それはむしろ、どうして今まで気付かなかったのだろうか、というレベルの話だった。
赤林は帝人がダラーズの創始者である事を知っている。そして帝人は赤林が知っている事を知っている。 けれども――― 「……赤林さんもダラーズに入ってたんですか」 「言ってなかったけか」 「言ってませんでしたよ」 まぁその必要が無かったのも事実ですが、と告げる帝人の視線の先にはメールの受信を知らせる赤林の携帯電話。全く同じタイミングでこちらもメールの受信を告げた己の携帯電話と交互に見比べて、帝人は出会ってようやく目の前の男が自分の作ったカラーギャングの一員である事を知った。 サイトのアドレスとパスワードを知っていれば老若男女善人悪人誰もが登録できるシステムであるため、赤林がダラーズに所属しているのも何ら可笑しな事ではない。しかし、やはり多少は驚くというものだろう。情事のすぐ後に自分達の携帯電話が鳴り、自分だけが知らなかった事実を今更になって知るというのは。 電源キーを押してメールの受信ボックスから待ち受け画面へと戻す。 元々双方共に異なる理由でメールや電話はあまり疎かにできない立場であるが、どちらか一方の携帯電話に連絡が入った場合ならばおそらく無視する事もあっただろう。特に今のような事後ならまだしも、その最中だったりすると。 しかしながら今回は二人同時に携帯電話がメールの受信を告げた。 若干空気の色が変わり、ピロートークを打ち切って行われた確認作業は池袋でちょっとした騒動が起こっているという情報を二人に齎した。 帝人は携帯電話を鞄に仕舞い、そのまますぐ傍に落ちていた自分の衣服を手にとって着込み始める。「竜ヶ峰君?」とやや戸惑うような声で呼ばれたので振り返ると、ベッドの上で全裸の赤林が携帯をパチンと閉じて僅かにだが眉間に皺を寄せていた。 それを真っ直ぐに見つめて帝人は、 「……どうせまた冗談半分で冗談じゃ済まないような事をやりだす人が出るでしょうから、僕は行きます。赤林さんは僕がこういうのを許せなくて、そのために動いてる事も知ってますよね?」 「そりゃあ」 君らの粛清の事は知っているが、と答える声は歯切れが悪い。まるで帝人がこの部屋から去るのを嫌がっているかのように。 「おいちゃんを置いてけぼりにするなんて竜ヶ峰君も酷いねぇ。もうちょっと事後ってもんを楽しもうとは思わないかい?」 「すみません。僕にとってダラーズは『特別』なんです」 そう言って赤林から視線を外し、帝人は服を身に纏う。上着のファスナーを上げて鞄を斜めにかければ完成だ。 服を着終わってから再び赤林の方に振り返ると、彼も下半身だけは衣類を身に付けていた。スラックスの腰の部分にはベルトが通されておらず、その上に晒しても恥ずかしくない程の逞しい上半身が乗っかっている。皮膚にうっすらと残る傷跡は過去の勲章と言うやつか、それとも若気の至りと言うべきか。どちらにしろ帝人とは正反対の“力”を感じさせる身体だった。 しかしその力に満ちた身体の持ち主は帝人の最後の台詞を聞いてから一言も発していない。ひたすらに苦い顔をして帝人を見つめている。 「……赤林さん?」 「特別、かぁ」 帝人が名を呼んでようやく赤林は独り言のようにそう発した。 「竜ヶ峰君はダラーズが本当に大事なんだねぇ」 「そりゃあ自分で作ったものですし、管理はちゃんとしないと」 それに僕の大切な人達の居場所となるべきものだから……とまでは言わず、けれども少し敏い人間ならば台詞以上の感情が込められていると判る声で帝人は答える。 帝人の返答に赤林は若干眉尻を下げ、「そうかい」と呟いた。 その声がどこか寂しそうに聞こえたのは帝人の気のせいだろうか。 (気のせい……じゃないかもしれないけど、どうせ多少気に入ってる玩具が手元から離れた程度の認識なんじゃないかな) 同性にも拘らず身体を重ねているのだから、赤林は帝人にそれなりの好意を抱いていると推測される。しかし所詮、粟楠会という街の深い所にいる人間から見た帝人達はあらゆる意味で“子供”だ。その上で赤林が帝人に近付いた最初の理由を考慮すれば、男の中で竜ヶ峰帝人と言う存在の順位はそれほど高い物でもないと思う。 ダラーズにメンバー登録しているのもただの興味本位か、もしくはダラーズを探ろうとしたためか……そんなところだろう。 帝人の一番はダラーズ。そして赤林の一番は帝人でもダラーズでもない。今の帝人にはそれだけ判れば充分だった。自分が次に取るべき行動を決める判断材料はそれだけで事足りる。 「じゃあ僕、行きますね。また声かけてください」 ブルースクウェアのメンバーに送るメールの内容を考えながらぺこりと頭を下げる帝人。そして赤林に背を向け――― □■□ 「ちょっと待ってくれ」 余裕の無い声だと自ら思いながら赤林は去り行く背中に声をかけた。相手の方も赤林の異変に気付いたのか、不思議そうな顔で振り返る。 赤林はベッドから腰を上げると黙って帝人に近付いた。少年からはこちらの様子を気にしつつもやはり急いでいる気配が感じられ、ああ本当にこの子は俺よりダラーズの方が大事なんだな、と赤林に知らしめる。薄々解っていた事だったが、これまで意識しないようにしていたそれを自覚した途端、肺の底に鉛でも沈んでいるような気分になった。 「なんですか、赤林さん」 「俺が行かないでくれって言ったら、君はここに留まってくれるかい?」 勝敗が判り切った馬鹿な質問だと思う。しかし問わずにはいられない。 もし万が一、億が一、Yesと答えが返って来たら……そうやって希望的観測を行うのは最早自分ではどうにもならなかった。だから答えが判り切ってるはずの問いかけもできてしまう。 果てして、赤林の問いかけに帝人は苦笑を浮かべ、 「そんなの……」 「行くに決まってるじゃないですか」 きっぱりと言い切った。 「どうして」 「どうして? じゃあ逆に訊きますけど、赤林さんは僕に何をしてくれるんですか?」 「え?」 その切り返しは予想外であり、赤林は隻眼を瞬かせる。 一瞬の間が空き、その間に帝人は正面から赤林に向き合うと柔らかさの欠片もない声で告げた。 「ダラーズはそれ自体が僕の大切なものであり、そして僕の大切な人の居場所になるべきものなんです。だから僕はダラーズを管理している。ダラーズに相応しくない人にはそれ相応の態度を取る。……じゃあ赤林さんは? 赤林さんは僕のものじゃありませんし、僕に何かを齎してくれる人でもない。ただこうして一時的に同じ空間にいるだけの人です」 だから赤林とダラーズを天秤に掛ける事すらするつもりはない。 そう言って帝人は再び赤林に背を向けた。 しかし少年が一歩踏み出す前に、 「―――……だったら」 赤林の声がその足を止めさせる。 「? まだ何か」 視線だけで振り返った帝人に赤林は眉尻を下げて笑った。 この子供はどうにも赤林を見縊りすぎているらしい。おそらく赤林が向ける想いの強さも何も解っていないのだ。だから「ただこうして一時的に同じ空間にいるだけの人」などと言う事ができる。もし赤林がどれ程竜ヶ峰帝人という人間に“ハマって”いるかを知ったならば冗談でもそうは言えまい。 (だったら俺がどれだけお前に惚れちまってるか、解るようにしなきゃならんだろう?) 胸中で独りごち、赤林は帝人の右手を取る。 そのまま暴力など知らないような手の甲を己の口元に近付けて、 「俺が竜ヶ峰帝人のものになると言ったら?」 ―――立場もプライドも全て捨てて、さ。そしたら君は俺を君の傍に置いてくれるのかい? 相手の目を隻眼で見据えたまま手の甲に唇を落とし、赤林はニッと口の端を持ち上げた。 帝人の双眸は大きく見開かれ、今にも零れ落ちてしまいそうだ。大の大人の男がまさか高校生の自分に「お前の所有物になる」と言われるとは思ってもみなかったのだろう。言うべき言葉を失くし、ただ無言で赤林を見つめ返している。 その視線をしっかりと受け止めながら、帝人に己の想いの強さを解らせるため赤林は言葉を続けた。 「君が望むならダラーズのためにも働こう。竜ヶ峰君なら解るだろう? ブルースクウェアの餓鬼共より俺はずっと役に立つよ」 「……それは、本気、ですか?」 「ん?」 「僕のものになる、って」 「ああ、本気だ。本当は君を俺のものにしたかったんだけどねぇ。まあ、そうならないようだし、だったら俺が君のものになるさ。そしたら君は俺を気にしてくれるんじゃないのかい?」 「赤林さんは僕に気にして欲しいんですか」 「気にして欲しいどころか、竜ヶ峰君の一番になりたいんだけどねぇ」 「それは……無理ですよ」 「うん。だから俺は、君が気に掛けずにはいられない存在であればいいんだ」 少年の右手を捉えたまま赤林はヘラリと笑った。 帝人の一番はダラーズか、ダラーズを居場所として提供されるであろう者達。それらが帝人の一番から動かないなら、赤林はその次の地位を欲しいと願う。――― それでも構わないと願う程、赤林は帝人を欲している。 「………………。」 「……俺の言葉が信じられないかい?」 赤林は無言を貫く帝人に対し小首を傾げてみせた。 「竜ヶ峰君のものになるって言っておきながら、そのうち離れて行くんじゃないかって思ってるのかい?」 「貴方が最初、どういうつもりで僕に近付いたのか。それをお忘れじゃないですよね」 痛い所を突かれたと思う。赤林の立場ならば、ごく当然の流れとして、帝人に近付いたのはダラーズと創始者・竜ヶ峰帝人の監視、必要ならばダラーズの乗っ取りのためと考えられるだろう。事実、赤林が帝人と接触するようになったのはダラーズを監視するためだ。そして帝人はその事を知っている。 今ではこちらの好意も多少伝わっていると思うが、それをどの程度実感してもらえているのか……。帝人の態度から推察して、あまり期待はできないだろう。 「じゃあこうしようか」 言って、赤林は捕らえたままだった帝人の手を己の左眼へと導いた。 「信じられないなら逃げられないようにこの残った眼球でも、手でも足でも潰してくれて構わないよ。そうなるとダラーズのためとかで餓鬼共みたいに喧嘩はできなくなるだろうが、ずっと君から離れる事もない」 初恋の女性にくれてやった右眼。だったら左眼は初めて己のものにしたいと思った少年にくれてやろうではないか。 「なんなら今ここでやっちまうかい?」 続けて問えば、握ったままの手がピクリと震える。 暫しの沈黙の後、やがて帝人が口を開き、 「……わかりました」 静かな声でそう告げた。 帝人が右手の指を動かしたので赤林は黙って瞼を下ろす。薄い皮膚の上をなぞる指の感触を暗闇の中で感じながら、このままこの指に己の残った眼球も潰されてしまうのだろうかと思うと何故か気分が高揚した。 だが赤林の想像は完全な現実になる事なく、それでも次に帝人が発した台詞によって全身が総毛立った。 「赤林さん、僕のものになってください。そして貴方が僕のものでなくなった時、僕は貴方のこの眼を潰します」 「……ッ!」 恐怖ではない。これは喜びだ。 瞼の上から指が離れた途端、赤林はカッと目を見開いて帝人を視界に映す。 「それでいいですか」 「ああ」 冷めていて、熱い。赤林を見据える視線にそんな矛盾する熱が加わったのは帝人が赤林を己の所有物として認めたからだ。ダラーズに注がれているのと似た――ただしずっと少ない――熱をその双眸から読み取って、赤林は陶酔するように目を眇める。 「今この瞬間から、俺は竜ヶ峰帝人のものだ」
ア オ の ア カ
愛する君のためなら何でもするから。 だからずっと君の傍にいさせてくれるかい? 赤林さんが帝人の番犬化で赤帝END。 |