高校を卒業して丸二年。三月生まれである帝人はつい先日二十歳になったばかりである。
 そう言えばこの人は来月で29になるんだよなあ、と思いながら帝人が見上げる先にいたのは眉目秀麗という言葉を具現化したかのように美しい男だった。
 整った容姿の所為か未だ二十代前半から半ばに見える折原臨也は相変わらず情報屋を続けている。
 人が好きだと公言しながら情報を駆使して人を貶めるその行為を今の帝人は知っているし、何より自分もかつて彼を楽しませる駒の一つであった事は充分理解していた。しかし戻ってきた親友曰く自分は相当なお人好しである所為か、どうしてもこの情報屋を憎みきれない。相手もそれを解っているらしく、こうして時折顔を見せに来る事があった。
 臨也の背後にははらはらと薄桃色の花弁が舞い、あまりにも絵になるその姿に帝人は「美形って特だよね」と胸中で独りごちる。だが“現実逃避”もこれくらいにしなければと思い直し、近すぎるその美貌の主に向けて口を開いた。
「どいてください」
「俺としてはもっと距離を詰めたいくらいなんだけど」
「僕はそうじゃないんですよ」
 帝人の背に触れるのは頭上から花弁を降らせ続ける桜の木。そして身体の両脇には折原臨也の腕。マジでキスする5秒前、とふざけてみるが洒落にならない。
「って言うかこれ以上距離を詰めてどうするんですか」
「うん? だから俺は君とゼロ距離になりたいって言ってるんだよ?」
「なんて一方的な」
「俺の愛は今までもこれからも誰に向けても一方的だったからねえ。そりゃあ帝人君に対しても、俺はあんまり君の意志を尊重しないだろうね」
「逃げてもいいですか」
「逃げられないよ」
 臨也はクスリと小さく笑い声を漏らし、赤味がかった双眸をきゅっと細める。
「残念ながらここに君を助けてくれるような誰かはいないし、たぶん大声を上げたって人は集まらないだろうね。近くに気配がないから。そして帝人君の腕力じゃ俺には勝てない。チェックメイトだ」
「人数も腕力も事実なので何とも言えませんね」
 溜息を一つ零し、帝人はジャケットのポケットに両手を突っ込む。観念したかと思われるそんな帝人の様子に臨也は笑みを深めた。
 しかし―――
「なので、僕は別のものに頼ろうかと思います」
 と言って帝人がポケットから取り出したのは手のひらに収まる程度の小さな拳銃。それを臨也の脇腹に押し当てて、にこりと笑みを浮かべた。
「……ッ」
「すみません臨也さん。そういう類の事はしないで欲しいって雇い主から言われてるんです」
「雇い主って……ああ、四木の旦那か」
「よくご存じで」
 新宿の情報屋なら知っていても不思議ではないが、帝人はあえて「流石ですね」と褒め称える。案の定、臨也は不機嫌そうに顔をしかめた。
 四木と一生分の契約を結んだのは三年と八ヶ月前。まだまだ『一生』には程遠いが、今のところ四木の想いが変わる気配はない。よって帝人も彼のただ一つの願いを叶え続けていた。そしていざと言う時に帝人が一人でも対処できるよう四木から与えられたのが、今、帝人が手にしている拳銃である。渡された時には「僕が使う訳ない=襲われるような状況になるはずがない」と思うと共に、流石本職だと些かズレた方向に感心したものだ。
 拳銃を押し当てられた臨也はぱっと両手を上げ、一歩後ろへと下がる。それを確認した帝人は銃口を下げて――ただしポケットに仕舞うまではいかず――「あの人、心配性なんで」と苦笑を浮かべた。
「心配性って言うか独占欲が強いだけじゃないの? 君のその指輪といい。……もう四、五年前からだろ?」
「そうとも言いますね。まあ、それも苦じゃないんで」
「やっぱりお金なのかなあ。だったら俺が今の倍出すって言ったら乗り換えてくれるのかい」
「それはないと思いますよ」
「へえ」
 即答した帝人に臨也が片眉を上げる。
 帝人は「理由は色々あるんですけどね」と言って肩を竦めると、後頭部を桜の幹にこつりと押しつけて過去を思い出すように目を閉じた。
「まあまず第一に相手がヤクザって事でしょうか。四木さんの関心が僕にあるうちは逃げられませんよ。余程の事がないと」
「そりゃそうだ。でも俺と来てくれるならちゃんと逃がしてあげるよ?」
「臨也さんなら可能かもしれませんね」
 そう言って帝人は更に続ける。
「二つ目は……これ以上お金を貰っても使わないんですよ。それに一生四木さんのヒモになるつもりもないので、大学を出たら就職する気満々ですし」
「欲がないねぇ」
「僕が欲しいのは今も昔もお金じゃなくて楽しい非日常ですから。そして―――」
 帝人はゆっくりと瞼を押し上げ、正面の臨也を見据えた。
「三つ目。たぶん僕も絆されたんです、四木さんに。今じゃあの人以外に触られるのって考えられないんですよね」
「帝人君、」
「だからごめんなさい。僕は臨也さんのものにはなれない」
「……やっぱり最初のうちに君をさらっておくべきだった」
 苦々しく呟く臨也に帝人はもう一度「ごめんなさい」と返して桜の幹から身体を離す。銃が入っているのとは反対のポケットで携帯電話が震え、持ち主にメールの着信を告げていた。
「噂をすればって程じゃありませんけど、呼ばれているのでもう行きますね」
「今からでも君の腕を取って捕まえてしまおうか」
 剣呑な目つきで告げる臨也。しかしそれに対し帝人は笑みを浮かべたまま首を横に振る。
「確かに貴方なら不意打ちでない限り僕の拳銃なんて怖くないのかもしれません。静雄さんと喧嘩していた人ですし。でも臨也さんはやりませんよ」
「どうしてそんな事が言えるのかな」
「だって」
 未だ帝人を離す気配がない怖い大人がいるから。自分が言葉の通り行動を起こした時に帝人がどう思うのか臨也は理解しているから。その他諸々―――。
 全ての理由を口にしてみせるのではなく、帝人はただ一言だけ相手の目をしっかりと見て言った。
「臨也さんは賢い人だから」



□■□



「あーあ、ホント嫌になる」
 帝人が去った後、桜の花弁が舞い散る中で折原臨也は肩を竦めた。
 自分がこの街に導いて特別視して『愛して』きた少年は最早他人の腕の中。冗談じゃない、と呟いてから己もこの場に背を向ける。
 だが立ち去る時の臨也の顔はどこか晴れやかで、
「でもさぁ帝人君」
 既にいない人物へ向けて大層美しい笑みを浮かべた。
「この俺が欲しい物をそう簡単に諦めると思う?」






道化師DANCE

(まだまだこれから、ってね!)