礼します」 四木が一瞬だけ驚いた顔を見せ、それからまた余裕の表情に戻して部屋を去る。 スーツに包まれた背が扉の向こう側に消えた後、帝人はへなへなと床に座り込んでしまい、 「あり得ない。何があり得ないってそりゃ勿論一番は僕自身の事なんだけどっ!!」 とりあえず防音の部屋で良かったと思うレベルの大声で叫んだ。
昔語りをしたならば、
ちなみに「そんな事もありましたね」って言えるようになるまであまり時間はかからなかったり。 原因→四木さん:面の皮が厚い 帝人君:色んな意味で図太い |