「赤林さん、お帰りなさい」
 露西亜寿司に蟹を卸したついでに思い出深い元骨董品屋の前を通過して事務所に帰って来ると、珍しい客が訪れていた。
「おう、竜ヶ峰の兄ちゃんじゃねえか。どうしたんだい?」
 相手はもう二十代半ばに近いのだが、あまりの童顔っぷりに赤林はついつい子供扱いをしてしてしまう。応接室のソファから立ち上がってこちらを迎えてくれた青年―――竜ヶ峰帝人の黒髪をわしわしとかき混ぜ、「やめてくださいってば」と笑う少年のような青年を色眼鏡越しの隻眼で見つめた。
 身長は日本の成人男性の平均と同じか少し足らない程度。体重はもっと下回っているだろう。ひょろひょろの身体にのっかっているのは人の良さそうな幼顔で、ただし特筆するほど整っている訳でもない。額が見えるまで短く切られた髪は黒く、その辺の高校の制服でも着せてやれば現役の優等生君で通るはずだ。
 しかしそんなナリでありながら帝人はれっきとした粟楠会の人間であり、かつて武闘派として名を馳せながらも現在は完全日和見状態の赤林とは評価が正反対の幹部の一人だった。
 否、同じ幹部の一言で括ってしまうのも難しいだろう。何故なら帝人の下にはずっと前から赤林と同程度の地位についていた男―――四木が控えているのだから。
「赤林さん、私の上司で遊ぶのはやめていただけませんか」
 丁寧だが棘を含んだ言葉が発せられる。
 その存在は応接室に入った時から気付いていたが、やはり今回も帝人にベッタリだなと赤林は思った。
 鋭い目つきが特徴的な“帝人の部下”で“赤林の同僚”たる四木は何だかんだ言いつつ常に帝人の傍に侍っている。それは赤林の持つ単なるイメージではなく、本当の本当にそうなのだ。
 噂によると出勤前の帝人を家まで迎えに行くのも四木の仕事らしい。帝人が部下にそれを強制する性格だとは思えないので、おそらく四木の希望なのだろう。帝人が粟楠の人間になる前から四木を知っている者としては、それもちょっと想像しにくい事態ではあったが。
 しかしながら上司を他の男に取られてむっとしている今の状況を鑑みれば、噂もあながち外れていないような気がしてくる。
 敵に回すと厄介極まり無い男の苛立ちを抑えるべく、赤林は帝人から手を離した。
「はいはい、すみませんでしたっと。随分待たせちゃったみたいだし、お茶は淹れ直させた方がいいかなぁ」
「あ、お構いなく。僕が勝手にお届け物をしに来ただけですから」
「お届け物?」
「はい」
 にこりと笑って帝人は答える。
 赤林は彼を再びソファに座らせ、己もその正面に腰掛けた。四木も座るだろうと席を勧めたのだが、首を横に振られてしまう。どうやら仕事中は帝人の斜め後ろに立つというのが今の彼のスタンスらしい。昔――と言ってもそう長くはないが――は、いかにもインテリなヤクザ幹部らしい態度だったというのに。
 そんな四木の態度を当然のように気にした風もなく、帝人はポケットから一つのUSBフラッシュメモリを取り出した。
「……これは?」
「ある組織のデータが入っています」
「おいちゃんの所に持ってきたって事はこっちに関わる情報かい?」
「ええ。赤林さんの管轄内で最近不穏な人達が増えてきたと耳にしたものですから、僕なりに色々調べた結果です」
「って事は……」
 思い当たる節があった赤林は正面でにこにこ笑っている帝人に驚きの目を向ける。
 出会った頃から情報を得るのが早い早いと思っていたが、まだ幹部会議でも話題にしていない事をこうも容易く知られ、しかもこちらがまだ得ていない追加情報を持って来るとは。
「ヘヴンスレイヴ、ですよね。“クスリ”が嫌いな赤林さんの管轄内で結構派手に売買しているみたいじゃないですか。僕もそっち系はあまり好きじゃないのでお手伝いできないかと思った次第です」
「“お手伝い”ねぇ……。対価は要らないって事かい?」
「そうですね。まあ気になると仰るのでしたら小さな貸しが一つできたとでも考えておいてください」
「そ。んじゃありがたく頂いておくよ」
 赤林は差し出された記憶媒体を受け取り、己のスーツの胸ポケットに仕舞う。
「貸しの大きさについてはこの中身を見てからって事で」
「はい。お役に立てれば幸いです」
 そう言うと帝人は早々にソファから腰を上げた。
「おや、もう帰るってのかい?」
 純粋にそれが残念に思え、赤林は立ち上がった帝人を見上げる。帝人は四木にコートを着せて貰いながらこくりと頷いた。
「実はこの後、まだ用事がありまして。今日中に片付く程度のものなんですが」
「そうかい。そりゃ残念だねぇ」
 用があるなら無理に引き留める事はできない。ただ別の用事を持ちながらもわざわざここを訪ねてくれた事に感謝して、赤林もまた見送るために腰を上げる。
「お邪魔しました」
「ん。また好きな時に来てくれていいよ」
「ありがとうございます」
 薄手のコートを羽織っただけの帝人はそう言ってこの世界の大先輩である赤林に一礼して背を向けた。
 半歩後ろに赤林と同程度の地位の男を伴って。






獣の手綱を引きながら、