「粟楠会の四木って男を知ってるかい?」
 赤林が唐突に問い掛けたその言葉は相手を焦らせるでもなく驚かせるでもなく、ただきょとんと小首を傾げさせる程度の反応しか引き出せなかった。
 まさか知らないとでも言うつもりなのか。
 相手―――竜ヶ峰帝人が赤林の同僚でもある四木と付き合いがある事は、先日、四木本人の口から聞き及んでいる。ゆえに帝人の反応に、赤林は少年がシラを切るつもりだと思った。
 だが当の本人である帝人はその童顔を更に強調させるような表情をしばらく保った後、「ああ」と何かを理解したようにうっすらと苦笑を浮かべてみせた。
「赤林さんと同じ『会社』の方ですよね。今更何を聞かれるのかと思ったんですが……ひょっとしてお二人とも、互いに僕と知り合いだって事にお気付きでなかったんですか? 僕、てっきりお二人ともそれを承知の上で僕とこうして会ってくれているんだとばっかり」
「え?」
 帝人の言い分に赤林は色眼鏡の奥で目を丸くする。
 どうやら少年は以前から赤林と四木がどこの誰だか知っていたらしい。だが、四木はどうだか知らないが、赤林は自分の職業を明確に教えた事はない。また四木も敢えて赤林の素性を明かすような真似はしないだろう。
 だと言うのに。
「竜ヶ峰君はおいちゃんがどんな仕事をしてる人間か知っていた、と?」
「初めてお会いした時―――赤林さんが路地裏で倒れていた僕を助けてくださった時ですけど、その後やっぱり気になって少し調べたんです」
「じゃあ君はおいちゃんが粟楠の人間だってのに、こうして付き合ってたのかい」
「ずっと黙っていてすみませんでした」
 謝るのは肯定の印だ。
 少年は赤林が恐ろしくなかったのだろうか。それともあまりに恐ろしくて突き放す事ができなかったのだろうか。
 もしそうだとしたら、と想像した赤林の胸にモヤモヤしたものが去来する。
 四木からの棘を含んだ指摘により己の感情を自覚してしまった赤林にとって、帝人が自分を恐れていたという可能性はどうしても見たくないものではあった。その所為か、恐れから距離を取る事が出来なかったのかと言葉にして帝人本人に問う事もできず、赤林はじっと隻眼で相手を見つめる。
「何か訊きたそうな顔ですね。でも、」
 その赤林の沈黙を補うように帝人が口を開いた。
「そもそも赤林さんが僕に近付いたのは、僕が『ダラーズ』の創始者だったからなんじゃないですか」
「それ、は」
「言ったでしょう? 調べましたって。そしたら粟楠会がダラーズを気にしてるような様子が窺えましたし、街の裏側にいる大人達がちょっと本気を出すだけでダラーズを創った人間が誰かって事くらいわかっちゃうと思うんですよね。だから僕、赤林さんと“偶然”二度目にお会いした時、たぶんこれからも――ダラーズが粟楠会にとって注意するに値しない存在になるまで――赤林さんとはお付き合いが続くんじゃないかって思ったんです。間違ってますか?」
「…………」
 ただの答え合わせをするかのように嘲りも怒りも無い純粋な瞳を向けられ、赤林は言葉を失う。帝人が赤林と関係を続けてこられたのは、赤林がダラーズを気にして帝人に接触してきたからであり、帝人はただそれを拒まなかっただけだと言う。
 ダラーズのリーダーである帝人を陥落して取り込む気でいた――そして実際には仕掛けた方が帝人に陥落していた――赤林にとって、少年の台詞から導き出される事実は己を酷く打ちのめすものだった。
 愛しいと気付かずに手を伸ばし、届いたと思ったら全く届いていなかった。堕ちたのは自分だけ。
 なんて滑稽なんだろうと赤林は自分を嗤う。色眼鏡の奥の目がきゅっと狭まり、口元が不恰好な弧を描いた。
 しかし、そこではたと気付く。そこまで知っていて何故帝人は赤林から離れなかったのだろうか。先刻までは帝人がヤクザである赤林を恐れて逆らえなかったからとも思ったのだが、今の彼の表情を見るに、それ程恐怖を抱いている訳ではないらしい。やはり平凡そうなナリをしていても池袋最大のカラーギャングのトップに立っていると言うべきか、一般人とは物の捉え方が違うのかもしれない。という事は、帝人が赤林の傍に居続けたのにも恐怖以外の何か別の理由があるのではないかと思う訳で―――。
 暫らく沈黙を保った後、ようやく「どうしてヤクザだと知った時に離れて行かなかったのか」と赤林が問えば、帝人は淡く微笑んで答えた。
「だって赤林さんは僕を傷つけようとしなかったじゃないですか」
 たとえ近付いた理由がダラーズであったとしても。実際問題として、赤林はまだ何も帝人に危害を加えていない。だから離れる理由は無い、と。
「―――……それとも、離れて欲しいんですか? 僕に、赤林さんは」
 まるでそれが嫌だとでも言うように帝人の眉が八の字に下がる。
 ひょっとすると赤林だけが堕ちて遠く離れてしまったと思っていた手は意外とまだすぐ近くに伸ばされているのかもしれない―――。帝人の表情を見ながら赤林はそう思った。そしてこれからも帝人に危害を加えないよう接していけばこの関係を続けていけるのではないか、とも。
 四木と帝人の関係を知り、しかも四木からは自分が帝人を手に入れるとまで宣言されて、赤林は自身が感じているよりもずっと激しく動揺していたのだろう。だが今、この帝人の言葉によって赤林は少年が離れていくイメージを己の中から振り払う事ができた。ヤクザであり、その一方で帝人に危害を加えないと誓うのは四木と同じ条件になるだろうが、スタート地点が同じなら負けるつもりなど毛頭無い。
「そんな訳ないよ。おいちゃんは竜ヶ峰君が好きだからねぇ」
「す、好き!?」
「あはは、なに照れてんだい。もうやる事はやっちまった後だろう?」
「それはそうですけど!! そう直接言われると……!」
 目の前の少年が顔を真っ赤にして声を荒げる。だが怒りではなく羞恥に染められたその肌は、過去に触れた経験がある赤林にとって最早己を誘うものでしかなかった。
「あっ、あかばやしさんっ!?」
「ん? なんだい?」
 帝人をソファに押し倒しながら赤林はわざとらしく首を傾げてみせた。
 思えば初めてその肌に手を伸ばした時から、もしくはもっと前から、赤林は目の前の少年に囚われてしまっていたのかもしれない。普段の平凡で穏やかな空気と、その中に潜む『ダラーズ』という影の部分が齎すアンバランスさに。
「今日も、その、するんですか……?」
「おや。駄目なのかい?」
「駄目って言うか……ん、っ」
 言い渋る帝人にどうしたのかと思いながらも赤林はその細い首筋に唇を落とす。相手は学校があるため服で隠れない所に痕を残すつもりは無いが、その代わり白い皮膚をねっとりと舌で舐め上げた。
「……ッ!」
 咄嗟に帝人が右手で口を塞ぐ。
 声を出しても構わないのに。むしろ声を聞きたいと赤林は思うのだが、帝人はそうではないのだろう。
(まあ、声を堪えて眉根を寄せる表情ってのもソソられるもんだけどねぇ)
 くつりと喉の奥で笑いながら赤林は帝人の顔に視線を向けた。
 しかしその直後、赤林は帝人の右手の人差し指に光る銀色を意識の端に留めて目を眇めた。以前から帝人の右手にはこの若干サイズの大きな指輪があったように記憶しているが、自分はこのデザインをどこかで見た事がなかっただろうか。
 人差し指に銀色の指輪と言えば真っ先に粟楠会も利用している情報屋・折原臨也を思い浮かべるが、そうではないと赤林の頭の中で声がする。
(まさか)
 今はその右手に金色の指輪をつけている同僚を思い出し、赤林は愛撫の手をピタリと止めた。
「赤林、さん?」
「……その指輪、ひょっとして四木の旦那の」
 声に出すと実感が湧いた。
 そうだ。今、帝人の人差し指に嵌っているそれは四木がつけている物と全く同じデザインの色違いではないか。赤林の記憶が確かならば以前四木の右手には銀色が納まっていたはずだから、彼はそれを帝人に譲ったのだろう。そして己は同じデザインの物をもう一つ用意して人差し指に。
(随分と癇に障る事をやってくれる)
 帝人が小さく頷くのを見て赤林は「そうかいそうかい」と笑いながら胸中で毒づいた。
 顔は笑っているが心中はそれに反して全く穏やかでない。帝人にその気が有ろうと無かろうと、彼の指に輝く銀色は明らかにあの男の所有欲の表れだ。以前(自覚はまだ無かったが)赤林が帝人を抱いた時、その皮膚に赤い花を咲かせたのと同じく。
 ならば、と赤林は口の端持ち上げた。
 その表情の変化に帝人が数度瞬きを繰り返す。しかし銀色の環が嵌った指に赤林が歯を立てた事で「えっ」と戸惑いの声を上げた。
「なにを」
「こんな無粋な物、俺の前でしないでくれるかい?」
 一人称を変え、問い掛けは疑問系でなく確認するための言葉として。
 戸惑う帝人をそのままにし、赤林は銀色の輪に歯を立てて細い指から抜き取ってしまった。元々サイズが合っていなかった指輪は簡単に外れてソファーの下へと落とされる。その小さな金属の落下音は床に敷かれた絨毯がほとんど吸い取ってしまい、どこに転がっていったのかも判らなくなった。
「無粋、ですか」
「無粋だねぇ。君はこれから俺に抱かれる……一時的とは言え俺のものになるっていうのに」
 そうだろう? と同意を求めれば、曖昧な微笑が返される。
 満足のいく答えではないが、今はまだそれでいい。視線を床に彷徨わせるでもなく、指輪の行方を気にしていないらしい帝人の態度に赤林はそう思った。
 装飾の無くなった右手を解放し、赤林は指で帝人の下唇をなぞる。
「声を出すのが嫌なら、この前みたいに俺の指を噛んでくれりゃあいい」
「痕、ついちゃいますよ」
「それが竜ヶ峰君のなら、おいちゃんは大歓迎さ」
 茶目っ気を含ませてそう返せば、帝人の笑みが深まった。
 そして、
「じゃあ遠慮なく」
 言って、ぺろりと帝人の舌が赤林の指を舐め上げる。まるで誘うように。いや、誘われているのだろう。
 ぞくりと、した。初心な態度で顔を赤くするくせに、彼はこうして正反対の仕草もしてみせる。
「……っ、あんまり大人を挑発しちゃいけないねぇ」
 帝人の反応に赤林は背筋を震わせ、もう片方の手で色眼鏡を取り去った。指輪に続きそれなりに高価な色眼鏡も容易く絨毯の上に落とされて、赤林の手が愛撫を再開させる。
「挑発だなん、て、っぁ……!」
 愛しい愛しいと指先にまで感情を込めて肌の上を滑らせれば、すぐさま帝人が耐え切れないと声を上げた。
 そんな少年の仕草一つ、反応一つに、赤林の神経は高ぶってゆく。
(この子は、)
 胸中で呟く声。
 チリチリと脳の後ろが焼かれているような感覚の中、消え去った銀色を思って赤林の口元は自然と吊り上がった。
(この子は俺がもらうよ、四木の旦那)






銀環破棄、朱痕にて所有







この後、行為の最中に四木さんが付けた所有印を見つけて赤林さんのスイッチオン→帝人君気絶コース……に、なるかもしれない。